天狐の桜20
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暗闇の中、ゆらゆらと蝋燭の炎が揺らめいている。幾人もの男たちが、"とある茶釜"を囲んで怪談を語っていた。
「その生き霊は、さっと手を引っ込めこう言った…『だから入れなかったのか』」
「その店主はこう言った。『その顔って…こういうのかいぃ~~~!?』」
一話語り終える毎に、蝋燭の火が一つまた一つと吹き消される。深まる闇に、茶釜に彫られた百鬼夜行がぼうっと怪しく光を放つ。
「ホウ…百鬼夜行の彫りが光っておる…」
「うむぅ…不思議な。これが<百鬼の茶釜>…」
百鬼の茶釜。天下人に伝わる茶釜で、人々から<畏を抱かれる者>だけが使うことを許された釜だ。自然とこの釜には"畏"が集まるという。
「やはりこれがなければな」
「早くいただきたいもの…」
グツグツと煮える釜を見やり、男たちはごくりと生唾を飲み込む。一度味わえばまた欲しくなる。まだかまだかと気の急いている男たちに、山ン本はクツクツと低く笑った。
「うまいぞぉ…畏の煮えた<覇者の味>は…さぁて、百物語はいよいよワシの番じゃな」
山ン本はにたりと笑うと、ゆっくりと語り始めた。先日の吉原での話だ。宴の最中、大きな百足が出た。
『キャア!』
『ちょっと殺して!』
『嫌よ!』
これはよい怖がりよう。ワシはその様子を観察しとった。だが百足なんぞ珍しくもない。キャアキャアといって逃げるが、実際は大して女どもも怖がっておらん。
まぁつまらんので、ワシはこう言ってやった。
『その百足は<まんば百足>といってな…噛まれれば毒がまわり、即死んでしまうものぞ。まんばとはつまり亡者じゃな』
『!!』
たちまち女たちは血相を変えて逃げ回ったよ。その顔の面白きこと…
話を聞いていた男たちは、膝を叩いてゲラゲラと笑う。なんと滑稽な話だろうか。何でもない百足に戦いて逃げ回るなんて。
「それは傑作ですな」
「しかしそれではただの笑い話…」
「そうじゃそうじゃ。笑い話じゃな…このまま終わればな。だが…」
───噛まれた女は皆死んだ。猛毒にやられてな。
「「「!!??」」」
男たちは皆絶句した。なんだと?…死んだ?まさか、酒の席の戯言が誠となるとは。
「ワシが産んだこの毒虫を、<怪談・まんば百足>と名付けるとしよう」
筆を持て、と従者に命じる。巨大な筆を手に取り、さらさらと料紙に書き付けていく。瞬く間におぞましい怪異の姿が出来上がる。
「さぁて、出来たぞ…たくさん畏を集めてくれよぉ~~~~」
ふっと蝋燭の炎が吹き消される。またひとつ闇が深まり、妖気が屋敷の外へと流れていく。ニタニタと静かに笑う山ン本を尻目に、そういえばと男たちは顔を見合わせた。
「江戸のどこぞの古屋敷に、この世のものとは思えぬほどの傾城傾国の麗人がいるとか」
「おぉ!その話なら聞いたことがあるぞ。浮世絵町の屋敷であろう!下男に垣間見させたが、まさに三国一…いや、三界一の美しさだと言っていた」
山ン本は、男たちの語る"麗人"に片眉をあげた。その話なら聞いたことがある。山ン本自身、そんな美人なら傍に侍らせたいと下男を向かわせたこともあったが、うちにはそんなものはいない、と門前払いをくった。
「何でも屋敷の中で大切に大切に囲われているらしいぞ」
「それで家人たちが存在を外部に隠しておるのか」
無垢な籠の鳥か。男を知らぬ絶世の美人。──拐かして組強いてやったら、どれだけ気分のいいことだろう。
「町外れの寺子屋に時折現れるとか」
「──ほう、寺子屋に、のう…?」
山ン本の厚い唇が、ニィ…と酷く怪しい笑みを浮かべた。
辺りがしんと静まり返る夜半。一人の若い侍が提灯を片手に帰路を急いでいた。
「う~~寒み~寒み~。こんな日はなんか出そうだなぁ」
