天狐の桜20
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夜の帳が降り、辺りを漆黒の闇が覆い尽くす。山ン本邸へ怖いもの見たさで集まった貴人達は、僅かな恐怖とそれを上回る抑えきれない興奮に、皆そわそわと"宴"の開始を待っている。
「さて、皆様。手に行き渡りましたかな…」
「?これは?」
山ン本は客人らに、巨大な数珠を持たせた。それは玉の代わりに髑髏が連なり、額の辺りに一つ一つ数が書かれている。
「見るからに恐ろしき品ですな…」
「数が書いてあるな」
「今日は特別な日。怪談を一つ一つ語る毎に、このドクロの数珠をまわしてゆくのです…名付けて「怪談百万遍」」
怪談百万遍は、百物語の新たな形。百遍まわったとき、見たこともない畏が手にはいる。
「今宵来られた方は、特別な力を…手にいれましょうぞ」
「おぉ…面白き趣向…」
「あとは百話終えた後のお楽しみ。きっと今宵の茶は、得も言われぬ格別な味になるでしょう」
その言葉に、男達は色めき立った。次々と己の知る自慢の怪談話を語っていく。98話目の噺を語り終えたとき、水戸光圀公は膝を叩いてカラカラと笑った。
「これが百物語か。いや、話に違わぬ面白話じゃ」
「フフ…楽しんでもらえて光栄です。さぁ、ご老公の番ですぞ、噂では諸国漫遊されたとか…是非とびきりの話を聴かせて欲しいですなぁ」
「ふむ。そうじゃの!ワシも覇者の茶の味に貢献するか…」
──これであと一話…ワシが最後に語ったとき、ワシの畏は完成する!!!
「ふむ…そうじゃのう。あれを聞いたときは心底恐怖したのぅ…」
何でもそこでは、夜な夜な怪談が語られていて、そこで語られる怪談は、こともあろうに現実となって人を襲うのだという。
罪のない市井の人々が襲われ、苦しむ姿を酒の肴に、悦に浸って楽しんでおる外道たち。支配する側に立てる快楽が、麻薬のように体を蝕んでいる畜生にも劣る奴等。
「光國公?何を?」
「そこで、ワシは考えた」
──その外道共を退治する<怪>というのはどうじゃ?
「「「!!??」」」
男達は目を疑った。気づけば、皆の中心に据えられた百鬼の茶釜の横に、一人の男がたっている。縦縞の着流しに、長く棚引く黒髪の鯔背な男。
「えっ」
「な、何…!?」
状況を飲み込めない男達を尻目に、その青年──鯉伴は百鬼の茶釜に足をかけた。焦りに山ン本の喉がヒュッと鳴る。
「おい誰か!?あいつ止めろぉおぉ!!!!」
「へぇ…?これ、そんな大事なもんなのかい?」
───おっといけねぇ。足が滑った。
鯉伴は容赦なく茶釜を足蹴にした。煮えたぎる茶は、もうもうと湯気をたてて畳に広がっていく。
「あぁああああぁあ!!!!おぉぉお前なんてことしてくれとんじゃあああ!!!!」
「材木問屋…山ン本五郎左衛門。フン…ここが百物語の巣窟ってわけだ」
「うぐ…き…さ…ま…」
「うわぁぁあ!!!!」
「ヒェ…茶が…!!」
「むぁぁ勿体無い勿体無い…!!」
「ワシの茶…ワシの覇者の茶が!!!!」
「えぇい!!ワシの茶じゃぁあ!!どけどけーーー!!!!」
群がる貴人達を押し退け、山ン本は畳に突っ伏すと、じゅるじゅると音を立てて茶を啜った。その浅ましく狂気にすら満ちた行動に、鯉伴も思わず唖然とする。
やがてピタリと動きを止めた山ン本は、憎悪の色を浮かべて鯉伴を睨めつけた。おのれこのクソガキ…こうなったら、御老公もろとも殺してしまえ。
「皆の者!!出あえ!!出あえーーー!!!!そこのガキを…御老公もろとも殺してしまえぇええ!!!!」
山ン本の絶叫にもにた声に、複数の刺客がどこからともなく飛び出してくる。
「御老公!お下がりください!」
「おい!どけぇっ!!」
水戸光圀の供をしていた青年が、瞬く間に間合いに飛び込み、刀を受け止めた。
「無礼者ッ控えおろぉーーー!!!!」
青年はびしっと印籠を突きつけた。有名な台詞と動作に、思わず刺客たちも面食らう。
「この紋所が目に入らぬか!!此処におわす御方をどなたと心得る!!前の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!!」
「「「はッ…!?ハハァ~~~!!」」」
男たちは皆印籠の前にひれ伏した。伏して、はっと気がつく。ん?今の家紋は…
「あ…葵の御紋じゃねーーし!!」
「フ…いっぺんコレ…やってみたかったんじゃい」
そこにあったのは、葵の御紋ではなく、奴良組の
畏の家紋。パカッと印籠が開くと、中から鴉天狗がひょいと顔を出す。鴉天狗はキョロキョロと辺りを見回すと、さっと法螺貝を構えて吹き鳴らした。
けたたましく鳴り響く法螺貝の音に、控えていた奴良組の妖怪たちが一斉に部屋へと飛び込んでくる。あるものは天井を突き破り、またあるものは戸板を蹴破って雪崩れ込んだ。
「ウホッここが百物語の現場かい!」
「うちの若様(宝)に手ぇ出したってふてぇ野郎はどこじゃーーー!!!!」
本物の妖怪の姿に、男たちは逃げ惑う。なんだこいつらは。こんなはずではなかった。今頃、あの<茶>を飲んでいた筈なのに。
「ぬうぅぅ!?こっちも…いけぇーーー!!」
山ン本の声に、彼に産み出された妖怪たちも部屋へと飛び込んで来る。全身に鉄の棘のついた帯をぐるぐると巻いた者や、まるで蜘蛛のような鋭く細い手足を何本も生やしたもの。
見るもおぞましい妖怪たちが、男達の視界を埋め尽くす。これで安心だ。こっちには山ン本が産み出した妖怪がついている。
敵味方入り乱れ、へし折られた襖や柱が飛び交う、激しい乱闘。
「────嗚呼、始まったか」
部屋の中、水桶の水鏡によって事の顛末を見守っていたリオウは、小さく嘆息した。欲に狂った人間とは斯くも恐ろしいものなのか。
「…嗚呼、口惜しや…この体では、父上の隣に立ちたくとも並べぬ」
きゅ、と握りしめられた袂に皺が寄る。神気の回復は、未だ万全ではない。神々が過剰な報復をせぬように、圧し殺した人間への憎悪と恐怖も、未だ奥底で燻っている。───それでも。
(人を赦し神を赦せど……どうしてこのままならぬ身を赦せようか)
誰かのために自分を殺すことなど、今更苦ではない。しかし、有事の時に大切な人の役に立てないことは、傍にいられないことは、何よりも歯がゆくて。
灯りの無い薄闇の静寂の中。音もなく滑らかな頬に涙が伝う。ぱたりと滴の落ちる音が、どこか大きく響いた気がした。