天狐の桜18
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完全に戸を締め切り、蝋燭の明かりのみに照らされた幣殿。漆黒の闇の中に影が大きく揺れ、瑠璃は怯えきった様子で膝を抱えた。
「ねえ…おねえ、ちゃん。瑠璃たち、大丈夫だよね?お母さんのとこ、帰れるよね?」
「…うん。きっと、大丈夫。ほら、さっきお狐様が守ってくれるって言っていたでしょう?だから、絶対大丈夫」
凛子は震える瑠璃の体を抱き締めた。自分だって、怖くてたまらない。でも、今の自分には信じることしかできないから。助けに来てくれた、あの天狐のことを。
「絶対に、大丈夫」
己自身に言い聞かせるように、静かに何度も呟いた。しかし、この恐怖はまだ幼い瑠璃には辛いだろう。話題を変えて、少しでも気を紛らわせなくては。
「瑠璃ちゃんは、あのお狐様が好きなの?」
「!」
凛子の言葉に、蝋燭のほの暗い明かりの中でもわかるほど、瑠璃の頬がかぁっと朱に染まった。おずおずと頷き、はにかんだ笑顔を見せる瑠璃に、凛子は微笑ましげに目を細めた。
「そうなんだ」
「…狐様は、前にね、わたしの事を助けてくれたの」
家で留守番をしていたところを妖に襲われて、咄嗟に弟を抱いて逃げていた。母が何処にいるのかもわからず、街中はおぞましい魑魅魍魎が跋扈し、人が食い殺されていく地獄絵図。
「絶対、絶対もうだめだって、そう思ったときに、あの狐様が来てくれたの」
『おやおや、そんなに及び腰では抱かれる方も居心地が悪うてかなわぬぞ』
並みいる妖怪を一掃して、泣きじゃくる弟を難なくあやして泣き止ませて。膝を折って視線を合わせて、優しく頭を撫でてくれた。
「絵本に出てくる王子様みたいに、本当に本当にかっこ良かったの」
だから、あれから毎日助けてくれてありがとうってお祈りしてるの。えへへ、と無邪気に笑う瑠璃に、そっかそっかと凛子は頭を撫でる。
「ふふっ瑠璃ちゃん、恋してるんだ」
「えへへ♡でも、お姉ちゃんも、狐様のこと好きでしょう?」
「へぇ!?え、そ、ど、どうかなぁ?」
「私にはわかるよ!女の勘だもん!」
「お、女の勘…」
10歳位かと思っていたんだが、随分とおませな子だ。不意に初めて出会ったときの妖艶な笑みが頭に浮かび、凛子はブンブンと頭を振った。
「す、好きとか、お姉ちゃんにはまだわからないかな…💦」
「えー?絶対そうだと思ってた!あ、でも、お姉ちゃんが相手でも負けないからね!」
「もー、瑠璃ちゃんっ」
恋愛は、わからない。今まで、他の人と関わることを恐怖して、ビクビクしながら過ごしてきたから、恋なんて無縁だった。だから、本当にわからない。
『曾祖父様を大切にな』
あの時の、優しいけれどすべてを見透かしたような紅水晶の瞳が、今も目に焼き付いていて。また会えたらなんて、淡い期待を抱いていた。…ただのそれだけ。
(まさか、覚えていてくださるなんて思わなかったけれど…)
胸に暖かいものが広がっていく。なんだか面映ゆくて、つんと胸の奥が苦しくなる、不思議な気分。暫しの間、二人はそうして笑顔で語り合っていた。
やがて、どれ程時が過ぎたであろうか。恐怖と疲れから、うとうとと眠気に襲われていた二人は、不意に響いた幣殿の壁を叩く音に、文字通り跳ね起きた。
バンバン
【瑠璃?いるの?】
「っ、おかあ、さん…?」
外から聞こえるのは、母親の声であった。しかし、どうも様子がおかしい。
【瑠璃?いるんでしょう?お母さんよ。出ていらっしゃい】
バンバンバンバン
【瑠璃?瑠璃?早く出ておいで】
【瑠璃ちゃん、ばあばだよ。迎えに来たよ】
バンバンバンバンバンバンバンバン
壁を叩く音は、どんどん激しさを増していく。悲鳴をあげることもできず、瑠璃は恐怖に目を見開いた。
「大丈夫…っ大丈夫だから、声を出してはだめ…っ」
小声で必死にそう訴えると、涙でぐしゃぐしゃの顔の瑠璃は、必死に唇を噛んでうんうんと頷いた。
そうこうする間も、自分達を誘う声は絶えず、壁を叩く音は、強く殴り付ける音へと変わっていた。
【お嬢様!お迎えに上がりました】
【凛子!出ていらっしゃい。私と一緒に帰りましょう。お父様も待っているわ】
執事の声が、母の声が、代わる代わる聞こえてくる。しかし、この幣殿の外に感じる禍禍しい気配は、それが【人ならざるもの】であることを如実に示していて。
(リオウ様…っリオウ様、お願い、助けて…っ)
───その時、激しく壁を殴り付けている音が、ピタリと止んだ。
「…音が、止んだ…?」
「な、に?お母さん達の声も、しない」
【二人とも、大丈夫か?】
「「!」」
それは、あのリオウの声であった。酷く甘美で凛とした、とても優しい声。硬直する二人に、声はなおも優しく語りかけてくる。
【おや、どうした?返事が聞こえぬが、寝てしまったのか?】
【怖いなら此方に来ていいぞ】
【ほら、おいで】
瑠璃は、その声に思わず立ち上がった。ふらりと扉に向かって足を踏み出す瑠璃に、凛子はぎょっとして腕をひいた。
「ダメ!」
あの先にいるのは、リオウではない。先ほどから禍々しい気配は変わっていない。それに、リオウなら結界の中に入って来れる。態々外に出るように言うはずがない。
だが、極限の恐怖に晒された瑠璃は、もう半狂乱状態であった。
「狐様の声がするの!狐様が、おいでって、怖いなら出ておいでって、言ってるの!」
「っ、リオウ様はっ…お狐様は、終わったら必ず迎えに来るから、開けちゃダメって、出ていっちゃダメって言っていたでしょう?」
ぎゅっと胸に抱き込んで、大丈夫だから落ち着いて、と繰り返す。
「瑠璃ちゃんも、約束したでしょ?迎えに来てくれるまで、絶対に扉を開けないって」
「…うん」
【瑠璃。凛子。そこにいるのだろう?何故此方へ来ない?この声も駄目なのか?おのれ小娘どもめ。早く此方へ出てこい。聞こえないのか?出てこいと言ってるんだ!!】
リオウの声が、徐々にあの女の声へと変わっていく。低くしゃがれた男のような声。それと同時に、言葉は妙な笑い声に変わり、酷く壁を殴り付ける音が空気を震わせる。
【ぽぽぽぼぼぼぼ】
「「ッッ!!!!」」
へたりこみ、ぎゅっと抱き締めあって声無き悲鳴をあげる。助けて。早く。早く。早く。
(リオウ様…っ!)
「私の声音を勝手に使って、あの子らを誑かすのは止してくれぬか」
リオウは、幣殿の外壁に張り付くようにして壁を壊さんばかりに殴る女を、渾身の力で容赦なく蹴り飛ばした。