天狐の桜7
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逢魔が時の薄暗い闇。不穏な風が古ぼけた戸板をガタガタと鳴らし、どこか生温い風が不気味さをよりいっそう強める。
鴉天狗は、幹部の身辺を探らせていた息子たち三羽鴉の報告に、ついと視線をあげた。
「もう一度言ってみろ。馬鹿息子ども。牛鬼だと?」
思慮深く、幹部のなかでは一番組思いの、忠義心に厚いあの男が?まさか…。黒羽丸は父の言葉に静かに答えた。
「あくまで目撃情報だ。やったと決まった訳じゃねぇよ。浮世絵町の烏どもが見てたんだ」
「うむ…」
だが、目撃情報もあるとなれば、もはや確定したも同然だろう。浮世絵町の鴉たちは皆鴉天狗一族の息のかかったものたちだ。我々には嘘がつけないし、そもそも牛鬼を貶めようと嘘の証言をする必要も、彼らにはない。
黒羽丸は、障子の向こうで唸る親父をぎろりと睨み付け、絶対零度の声音で口を開いた。
「それより…リオウ様は今何処だ」
ぞわっ
五度くらい体感温度が下がり、黒羽丸以外の3人は固まった。三羽鴉としての主はぬらりひょんであろうが、側仕えである黒羽丸の主君は、今はリオウだ。家臣として、また一人の男として、彼への想いは人一倍と言える。
早い話が、最愛のリオウと引き離されたのがこの上なく不服なのである。
「リクオ様とその御学友の合宿に、付いて回られているらしい」
「だから、その行き先は何処だと」
「……知らん」
「チッ」
(((今舌打ちしたよこの人ォォオオ!!!???)))
内心冷や汗だらっだらだが、その冷や汗すら凍りつきそうなブリザードを背負って不機嫌そうに顔を歪める黒羽丸にそんなことを言えるものなどいない。
かの真面目で比較的大人しい青年ですら、リオウにかかればこの有り様である。ブーンブーンと突如鳴り始める携帯に、これぞ天の助けとばかりに鴉天狗は飛び付いた。もうこの空気から逃れられるならなんでもいい。息子が怖い。
「もしもし、おぉ、青か」
電話の向こうでは、青田坊がリクオを追って捩眼山に向かっているのだという。捩眼山とは、牛鬼組の総本山。…つまり、リクオ暗殺を図った者たちの巣。これほどまでに危険なことはない。
「捩眼山だな」
「っ、おい」
黒羽丸は迷わず飛び立っていく。お二方の保護を、向こうでリオウ様の指示を仰ぐからとささ美とトサカ丸も後を追って飛び立つ。確かに、今は一刻を争う事態だ。ここでくだくだ指示を待つより、さっさとリオウと合流して、向こうで彼の指示を受けた方がいいだろう。
(さて、これを総大将にお伝えして…あぁ、事が済んだら緊急に総会を開かねば…)
ばっと飛び去っていった三羽を一瞥し、烏天狗はのし掛かる重圧に深く息をついた。
「…ダメだ、通じないわ…」
雪女は圏外と表示された携帯の画面を悔しげに睨みつけた。牛鬼組といえば、奴良組の中でも相当な武闘派。幹部だから大丈夫だとは思うが、やはり青田坊を連れてこなかったのはまずかったか。
「随分と不安そうだな」
「っ!リオウ様…あ、当たり前ですよ!」
今リクオは人間だ。リオウも体が弱い。自分が二人を、ないし子供たちまで守らなくてはいけないのだから。
「氷麗。…己の力を過信してはいけないぞ」
お前が思っている以上に、あれは成長している。
「斯く言う私も、心配は無用だ。…別荘についたら、私はちと牛鬼の屋敷に挨拶に出向こうと思っている。その間、リクオを頼んだぞ」
ぽんぽんと幼子を宥めるように頭を撫で、優しく微笑む。氷麗はそこでハッと気づく。いつも体が弱いことだけを気にしてしまっていたが、副総大将たるリオウにとって、捩眼山ひとつ消し飛ばすくらいのことは容易いこと。
(いつから私はこの方を守りきれると傲ってしまっていたのか)
大人しく守られているほど、弱い方ではないというのに。
「いーやだぁー!」
「帰ろーよぉ!こんな山ー!」
騒ぎ立てる子供たちと山を降りようと冷静に進言するリクオに、リオウはフッと目を細めた。懸命な判断だ。まだまだ未熟なところも多いが、頼りがいのある「男」の顔が見え隠れしている。少しは成長しているらしい。
「待ちたまえ!!暗くなった山を降りる方が危険だ!!それに降りてもバスはもうない!!!!」
えぇ~~と絶望の声をあげる巻と鳥居に、清継は何をビビっているんだと笑った。ここには自分の別荘があるではないか。この山の妖怪研究の最前線!セキュリティも当然抜群だ。
セキュリティなんぞが妖怪にきくのだろうか、と首を捻るリクオのことはまるっと無視する。悲しきかな、使用人が時々訪れているが、何かでたなんて話は一度も聞いたことがない。
「君たちは心配しすぎだ!!!!」
「ハッハッハ…まぁ、言うても牛鬼なんて伝説じゃから。あのツメも誰かの作り物かもしれんしの~」
清継は先生もこうおっしゃっていることだし!と声を弾ませる。温泉と食事が待ってるぞ!と言う言葉に女性陣は心が揺らぐ。ついでとばかりに少女陰陽師がいるから大丈夫だ、と名指しされたゆらはぴしりと固まる。
(レシートを分けておかなくちゃ…あ、割引券の期限が…)
無言で財布を開きながら護符の確認をする。頼りにされるのは嬉しいのだが、この妖がいるであろう山で、しかもひとりでこの人数を守りきるのは難しい。そのうえ、こちらにはリオウがいるのだ。
(旧鼠にも妖怪の主にも嫁って言われとったし、今回なにもないとは限らへん。絶対守らな…)
ちら、と姿を確認する。リクオたちと談笑する様子からは、妖怪に怯える様子は見られない。慣れているのか?あれほどの清らかな気の持ち主であればそれもあるか。兎に角、簡単な護身術だけでも教え込まなくては。
化原は皆の顔を順ぐりと眺め、くるりと踵を返した。慌てたように、先生も一緒にどうかと声をかける清継に、気にするなとひらひら手を振って応える。
「いや、ワシはもう山を降りるよ。邪魔じゃろう」
「そ、そうですか?話をもっと聞きたかったのに」
「いやいや―――ワシの役目は終わりだよ」
彼の纏う空気が変わる。リクオはぞわりと総毛立った。兄を咄嗟に背に庇い、その正体を見極めようと睨み付ける。
なんだ、今のは…
清継たちは全く気づいていないようでのほほんとしたものだが、これは、もしかしなくても牛鬼組が一枚噛んでいるのかもしれない。
「そぉだ…夜は危ないから、絶対に出ない方がいい」
そう言ってにやりと不気味な笑みを浮かべると、化原は一人山を降りていった。夜の帳が降りようとしている。山は暗闇に包まれ、ざわざわと嫌に風が鳴く。言い様のない不安に追いたてられるようにして、一行は逃げるように清継の別荘へと向かった。