天狐の桜14
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それが、あの娘にとってはかえって苦痛になったのだろう。鯉伴は狐の呪いで妖とは子を成せなかった。
しかし、ぬらりひょんがごく自然に人と子を成していたこと、鯉伴の前妻が神であったことが災いして、なかなか気づくことが出来なかったのだ。
『跡継ぎはいつになったらできるのか』
『何だかんだと、もう50年たちますな…』
最初に異変に気がついたのは、リオウだった。あの子は心が読めてしまう。自分のせいだと己を責める母を慰め、父に伝え、父の心のうちをまた母へと伝える。
両親の心を慮り、なんとか前を向いてもらおうとあれは日々奔走していた。今思えば、あれには酷く辛い役目を押し付けてしまっていたのだろう。
毎日毎日、くるひもくるひも両親の心を読んでは、関係が壊れぬように細心の注意を払って言葉を選び、心が壊れぬように均衡を保たせていたのだから。その心労は計り知れない。
だが、それもむなしく…乙女は自分のせいだと思い込み、八重咲きの山吹を一枝残し、姿を消した。傍らには古歌が添えてあった。
"七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき"
華やかに花を咲かせても、私は実をなすことは――出来ない
この時、ただただ憔悴するばかりの両親を最後まで宥め、寄り添い、世話を焼いていたリオウはとうとう激昂した。
乙女が出ていったことにではない。――話し合う機会や材料まで用意されながら、怖くて動くことの出来なかった両親の弱さに。
『お互いの心のうちは伝えた。それでどうするかはお互いの自由。伝えたらどうかとも何度も何度も進言した。ここまでお膳立てして動かないのは、相手にどう思われるかなんて怯えでも遠慮でも何でもない。怠惰だ。何でもかんでもやってもらえると思うな戯け!!!!』
お互い腹を割って話して、納得して別の道を歩むのなら、それは子として尊重し心から応援しようと思う。
…だが、話し合いの機会も材料もありながら、お互いにのらりくらりと逃げ続け、結果訪れたものに納得がいかぬとお互いウジウジ悩み続けることの、なんと不毛なことか。
"天は自らを助くる者を助く"と、よく言われているが、まさしくリオウも神であった。慈悲の神といえど、努力しないものを助けることは出来ないのであって。
恐らく、千里眼も誰よりも良い耳をも持っていたリオウのことだ。乙女が何処へ行ったのか、何をしているのかも知っていたのだろう。
…だが、激昂したそのときより、リオウはそのことに関しては固く口を閉ざしてしまった。もしかしたら、好機を与えられながら悉くふいにした二人に、見切りをつけてしまったのかもしれない。
「その後、あの娘がどうなったのかは誰も知らん」
「―――妾(わたし)は、やがて枯れるようにこの世から消えました…」
「は、羽衣狐!!」
「お姉様!!!!」
バタバタと皆が駆け寄ってくる。羽衣狐…否、山吹乙女は、掠れる声で必死に言葉を紡ぎだした。
「妾は…真っ暗な世界で、声を聞きました…」
『この女か…』
『この女を、反魂の術で…』
反魂……
「あんたまさか、山吹乙女そのものなのか…?」
ぬらりひょんは呆然と呟いた。どうして、まさかそんなことが。…リオウは、それを気づいていて、先の戦闘では鵺だけに狙いをつけて徹底的に叩いていたのか。
「そして、そのすぐあと気がつけば、妾は娘子になっていました」
黒いワンピースを身に纏い、桜と山吹の咲き乱れる神社の入口に、一人でポツンと立っていて。いつの間にやら、目の前にいた少年に――リクオに、ふっと、笑いかけていた。
『遊びましょう』
偽りの記憶を入れられて
『リクオ…その娘は…』
『お父さん!遊んでくれたの!このお姉ちゃんが!』
鯉伴様は、最初はいましたが、やがて妾の手をとってくれました。その日一日は、とてもとても幸せで、これ以上はないと思える位でした。
『父、上…?リクオ…?その子は、一体…』
『?お姉ちゃんだよ!兄さん!』
リオウも戸惑ったように、でもとても優しく妾の手をとってくれました。
『あ!あれなんだろう!』
『リクオ…あまり遠くへ行くなよ。リオウ、リクオを頼む』
『あ、あぁ。…父上、お気をつけて』
そこには、美しい山吹の花が咲き乱れていました。
『わぁ…キレイ』
無邪気に華冠を作り始める妾の後ろで、鯉伴様はひとつの古歌を口ずさみました。
"七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき"
『あの後、山吹の花言葉を何度も調べちまったっけ。"気品""崇高"そして"待ちかねる"。まるで俺達の娘みてぇだ』
思えば、リオウは何か違和感に気がついていたのかもしれません。
『お父さーん!』
『リクオ?』
『父上!!危ない!!』
気付けば、いつの間にやら手に持っていた刀で、深々とその体を刺し貫いていました。肉を裂き、生ぬるい返り血に濡れる両手。
"七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき"
その古歌が、"鍵"でした
『ああ…あぁ…あ…鯉伴…様…?』
全てを思い出すように、成されていたのです
『あああああああああ!!!!いや…いや…鯉伴様ァァァ!!!!』
『ひぇっひっひっひっひっ!そうじゃ悔やめ女!!自ら愛した男を刺したんじゃぞ?出来なかった偽りの子の振りをしてな!!あっひゃっひゃっひゃ!!』
そうして…
『娘…貴様、"先程の"幼子ではないな…貴様"ら"…父上に何をした!!!!』
『そうじゃ…妾は"待ちかねた"のじゃ』
『お姉ちゃん、誰…?』
愛しい人を手にかけて…
「私は、あの狐になった…」
リオウはのろのろと顔をあげた。じたばたと父の腕を抜けると、体を引きずるようにして乙女の傍へと歩み寄る。
「リオウ…私は、ずっと…貴方に嫌われたままだと思っていた」
リオウは言葉もなく、その顔にすり寄る。ふわふわとした手触りの良い毛並みに指を滑らせ、乙女はふっと目を細めた。愛しい愛しい、最愛の息子。実の子ではないけれど、心を尽くして、寄り添ってくれた可愛い息子。
それなのに―――本当に、可哀想なことをしてしまった。
『母上!!!!』
もう一度、母と呼んで貰えたことが、庇ってくれたことが、どれだけ嬉しかったか。もう二度と、手を触れることは出来ぬと思っていたというのに、こうして触れることを許してくれる。本当にこの子は、妾には勿体無いくらいの優しい子だ。