天狐の桜20
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夜明けの空が薄紫色に染まり、朝靄が立ち込める。一人縁側に座り、三味線を弾いていた雪麗は、ぱたぱたと洗濯物を抱えて走り回る乙女に、思わず手を止めた。
「おはよう。相変わらず早いのねぇ」
「あ…雪麗さん。おはようございます。ちょっと寺子屋の仕事も溜まってるもんですから」
笑顔でくるくるとよく働く乙女は、実に生き生きとしていて。リオウといい、乙女といい、どうしてこうも仕事が好きなのか。先ほども…
『おはようございます、母上。私もお手伝いを──』
『まぁ!まだ体を休めていなくてはダメよ、リオウ!』
『しかし…何もしていないのは、とてもじゃないが落ち着かなくてな』
『貴方、お部屋で散々お仕事してたじゃないの!それは休んでるって言いません!』
なんて会話をしていたが、凡そ任侠一家の当主の嫁と、若君の会話ではない。というか、リオウもリオウで仕事中毒なのか、放っておけば仕事ばかりで全く休もうとしない。義理とはいえ、親も親なら子も子である。
「そんなもの部下に任せたらーーー?」
「いえいえ」
謙虚な姿勢に、珱姫や、彼女に嫁たるものを教え込まれたリオウの姿が重なる。まったく、"ぬらりひょんの嫁"というものは───
「どーしてこういう女ばっかなんだろ!」
「え?せ、雪麗さん!?」
「妾だったら権力の座に胡座かいてるだろーに!乙女ちゃんはそんなこと考えないんだもんね」
「は…はぁ…」
はぁ、っておい。これが妾との"差"なのか!?なんてぐるぐる考えながら、雪麗は手荒く洗濯物を竿にかけた。
まったく、リオウも乙女もよく愛想がつきないものだ。特にリオウ。口では憎まれ口を叩きつつ、きゃんきゃん吠えながらも大人しく構われる辺り、あれもあれなりに鯉伴を慕っているのだろう。
自分は大人しく待つなんて真っ平だが、この二人は待てと言われたらいくらでも待つんだろう。全く。あーもう!せいぜい幸せになるが良いさ!
「あんたもリオウも健気すぎるわ!ったく!」
「ふふっ**あ、でも、<黒田坊>がいたら…すぐに世の中変えてくれるのかな」
「?何それ。黒…?」
「子供達が話してたんです。正義の妖怪なんですって」
元々は戦や飢饉で孤児になった子供達が造り出した妖怪だ。夜盗や野武士、度重なる悲劇から救われたい一心で産み出された。
背が高く、強く、武器を無限に持っていて、どんな悪党も倒してしまう、そんな漆黒のお坊さん。子供ならではの、希望に満ちた妖怪だ。
「……流石子供の考える妖怪ね。無茶な設定」
「あながちこれも笑い話には出来ぬぞ。雪麗」
甘い声に振り向けば、縁側に緑の黒髪を緩く結わえ、着流しに羽織姿のリオウが立っていた。
「リオウ。…何、あんた、この妖怪にあったことでもあんの?」
「以前一度、な。傷の手当てをしたら、父上にばれてこっぴどく言われたわ」
悪戯に笑って肩を竦める辺り、内緒で屋敷の外に出たのか。そりゃ怒るだろう。しかも傷の手当てをしたということは、相手の手が届く範囲まで近づいているということ。
「危機感が無さすぎるわよ」
「悪いが説教はもう飽いた。そこまでにしてくれ」
ひらひらと手を振り、縁側へ腰を下ろす。何処からともなく黒猫が現れると、リオウの滑らかな足へと身体を擦り寄せた。
「おや、なんとも可愛らしい客人よな」
「あら、猫ちゃん?ふふっ可愛いわねぇ」
「能天気ね、あんたら…」
黒猫はリオウの足にしゅるりと尻尾を絡ませた。己のものだと言わんばかりに愛らしくじゃれる姿に、乙女も雪麗も頬を緩ませる。リオウは何かに気がつくと、そっと黒猫を抱き上げてその瞳をのぞきこんだ。
「お前は、まさかあの屋敷にいた…いや、まさかな。──そうか、憑き物つきか」
"失せよ"
リオウの言葉に、黒猫の体から謎の靄が立ち上った。それは猫の体から離れると、キラキラと霧散し消えていく。
「何処の誰だかは知らぬが、お前の身体を借りて私に触れるとは…とんだ不届きものもいたものよな。なぁ?」
「にゃーぅ?」
黒猫はきょと、とリオウを見返すと、知るかとばかりにリオウの手に頭を擦りよせる。どこで憑かれたかは知らないが、生きるものに憑いて意のままに操る───否、その身体に憑いてまるで己の其れのように振る舞えるだけの力量。相当高位の術師か妖怪だろう。
(喩えあの時私を救ってくれた者だとしても、気安く触れることを許すほど…私は安く無い)
一昨日来やがれ、と言わんばかりに小さく鼻を鳴らすと、リオウは喉奥でくつりと笑った。
「リオウ?」
「なんでもない。…ふふ、動物は良いな。実に愛い」
(あんたのそのだらしない顔の方が、ウン十倍可愛いわよ)
頬を緩め、可愛い可愛いと満面の笑みで愛でる姿に、雪麗は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。これではまるであけすけに口説いているようではないか。いや、きっとそれにすら気づかず流す男だが、さらりと流されるのも気にくわない。
…………まぁこの超絶ド天然な人タラシ鈍感野郎に惚れた時点で負けなのだけれど。
「ホント、前途多難だわ…やんなっちゃう」
「?雪麗さん?」
「おや、どうした雪麗?」
きょと、としながら心配そうに此方を覗きこむ二人。奴良家の男(あんた)のせいよ、と内心独りごちると雪麗は深くため息をついた。