天狐の桜10
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
広々とした庭に西日が差し込む。今宵行われる総会に向け、バタバタと本家に奉公する妖怪たちが走り回っている。
「御姫」
縁側で小妖怪たちと戯れていたリオウは、のそのそと姿を現した巨体にふっと頬を緩めた。あぁ、ようやっと幹部の中でも信頼できる者が来てくれたか。
「狒々。よく来たな、あれから大事ないか?」
「リオウ様!ご無沙汰しております!」
「!猩影か。ふふっ久方ぶりだな」
ちと屈んでくれ、と言われるがままに膝を折れば、白魚のような指が優しく髪を撫で、そっと頬を包み込まれる。急に近づいた美しい面差しに思わず固まる猩影に、リオウは実に愛おしそうに、慈しむように目を細めた。
「お前を撫でるのも、こうしてお前に膝を折って貰わねば叶わなくなるとは…月日がたつのは早いものよ」
神や妖など、悠久の時を生きる者にとって、瞬く間に過ぎていく。あまり気にしたことはなかったが、氷麗といい青田坊や猩影といい…こうして成長した姿を見ると本当に時の早さを実感する。
「ハッハッハ!まるで母のようだなぁ、御姫」
「ふむ、これや今の若い者たちからみれば、親と言われてもおかしくはない歳だからな。つい感慨深くなってしまう」
そういえばこの天狐は二代目の鯉伴が18の時にもうけた子だったなぁと狒々は納得する。もう齢300はとうに過ぎたか。ならばこうして慈しみ深いのも道理。
「それにしても御姫はかわらんのぅ。まだ18,9かと思うたわ」
「……何故だか老いが止まったんだ。威厳がなくて仕方ない」
リオウは面白くなさそうな顔で鼻を鳴らす。幼げなその仕草に、かねてから彼を孫のように可愛がっている狒々は、仮面の向こうで破顔する。
「誰からの求婚にも首を縦に振らぬと聞いたが、決めた相手でもおるのか?」
「決めた相手…?ふふっそんなものいたら今ごろとっくに側に置いている。するだけの器のある者がいないゆえ、したくないからしない。ただそれだけのことよ」
「ハッハッハ!ほんに御姫は手厳しい。流石はかぐや姫よ」
かぐや姫、という呼び方にリオウは不満げに尻尾をゆらした。"月もかくやな美しさ"故にかぐや姫と揶揄されるリオウだが、本人はその呼び名をあまり好いていない。
(こうして御姫を誂うのが許されるのは、今や総大将とワシ位なものか)
「それにしても…此度の総会には猩影もつれてくるとは、珍しいな」
「もういい頃合い故、隠居して二代目を猩影にと思うてな」
「ほう。…悪くはない判断だ。ではこれからはお祖父様の茶飲み仲間になってやってくれ」
リオウ様ー!と遠くでリオウを探す声が聞こえる。総会のために来た幹部が副総大将はどこかと騒ぎ立てているんだろう。
また後でな、と最後に猩影の頭を一撫でし、ひらりと着流しの裾を翻して踵を返す。
「御姫」
「ーーー何だ」
つい、と視線だけを此方に向けるリオウに、狒々は目を細めた。穏やかに見せているが、どうやら此度の総会に来る幹部たちに対し、相当苛立ちがつのっているらしい。
「今宵、この爺は御姫の成すことに口は出さぬ」
「!……ふふ、それはありがたい」
形のよい唇がゆるりと弧を描き、桜色の瞳が妖しく蕩ける。廊下の奥に消えていく背中を見送りながら、狒々は深々と息をついた。
(………今宵は荒れるな)
しんと静まり返った暗い部屋。障子の隙間から青白い月の光が差しこみ、それが唯一の光源となっている。
「随分と苛ついてんな」
「ーーー耄碌爺共の相手をさせられた挙げ句、また総会でも顔を合わせねばならぬのだから仕方ないだろう」
純白の尾がしたんっと畳を叩く。ゆらりと姿を顕現させた鯉伴は、怒り狂うリオウにケラケラと笑った。
「どいつもこいつも口を開けば未だ身を固める気はないのかとそればかりか。挙げ句にリクオの誹謗とは、守る気がなくなるのも道理であろう」
「ハッハッハ!まぁそりゃあなぁ。俺がお前くらいの時には」
「父上。ーーー申し上げておくが私は貴方とは18しか変わらぬ」
「おっとそうだったな」
ニヤニヤと見守る鯉伴に、リオウは米神を押さえた。遊ばれている。鯉伴は完全に楽しんでいるんだろう。……この忙しいときにと恨み言のひとつも吐きたくなるのは、相手が他でもない父だからだろうか。
「そもそも、嫁に行くも何も今この慌ただしい状況では…」
「何ッ!?俺はまだお前ェを嫁に出す気はねぇぞ!!!」
「少しは人の話を聞くことを覚えていただきたい」
バシッと尻尾が鯉伴めがけて凪ぎ払う。まぁ凪ぎ払われたところで今の鯉伴は霊体なので、青白い影がゆらりと揺れるだけなのだが、それがさらに気に入らなかったらしく、リオウは唇を尖らせた。
「恋は良いぞ?」
「………………遊び人の鯉さんは流石仰ることが違うな」
「ぶっく、くく…そうじゃねぇって」
呆れ返った視線と声に、鯉伴は思わず吹き出した。そりゃあ300余年、恋も知らずに婚姻=家の繋がりで自身をそのための切り札であり道具として見ているのだから、そんな反応になるのも頷けるが。
「恋慕う奴と一緒になるのがお前のためだってことだ」
「……?」
「フッまぁいずれ分かるさ。お前は愛するより愛されてる方が似合うからな」
金の瞳が愛おしそうに細められる。訝しげな視線を向ける愛息子にケラケラと笑うと、鯉伴はふっと姿を消した。障子の外にぱたぱたと走り寄る気配がし、黒羽丸が控えめに声をかける。
「リオウ様、お時間です」
「わかった。今行こう」
リオウは流れるように立ちあがり、ふと後ろを一瞥する。己が今まで座っていた場所にあぐらをかいた父が、くつくつと低く笑っていた。
「殺すなよ?」
「ーーー善処する」
ぱたんと閉じられた障子。十中八九荒れて帰ってくるだろうかの天狐に、鯉伴はその姿を思い浮かべて笑みを深くした。