天狐の桜20
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草木も眠る丑三つ時。妖怪たちも皆眠りにつき、いつも騒がしい奴良本邸にも束の間の静寂が満ちる。
鯉伴は、古ぼけた大きな屋敷の奥…組の宝と吟われる天狐の部屋を訪れていた。起こさぬようにそっと中へと忍び込む。
(寝顔も可愛いもんだな)
まさに眠れる森のなんとやら。リオウは垣間見といって屋敷を覗きこむ輩も多いご時世、いつ人目についても平気なようにと人型になっていて。白い肌に艶やかな黒髪がよく映える。
鯉伴の手がリオウの頬にそっと伸ばされる。と、その時、目にも留まらぬ早さで跳ね起きたリオウが、懐の短刀を抜いて切りかかってきた。
「お覚悟!」
「うぉっ!?おいおい、あぶねぇなぁ…可愛い顔して何物騒なもん振り回してんだ」
「おや、なんだ父上か」
リオウは頬をひきつらせた父に、小さく鼻を鳴らした。チンッと高い音をたてて短刀がおさめられる。本当に危なかった。避けるのが遅れていたら文字通り頭と体がお別れしてしまうところだった。
「寝込みを襲われたら、とりあえず相手の首を狙えと古参たちに教わったゆえ、つい反射で。───で、連日私からの文すらろくに返さぬ父上は、何をしに此処に来られたんだ?」
どの面下げて此処に来たんだ?あ゙ぁ?とでも言いたげな剣呑な瞳。言葉こそ丁寧なものの、その雰囲気は実に怒りに満ちていて、鯉伴は思わず背筋を伸ばした。
「何をしにって、お前なぁ…可愛い息子の寝顔を拝むのもいけねぇことかい?」
「おや、私は貴方の愛し子だったのか。毎日文を書いても梨の礫で、いつまでもお帰りをお待ちしているというのにふらふら遊び回ってなかなか帰らず、おまけに寝顔を拝んで勝手に会った気になってこっそり帰ろうとしてる貴方に。愛されていたのか。私は。ほう?」
「…………スイマセンデシタ」
嫌な汗がだらだらと背中を伝う。怒りの表し方が雪麗そっくりだ。限界まで我慢してぽこぽこ噴火するのは祖母の珱姫譲りか。流石、怒っていても可愛いが、美人が怒ると迫力がある。
親父の謝罪を鼻で笑うと、リオウはついと手を伸ばして、枕元に置かれた行灯にそっと灯をともした。
「首無たちが連日血眼になって探している。いい加減捕まって差し上げたらどうなんだ?」
「ははっそいつァ残念だったな。俺が捕まってもいいと思ってんのはお前だけだぜ♡」
「………そこは母上じゃないのか」
「乙女は俺の帰る場所だからな」
あっそ………
心底あきれ返った様子で、リオウはげんなりと肩を落とした。まぁ、なんだ。仲睦まじいご様子で何より。大方此処に来る前に寝顔を拝んできたんだろう。
………愛しているなら、起きてるときに会いに行けば良いのにと思うのは自分だけだろうか。
「よーしよし。ホント可愛いなぁお前は♡」
「っ、子供扱いをするなっ///」
「なら、大人扱いしてやろうか」
わしゃわしゃと頭を撫でていた手が、そっと労るように頬に滑る。そのまま流れるように細い顎を持ち上げられ、リオウはぷいとそっぽを向いた。
「怒った顔も可愛いぜ?」
「………怒った顔が好きとは、物好きな」
「勿論笑った顔が一番に決まってる。だけどな、愛してるから全部可愛いんだ」
胸に抱き寄せられ、髪に宥めるようなキスが落ちる。己を包み込む父の香りに、リオウはすんと鼻を鳴らした。
「…うちの妖ではない妖の血のにおいがする」
「おっと、流石お前は鼻がいいなァ?」
嫌か?と問えば、暫しの沈黙の後におずおずと小さく首を振る。物凄く可愛いが、余計なことを言ってしまえば、この照れ屋な息子はすぐ離れてしまうに違いない。構いすぎは禁物。
