天狐の桜21
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寂れた廃ビルの一室───
「次はどんな構図がいいだろうな?」
鏡斎はそういって山となった春画のそばで眠る麗人を見下ろした。いまだ意識は戻らない様子だが、時折苦し気に吐息が漏れるあたり、こちらの「畏」はうまく発動しているらしい。
筆が料紙を滑る度、ありもしない記憶が植え付けられていく。手首を縛られ、その手枷の先は天井に括られているために、上体は吊られ、下半身は力なく床に投げ出されている。体をまさぐられ、慰み者にされている、そんな記憶が。
「おい、聞いてんのか。──誰がトんでいいって言ったんだ。此方を見ろ」
力任せに細い顎を掴まれ、ぐいと持ち上げられる。鏡斎は、すっかり光を失ったリオウの瞳に、ついと目を細めた。
こいつの泣き顔を見ているとゾクゾクする。この世のどんな宝玉よりも綺麗な瞳に、綺麗な涙。自分のことでは泣かないこの麗人の、他人のための涙。
「どうしたら、その綺麗な涙をもっと見れるんだ?ああ、やはり弟か。」
紅水晶の瞳に一瞬光が戻り、我にかえった様子で嫌々と必死に首を振る。それがどうも面白くなくて、感情のままに膝上に抱き上げ、下から容赦なく穿つ。
酷く濡れた水音と肌を打つ乾いた音が、乱れた洋服がたてる衣擦れと相まって響く。ぽろぽろと声もなく溢す涙は、己の大将たる弟への懺悔の涙か。
(どこまでいっても弟、弟か)
つまらない。酷く魅力的な泣き顔の筈なのに、何故だかどうも面白くない。嗚呼、そうか。
「顔そらすな」
まだこいつが自分の為に泣く姿を見ていないのだ。
どうやったら泣くんだろう。普通ここまでされれば、自分を可哀想だとか、何で自分がこんな目に、だなんて感情を抱くのが当たり前だろうに。
鏡斎にとって、リオウは完璧な至高の芸術品。それ以上でも以下でもない。初めてらしいが、抱き心地もいい。
眠る顔も、驚愕する顔も、泣き顔も、快楽に喘ぐ顔も、蕩けた顔も全部描きたい。
幾度目とも知れぬ欲望を吐き出せば、リオウは苦しげに眉根を寄せて仰け反った。
「苦しいか?そりゃ苦しいだろうな。全部中に出してるんだから」
孕むだろうか。いや、いっそ孕ませてその姿を描くのも一興か。
紅水晶の瞳が凍りついたように動きを止め、光を失ったそれに一瞬動揺と困惑の色が走る。涼やかな目元からまた一滴の涙がぽろりと零れ落ちた。
──やっと泣いた
先程とは違う涙。美しく、何より己がその顔を引き出したという事実に酷く気分が高揚する。かつての宿敵に、こんな無様な格好で好き勝手に犯されているなんて滑稽だ。
可哀想に。愛でられる為に生まれてきたような顔で、躰でありながら、こんな風に蹂躙されるなんて。なんて酷く憐れで、惨めで、──この上なく扇情的で美しい光景だろう。
………そんなおぞましい記憶が、リオウのなかに植え付けられていく。
―――――――指一本触れずして、しかし己の欲は満たされる。山ン本の一部である自分たちは、リオウに関してのみある種共有する感覚はある。抱くのは簡単だが、そうしてしまえば皆同じ欲を共有してしまう。しかし描いたことによる「畏」…これは、まごうことなき自分だけのもので。
