天狐の桜21
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「や、やめろぉ!!何やってんだお前!!」
野風の凶行に、我に返ったリクオは絶叫した。だが野風は止まらない。流れるように腕が男たちを次々捕らえ、口が咀嚼せんとばかりにあんぐりと開けられる。
「え…なんだこれ…っおい!俺をどうする気だ!!」
男は必死に手足をばたつかせ、抵抗を試みるが、人間が妖怪に敵うわけもない。べろりと長い舌が男の顔をなめ、男はひきつった悲鳴をあげた。ダメだ。喰われる。
その時、リオウの白魚のような指がピクリと動いた。
暗い暗い水の中。闇に蕩うリオウは、のろのろと重たい腕を持ち上げた。リクオが呼んでいる。朔の、氷麗の声がする。人の子の叫びが、呼び声が聞こえる。
行かなくては。早く、愛しいものたちを守らなくては…
「───わたしの、いとしごに…なにをしている」
青白い炎が現れ、一瞬にして<悪食の野風>を中心に燃え広がる。それは、男を今にも食い殺さんとばかりに絡み付いていた腕にも燃え移り、野風は狂ったように笑いながら腕を切り落とした。
「あは、あははは、うふふふふふふ♡嗚呼それよ♡リオウ様♡私はその姿が見たかったのッッ!!」
もっともっと殺せばリクオの方ものってくるだろうか?そうすれば、妖怪の奴良リクオを喰える。大将さえ喰えば、その他の側近など雑魚も雑魚。リオウを手に入れるのは雑作もない。
狂ったように笑いながら野風はふっと姿を消す。リクオは黒羽丸に追えと指示をだし、リオウへと目を向けた。
腕の中のリオウの髪が徐々に元の白銀へと変わり、純白の耳と四本の尻尾が現れる。変化の解けたその姿に、男たちは皆息をのむ。あれは、あの姿は、まさか───
「リオウ!気がついたか!」
「あぁ…すまぬ…ちと抜かった」
リオウはリクオの手を借りて、身体を起こした。しかし、象すら殺すという武器での人間の部分へのダメージは大きく、未だに身体は思うように動かない。
「無理するな。少し休んでろ」
「だが…」
「大丈夫。こっちは何とかする。今はこの人たちを頼みたい。リオウ自身も、少し休んでもし大丈夫そうなら戻っておいで。リオウがいてくれると心強い」
意識が朦朧としている。幼子のようにこくりと素直に頷く。その額に軽く口づけると、氷麗を伴い野風を追って飛び出していった。
「ぁ、まさか、天狐…?」
「嘘、だろ?神様…神様、なのか…?」
自分達はとんでもないものに手を出してしまったのではないか。リオウはふらふらと立ちあがり、気だるげに男たちを一瞥すると、ついと腕を一振りした。
白く光る紋様が男たちの足元に現れ、乳白色の光の壁が男たちを取り囲む。
「ヒィッ!?な、なんだこれ!?」
「た、頼む!!殺さないでくれ!!」
ころす…?とリオウはぼんやりした頭で復唱した。なんでこの者達を殺す必要がある?先の己への不敬は赦す。非力な人間が、妖怪の戯れ言にまんまと引っ掛かっただけのこと。
ならばリクオの命を狙ったことへの罰か。否、それに関して人間達をどうするのかは、リクオが決めることだ。己はそれに従いついていく。
ただ一つ言えるのは、天狐としてこの者達を等しく愛することのみ。この結界の中なら傷も癒える筈だ。妖怪も入ってこれない。
「結界を張った…命が惜しければ、そこから、出るな…」
引きずり込まれるように、意識が闇へ遠退いていく。天狐様!!と叫ぶ人間たちは、その華奢な肢体が誰かの手によって抱き止められたのを見た。
浅黒い肌に無感情な表情のない顔。黒髪を髷のように結い上げたその男は、リオウを軽々と片腕に抱くと、無遠慮に顎を鷲掴んで顔を覗きこんだ。
「見目は流石──至高の芸術品だな」
男──鏡斎は、そうぼそりと呟くと、リオウを抱いて闇の中へと消えていった。
外へ躍り出た野風は、周囲にいた人間達を見境なく食い散らかしていた。後を追ってきたリクオたちに気づくと、面白くなさそうに眉をひそめる。
「あらぁ、リオウ様は来ないの?残念♡まぁいいわ。特別に私から迎えに行ってあげる♡」
でもその前の腹ごしらえって大事でしょう?と嗤いながら、野風は血で汚れた指先をねっとりと舐めた。特別激しい運動をするのだから、リオウ様を満足させるにはちゃんとスタミナをつけなくちゃ。
