天狐の桜21
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殺せ、殺せと怒号が飛び交う。獣の姿へと変化したリオウは、そのあまりの醜悪さに思わず唸り声を上げた。苛立ちにぐる、と喉がなる。頭が痛い。まるで何かに頭の中をかき混ぜられたかのように気持ちが悪い。
《人の子とはかくも脆弱で恐ろしいものか》
「だからこそ護り甲斐があるってもんよ」
リオウは背に乗せたリクオを一瞥すると、高く跳躍する。空からは戦局を読みやすいが、実際逃げ惑う人間たちを守るには不向き。かといって地面に降り立てば、あっという間に殺せと宣う民衆に取り囲まれる。
リオウは必死にカナを守っていた氷麗の下へ降り立つと、背に乗せて再び駆け出す。リクオの散歩用下僕である蛇ニョロに乗っていたカナは、リオウの姿にはっと居住まいを正した。
《大事ないか?》
「は、はいっ!あ、の。…やっぱりリオウさんって、あの狐さんなんですよね?」
カナの言葉に、リオウはそうさな、と頷く。カナはしばらく逡巡した様子で、しかし何処か納得したように押し黙った。
リオウがあの天狐ならば、自分のことを護ってくれていた理由もなんとなくわかるというもの。また、あんなにも妖怪から嫁にと請われていた理由も。
(絶対諦めないから…)
人間と妖怪の恋だって叶うものだと、以前リオウは言っていた。ならば諦める道理はない。妖怪の主がリクオとはつゆ知らず、応援するなんて言ってしまったが、これからは恋のライバルだ。
(でも、リクオ君が妖怪だったなんて、まだ信じられないけど…)
中華街─────
元幹部 奴良組直系二次団体彭候組 組長の彭候は、中華街のある店を訪れていた。店の裏口から声を掛けると、小太りの店主が包丁を拭いながら返事をする。
「ヤッこれはこれは組長…いつもお世話に」
店主は人好きにする笑みを浮かべ、のそのそと勝手口から顔を覗かせた。暴力事件について何か知らないかと尋ねれば、今日は大人しいもんだと首をひねる。
「そうか…何かあったらすぐに知らせてくれ」
「ヘイッ」
どうやらうちのシマには来ていないようだと、彭候は踵を返す。しかし油断は禁物か、と顎に手を当てたとき、背後から包丁にその胸を刺し貫かれた。
「な…」
ずるりと身体が崩折れる。べりっと店主の皮を引き千切り、中から現れた青年…珠三郎は、ふぅと息をついた。
「ほんとに油断禁物だね。この鬼ごっこは。追われる側も狩るんだよ」
リオウはリクオと氷麗を背に乗せ、東京の裏道を疾走していた。道中遭遇する、人々を襲う妖を切り捨てては、殺せという怒号とともに迫る民衆から逃げ惑う。
と、その時。突然背後から轟音とともに壁が崩れ落ちた。ばっと振り返れば、身の丈がゆうに3mはあろうかという大男が、ぬぅと瓦礫の隙間から顔を出す。
「お?いたいた〜見ィつけた!いや見つかった?まぁどっちでもいいや」
快活そうに笑う男は、リオウとリクオを交互に見て満足気に頷く。どうも逃げ隠れするより、直接交戦するほうが性に合っている。珠三郎と違い、搦め手はどうも苦手だ。
「お前奴良リクオと、リオウ様だろ?オレは【檄鉄の雷電】…七人の幹部の一人だ!」
リオウは威嚇するようにぐる、と低く唸る。ふわりと人間の姿に転位すると、雷電はなお一層嬉しそうにニタリと笑った。あぁ、やはり【俺達】の想い人のなんと美しいことか。
ばたばたと人混みがなだれ込んでくる。民衆は雷電をみるなり、なんだあれはと口々に声を上げはじめた。
「なんだあのでっかい兄ちゃん!奴良リクオを追い詰めてるじゃん!!」
「すげぇー兄ちゃん!!」
「フフフ…盛り上がってきたな。可愛いかぐや姫も見守ってることだし、テンション上がるぜ」
雷電はおりゃーとポーズを決めてみせる。わぁぁと沸き立つ観衆に、まんざらでもなさそうにふんと鼻を鳴らした。歓声は嫌いじゃない。これはそう、山ン本時代からの性格の一つ。
ついで雷電は、リオウに視線を向ける。つややかな緑の黒髪。雪のように白い肌。烟るような睫毛に彩られた、黒曜石のような瞳。形の良い唇に、何処か華奢だが均整の取れた体躯。まさにこちらが江戸の頃から切望した【かぐや姫】。
その視線を遮るようにリオウの前に出るリクオは、当然の疑問に片眉を上げた。
「おいお前…今幹部って、隠れてんじゃなかったのかよ…!?」
「おうよ!こいつは鬼ごっこで鬼ごっこじゃねぇ!なぜなら鬼ごっこじゃねーんだ!…えーと違うな」
はて何だったか。説明が難しい。確か圓潮がカッコよく言っていた気がする。ちゃんと作戦があるんだが、はてこれは言ってもいいんだったか?