ひゅうひゅうと吹き抜ける風が高い音をたて、家々の戸板を揺らす。それがやけに不気味で、男は怯えたように肩を竦めた。最近は何かと物騒な話も多く聞くし、さっさと帰って温かい汁物でも啜るに限る。
そんなことをぼんやりと考えていた男は、草むらの奥に佇む人影に、思わず足を止めた。こんな時間に灯りも持たず、一体誰だろうか。
「な、何奴!お、おいッ!!そこにいるのは何者だ…!?」
体格からして男だろうか。ぞわりと全身の毛が逆立ち、心臓を鷲掴みにされるような嫌な感覚。掲げた提灯の光が、相手の姿を闇の中に浮かび上がらせた。
【まん、ば】
そこにいたのは、巨大な百足が幾匹も体にとりついたおぞましい妖であった。四肢には百足が巻き付き、ギチギチと節の軋む音が絶えずその身から響いている。
【まんば成るか、足くうか】
目にもとまらぬ早さで、百足たちが侍の体に向かって飛び付いていく。
「うわっうわぁぁああぁあ!!!!!!」
静かな夜の江戸に、若い侍の絶叫と血肉を喰らう濡れた音が響き渡った。
数多の人々が行き交う江戸の街。人の口に戸はたてられぬとはよく言ったもので、街は<妖怪・まんば百足>の話でもちきりであった。
「聞いたかいおめぇら」
「あぁ…こえぇ話じゃねぇか…」
「また出たってよぉ…」
「その百足に噛まれたら三日で死ぬとか」
「兎に角草むらはあぶねぇからな」
「わかったよぉ…気を付けるよ」
「ちょっとちょっと!今度は百足の卵がかえっちゃった人が藤ヶ原に出たって!」
「生まれた百足の子供は、もう普通の百足と見分けがつかないとか」
「ヒェー!!増えんのかぁ!?」
「あすこらへんはダメだ…」
「あぁ…いっちゃなんねぇ」
道行く行商人から、武芸に励む侍連中。隠居をしていた年寄りに、着飾った若い乙女たち。男も女も、老いも若いも、皆が口々に怪談を語っている。
人々が怪談を語れば語るほど、畏は色濃く広がり、百鬼の茶釜に畏が集結していく。シュウシュウと畏を吸い寄せる禍禍しい釜を、うっとりと見つめ、山ン本は狂ったように笑った。
「フフ…広がっとる…畏が集まっとる。語れ語れ…皆ワシになったつもりでホレ!怪談を楽しもうぞ」
町外れの寺子屋。山吹乙女が開いているそこに、きゃあきゃあと子供たちの甲高いはしゃいだ声が響いた。
「あー!リオウ兄ちゃんだぁー!」
「こんにちはー!」
「あぁ、こんにちは」
久し振りに姿を見せた麗人に、子供たちはその細い腰に飛び付いた。縁側に座り、リオウは子供たちの声に耳を傾ける。
「あのねあのね!この間この子ったらねー?」
「あっバカ!あれはお前だって…」
「ふふっお前たちは本当に元気がいいな」
よしよしと優しく頭をなで、慈しむように目を細める。あらあら来てたの?と微笑む母に、ねぇねぇと手を引く子供たち。この上なく愛おしくかけがえのない時間。
滅多に外部のものと関われぬリオウにとって、彼のことを"人間"だと信じて疑わず、無邪気にじゃれてくる寺子屋の子供たちは本当に眩しくて。
「母上、洗濯物なら私もお手伝いしよう」
「あら、いいのよ。それより、皆リオウが来てくれるのを凄く楽しみにしていたみたいなの。お話してあげて」
「そうだよ兄ちゃん!」
「兄ちゃん遊んで~!」
「おやおや…」
腰を上げさせまいとばかりに、子供たちが膝に乗り上げ、背中に飛び付く。妖怪たちが物陰からはらはらと見守っているのを横目に、リオウはくすくす優美に笑いながら、子供たちを抱き上げた。
「兄ちゃん!」
「うん?おや、どうした?」
一人の少年がリオウの袂をぎゅっと握りしめ、キッとその花の顔を見つめる。どこか怒ったような、張りつめた表情に、リオウは優しく微笑んで頬を撫でた。
ただ事ではなさそうな雰囲気に、乙女や妖怪たちも、思わず二人の方を振り返る。何かあったのだろうか?
