天狐の桜14
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今から何百年も前のこと…そう、あれはかの天狐が齢2つか3つかというときであった。
『狒々!お花、いっぱいさいてくれました!』
『おぉおぉ!そうじゃな!御姫が頑張って世話しとったもんのぅ。たいしたもんじゃ!』
リオウは狒々と庭で百合の花を育てていた。土産だ何だと、毎回毎回本家に来る度に大量の贈り物を送りつけてはリオウを構い倒しにやってくる幹部達に、何か礼がしたいと言い出したリオウが、一生懸命育てていたのだ。
時折助言をしてやりながら手伝っていた狒々は、ぴょこぴょこ跳ねて喜ぶ子狐に頬を緩めた。これで切るといい、と鋏を渡すと、リオウは真剣に選定し、やがて一本の百合を摘み取った。
『ほう、これはまた見事な百合じゃの!誰に渡すんじゃ?御姫。総大将か?それとも――』
『さいしょのは、ずっと手伝ってくれた狒々にわたすと決めていたのですっ。ふふっ狒々、いつもありがとう**』
ずい、と一輪の百合を差し出しふわりと大輪の華が咲くように笑うリオウ。その時の狒々の喜びようと言ったらなかった。
『あら、随分立派に咲いたじゃない』
『流石はリオウ様ですな』
『雪麗!牛鬼!』
リオウは丁寧に百合を摘み取り、二人にも手渡す。そうこうしているうちに、庭の片隅の百合畑にはいつの間にやら沢山の妖が集まり、わいわいガヤガヤと賑やかになっていく。
『見事なもんじゃの』
『毎日毎日、欠かすことなく手入れしておりましたもの』
『おじいさまっおばあさまっ**』
大好きな祖父母に、父に、妖怪たちに囲まれ、リオウはにこにこと楽しそうに笑う。まさに幸せな日常。
『!…?』
その時、リオウは遠くから不思議な声が己を呼んでいることに気がついた。酷く遠くのようで、でも、手が届きそうなほど近いような、不思議な声。
≪おいで≫
『?だぁれ?』
リオウはおっとりと小首を傾げる。次の瞬間、百合畑の真ん中でリオウの姿は霞のように消えてしまった。
純黒に塗り潰された世界。所々に鋭く尖った岩が聳え、それ以外は闇に閉ざされた一分の光も差さぬ漆黒の世界。
『ここは、どこ…?』
困惑したようにリオウは辺りを見回す。しかし、そこには目印となるものも、道と言えるようなものもない。ただただ黒々としたおびただしい量の妖気に満たされている。
≪此方だ≫
また、不思議な声がした
声はどうも大人の男の声らしく、低い声が空気を震わせ、リオウは足を竦ませた。得たいの知れない恐怖を感じる。あの声のもとへ行ってはいけないと、本能が警鐘を鳴らしている。
『引きずり込まれてしまったのか』
背後から、先の声とは別の男の声がした。びくっと肩を跳ね上げたリオウは、脱兎の如く駆け出した。早く、早く帰らないと。ここにいてはいけない。
『こら、闇雲に走り回っても出口はないぞ』
男は難なく追い付くと、ひょいとその小さな体を抱き上げた。ぴしっと固まるリオウを片腕に抱くと、安心させるようにぽんぽんと軽く頭を撫でる。
『出口まで送ってやる』
男がそう言った瞬間、辺りが目映い光に包まれた。はっと気がつけば、そこは静かな光に満ちた空間に変わっていた。石畳のこそには石柱が列なり、辺りには大量の墓石が整然と並んでいる。
『ここ、は…?』
『…私の庭だ』
おにわ?とリオウは小首を傾げ、きょろきょろと辺りを見渡す。ずっとここにいるのですか?と大きな目を瞬かせるリオウに、男はそっと下に降ろしてやりながら、そうだと静かに答えた。
『私はもうここに600年は住んでいる』
『ろっぴゃくねん…』
さみしくはないのですか?
それは、賑やかな家族に囲まれて暮らしていた幼子にとって、当然の疑問であった。しんと静まり返り、風の音ひとつしない静寂に満ちたこの空間。この場所に600年なんて、寂しくて気が狂ってしまいそうに思うのは当然で。
しかし、寂しいなんて気持ちはとうに何処かへ捨ててきてしまった男にとって、その問いは実に新鮮なものであった。思わず僅かに目を瞠った男に、リオウは不思議そうに小首を傾げる。
『?』
『あぁ…いや、寂しいという気持ちなど、久しく感じていないからな。そんなもの忘れてしまった』
『さみしいきもちを、わすれてしまわれたのですか…』
はぁ、と目を丸くして驚いているのが酷く愛らしい。男は、その純粋無垢な様に眩しそうに目を細める。―――これが、父が見初めたという天狐か。
『あっ…あの、もうしおくれました。わたしは、ぬらリオウともうします』
『リオウ、か。良い名だ。…私は吉平だ』
『よしひら、さま…』
噛み締めるように、その名を繰り返したリオウは、覚えましたと微笑んだ。口数の少ない吉平を怖がる風もなく、リオウはころころと鈴のなるような声でよく笑う。
小さく華奢な手をとり、ゆっくりと歩き出す。大人しくついてあるいていたリオウは、感じていた妙な違和感の招待に漸く気がついたらしく、小さく吉平の袖をひいた。
『吉平さま、ここにはお花がないのですね』
『…あぁ』
居並ぶ墓には、一輪の花も供えられてはいなかった。言われてみればそうだったな、とぼんやり思案を巡らせる吉平に、暫し何かを考え込んだように俯いていたリオウは、ぱっと顔を上げた。
『あの、助けてくださったお礼に、どうかこれを…』
『…白百合?』
リオウは手にもっていた一輪の百合を差し出した。膝を折り、壊れ物を扱うかのようにそっと花を受けとる吉平に、リオウはえへへと天真爛漫な笑みを浮かべる。
『わたしが、初めてそだてたお花なのです。お花のいみは、"じゅんけつ"と"いげん"といってました』
ふふっいげんあるあなたさまにぴったりですね。吉平さま
「まさか、あれから400年近くたった今…再会するとは思わなんだ」
リオウは自室で一人、煌々と輝く月を見上げていた。かつて己を助けたあの男の瞳のような、琥珀に輝く満月を。
(次に会うときは完全な敵同士か…)
あの男は…吉平は、私を覚えていて助けたのだろうか。それとも、晴明の非道にただ気まぐれに手を差しのべただけか。彼の真意はわからない。叶うなら、彼ともう一度話をしてみたいと思うのだが。
「運命とは、兎角ままならぬものよな」
リオウは頬を撫でる夜風にふっと目を伏せた。
(また、合間見えることができるとは…)
吉平は一輪の花を見つめ、小さく息をついた。術により、永劫の時を艶やかに咲き続ける一本の白百合。400年近く経った今も、その清楚な美しさは損なわれることはない。
『…ありがとう、助かった…』
(…あの天狐は、俺を覚えているまい。いや、覚えていない方が都合が良い)
次に対峙するときは、確実にあれを斬らなくてはいけない。彼方に信念があるように、此方も譲れない信念があって。父に付き従うと決めたその時より、それは揺らぐことがない。
(――――せめて、下手な容赦をせず、真っ正面から相対することが…あれへの最大限の礼儀だろう)
そうだろう、リオウ。
かの麗人を彷彿とする凛とした美しさの白百合。心の迷いを振りきるように、吉平はくるりと踵を返した。