天狐の桜21
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刃が一閃する。だが鏡斎の姿がゆらりと虚空に立ち消える。とあるビルの屋上に姿を現した鏡斎は、湧き上がる興奮を抑えながら料紙に筆を滑らせた。
「やっと会えたんだ、奴良リクオ…君の絵が描きたくてしょうがなかったんだ。まだ終わらせないよ…」
やっと、捉えたんだ。俺の絵に…
「リクオ…君は"九相図"というものを知っているかい?さぁ…一枚一枚描いていこうね…」
奴良リクオ…お前の流した血は、今我が墨"と混ざり合い、お前を捉える…!!
リクオは突如体を襲った異変にがくりと膝をつく。
(!!う、動かねぇ…体が、重い!?)
一枚目…"新死相"は死滅の始まり。これによりリクオの"畏"は蝕まれる。奴良リクオ…彼はリオウに勝るとも劣らない至高の模範(モデル)。
魑魅魍魎の主を争う若き半妖。嗚呼欲深きこの凶画師(鏡斎)の煩悩を激烈に刺激する。
「リクオ…!!」
リオウはふわりと本来の姿に転位した。崩れ落ちるリクオに駆け寄り、その肩を抱いて抱き起こす。肉の焼けるような匂いとともに、リクオの体が腐り落ちていく。
「リクオ様が朽ちていく…!?」
「私の治癒が効かぬ…おのれ、呪詛の類か」
リオウは小さく舌打ちした。呪詛を祓い飛ばして浄化するなど容易いこと。だが、大元を絶たねばいくら浄化したところで意味はない。
鏡斎はうっとりと目を細める。この九枚の連作が完成した時…リクオの畏は腐り落ち、無に帰する。この呪縛の墨と鏡斎の畏がリクオを、捉えていく。
「これぞ我が美の極致…」
九相図。それは"死体となり""腐り""骨になる"までを描いた九枚の写実絵。描き終えると同時にリクオの体は完全に消えてなくなる。永遠の死体としてこの地獄絵図を完成へと導くのだ。
膿乱相で畏は膿み、逢乱相で肉体を侵食する。瞰食相は蟲が湧き、鳥獣に喰われる。
「フフ…六枚目、七枚目…!!」
こうだ、こうなっていくんだ。嗚呼笑いが止まらない。筆が進むことのなんて楽しいこと。
「どこからか畏で遠隔攻撃してきてんだ…!!早く見つけねぇと手遅れになる!!」
「────イタク、氷麗。この場は任せる。リクオたちを頼んだぞ」
「!リオウ?お前どこへ──」
「…あやつだけは、生かしてはおけぬのだ」
リオウは桜吹雪と共にふわりと姿を消した。イタクは舌打ちを一つすると、リオウの意を汲んで巻と鳥居たちを守るべく鎌を構え直す。
「ったく、一人で突っ走りやがって…怪我して帰ってきたら腹抱えて笑ってやる」
リオウは千里眼を駆使し、鏡斎のいるビルの屋上へと辿り着く。がらんと開けたその場所には、硯を手にした鏡斎が座っており、その目の前には九相図が並べられている。
「姿を隠し、趣味の悪い絵描きにふけるとは…いつからここに逃げてきたんだろうな」
「彼と出会った時から」
鏡斎はリオウの姿に満足そうに頬を緩めた。嗚呼、本当に美しい。まさに至高の芸術品。しかもその脳裏には己との色欲にまみれた"夢"が確かに記憶されている。
───紛うことなき、俺だけの最高傑作(リオウ)
「どうだ…いい絵だろ?奴良リクオは、もう人でも妖でもなく永遠に俺のもの…」
───お前と同じくな
鏡斎の言葉に、リオウは疾風の如く駆け出した。神気を乗せた斬撃は的確に九相図を捉え、その全てを破壊する。
「私の大将(リクオ)は、そんなことで死にはしない…!!」
「は…もう奴良リクオは亡きものになっているのに。俺の九相図でな…」
鏡斎の瞳が剣呑に光る。無駄な抵抗も愛らしいが、この芸術を理解し得ないとはいただけない。何より、彼が"奴良リクオ(大将)"に執着しているのが面白くない。
「こんな、こんな無駄な抵抗をして…」
リオウの周囲に無数の妖怪たちが姿を現す。刀を構えるリオウの細い首筋に、鏡斎はついと手を伸ばした。
「俺が存在する限り、お前は永遠に俺のものだ」
妖怪たちが一斉にリオウめがけて飛びかかる。その刹那、黒い影が飛び込み、一帯の妖怪たちを疾風の如く斬り伏せた。
「ば、バカな…確かに、お前は俺の九相図によって…」
「っ、リクオ…!?」
そこには確かにリクオがいた。どろどろと今まさに肉が腐り落ち、しゅうしゅうと瘴気を放っている。畏に抗い、わずかな時間差を生んだことによって、今なお朽ちていっているというのだろうか。
「リクオ、その姿は…」
「近づくんじゃねぇ!!リオウ!!」
リクオは静かに刀を構える。たちの悪い呪いの類だ。これだけの瘴気、穢を厭う神であるリオウは触らぬに越したものではない。
「ふん、せいぜい持って…あと一分ってとこか」
気丈に振る舞っているが、相当な激痛が走っているはずだ。さぞや体の中では朽ちていく身を実感していることだろう。
「なぁ、リクオ」
「うるせぇよ。今の俺がどうだっていいんだよ」
たとえこの身が裂けようが朽ちようが、やらなければいけないことがある。百物語組がこの街を荒らしている以上、鏡斎を倒すまで散ることなどできないのだ。
「お前らが俺を嫌うように仕向けた人間も…鳥居も巻もカナも…奴良組も守る!!腐るのをとめられねぇならしょうがねぇ。その前にてめぇだけは斬る!!」
──それがこのシマをあずかる奴良組の代紋背負ってる三代目の責任だ
「っ…」
鏡斎は思わず息を呑んだ。美しい。こんな畏は知らない。これは、俺の知ってる奴良リクオじゃない。この、身を刺すような威圧感は、圓潮の言っていたリクオとは違う…!!
