天狐の桜10
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
舞台に白いスモークが満ちていく。ざわめく生徒たちには目もくれず、犬神は突如現れた妖怪―――リクオの姿にギリ…と奥歯を噛み締めた。誰だ、お前は。
「闇さえあれば変化は可能…か。ふむ、これだからあれは見ていて飽きぬ」
リオウは実に楽しげに口の端を緩めた。半神半妖な己はともかく、四分の一だけ妖の血を受け継ぐリクオの能力は今だ未知数。
黒羽丸は、己の隣で機嫌良さげに尻尾を揺らす主に目を眇めた。この方はどこまでよんでいるのか…
「…リオウ様はこのことを知っておられたのですか?」
「いや?だがあれが無策で突っ込むような阿呆ではないことは分かっていたからな」
流石に此度のは肝が冷えた、とリオウは息をつく。死んだらそれだけの器よと飄々と語ってはいるが、本当に死なれるのは困る。
死なないと信じているから軽口を叩いているのであって、死んでもいいとは一言も言っていない。まぁ、流石に死にかけるようであれば助けにはいるのだが。
ステージの上では、リクオが犬神を見据えて妖しく笑っている。不敵な笑みはどこか余裕を感じさせ、犬神は苛立ったように奥歯を噛み締めた。
「学校でこんな姿になるつもりはなかったがな。とっとと舞台から降りてもらうぜ」
俺もお前も…ここには似つかわしくねぇ役者だ
リクオはゆらりと祢々切丸を構えた。剣気を感じられないその構えは、隙だらけなようでいて、攻撃は当たらない。
太く力強い前足が壁をえぐり、床を沈ませる。ヒョイヒョイと実に軽々と飛び退くリクオは、犬神の体へと飛びうつった。
だが幾度となく回避を繰り返すうち、つるりとリクオの足が犬神の毛並みにとられた。これにはリクオも小さく舌打ちする。しまった…
巨大な尾が直撃し、けたたましい音をたててリクオの体は舞台の床へと叩きつけられた。
「!!??」
「若…!!!」
ぼたぼたと鮮血が滴る。さしものリオウもこれには眉根を寄せた。此度は手を出さぬと決めている。だが、これはいただけない。
(治してやらねば…あれに死なれては組がつぶれる)
ついと繊手を持ち上げ、その指先が空に何やら呪を描きかける。ついで澄んだ桜色の瞳が大きく瞠られた。
額から血を流したリクオが、確かにリオウの方を見て不敵に微笑んでいたのだ。
(!此方を見て…笑った、だと?)
今自分は黒羽丸共々隠形の術で姿を隠している。人間たちにも組の妖怪たちにも、はたまた犬神にもこちらの気配を悟られていないのがいい証拠だ。――それなのに。
リクオの視線はすぐにそらされる。額の血を手で拭って払い飛ばし、殺気を身に纏ってゆらりと立ち上がった。
「――やるじゃあねぇか」
「!!!」
犬神の巨体が戦いた。ゾクリと得たいの知れない恐怖にも似た感情が体を貫く。知らない。なんだこれは。
何なんだ、こいつは…
「う…ぅ、うぉおおおおおお!!!」
巨大な爪と牙が空を切る。凄まじい勢いで振り下ろされる腕。誰もが息を詰めたその時…
突然パッと舞台が明るくなった。
《出たな妖怪!!!》
スクリーンに和装の清継の姿が映し出され、犬神の動きが止まる。映像が復活したことに、生徒たちも困惑ぎみに声をあげた。
《学校で暴れおって!そこの不届きな大妖怪!!!このボク…清継扮する「陰陽の美剣士」が来たからには…悪事はもう許さんぞーーー!》
「え?変装?」
「じゃあこれって全部演出!?」
「なんだよ~~ビビった~~!」
「ほらみろ、黒羽丸。人の子の理解力と順応性とは斯様なものよ」
子供であるなら尚更な、とリオウは小さく微笑んだ。黒羽丸は呑気に尻尾を揺らして高みの見物を決め込む主に息をつく。本当に先の先まで読みすぎではないのか?