騒がしかった寺子屋に沈黙と謎の緊張感が満ちる。なんだなんだと二人に突き刺さる視線に、少年は暫し逡巡した様子で瞳を揺らしていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「嫁になんて行くなよ!」
「………………………うん?」
目が点になるとはこの事か、とリオウは唖然と口を開けた。視界の端で、母が洗濯物を握りしめて肩を震わせているのが見える。
いやいや笑い事ではない。なんだ嫁云々って。ぱちぱちと瞬くリオウに、少年はしゅんとした様子で視線を落とした。
「リオウ兄ちゃん、最近寺子屋に来なかっただろ…」
「あぁ」
「金色の髪したにーちゃんと良い仲なんだろって皆が言うんだ!」
ゴッフォッッと物陰から盛大に吹き出す音がする。ちら、と視線をやれば、可哀想なくらい赤くなった首無が、隣にいた鴉天狗の首を絞めてブンブン振り回していた。
「お、おぉぉお俺が!!リオウ様と!!良い仲!?/////」
「ぐぇぇぇぇお゙ぢづげぐびな゙じ!!」
「おいおいそれ以上は鴉天狗様ヤバイって!!」
(大丈夫かあいつら…)
思わず呆れて遠い目をするリオウに、少年は気づかない。ぎゅっとその白魚のような手をとり、至極真剣な眼差しでリオウを見つめた。
「俺っ、あんなやつより絶対いいオトコになって、リオウ兄ちゃんのこと嫁にとる!」
「「ぶふッッ」」
今度はリオウと妖怪たちが同時に吹き出した。乙女も周りの子供たちも、皆一様に肩を震わせている。なんて可愛らしい宣言だろう。年頃の子供らしくて大変よろしい。
「ふ、ふふふふ、っはははは!」
「わ、笑うなよっ」
「あぁ、すまぬ。なに、嬉しいことを言ってくれると思ってな」
まだ8つかそこらだと思っていたが、もう好いた惚れたという感情を抱くようになったのか。人の子の成長とは早いものだ。
「本当!?本当に嬉しい??」
「あぁ、嬉しいとも。お前が大人になって、それでも気持ちが変わらぬのなら…嫁入り云々はその時考えようか」
乙女は、少年に優しく声をかけ、日溜まりのような笑みを浮かべる息子についと目を細めた。妖だけでなく、自分とおなじように人間と交流することを好む息子。
『乙女とリオウはそっくりだな。髪の色も瞳の色も、その心根もよ』
流石は俺の選んだ女と可愛い息子だ、とかつて鯉伴が言っていたのを思い出す。血は繋がっていなくとも、リオウは自分を母と慕ってくれるし、自分にとってもリオウは可愛い息子だ。
(こんな日が長く続けば良いのに、なんて…そう考えてしまうのは、やはり妖らしくないかしら)
人間の子供たちと、リオウが幸せに笑って過ごせる。そして、その場に自分も立ち会える、ただそれだけの穏やかな時間がなにより嬉しくて。
「母上」
「せんせー!」
己を呼ぶ愛しいものたちに、乙女は笑って手を振った。