ざわざわと外野がうるさくなる。苛立ったように民衆が早くやれよと騒ぎ立てる。
「あ?今何つった?」
ピキ、と脳内で何かが切れる音がした。
「人間ごときが指図するとか、ねーし」
ぴしりと指先が瓦礫を摘む。次いで目にも留まらぬ勢いで民衆へ大岩を弾き飛ばした。ひゅっと息を呑んだリオウが間髪入れずに滑り込み、神気で岩を粉砕する。
「命が惜しければ疾く失せよ!」
リオウの言葉に、民衆は悲鳴を上げて逃げていく。ギャラリーが減っちまったと頭をかいた雷電は、まぁいいかと笑ってリクオに向き直る。
「じゃ、やるか」
言い終わらないうちに、"いつの間にか"間合いに入っていたリクオがドスを振り下ろしていた。とっさに腕を出して身を庇う。
「へぇ!それがお前の能力か!」
事も無げに言いながら、雷電はガリガリと音を立てて肉を断とうとするリクオに、ニィと笑みを浮かべた。
「ただし俺を斬るには骨が折れるぜ」
バァンとリクオを弾き飛ばしながら、雷電はピキピキと変化を始める。まるで鱗のように皮膚が逆立ち、さらに力を込めれば右腕の筋肉が裂け、腕が伸びていく。
「このままでは危険か…」
「リオウ。氷麗とカナちゃん頼む」
「あいわかった。そちらは任せたぞ、私の大将」
リオウは素早く狐の姿に転位すると、そばにいた氷麗を凄まじい勢いで掻っ攫った。きゃあと悲鳴が聞こえるが、安全には代えられないので気にしない。
「り、リオウ様!?」
《すまぬが、ちと我慢しておくれ。あの程度ならリクオでも大事ない》
リクオはこの半年、地下の道場でイタクから特訓を受けていた。畏を攻撃に振る使い方の特訓だ。…おかげで道場は使い物にならないくらいぼろぼろになっているんだが。
雷電はこれをやるのは久しぶりだと、楽しそうに腕を振り回している。
「言っておくがこいつは刀じゃ防げねぇぞ…!当たれば全て爆ぜちまうからな」
腕をひとふりするごとに、壁は砕け、ビルは崩壊し、果ては駐車中の車やバイクを巻き込んでアスファルトが持ち上がる。 巻き込まれて瓦礫の山がリクオめがけて飛んでくるのを見て、リオウは思わず瞠目した。
《リクオ…!》
都心では、騒動の渦中から少し離れれば、いつも通りの日常が流れている。
「現在都内では謎の事故が多発しております。くれぐれも外出しないよう─────」
「テレビは嘘ばっかりだ」
「みんなネットで知ってるっつ〜の」
「裏取れてないのはニュースで流せないらしいよ」
「はぁ?ラジオはもう報道してるぜ」
「てかさー奴良リクオが死ねばいいんだろ?ウチらもいく?」
「ヤバいって。新宿もう無法地帯だって…奴には仲間がいるから殺されねぇとも限んねぇし」
会話こそ不穏なものの、まだまだ新宿の騒動とは程遠い。圓潮は喧騒の中をゆらりと抜けながら、とある地下鉄に乗り込んだ。三ツ目八面はその隣にどっかりと腰を下ろす。
「ゆかいゆかい。鬼ごっことは…よくこんな遊戯を思いついたな…まるで三百年前のようだ…いやもっと面白いかもしれん」
「やぁ、よくここがわかりましたね」
「皆がどこにいるかくらいわかるわい。我々は元々…同じだったんだからな」
それはそうと、と三ツ目八面は瞳を閉じた。我々の畏は集まっているのだろうか。圓潮はそんな言葉にくすりと一つ笑う。
「ご心配なく。向かいましょうか………我らの畏の集まる場所へ」
地下鉄は誰も知らない闇の深部へとひた走る。────何も知らない人々を乗せたまま。