「あんたは俺の玩具(さくひん)だ」
鏡斎はそう言うと、いまだ覚めやらぬ悪夢に魘される麗人の頬をそっと撫でた。
夜の帳が降りた東京の街。その空では、一羽のあの人語を話す面妖な烏が、けたたましく口をきいていた。
<鏡斎 ドコニイル 鏡斎>
「───チッ時間か」
ただひたすらに春画を描くことを繰り返していた鏡斎は、苛立たしげに歯噛みした。折角のいいところだったのに。"春画の中で"リオウを抱くと、何故だか筆がよくすすむ。インスピレーションが湧くのだ。
周囲にはリオウのあられもない姿の絵が散らばり、すっかり意識のないリオウがその中心に横たわっている。
「…………」
乱れた素振りのない服。だが、脳裏には散々この手で乱した記憶が残っている。それは、春画を描かれたリオウとておなじこと。
まだ描き足りない。もっともっと描きたい。リオウの表情を、肢体を、その全てをこの手で描いてみたい。
それは、芸術家としてなのか、それとも山ン本の一部たる己の性なのか。───いや、今さら何を論じたところで詮無いことか。
「すぐに戻る。…大人しくしていろ」
その言葉に反応するものはない。鏡斎は気を悪くした様でもなく、ふっとリオウから視線をはずすと、一人ふらりと外へと出ていった。
氷麗たちと一時別れ、リクオと黒羽丸はリオウの気配を頼りに黄昏の闇をひた走っていた。
「ここか」
目の前に聳え立つのは古ぼけた廃ビル。外壁のコンクリートは罅割れ、所々崩れ落ちて鉄骨が剥き出しになっている。
嫌な予感がする。あの時リオウはほぼ意識が無く、動けないに等しかった。もし、抵抗もできずに連れ去られたのだとしたら。それも───あの百物語組の奴等に。
バタバタと階段を駆け上がり、ばっと部屋へと飛び込む。
「「ッッ……!!!!」」
二人はあまりの惨状に思わず言葉を失った。まるで絨毯のように床に無造作に散らばる料紙には、リオウのあられもない絵姿が描かれ、その真ん中に苦し気に唸るリオウが横たわっていた。
見たところ特段新たな外傷や服を乱された形跡はない。…が、この苦しみ様からして、敵のなんらかの畏にあてられた可能性がある。
「ッリオウ様!!」
「──黒羽丸。たしかこのビルの隣はホテルだったな」
リクオはぐったりと倒れ伏すリオウを優しく抱き上げると、静かにそう呟いた。ぬらりひょんの能力なら、気づかれずにしれっと上がり込んで少しくらい寝台を拝借するのなんざ容易いものだ。
「今はリオウを休ませたい。俺は先に行く。…此処のは一枚残らず全て燃やせ。塵も残すな。頼んだぞ」
「御意」
ゆらりと虚空に消える三代目に、黒羽丸は唇を噛みしめ、深々と頭を垂れた。
──リ、オ…
───リオウ…
闇のなかで、愛しい声たちの声がする。優しく髪を撫でられる。労るように触れる指先の感触。ぬるま湯に揺蕩うような心地よい愛撫に、リオウは漸々瞼を持ち上げた。
「気がついたか」
「りく、お…?」
目の前にいるのは、己が認めた三代目その人で。場所も見慣れぬ洋間。フカフカとした寝台の上だ。そこにいつもの着流しを着付けられ、寝かされている。これは一体どういうことか。
(わたしは、なにを…?)