《見てろ!!!今封じてやる!!!ボクのフルCG超必殺退魔術…黄泉送りスノーダスト退MAXーー!!!》
清継の声に合せ、ピキピキと音をたてて犬神の巨体が凍りついていく。見れば首無と氷麗が紐と氷で足止めをしている。
「今です、若。犬の動きは止めました」
「ぐ…ぐぉ…!!!」
体が思うように動かない。何故だ、何故こんなちんけな虫けら同然の奴等にしてやられるのだ。おかしいだろう?何故本家でぬくぬく育った野郎なんかに、この俺が…
「氷麗、この雪…ちょっとやりすぎだぜ」
ニヒルに笑ったリクオがこちらに飛び込んでくる。その手に握られた鈍い銀色の光が一閃した。
「リクオォオオオオ!!!」
落雷のごとき轟音が体育館中に満ちていく。その断末魔のような叫び声を最後に、犬神の巨体は無数の氷の中へと崩れ落ちた。
犬神―――四国の妖怪。人を呪い、人を恨み、人を愛おしく思う故人に憑く。おぞましく恐ろしく…そして哀しい妖怪。
「あぁいう手合いはな、愛されることに滅法弱い」
リオウはついと壇上の犬神に視線をやり、愛しいものを見るように目を細めた。形のよい唇がゆるりと弧を描き、桜水晶の瞳が甘く蕩ける。
「可愛がってやりたくなるものよ」
黒羽丸は静かに頭を垂れた。この最愛の主は聡明であるが為に純粋で慈悲深い。故に此度の犬神にも興味を示し、玉章の本質を見抜いた上で救い上げようとしているのだろう。
「――リオウ様の御心のままに」
「ふふっ言われずともな。――嗚呼、無論お前のことも愛いと思っているぞ」
「ッ…///」
くい、と扇子で顎を持ち上げられ、黒羽丸はぶわっ顔を赤らめた。己を愛いと語るその瞳に嘘偽りはなく、此方を見てより一層笑みを深くしたかの麗人は、この上なく艶やかで美しかった。
犬神の巨体が崩れ落ち、辺りには大小様々な最早瓦礫と化した氷が散らばっている。氷の塊の中から傷だらけの体を起こした茶髪の青年に、生徒たちは悲鳴のような声をあげてざわめいた。
一般生か?本当に仕込みなんだろうか?血だらけだが本当に大丈夫か?
だがそんなざわめきも壇上で対峙する者たちには関係ない。犬神は変化が解けたことに苛立ちながらも、まっすぐにリクオを見据えて奥歯を噛み締めた。
「へ…やりやがったな?ぬらりひょんの孫がよ…」
俺をズタボロにしやがった…『あんとき』と同じように。俺がどういう妖怪かも知らずに攻撃するとは、底抜けの阿呆どもめ。
「俺は…俺はよぉ…"恨めば恨むほど強くなる妖怪"なんぜよ…」
変化が解けたことへの焦りが募る。何故だ、いつもならもう…
「俺をここまでやったんだ!!!テメーは!!フハッガフッ…ゴホゴホッ」
鉄の味がする。咳に血が混じる。身体中がミシミシと嫌な音をたてるのを感じる。早く変化しなくては。このままでは…
「オラッ飛べよ…!!!首が…っ!!!何で…おいなんで変化しねぇーーー!?」
バサバサっと羽音が響いた。黒衣の妖が飛びあがり、照明を破壊する。一瞬にして深い闇に染まる体育館に、生徒もリクオたちも…犬神も目を見開いた。
「なんだ…何しやがった夜雀ぇ…!!!何でテメーがここに!?これから殺るとこなのによーーー!!!」
吠える犬神の肩を誰かが抱く。肌に慣れた妖気に、犬神は怯えたように肩を揺らした。
「た、玉章!?」
「失敗したんだね。馬鹿な犬神」
残念だよ。君は…君の能力は、人を呪い恨み強くなる。なのに、君は恨む相手を畏れてしまったようだ。
「恨みが畏に変わったら、君はもはや役立たずになる」
「な、何言ってんだ?玉章…!?そんなこと言うなよ!!!俺を認めてくれたのはお前じゃねぇか!!!そうだろ!?なぁ!!!俺はまだやれる!!!」
「いや、もう終わりだ」
己の知る男はこんなにも恐ろしい顔をする男だっただろうか。怖い。「恐れ」が体を貫き、言葉すらうまく紡ぎ出せない。
『このままでは、玉章はお前を斬るだろう』
全部全部分かっていたと言うのか。玉章が自分に見切りをつけて手を下すと。嫌だ。まだ死にたくない。まだ――
まだ誰にも誉めてもらっていないのに――――
「玉章―――!?」
「散れ、カス犬」
「ほう…ではその命、私がもらい受けよう」