天狐の桜17
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女は、幼少から両親に恵まれているとは言えなかった。
両親は、手をあげることはしないが、娘に対してなんの関心も抱かない人物であった。やがて、人の愛情に飢え、他人の関心を己に向けることに固執した娘の行動は、段々とエスカレートしていった。
きっかけは、傷ついた小鳥を拾ったことだった。
傷の手当てをしてあげると、周りの人間たちが口々に「貴女は優しい子だね」と誉めてくれた。「良いことをしたね」と頭を撫でてくれた。
嬉しい
嬉しい
皆が私を見てくれた
頭を撫でてくれた
それだけが、娘の頭を占めていた。長い間渇望し、漸く得られたそれは、まるで麻薬のように少女の心を蝕んだ。多幸感が脳を麻痺させ、やがてその称賛をいずれ失うことに気づいて恐怖する。
どうしたら、また皆は私をみてくれる?
どうしたら、また皆は私を誉めてくれる?
また、治してあげればいいのかしら
次に、車にはねられた猫を拾った。怪我をした犬を、羽の折れた小鳥を拾った。全部全部「治して」あげた。裂けた腹を針と糸で縫い合わせ、包帯をくるくるとまいておしまい。
『もう大丈夫よ。私が治してあげたのだから』
すっかり冷たくなった「それ」を撫で、少女はにっこりと微笑んだ。
最初は優しい子だねとほほえましく見ていた周囲も、段々と彼女の異常性に気がついてきた。いつも、瀕死の動物たちを連れ帰っては何かをしている。
気味の悪い子
誰かがそう言った。死体愛好家なんじゃないかと誰かが言った。噂は噂を呼んで、気づけば娘はまた一人になっていた。
どうして?
私は良いことをしたはずなのに
どうして誰も私を見てくれないの?
やがて、少女は成長し、一人の男と結婚して子供を授かった。可愛い可愛い一人息子。頼もしい夫に愛され、子宝にも恵まれた彼女は、これで漸く幸せになれたかと思った。
しかし、幼い頃にその身を蝕んだ狂気は、とある出来事によって顕在化してしまう。
ある時、5歳になる一人息子が重い病気にかかって入院することになった。女は毎日毎日病院に通いつめ、時には泊まり込んで献身的に看病をしていた。
その様子を、何気なく日記のようにつけていたブログに書き込んだところ、見たこともないほどの「いいね」という高評価と、多数の好意的なコメントが寄せられた。
『いいママさんですね!』
『こんなに献身的に看病をしているなんて、素晴らしいお母さんだ!』
見ず知らずの人達が、自分の行動にこんなにも注目してくれている。日に日に増えていく「いいね」の数に、女はだんだんとネットの世界にのめり込んでいった。
しかし、それもいつまでも続くわけではない。息子の病状が回復し、ブログの内容が日常へと移り変わると同時に、だんだんといいねの数も、閲覧者の数も減っていった。
それもそのはず、人々は「献身的な母親」という美しいモノに飛び付いただけ。「とある女の日常」に、人は興味を示さないのだから。
女もいつまでも子供ではない。そんなことは分かっていた。だが、日々少なくなる「いいね」に、また昔のように関心が向けられなくなったらと怖くなった。
どうしたらいいか?そんなの簡単じゃないか。また「献身的な母」になればいいだけのこと。だが、そう都合よく息子が何度も病気になる訳じゃない。なら、どうする?
――――病気がダメなら、怪我でもいいじゃない
『大丈夫よ。ママが治してあげるから』
女はそう言って鋏を息子に振り下ろした。
(なんと、愚かな…)
リオウは、女の身勝手な仕打ちに深い悲しみを覚えた。たとえ、自分自身に愛を知らぬ深い傷があったとしても、何の罪もない子供を犠牲にしてまで…それほどまでに、自分で自分を愛せなかったということか。
「───リオウ。お前、動けるか」
「父上、…っ!」
リオウは父の気迫に目を瞠った。本気で怒っているらしく、人型ながら体からは怒気と殺気が滲み出ている。妖気が体を包み込み、やがて本来のぬらりひょんの姿になる父を、リオウは何処か呆然と見つめていた。
「こいつはお前の輪廻転生の救いなんか要らねぇ。──"親"として、こういうやつが一番俺は許せねぇもんでな」
自分の欲望のために息子食いモンにする奴ァ、地獄に堕ちて然るべきだ。
ドスを構える父に、リオウは小さく頷くと、子供たちの消えた壁に向き直った。こんこんと叩けば、音が反響するのが分かる。思いの外壁は薄い。これなら…蹴破れる。
リオウの姿が本来のそれへと変わる。白い壁紙のその壁が容赦なく蹴破られると同時に、鯉伴は女へと斬りかかった。
蹴破られた壁の向こうには、傷つけられた子供たちが肩を寄せあって震えていた。
【おカアさン】
【オカあさン タすけテ】
リオウの姿を見た子供たちは、口々にそう言ってリオウの体に取り縋る。ぼろ雑巾のようになった体を必死に引きずって集まってくる子供たちに、リオウは暫し言葉を失った。
『クル…クる…おかアさンが…オかァさンと…カくれンボ』
──タすケて…タスけテ…イたイ…コワい──