リオウは大人しく胸に顔を埋めている。絹のような髪に指を滑らせ、優しく撫でれば、白魚のような指が控えめに着流しの袖をちんまりと掴んだ。
「…お怪我がなくて、何より」
「心配すんな。お前を悲しませるようなことはしねぇよ」
(…嘘吐きめ)
それなら、何処にも行かないで傍にいてくれれば良いのに。だが、ぬらりひょんの血をひく彼にそれを願ったところで詮無いこと。…それがぬらりひょんというものなのだから。
「お前、今日結界の外に出たな」
「なんのことやら」
「惚けんな。──うちの組のじゃねぇ妖と会っただろ」
怒気の籠る鯉伴の声に、リオウは思わず身を固くした。どこかで見られていたのか。いや、それとも妖気の残り香か、いずれにせよ一瞬の接触だと思ったのに。
「……私が屋敷に張った結界に、触れた妖怪がいた」
「……」
「怪我をしていたのだ。だから…」
「だから出てって治してやったと?」
リオウの細い肩がびくりと揺れる。華奢な肢体を抱き締める手に、痛いくらいに力が籠められ、リオウは小さく息を詰めた。鯉伴は優しく背を撫でながら、深く息をつく。
「お前らしいな。だがお前のそういう優しさは美徳であり、他でもないお前自身を傷つけるかもしれねぇ」
「……」
「治したそいつがお前に襲いかからない保証はねぇ。そもそも、結界に触れるほどうちの屋敷に近づく奴だ。最近じゃ見慣れねぇ輩が人間を襲うことも増えている。そいつがそれだったら、組を狙ってたら、お前を狙ってたら………お前はどうするつもりだったんだ」
「…申し訳、ありません」
体が弱いリオウが護衛もなしに外に出るなんて、本当に危険極まりない。ただでさえ屋敷を垣間見た連中から噂になっているのだ。何かあってからでは遅い。
「分かればいい。…屋敷のなかにいるのはつまらねぇかい?」
「…時々、鴉天狗たちが母上の寺子屋へ連れていってくれる。皆よくしてくれるからな。人の子たちに会えるし、あの時間は楽しみだ」
今度また連れていってもらうのだ、とリオウは小さく微笑んだ。人間も妖怪も好き。それは慈愛の神たる天狐の特性でもあって。生きとし生けるもの全てを慈しみ、守る。それが天狐。
「そうかい」
鯉伴はそんな愛息子に眩しげに目を細めると、労るようにとんとんと背中を撫でる。そっと布団に華奢な肢体を横たわらせ、早く眠れと優しく促す。
「お前は体が弱いんだから、夜更かしは禁物だろ?」
「……………」
不満げに柳眉を寄せたリオウは、ついと視線を巡らせた。その視線は枕元に置かれた行灯に向けられていて。揺らめく炎に、涼やかな目元に影が落ちる。
「この明かりが消えたら、父上はまた何処かへ行かれるのであろう?」
布団から白魚のような指がそろそろとのびてくる。それが鯉伴の袂をちんまりと控えめに引き、形のよい唇が、惑うように薄く開かれた。
「…行かないで」
消え入りそうな、弱々しく控えめな願い。何かをねだることなど皆無だったリオウの、いじらしい"おねだり"。あまりに可愛らしい願いに、鯉伴は思わず破顔するとリオウの傍らに横になって頭を撫でた。
「何処にもいかねぇよ。お前が眠るまで傍にいる。だから安心して眠れ」
鯉伴の言葉に、リオウはぱたりとひとつ瞬く。そう、"眠るまで"。眠ってしまえば、瞼を閉じてしまえば、また父は何処かへ行ってしまう。自分の知らない何処かへ、私を置いて。嗚呼、本当に───
(酷い人だ…)
その恨み言にも似た言の葉が紡がれることはないまま、リオウは深い眠りに落ちていった。