天狐の桜10
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体育館の屋根の上。ふわりと降り立ったリオウは、わいわい騒ぎながら体育館の中へと集まっていく生徒を見下ろして口の端を緩めた。
雑然としているようで、一列になってぞろぞろぞろぞろと続いていく様はまるで蟻のよう。いつの頃からかこの国で習慣付けられた「集団行動」というものは上から見ているとなかなか面白い。
「リオウ様。…宜しいのですか?」
彼が会いたいとわざわざ足を運ぶということは、ここに四国の輩か誰かが来たということで。いくらリクオの意思を尊重すると言えど、危険にさらすのはどうしたものか。
「ふふ…これくらいの危機は自ら回避できるようにしてもらわんとな」
それに、少し泳がせてからの方が喉元に噛みつきやすいだろう。
黒羽丸はくつくつと笑うリオウに、無言でついと頭を垂れた。まったく、この方には敵わない。どこまで読んでいるのやら。
「あれには首無がついている。私にはお前が。――この私が読みを違えたことがあったか?」
「いえ。…畏まりました」
絶対の信頼に、幸福感と優越感が脳を甘く痺れさせる。大人しく護られてはくれないものの、護ることは許してくれる。…期待に応えずして何としようか。
「妬けますね。――そんなに信頼しているのですか?無能な弟を」
「!!!!」
「ほう?お前にはあれが無能に映るか。ふふっ生憎だが、有能か否かで判断しているわけではないのでな」
突如姿を現した玉章は、面白くなさそうに眉根を寄せた。漸く見せた表情の変化に、リオウは楽しそうに目を細める。大人びていようと、やはりまだこの狸は若い。
「私にお前はまだ早いぞ。―狸の小倅」
「玉章(タマズキ)と、呼んでいただきたいですね。貴方は僕の伴侶となる人なのだから」
「"玉座を狙う"か。その名の響き、私はあまり好かぬな」
嘗ての名を取り戻したとき、その名に相応しければ呼んでやらんこともない。
玉章は暫し瞠目した。捨てたはずの名をもう一度取り戻せと?リオウはついと手を伸ばすと、玉章の額を小突く。
「傲るな。小童が、勢いだけで国取りが出来ると思うなよ」
「存じております。…老いぼれがいつまでも貴方をいいようにしているのが気に入らないのですよ」
玉章は白魚のような滑らかな手を取って口づける。お互いに微笑を浮かべつつ、一歩も譲らない。……狐と狸の化かし合いとはこの事かと黒羽丸は内心ため息をついた。
この主はまた面倒な男に言い寄られてばかりか。
「この方に気安く触れるな。四国の若造が」
「…嫁となる人に触れて何か問題があるとでも?」
「リオウ様、お下がりください」
黒羽丸は玉章の手を弾き、リオウを庇うように間に滑り込んだ。小さく舌打ちした玉章は、ついで高慢な笑みを取り繕うと、恭しく頭を垂れる。
「必ず迎えに来ます。貴方に相応しいのは、真に百鬼の主たる器を持つこの僕の筈だ」
「…私は私の好きに生きる。私の気に入ったものを護り、すべきことをする。ただのそれだけ」
風を舞う葉に包み込まれたかと思えば、玉章の姿は跡形もなく消える。
「妖狸が神狐を娶るか。…これほどまでに対極の存在はないと思うがな」
否対極だからこそ、全てを捩じ伏せて己のものにしたいと望むのかもしれない。いずれにしろ、面倒な男に好かれたと、リオウは小さく肩を竦めた。
一方、清継の応援演説を頼まれていたリクオは、氷麗と共にステージ脇の控え室にいた。青田坊や河童、黒田坊が飛び込んでくる。
「若っ!」
「逃げてください!」
「ここは我らに任せて!!」
リクオはいや、と首を横に振った。奴等はここにいる生徒全員を殺すことだって可能だ。白昼堂々出てくるような妖怪が、それをしないとは限らない。
「リクオ様、ご理解ください!」
あなたは今、ただの人間なんです
まっすぐリクオの目を見つめ、首無ははっきりと言い切った。闇のなかでは秘めた力を発揮できたとしても、今は無力。だからこそ、リオウは自分達を護衛としてつけた。
あの方が護って欲しいと望んだ者を、なんとしてでも護り抜かねばならない理由がこちらにはあるのだ。
「我々は奴良組の妖怪。決して逃げ腰になっているわけではないことをご理解いただきたい!!」
「――自覚はあるよ。だからお前らに、守ってもらうしかない」
首無、僕の言う通りに僕を守れ!
