天狐の桜9
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黄昏が迫る。空は藍に紅を掃いたような複雑な色合いに変化し、西陽が影を長く伸ばす。
鳥居は、浮世絵総合病院に入院する己の祖母を見舞いに来ていた。巻も付き添い、二人はひょっこりと病室に顔を出す。
「入るねーおばぁちゃん!元気してた?」
「おぉ…夏ちゃんかい。それに巻さん来てくれたのかい」
「いえーいひばりちゃん!元気そうでなによりっ」
病室に明るい雰囲気が広がる。鳥居の祖母…ひばりは、二人が見舞いに来るこの時間を、殊の外楽しみにしていたのだった。
「ハイこれ!千羽鶴ぅぅぅ!!」
スッゴいでしょこれ!二人して折ったんだよ~と、鳥居はニコニコ笑いながらひばりに千羽鶴を差し出した。
ひばりは、そんな鳥居を微笑ましげに見つめていたが、ふと思い出したように視線を外へと投げた。
「これ、少し分けてもらって“千羽様”に…お供えしてもいいかい?」
「千羽様?」
「この敷地内に…あるはずなんだよねぇ」
ぼんやりと呟く。思い出すのは、何度も通った小さな祠。ずっと気にかけていながら、年を取ってかの地に参ることも難しくなった。
「千羽様は――昔からこの土地にある守り神なんだよ」
鬱蒼とした森の中。人が滅多に立ち入らないそこに、さくりさくりと葉を踏みしめる音がする。
「千羽。いるか」
「リオウ様!如何なされたのです?このようなところまで…」
森の中の小さな祠。その裏からひょっこり顔を出す、掌ほどの小さな神に、リオウはふっと目を細めた。ざんばらな緑の髪に、千羽とかかれた布の面をつけた青年。これが千羽様という土地神である。
リオウは祠の前に膝をつき、すっかりボロボロになった社に目を細めた。千羽も、嘗ては人と同じくらいの体躯であったというのに、いまや鴉天狗より小さい。
「…また小さくなったな」
「この地の伝説なぞ、もう廃れてしまいました。このような辺鄙なところまで来る者など…もう居りませぬ」
「…………」
リオウはぱちんと扇を鳴らした。風が艶やかな黒髪を撫で、烟るような睫毛がぱたりと瞬く。ゆるりと形のよい唇が弧を描き、ついと千羽に向かい手を伸ばす。
「さて、神が瞬く間に、人の世はゆうに10年は過ぎる。だが人の信仰と思いとは、思いの外強く残るものだ」
お前がこの地に人など来ないと思うだけで、忘れずこの地を想う人間はいるものだぞ。
言いながらリオウは祠に結界を仕掛ける。千羽はリオウの言葉に言葉を詰まらせた。それはどういう意味だろうか。下手な慰めでもない、確信を持った言葉。
天狐は心の声を読み、万人の声を聞き、千里を見通す瞳を持つ。自分のような小さな神とは比べ物にならない力を持った御仁。彼にはなにかが見えているんだろう。
「四国から来た若造共が、うちのシマを荒らし回っている。――ここにも来るやもしれぬ」
何かあればすぐに呼べ、とリオウは流れるように立ち上がった。呼べばすぐに助けに行く。力を貸せと乞われれば、喜んで自分は力を貸そう。
くるりと踵を返すリオウに、千羽はそっと目を伏せた。あぁ、本当にこの方はどこまでも優しく聡明だ。
「どうか、ご無理はなさいませぬよう」
闇に消え行く背中にそっと囁いた声は、風に浚われて溶けていった。
浮世絵町のとある繁華街。高層ビルの最上階で、玉章は幹部を集めて会議を行っていた。
「とうとう――夢を叶える場所に来たね」
足元には奴良組のシマが一望できる。これから人間を畏させ、奴良組を陥落させるにはぴったりの場所だ。
「ムチがどうなってしまったのかは今は分からない。だが間者によると総大将は行方不明になったらしい」
今のところ作戦は順調と言える。一つ気になるのが、先日襲撃した奴良組大幹部 狒々のこと。
間者によると、どうも死んだにしては葬儀の手筈が進んでおらず、混乱こそあるもののリオウたちに動きは見られないとのこと。
「だが、頭(トップ)の纏める役が居なくなった。リオウ様がいらっしゃるとしても、あの方は体が弱く床に臥せ気味と聞く。実質総大将と副総大将はとったも同然」
「あとは混乱に乗じて地盤を一気にいただく…というわけだな」
「その通り。滅茶苦茶に暴れるよ」
関東の大妖怪一家、奴良組には当然強い奴等もたくさんいる。武闘派と呼ばれる奴等だ。しかし実際に人々の信仰――つまり「畏れ」を集めているのは“土地神”によるところが大きい。
それが奴良組の地盤であり、広大なシマを持つに至った理由の一つ。戦力にはならんが、奴良組のしのぎの核となる妖怪たち。
「そいつらを潰す。これ以上簡単な国盗りは…ない」
「それで関西をすっ飛ばして関東か」
「なんだかわかんねーが!!ムチャクチャやりゃーいいってこっちゃろー!?」
「待て。手洗い鬼」
石で出来た小さな手が手洗い鬼の袖をひいた。
「なんじゃい袖モギ…」
思わず振り返った手洗い鬼に、隣にいた犬鳳凰がくわっと目を剥く。袖をとられ振り向いたら、今すぐに袖を渡さなくては呪い殺されてしまう。
慌てて袖を引きちぎった手洗い鬼は、思いもよらない恐怖にへたりこんだ。天下取りを前にして、仲間に呪い殺されるなんて冗談じゃない。
「土地神殺しなら…ワシにまかせろや。関東中で…ワシの名を土地神にかわって叫ばせよう」
袖モギ様は、ヒヒヒヒヒ…と不気味に笑いながら、ムシャムシャと袖を咀嚼する。玉章はギャイギャイ騒ぐ面々を尻目に、ついと闇の深まる町並みに目をやった。
(だが、少し上手くいきすぎている。いくらリオウ様のお体が弱いとはいえ、あの方がなにも策を練っていないとは考えられないが……)
考えすぎか、と一瞬頭を過った暗い想像を振り払う。あぁ、かの天狐をこの腕に抱くまで後少し…
人々の喧騒を見下ろしながら、玉章はくつりと小さく笑った。