「お前には、このボロ刀じゃあ生ぬるい!!」
(あぁ…だからか。だから…九相図を破られたのか…)
俺は絵の中にこいつの魅力(畏)を捉えきれなかったのか
畏の乗った漆黒の刃が、並み居る妖怪ごと鏡斎の体を切り裂いた。肩口から袈裟斬りにされた鏡斎は、力なくがくりと膝をつく。よろ、と崩折れた視線の先には、文字通り混沌と化した渋谷が見える。
「地獄が見える。俺の作った地獄が…」
鏡斎は薄く笑みを浮かべた。
「奴良リクオ…俺が死んでも、畏を断たない限り絵は消えない。残るのさ…俺の作品は、本物だから。果たして抜け出せるのかな、地獄絵図から…」
視界が霞み、ぐらついていく。
「嗚呼…リオウ、…」
儚くも凛々しいその花の顔に浮かぶのは、明らかな侮蔑と憎悪の色で。幾度夢で汚そうと、失われることはない気高さに、鏡斎は最期の最期に手に入れることが叶わなかったことを悟った。
「愛してたよ────俺の、最高傑作」
ふらりと傾いだ体は、渋谷の喧騒の中へと吸い込まれていく。数多の絵を描いた。泣き顔も、艶のある表情も、己に汚される姿も、全部全部。嗚呼、それでも─────
(笑顔だけは、かけなかったな…)
泡沫の夢が消えていく。消えゆくそれを惜しむように、鏡斎は静かに目を伏せた。
「っ、ぁ…」
リオウは、さぁ…と脳裏から消えていく悪夢に、僅かに瞠目した。確かめるように自らの身体に手を当てる。夢が醒めればその姿を捉えることが難しくなるように、あれほどまでに強烈だった記憶が薄れていく。
代わりに脳裏に過るのは、墨色をした刹那の記憶。数多の料紙が散らばるなかに、着衣に乱れ一つないリオウが倒れ伏している。筆を取り上げ、眠るその姿を、泣き顔を、怒り顔を、…春画を描いて。これは、鏡斎の──…
(わた、しは…あの者の手に、堕ちてなど、いなかった…?)
強烈な安堵感にふっと力が抜ける。嗚呼、嗚呼、私は、これからも胸を張ってこの大将らの隣に立てるのか。座り込みそうになるのを堪え、ふらりとリクオに歩み寄る。
「…リクオ」
「…あぁ…そうだ、急がねぇとな…、ッ!?」
リオウはリクオの背にそっと寄り添い、肩口に顔を埋めた。ぎょっとするリクオに、リオウはふわりと微笑む。ついでさぁっと爽やかな風が吹き込む感覚と共に、リクオの腐敗が止まっていく。
「ふふ、嗚呼…良かった。この程度の呪いであれば、祓うことなど造作もない故な」
「お、前っ、穢に弱いくせに無茶しやがって…」
「ふふふ、大将を守ることも私の務めよ。…やはり、お前の畏は消えてはおらぬな」
リオウはリクオの頬を両の手でそっと撫でると、ふわりと花が咲くように微笑む。その姿に何かがあったことを察したらしいリクオは、言葉を持つように桜の瞳をじっと見つめた。
その視線にぱたりと一つ瞬いたリオウは、困ったように微笑みながら、そっと口を開いた。
「嗚呼、私の大将。実は──」
「───…そうか」
リクオはすっかり安堵した様子のリオウに、ふっと目を細めた。リオウがその身を汚されなかったことは大きい。だが、彼に一時とはいえ強烈な記憶を植え付けたことは、許せることではない。
(だが、リオウが、漸く心から笑えるようになったなら、ひとまずは安心か…)
行くぞ、とリオウの手を取る。リオウは嗚呼、と頷くと、イタクらのもとへとふわりと転移した。姿を見るなり駆け寄ってきた氷麗に、リオウはホッとしたように頬を緩めるとその頭を撫でる。
「リオウ様!!」
「氷麗、よくぞ守りきったな」
「えへへ…頑張りました!!」
リオウの微妙な表情の変化に、イタクは片眉を上げる。だが何かあったのか、と口を開くより早く、リクオは声を張り上げた。
「イタク!!急ぐぞ!!渋谷を抜ける!!」
リクオの声に、イタクはくいくいと指し示す。見れば、合流したらしい青田坊が妖怪たちを殴り飛ばしていた。
「青田坊じゃねぇか!!いいとこに!!」
「やぁっと加勢できますぜー三代目!!」
「よし!続けていくぜ!戻った人間の保護は頼む、氷麗!!」
「ハイッ」
リオウはひらりと巨大な狐の姿に転位すると、その背にリクオたちを乗せて駆け出す。その姿は闇の中へと溶けていった。
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