天狐の桜20
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一方、鯉伴は黒田坊と対峙していた。
「そこを…どけよ。<宿題>は忘れたのか?てめーみてぇな自分が何者かもわからねぇ妖に止められる謂れはねーーぜ!?」
「黙れ…貴様こそ何故、あの方の邪魔をする!」
鯉伴はやれやれと内心肩を落とした。操られているというのに、それに気づいてはいないらしい。"黒田坊"という妖は、あの山ン本が産んだ妖ではない。
「大将ぉ!!」
襖を突き破った青田坊が、黒田坊の横っ面を殴り飛ばした。
「行ってくだせぇ!山ン本(あいつ)は大将がやってくんなきゃあよ!!」
「おぅ青か!!すまんね…そこの意固地は頼んだぜ!!」
「待て!!」
飛び交う怒号を背に、鯉伴は廊下の奥へと消えていく。山ン本は飛び込んだ奥座敷で、一人一心不乱に一枚の絵を描いていた。
早く作らなくては。こいつらを殲滅させる妖を。できる…できる…着想はある。最凶にして最悪の、どんな奴が来ても動じぬ無双!!怪談 黒田坊のような──
「で、出来た…」
元々今日は禁断の怪談百万遍で、とっておきの凄い妖を作り、江戸中を驚かす予定だった。あわよくば、それを利用してかの麗人を……
待てよ?そういえば黒田坊(やつ)は、元々<百物語>から産んだ妖ではない。茶の力で操って連れてきたのだった。<百物語>で奴の複製は大量に作ったが、それもあまり強くはない。
(ワシが考えただけでは………不完全!?)
このまま産み出していいものか………
「そこまでだ」
鯉伴のドスのきいた声に、山ン本は思わず飛び上がった。もう来たのか。まだ、まだ最後の仕上げが終わっていないのに。
「ヒッヒヒェッッ」
焦った山ン本は、欄干へと手をついた。しかし古くなった木造のそれは、山ン本の巨体を支えきれず、めしゃっと音を立てて崩れ落ちる。
瓦を吹き飛ばし、屋根や柱を無惨に潰しながら、山ン本は庭へと転がり落ちた。でっぷりと肥えた腹が己を押し潰し、骨を軋ませ血を噴き出させる。
ふわりと音もなく降り立った鯉伴は、侮蔑のこもった瞳で山ン本を見下ろした。
「欲望を溜め込んだ"その肉"が…こんなことで自分を殺すか…憐れだな」
(なッ…ワ…ワシ…死ぬのか…?)
死ぬ覚悟などない。血塗れの身体を動かしてなんとかもがくが、潰れた喉からは牽かれたヒキガエルのような無様な呻き声しかでない。
「残念だったな。てめぇの野望はここまでだ」
これが江戸を恐怖に陥れた黒幕の最期か。実に呆気ないものだ。刀を握り直した鯉伴は、山ン本が一枚の紙を大事そうに抱いているのを見つけ、いぶかしげに眉をひそめた。───なんだ?あの紙は…
「こ…んなとこで…い…嫌じゃ…ワシの野望…」
そうだ。こうすれば良いのだ。こんなところで終わらせてたまるか。しかたない。こうするしかない。己は仏になる男。
山ン本の太い指が、前の絵にひとつの名を血文字で刻む。滅びはせぬ。この身が消えても、ワシはすべての畏を手にするのだ。
───恨めしや…奴良鯉伴
「!?」
山ン本の肉体が派手な音を立てて破裂した。肉片は辺りに飛び散り、べちゃりと屋敷のいたるところへまとわりつく。
やがて膨大な瘴気と共に姿を見せたある妖怪の姿に、妖怪たちは皆凍りついた。肉の腐り落ちた頭部は頭蓋が剥き出しになり、口とおぼしき場所からは、幾本もの肉の触手が頸部を取り巻くように伸びている。腕にはあのドクロの数珠を持ち、異様な臭気を放つ巨大な妖。
<百物語・その百>──あるところに大商人がおりました。金も女も自由自在…欲しいものが無くなった男は、すべての畏を手に入れて、仏様や神様のような存在になりたいと思いました。
しかし、残念なことにその野望は、畏をすすって生きる妖怪どもに潰されてしまいました。その上、己が唯一手に入れ損ねた絶世の美人…それはその妖怪どもの若君だというではありませんか。
恨みをもって死んだ男は、自らが怪談となり…奴良組を滅ぼし、かの若君を手にいれるまで決して滅びぬ妖怪となったのです。
その妖の名は────魔王・山ン本五郎左衛門
「ヒィッ!?何事だぁ!?」
「さ、山ン本様が………!?」
「なんだ…あいつは…!?」
人間も妖も、その場に居合わせた者全てが息を飲む。その妖はあまりにも醜悪で、酷くおぞましいものだった。
「おい、どーしちまったおめぇ」
鯉伴は内心どうしたものかと舌打ちした。不敵な笑みにも冷や汗が滲む。追い詰めたかと思えばいきなり爆散。ともすればこんな醜い妖怪に早変わりとは。まったくどういうことなんだ。
その時、背後から人々の悲鳴が上がった。見れば、肉片がズルズルと音を立てて妖の姿へと変わっていく。
それは山ン本の土踏まずや歯茎など、謂わば山ン本の一部。本体を離れ、各々に生を受けようと、魔王・山ン本五郎左衛門の一部なのである。
肉片だった妖怪たち…山ン本の歯茎や踵骨といった妖怪たちは、手当たり次第に妖を捕まえると、躊躇うことなく喰い始めた。否、妖怪だけではない。その場にいた人間たちのことも、かぶりと頭から噛みついては首を引きちぎり、バリバリと骨ごと噛み砕く。
まさに動くもの全てを喰い尽くさんという勢い。敵も味方も無いそれに、最初こそ味方が現れたのかと表情を明らめた商人たちも、悲鳴をあげて逃げ回る。
「なんだいこいつらぁ…敵も味方もお構い無しかい…」
ぬらりひょんは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した光景に、小さく悪態をついた。サクッとけりをつける筈が、とんでもなく大事になってきた。
「御老公。背中に乗りな。あんたは逃げた方が良さそうじゃ…」
「ム…」
光國を背にのせ、視線を巡らせると、鯉伴も妖怪たちに人間を逃がすよう次々指示を飛ばしている。
(リオウが目覚めたっつー話もまだ聞いて無いが…こればっかりは眠っててもらって正解か。こんなの見たら卒倒するじゃろ)
もしかしたら、この屋敷に帰れていない間に目覚めているかもしれないが、あの優しい天狐にはこの醜悪な光景は辛すぎる。人を愛し、妖を愛し、その罪すら浄化し、慈愛によって包み込むリオウには。
「愛しい者には綺麗な世界を見てほしいと思うのは、ワシの我が儘かの」
ぽつりと独りごちると、ぬらりひょんは闇へと駆け出した。