リオウは記憶が混濁しているのか、不安げに瞳を揺らすときょろきょろと辺りを見回した。
「さく…」
「朔は此方に。リオウ様」
リクオと反対側に控える黒羽丸に、リオウは安心した様子で繊手を持ち上げた。
しかし、その手が二人の頬に触れる寸前。
「ぁ、ッッ…」
リオウは怯えたように身を竦ませると、慌てて手を引っ込める。カタカタと細い肩が震え、紅水晶の双眸からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
はらはらと頬を伝うそれは、しとどに頬を濡らし、美しい瞳が溶けてしまったかのように錯覚させる。
「わ、わたし、わたしは…っ」
白魚のような指がぎゅっと己を護るように掻き抱き、隠れるように小さく縮こまる。あまりに怯えた様子で震えるリオウに、リクオと黒羽丸は思わず瞠目した。外傷もなく、衣服を乱された形跡も、乱暴された様子も見受けられなくて安心していたが、まさか…
「…リオウ」
「っひ…」
怯えたように後ずさりし、カタカタと震えるリオウをそっと抱きしめ、リクオは耳へと唇を寄せた。
「大丈夫だ。…もう大丈夫。怖かったな」
リオウは嫌々と小さく首を振ると、やんわりとリクオの胸を押した。今の自分は穢れている。沢山沢山乱暴され、酷い言葉を浴びせられた。
怖い。初めてだった。全てが。あんなに怖い思いをするなんて。初めての男。初めての行為。何もかもが怖い。
何よりも、愛しく手離したくない者たちに軽蔑され、離れていかれたら───
「っ…わたしに、ふれてはならぬ…っわたしは、けがれて…、っん」
「──お前は穢れてねぇよ」
ふわりと優しく唇を重ねたリクオは、視線を絡めてそう囁いた。宥めるように背を撫で、あやすように涙を拭って優しく微笑む。
「俺が愛しているお前の心根は、まだ汚されてねぇ。それに、お前はお前だ。何があろうと側にいて、ずっと愛してるって言っただろ?」
もう一人にはさせねぇ
「っ、ふ…っ」
リオウの白魚のような指が、すがるようにリクオの胸に触れる。怖がらせないようにそっと胸に抱き寄せれば、大粒の涙がリクオの着流しを濡らしていく。
「あんまり泣くと目ェ溶けるぞ?ほら、もう溶けてるみてぇ。…綺麗だ」
「っ…ふふ、その言いぐさでは、もっと見ていたいと言わんばかりだな」
「フッ…やっと笑ったな。お前はどんな顔してても綺麗だが、やっぱり笑った顔が一番良い」
ちゅっちゅと軽いリップ音をたて、リオウの涙の跡を辿るようにキスを落とす。リクオの言葉に安心しきっているのか、大人しくされるがままのリオウは、やがてついと己の懐刀に手を伸ばした。
「朔…」
黒羽丸は悔しげに唇を噛みしめ、無念に今にも腹を切らんとばかりに低く唸った。命より大切なこの御仁を護ることが叶わなかった。深い傷を負わせてしまった。そんな己が不甲斐なくて仕方がない。
「御身を御守りすることが出来ず…っ俺は…っ」
「よい。約束通り、お前は私を見つけてくれたであろう?…私はそれが嬉しい」
黒羽丸の頬を白魚のような指が撫でる。はっと顔をあげれば、やっとお前の顔が見れたと儚げに微笑む想い人がいて。
「そう気に病まずとも、もう平気だ。…行かなくてはならぬのであろう?」
心が読めてしまうリオウには、きっと今の戦況もわかってしまうのだろう。こんなことがあったのだ、もっと休ませてやりたいし、傍にいたい。だがそれは、百物語組を撃破するのにあと10数時間しかないいまの戦況ではだいぶ厳しくて。
「っ…それは」
「そうだ。…一緒に来れるか?」
言い淀む黒羽丸をよそに、リクオはリオウの目を見ながらまっすぐに問うた。"屋敷に帰って待っていてくれるか?"ではなく、"一緒に来れるか?"と。
「嗚呼、勿論だ」
お前たちが傍にいてくれるなら、私はもう大丈夫
二人の手をそっと取りあげ、大事そうに胸に抱き込む。大丈夫。この二人は自分から離れていったりはしない。そう信じているから、まだ自分は強くあれる。
外からは絶えず人々の悲鳴と妖怪たちの怒声や叫び声が響いている。この事態を収束させられるのは、自分達しかいない。
「さぁ、早く戻らねばな」
優しい風が部屋に吹き込む。と同時に、一枚の桜の花びらを残し、3人の姿はふわりと虚空にたち消えた。