天狐の桜17
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
15年前 埼玉県 川越────
三好野神社へ続く横断歩道。辺りにはそれなりに人通りもあり、人々は忙しそうに行き来している。中学生らしいセーラー服に身を包んだ二人の少女が、楽しげに笑い合いながら三好野神社の鳥居をくぐった。
『ねぇ、知ってる?その横断歩道にある時間にいくと、聞こえるらしいの。<とおりゃんせ>の歌が。それは子供にだけしか聴こえないのよ』
横断歩道を渡ると、そこは神社。鳥居をくぐれば<細道>。その時間にそこを通った子供たちは、帰れなくなるのだという。
『綾子聴こえる…?ねぇ…怖いわ』
『マナ、耳をふさいじゃだめよ。ふふっ怖がりね。お馬鹿なマナ…』
こんな子供だましのよくある怪談話の、一体何が怖いというのか。
その時、鬱蒼と生い茂る木々の奥から、微かにとおりゃんせの歌が聞こえた。思わず耳を疑う。空耳だろうか。しかし、次の瞬間、鳥居をくぐったときには、隣を歩いていたはずの親友の姿は消えていた。
『え?真っ暗…』
綾子と呼ばれた女子生徒は、きょろきょろと辺りを見回して眉根を寄せる。か細くおどろおどろしい歌声が、森の奥から変わらず聴こえる。
──ここはどこの細道じゃ──
──天神様の細道じゃ──
『どこ?ふ、ふざけないでよマナ!』
しかし返事はない。ざわざわと妙に生暖かい風が葉を揺らし、頬を撫でていく。気味が悪い。背中がぞわりと粟立ち、足が竦む。
『もう…帰るわよ!』
≪行きはよいよい かえりはコ・ワ・ヒ≫
おぞましい声が耳元で聞こえた。鉄錆の臭いが鼻につく。はっと振り返ると、顔中に包帯を巻いた男が、巨大な鋏を手に飛びかかってくるところであった。
『綾子どこ…?綾子ぉ…』
静けさを裂いて、少女の断末魔が森に響き渡る。しかしその声は、マナと呼ばれた親友の耳に届くことはなかった。
奴良本邸───
「お前たち、<とおりゃんせ>の歌を知っているか?」
自室に集まる小妖怪たちの相手をしていたリオウは、不意にそう言って微笑んだ。傍に控える側付きたちは小首を傾げ、茶を飲みに来ていた鯉伴は片眉をあげた。いきなり何を?
「とーりゃんせとーりゃんせ♪ってやつでしたっけ?」
「そうだっけ?オレ思い出せねーや」
「おや、ふふっまぁ私達には童歌というのは縁遠いものだからな」
膝に懐いている妖怪たちを撫でながら、リオウはくすくすと小さく笑った。涼やかな美しい声が、静かに懐かしいメロディを紡いでいく。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
「リオウ様歌うまーい!」
「もっと歌って!歌って!」
「ふふっこらこら、また今度な」
リオウはくすくすと小さく笑いながら、わらわらと集まってくる小妖怪たちを撫でる。そんな主を見守りながら、黒羽丸は訝しげに首を捻った。
「その歌が、何か?」
「いや、何…この歌の元になった神社と言うのが、うちのシマの…丁度関東大猿会のシマにある三好野神社という神社なのだがな。ちと面白い話をきいたもので、教えてやろうかと」
この三好野神社は、遥か昔に一時…川越城の城郭内に移された時期があった。その為、町民たちからは"お城の天神様"と呼ばれていたそうだ。
とはいえ、神社は城の中なので、一般庶民は気軽に参拝できなくなり、時間も限られ、見張りの兵士も付けられた。
特に、他国の密偵が城内に紛れ込むことを防ぐため、帰っていく参拝客に対して見張りの兵士が厳しく監視をしたのだという。
「行きも尤もらしい理由がなければ参拝と言えど入れず、帰りも監視の目が光る。よって歌詞に"こわい"という言葉が入るのだとか」
こわい、とは方言で「疲れた」も意味する。行きも帰りも気を張るために疲れてしまう、という意味や、密偵の汚名を着せられて投獄…なんて危険に恐怖する、といった意味にも捉えられる。
「また"七つまでは神の子"というのはな、"昔は子供のうちに亡くなることが多かったから"というのが人の子の通説らしいが、私達からすればちと違うのだ」
七つまでは神の子―――それは、この世に生まれ落ちて、七つになるまでは神の加護が届くということだ。人は誰しも生きていくうちに穢れを受ける。穢れを嫌う神にとって、その加護が届くのが人の子の齢で七つなのだ。