その為に、まずはこの男の"妖怪としての肉"を食べなくては。
「フフ…さぁ奴良リクオ君。刀をとって。ホラ」
殺気がどんどん濃くなり、リクオの身体からビリビリと痺れるほどの殺気が滲む。日は落ちている。妖怪の姿になる条件は既に満たした。
早くこいつを斬らなければ───
「リクオ…君!?」
耳慣れた声にぎょっとして顔をあげると、すぐ傍の通りに家長カナが目を丸くして立っていた。
「先に帰ったんじゃなかったの…?」
「か、カナちゃん!?」
なんで彼女がここにいる。このタイミングの悪いときにと恨み言を言っても仕方がない。
「黒羽丸!」
「御意!」
縦横無尽に伸びる野風の腕を迎撃しながら、周囲の人々を逃がす黒羽丸は、リクオの声にカナの方へと身を翻した。
なんとか少しでも遠ざけなくては。変身するところを見られては、今までの苦労が水の泡。…なにより、リオウの正体もばれてしまうかもしれない。
野風は、一向に変身する気配を見せないリクオに、業を煮やした様子で声を上げた。
「なによ、まだ変身しないのぉ~っ?もう待てないわ。まだまだ私食い足りないのかしら!?」
早く覚醒したこいつの肉を喰って精力をつけて、早くリオウの元へ行きたいのに。"先を越されてしまったら"どうしてくれるんだ。
「何故、そこまで…」
氷麗は信じられないとばかりに野風を凝視した。今までにも、リオウを嫁にと求める輩は掃いて捨てるほどいた。それそこ老若男女問わず。
だが、これ程までにその"身"を求め、共に居られる喜びではなく、色欲の悦びを語る者がいただろうか。これでは、まるでリオウを性欲の捌け口としてしか見ていないような──
「どうしてですって?仕方ないじゃなぁい♡だって──私"達"はそういう妖怪なんだもの♡」
求めてしまうのも犯したいのも全部仕方無いこと。それは最早本能に近い。しかも厄介なことに、其々が異常なまでの独占欲を有しているため、"共有(シェア)"する気がまるでない。
それに、圓潮達なら兎も角、踵骨──雷電のような力加減の知らない馬鹿は、力余って壊してしまうかもしれない。だから早く手にいれなくてはいけないのだ。
「どうやったら変身するのかしら?その子を食べたらなる!?」
野風は妖怪の本性を現した。人間に擬態していた部分がどろどろと溶け出し、ぶよぶよとした肉にいくつもの口が生える。
酷い悪臭を放ち、溶解した身体の一部は姿を変え、触手を伸ばす。それは悪食の野風───もといかつての山ン本の十二指腸の姿であった。
「危ない!!」
黒羽丸はカナを抱いて飛び退いた。リクオは間髪いれず抜き身の刀で触手を切り飛ばす。その身体から、途端に凄まじい妖気が滲み出す。
このままでは、自分が大切にしたいものだけでなく、リオウが大切にしたいものすべてを滅茶苦茶に踏みにじられる。
「野風。俺を見ろ。──望み通り、てめぇを叩き斬ってやる」
長く棚引く白銀の髪。殺気の籠った紅玉の瞳が野風を射ぬく。痺れるような殺気と妖気に、野風は狂喜した。
「それよ!!その姿!!その肉が食べたかったのよーーー!!」
がばりと最早アメーバのような本体が、リクオを包み込まんと飛び上がる。しかし大きく開かれたその口が触れたのは肉ではなく──
「テメーが喰っていいのは俺の刃だけだ」
──リオウも人間の命も、どっちもお前には渡さねぇ
鋭く光るリクオの刃は、野風の身体を真っ二つに切り裂いた。
東京のとある廃ビル──
剥き出しのコンクリートの壁はひび割れ、時折すきま風が不気味な音をたてる。その建物のとある一室、窓の崩れ落ちたそこから下の騒ぎを暫し眺めていた鏡斎は、やがて興味を失ったようにふいと視線を中へと戻した。
部屋には無数の料紙が散らばり、その中心にリオウが無造作に寝かされていた。辺りに落ちる無数の紙には、眠るリオウの絵姿が描かれており、この男の静かな執着と狂気を表している。
リオウの伏せられた長い睫毛が、白い肌に影を落とす。形のよい桜の唇がしどけなく開き、苦しげな吐息をついている。
「──…」
鏡斎は舐めるようにリオウの肢体を眺めた。ここまで美しい芸術作品は、そう拝むことは出来ない。眺めてよし、なんなら絵のモデルにするにも相応しい。
この苦しげな表情もいいが、泣き顔や怒り顔…そうだ、この麗人で春画なんか描けば、さぞ筆がのることだろう。
鏡斎は、リオウを見下ろしながら、ついと筆を執った。