天狐の桜20
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一方その頃、子供たちは寺子屋から少し離れた所にある町外れの草むらにいた。草むらに入ったらいけないと言う大人たちの言いつけを思いだし、子供たちは顔を見合わせるが、清衛門は構わずずんずんと草むらを進んでいく。
「清衛門くん~。草むらは危ないよ~」
「大丈夫さ!来るならちょっと見てみたいくらいさ!」
その時、ぶち、と足元で何かが音をたてた。何かを踏んでしまったらしい。足元を見れば、一匹の百足が鎌首をもたげて此方を睨み付けている。
【まんば、成るか】
おぞましい声がした。それは確かにその百足から発せられた声で、清衛門は恐怖を感じる前に、驚きに呆然と固まった。
「何、これ」
「危ない!!」
乙女は咄嗟に清衛門を抱き抱えて飛び退いた。百足は乙女の足首を掠め、焼けるような痛みが走る。
「先生!!」
「いたた…」
倒れる二人の前に、キシキシと関節を軋ませ、大柄な妖が現れる。乙女は見たこともない謎の妖にぎょっと目を剥いた。これが、リオウの言っていたうちのものではない謎の妖か。なんだこの妖は。
「山吹乙女様!」
駆け寄る首無の目の前を、黒い影が飛び出した。疾風のように間合いに入った黒い影は、瞬きの間に妖怪を一刀両断にすると、反す刀で原型も残さぬほどに切り飛ばす。
「てめぇは、誰の女に手ェ出してると思ってんだ?」
「あ…あな、た…」
「よぉ山吹。息災かい」
鯉伴は呆然としている妻に、茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。首無たちは、文字通りあっという間の展開に目を瞬かせていたが、はっと我に返ると慌てて鯉伴に駆け寄った。
「鯉伴様!一体今までどこへ」
「よぉ首無。なんだよ、テメーもきづいてたのかい?」
「!ということは、鯉伴様も?」
「…あぁ、なんだかこの江戸から爛れた臭いがしてきやがる」
以前は特に気にもしていなかったが、江戸に妙な妖気が漂いつつある。それは単純なものではなく、空気に溶け込み、だんだんとこの江戸を侵食しつつある。リオウの言葉を借りるなら、"穢れ"というやつか。
「そういや、リオウの神気の残り香があるが、アイツも来てんのか。……?リオウ?」
キョロキョロと辺りを見回すが、リオウの姿は何処にもない。妙な胸騒ぎに、鯉伴は険しい顔で妖怪たちを振り返った。
「おい、リオウはどうした?」
「え?」
「リオウ様なら、体調が優れないご様子でしたので、寺子屋に…」
「何…?」
一人で残してきたのか?寺子屋には結界が張られていて、組の妖以外は立ち入れない。だが、妖怪相手はいいとしても、もし人間に拐かされたりでもしたら───
不安を振り切るように、妖怪たちは弾かれたように走り出した。
江戸のとある巨大な屋敷。───山ン本邸
その一室で、蝋燭の灯りを頼りに百鬼の茶釜を見つめていた山ン本は、訝しげに首を捻った。
「なんじゃ…?畏の集まりが悪いのぅ」
「山ン本様…」
「ん?」
柳田という金糸の髪をした青年が、暗がりからそっと現れる。ついと頭を垂れた柳田は、憂いげに目を伏せた。
「まんば百足が…」
「!?何!?消えた…!?」
「それどころか鬼夜鷹も…続々山ン本様が生んだ怪異が消されています」
江戸に放った怪異…怪談が次々と消されている。思いもよらぬ報告に、山ン本はギリギリと奥歯を噛み締めた。
「なんじゃ…と…?この街にワシの楽しみを…邪魔するヤツがおるというのか…!?」
「浮世絵町の奴良組一家…あやつらかと」
浮世絵町の奴良組──聞いてはいたが、よもやここまでとは。山ン本は悔しげに歯噛みすると、揺れる蝋燭の奥へと視線を投げた。
「お主の出番じゃな。やってくれるか…黒田坊」
「…あぁ」
蝋燭の火に影が怪しく揺らめく。側近の中で誰よりも強いと目される黒衣の鬼は、主の命に深々とうなずいた。
行灯の灯りが満ちた座敷。ふっと気がつけば、リオウは布団の上に寝かされていた。
「こ、こは、…?」
意識が朦朧とする。頭がぐらぐらして思考がまとまらない。泥が纏わりついているかのように重い四肢を叱咤して、リオウはゆっくりと上体を起こした。
(妖気が、濃い…体が、言うことを、きかぬ…)
高く結い上げられ、豪奢な櫛飾りが挿された髪。桔梗色の打掛けに、藤柄の着物。足は細い紐が足枷のように括られ、柱に結びつけられていた
(奴良組とは、違う、妖怪屋敷…まさか、ここは)
「おぉ…おぉ…!なんと美しい…!一目で今までの花魁共が霞むようじゃ」
不意に響いた不躾な声に、リオウはばっと声の方を振り返った。8尺以上は優にあろうかという大男が、でっぷりとした腹を揺らして、にやにやと此方を見つめている。
「だ、れだ、貴様…っ」
「おぉ、見目だけでなく声もまた麗しい。これは期待できそうじゃ。よもやこの美しさで男とは…いや、この美貌であれば性別など問題ではないな。うくっくくく…っ可愛いのぅ」
男はそう言うと、無造作にリオウの打ち掛けを剥ぎ取った。呆然とするリオウをなめ回すようにじっくりと眺め、次にその帯に手をかける。
「ッッ!!」
なんだこいつは。今、自分に何をしようとしているんだ。
"色事"を知らぬ清純な天狐の耳に、男の心に巣くう"色欲"の声が流れ込んでくる。怯えた顔も愛らしいが、快楽に堕ちる様はまた一興だろう。早くその華奢な体を組み敷いて、己の欲でその裡を汚してやりたい。
(ッッ…早く、逃げなくては)
言うことをきかない四肢を叱咤して、リオウは這うように体を引きずって逃げる。しかし、そんなものは何の意味もなさず、弱々しい抵抗は、かえって男の欲情を駆り立てるだけであった。
「ッわたしに、触るな…っ無礼者!!ひ…っ!?」
「この雪のように白い肌…おお、おぉ、吸い付くようじゃのぅ」
着物を剥ぎ取る男の荒い息遣いと、無遠慮に肌を撫で回す感触に吐き気がする。怖い。穢らわしい。気持ち悪い。何をされているんだ。こんなの知らない。
「嫌だ…っ止め、ろっ…!!ッッ…!?」
死物狂いでバタバタと手足を動かす。櫛が外れたことによって黒髪が零れる。落ちた櫛を手に取ると、リオウは反射的に男の手に向かって振り下ろした。
──だが、その手は寸前になって止まってしまった。
(この男、にん、げん…!?)