「七つの祝いに札を納める…札を納めることによって、神の加護から外れる。神の加護があるうちは、妖怪と言えど容易に手出しをすることは出来ない。しかし、札を返してしまえば加護から外れ、妖の格好の餌食となってしまう」
だから、"行きはよいよい 帰りはこわい"
「以上がこれまで語られてきた<とおりゃんせ>の歌にまつわる話だ。──ところが、一昔ほど前から人の子の間で新しい話が囁かれ始めた。」
逢魔が時になると、この三好野神社に続く横断歩道で、子供にだけは<とおりゃんせ>の歌が聴こえるのだという。
そして、それを聞いてしまった子供たちは、横断歩道を渡り、三好野神社の鳥居をくぐってしまい、"向こう側"に囚われて帰れなくなるのだとか。
「同時期から周辺で、子供の失踪事件が横行している。恐らく三好野神社の敷地に住み着く妖の仕業だろう」
「「「!」」」
「狒々には話をしてある。猩影が今頃頭を抱えて奔走している頃だろう」
猩影はまだ年若い。今回の事件が関東大猿会の組長として、初めて取りかかる大きな案件であろう。親父の力を借りては、他からなめられる。となれば、アレが頼るのは…
「リクオのとこに行く、ってか」
「猩影がリクオを学校まで迎えにいったようだからな。恐らく今日は帰りが遅くなるだろう。首無、後で母上方に事情を説明して、リクオと私の夕餉は後で部屋に運ばせる旨を伝えておくれ」
「はい。畏まり──リオウ様の分も、ですか?」
リオウはにっこりと微笑んだ。非の打ち所のない麗しい微笑みは、有無を言わさぬ気迫を感じる。鯉伴は思わず頬をひきつらせた。
「お前…こないだ過労で倒れたばかりだろ…」
「あぁ、どこぞの隠居した大将たちがしない分の仕事をして、何を思ったか本家に用もないのに押し掛けてくる馬鹿どもの相手をしていたからな」
「……………………」
そう、リオウは数日前まで熱を出して倒れていたのだ。鯉伴を指輪に封じていた術を解いたことによって、以前のように神気と妖力を消費していないからか前よりも体調はよい。
だが、リオウ本人の体が弱いのは変わらぬ事実であって。前よりも無理がきくからといって、あっちもこっちも仕事をしまくるのはどうなんだ。
「散歩だ、散歩。ちと様子を見てくるだけのことよ」
「雪女の時もそうでしたが、少々甘やかしすぎかと」
「ふふっなんだ、首無。妬いているのか?」
ついと伸ばされた繊手が頬を撫でる。首無は、愛しげに此方を見て目を細める主に言葉をつまらせた。そうだ。妬いている。でも、それを易々と口にできるほど子供でもない。
押し黙る首無の頭をそっと撫でたリオウは、仕方の無い奴めと困ったように柳眉を下げた。形のよい唇はゆるりと弧を描き、全く、なんて言いながらも、下僕が可愛くて仕方ないらしい。
「散歩に出るなら、俺も一緒に行くぞ」
「え、父上も来るのか?」
リオウは少々嫌そうに柳眉を寄せた。なんともあからさまなそれに、鯉伴は思わず半眼を返す。なんだその顔は。
「貴方といるとろくなことにならないんだが」
「酷ェ言い草だなおい…」
そこまで言われるほどか?と、ちらと己の行動を思い起こした鯉伴は、考えるのをやめた。うん。迷惑はかけまくっている。だがそれはそれこれはこれ。リオウがなんと言おうと、自分はリオウと出掛けたい。
「そう照れるなって♡」
「ご自分の行動を胸に手を当てて考えてみたら如何か」
「へぇ?どれどれ」
「ご自分の胸に手を当てて考えろといってるんだ…💢」
にっこにこ笑顔で遠慮無くセクハラしてくる鯉伴に、さしものリオウも頬をひきつらせた。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。
尻尾が身を守るようにしゅるりと体に巻き付き、一本の尻尾がしたーんしたーんと威嚇するように畳を叩く。
「まぁそう怒るなって。現代デートってのも乙なもんだろ?」
(………現代でぇと、なぁ……)
ため息をついたリオウは、流れるように立ち上がった。首無が、すかさず意を汲んで外出用の羽織をもって飛んでくる。
「別に来てもいいが、余計なことはしないでいただきたい。私はリクオと猩影がどう対処するか見たいだけなのだから」
「わかってるって。んな野暮なこたぁしねぇよ」
ほんとかよ………
全員の心がひとつになった。面倒事が向こうからすっ飛んでくる、まさに面倒を吸い寄せて歩く男、奴良鯉伴。
ちょっかいをかけられるリオウが、悉くそれに巻き込まれていくのを常々目撃していた妖怪たちは、また何だかんだ巻き込まれて苦労するであろう組の宝を思ってため息をついた。