(拠り所となる"母"を探しながらも、そうなるはずだった"母親"から手酷く扱われているのか)
子供たちは皆、年の頃は5つか6つほどの年端のいかぬ者たちばかり。さぞ怖かった事だろう。母が恋しかった事だろう。
この子らは、見つけて欲しかっただけなのだ。"おかあさん"──無条件で自分を愛してくれる、その人に。その為にこの屋敷は人を引き込み、そこに何の因果かあの女の妖怪が現れ、引き込まれた人間を次々に殺していたのだろう。時には、この子供たちすら切り刻んで。
【おかアサん】
【おカあさン おカアさン】
「あぁ、わかった。わかった。──私がお前たちの母になってやろう」
もう大丈夫。怖いことは何もない。
リオウは服が汚れるのも構わず、目線を合わせるように膝をつくと、子供たちをそっと抱き締めた。優しい光が子供たちを包み込み、徐々にその体が元に戻っていく。
【いたく ない】
【もう こわいの ないの?】
【おかあさん おかあさん】
「あぁ、もう大丈夫だ。来るのが遅くなってすまないな」
ぎゅうぎゅう抱きついてくる子供たちをあやしながら、リオウはふわりと優しい笑みを浮かべた。乞われるままに、一人一人の頬を撫で、頭を撫でて抱き締める。もう二度と、この子供たちの魂が迷わぬように。
そんなリオウの様子を一瞥し、女と対峙していた鯉伴はくっと口角を持ち上げた。向こうはなんとかなったようだし、早いとここちらもけりをつけなくては。
【ドウシテ ジャマ スルノ ワタシ ガ ナオシテ アゲルッテ イッテルノニ】
「んなことテメェに頼んでねぇだろ。うちの可愛い息子に目ェつけたのが運のツキだったな」
──うちのシマから失せろ
ずばんと容赦なく振り下ろした刀が、女の体を切り裂いた。断末魔が古びた窓ガラスをガタガタと震わし、奥の部屋から子供たちの怯えた悲鳴が聞こえる。
「テメェはもういい年こいた大人だろ。──誰かの視線にすがるより、テメェでテメェを愛してやれよ」
文字通り真っ二つにされた女の体は、ざらざらと砂のように崩れて消えていった。それと同時に、家自体も甘い光の粒となって消えていく。
気がつけば、リオウと鯉伴、そして子供たちは、草の延びきった空き地に佇んでいた。
【おかあさん おかあさん】
「大丈夫。もうお前たちを縛るものは何もない。──さぁ、お行き」
一頻り子供たちを抱き締めると、リオウはついと繊手を振った。子供たちの体が淡い光に包まれて、天に昇っていく。無邪気に手を振る子供たちに、笑顔で手を振り返すリオウに、鯉伴はふっと頬を緩めた。
【おかあさん ありがとう】
最後に、あの少年が振り返って手を振った。晴れやかな顔からは、先に見た痛ましい姿は想像がつかない。
「"お母さん"、ねぇ」
「言葉なぞ関係ない。私はあれの道標となっただけだ」
子供は弱い。だから彼らには、無条件で愛情をくれる拠り所が必要で。それを持つことが出来なかった不完全な魂は、道標を失って彷徨い続ける。
それが、この赤いクレヨンの家へと囚われてしまった。その上、現れたあの女の怨念に恐怖し、逃げ惑っていたのだろう。本当に、可哀想な子達だ。
「にしても今回のこれは…」
「あぁ。十中八九奴等の仕業だろうな。<赤いクレヨンの屋敷>の話を中心に、あの女の怪異を併せてひとつの怪談にしたのか。──相変わらず面倒なことをしてくれる」
恐らく、リクオと猩影が今対峙している<切り裂きとおりゃんせの怪>というのも、同じような類いだろう。
「………………あ。」
「?どうした?リオウ」
「父上!!だから私はリクオと猩影の所に行くという話をしたではないか!!事が終わっていたらどうしてくれる!!」
「お前、今思い出すのかよ…」
せっかくしんみりしてたのに、と鯉伴は呆れたように目を眇める。もう黄昏時をとうに過ぎた空は、夜の帳が降り始めていて。ぺしぺしと尻尾が抗議するように鯉伴の胸を叩き、へにゃんと耳が垂れているのが可愛らしい。
「お前も大概過保護だよなぁ…」
「余計なお世話だ」
妖怪任侠一家に似つかわしくないほどの慈愛と甘さ。義理人情には厚いが、任侠一家(うち)は慈善団体ではない。誰彼構わず手をさしのべて、救い上げる程お人好しでも甘ちゃんでもない。──にもかかわらず、こいつときたら、無条件で相手を受け入れ、惜しげもなくその慈愛をくれてやるまさに母性の塊。慈愛の神である天狐故だろうか。
「…成る程、この上なく最適な"おかあさん"だな」
俺が厄介事を引き寄せるのでは、何て言っていたが、今回のこれは、あの子供たちがリオウを誘っていたのではないか。自分を見つけてくれる"おかあさん"として。
思案を巡らせる鯉伴を一瞥したリオウは、深く深く息をついた。…まぁいい、組に仇なす存在を排除し、迷える子供たちの魂をきちんと輪廻転生の輪の元へと還せたのだから。
「そういえば子供たちが、"おじちゃんも、たすけてくれてありがとう"と言っていたぞ」
「おじっ…!?おいおい、マジかよ…」
地味にショックを受けた様子で頬をひきつらせる鯉伴に、くすりと小さく笑うと、リオウは鯉伴の手を引いてリクオたちの元へと歩きだした。