「若…?」
持ち場につけと急かすリクオに、首無たちは目を瞬かせる。真剣な眼差しは何か策を巡らせているようで。――あぁ、策略家な所は兄弟でよく似ている。
体育館のフロアで一般生徒に紛れて座り込んでいた犬神は、リクオが消えた控え室の扉をじっと睨み付けていた。
(どうした…奴良リクオ。その扉の向こうに隠れて…)
逃げたな、と確信する。ここにいる全員の命よりも己の命が大事か。ぬくぬくと坊っちゃん育ち。リオウに愛されて護衛に守られて。
(いいご身分だな)
憎悪がじわりじわりと膨れ上がっていく。妖怪の癖に人間と戯れているのが憎い。護衛に守られてのうのうと暮らしているのが憎い。家族や友人に愛されているのが憎い。
―――リオウに愛されているのが憎い
巨大スクリーンに写し出されるバスローブを着て椅子にふんぞり返り、ワイングラスを揺らす清継の姿に、学生たちは盛り上がる。
サクラの巻たちの活躍もあり、今までに無かった斬新な演説に、皆食い入るようにしてスクリーンを見つめ、歓声をあげる。
(なんだ、この茶番は)
人間てのは下らなすぎると、犬神は信じられないものを見るような顔をした。何が面白いのか全くわからない。
リオウは黒羽丸と共に姿を隠し、2階ギャラリーの手摺に腰掛けながら、まじまじとスクリーンと見つめていた。人型を解き、現れた毛並みのよい耳がマイクの大きな音にピクリと揺れる。
(水鏡がなくとも映像が見られるのか。…ふむ、てれびとはまた違う…あぁ、映写機とやらか)
現代の絡繰りは面白い。機嫌に合わせてぱたぱたと純白の尾が揺れる。リオウにとって清継が何を話しているかなど、そんなものは関係ない。面白いか否か、ただそれだけだ。
「…リクオ様が御登壇されましたな」
「あぁ。…見ろ黒羽丸。彼処だ」
リオウが指差す方向には、ゆらりと立ち上がる茶髪の男子生徒がいた。なるほど、奴が今回入り込んだ四国ものの一人か。
(それにしても凄まじい歓声だな)
リクオが出てきた途端、あいつ知ってるー!いつもゴミ捨てしてくれる奴だ!などと割れんばかりの声が響く。
ちら、と視線を下に落とすと、犬神は呆然と立ち尽くし、ぶるぶると震えていた。体から妖気と憎悪が溢れ出す。
(なぜ、妖怪のお前が人から歓声を受ける…?)
俺は罵声しか知らない。妖怪が浴びるべき言葉を受けてきた。人間が、恨めしい。
彼処だ!と叫ぶ声が遠くに聞こえ、図体のデカイ男子生徒が自分を拘束しにかかる。体を拘束しようとも、犬神(じぶん)にはそんなものなんの役にもたたないことを知らない馬鹿共め。
犬神の首がみるみるうちに獣のそれへと変貌する。
嗚呼――俺は、俺は…
お前みたいになりたかった――
妖気が爆発的に膨れ上がったそのとき、ぶつりと切れた犬神の首は凄まじい勢いで宙を舞い、壇上のリクオの首筋めがけて飛び出した。