男の体を禍禍しい妖気が包んでいる。しかしそれは男の体から発せられるものではなく。限りなく妖に近い存在だが、この男は確かに人間であった。
神々は理によって人間を傷つけることができない。神気を注いで悪鬼に墜とせば、その手づから殺すことも叶う。
しかし、奴良組の屋敷から外へ出られなかったリオウの畏は弱く、その神気は妖怪の血と拮抗し、その身を保つことで精一杯。おまけに穢れた空気に犯された体は言うことを聞かず、リオウは目の前に横たわる絶望に言葉を失った。
「おぅおぅ。そう怯えんでもいいぞ?しかしその顔も可愛いのぅ」
男の手が、呆然と固まるリオウの手から簪を取り上げた。太い指が器用に帯を解き、リオウの白い腹が露になる。べろ、とまるで巨大な蛞蝓のような舌が肌を這いずり回り、リオウは声にならない悲鳴をあげた。
「ひ…っ!!何、を、!?いや、だっ嫌…ッッ」
「何をする、じゃと?まだ"男"を知らぬか。なに、夜はまだまだこれから…その体にたっぷり教え込んでやるからなァ」
此処にワシの子種を植え付けてやろう。そしてワシの子を孕め。
子種?やや子?やや子はいずれ嫁いだ時、旦那様となった相手にその身を捧げることで、授かるものではないのか。この男は何を言っているんだ?
「あぁ、本当に可愛いのぅ。安心せい、傷などつけぬ。だが、死んだらワシが新しい【怪談】にして、ワシだけに侍る妖怪にしてやろうな」
「ひ、ぃ…っ嫌だ…っ誰か…誰か!!」
腹を這う舌が胸を舐め、しなやかな足へと伝っていく。ぱくりと一口で足先から柔らかな太股まで口に含むと、そのままべろべろと舐めしゃぶる。
吐き気を伴う恐怖と嫌悪感。助けて、と願う声は誰にも届かず、ぴちゃぴちゃと濡れた水音の満ちる座敷に吸い込まれる。
(父上…っ母上…っお祖父様…っ)
ぽろぽろと漆黒の双眸から涙が零れ落ちる。濃すぎる妖気と絶望に、次第に意識が遠退いていく。男の手が下腹部にかかったとき、何処からともなく謎の男の声がした。
【我が妻に対する狼藉は赦さんぞ】
バチィッッと派手な音とともに、男の指先は何かに弾かれた。その衝撃は凄まじく、男の指先は無惨に裂け、鮮血がぱたぱたと畳を濡らす。
【力が足りぬ…チッ、これまでか】
「ぎゃあぁあ!!??な、なななんじゃこりゃあ!?」
「!!」
リオウは着物の前をかきあわせると、ふらふらと覚束無い足取りで部屋から飛び出した。声の主はわからないが、恐らく人ではないのだろう。
かつてあの声をどこかで耳にしたことがあるような気もするが、そんなことはどうでもいい。早く、どこか遠くへ逃げなくては。はやくはやくはやく。
「待て!!!!くそっ!!追え!!皆の者!!早く捕まえろ!!」
男の声に、屋敷の至るところから家人たちが飛び出してくる。迫り来る足音に、飛んでくる怒声。リオウは後ろを振り返ることもせず、必死に走った。
2階の窓から身を踊らせ、屋根を伝って屋敷から脱出する。男は悔しげにぎり、と奥歯を噛み締めると、家人たちに大声で怒鳴り散らした。
「殺しても構わん!!!死んだらワシが怪談にして侍らせてやる!!!!死体でもいい!!!!あの者を連れてきた奴には褒美をやるぞ!!!!」
男の命に応えるように、ひゅん、と高い音が聞こえたかと思うと、夜の闇に矢の雨が降り注ぐ。そのうちの一本が、逃げ惑うリオウの右肩に命中した。
「ッッ!!!!」
ぐらりと傾いだ細い身体は、力なく江戸の街を流れる堀へと吸い込まれていく。ばしゃんと派手な水音が暗い暗い江戸の闇へと響き渡った。
「なんだ?なんの騒ぎだ?」
「おい、誰か落っこったんじゃねぇか!?」
騒ぎを聞きつけて、松明を持った町民たちがわらわらと集まってくる。しかし、黒々と光る夜の波間に、その麗人の体が浮かび上がることはなかった。