天狐の桜14
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城の床を、屋根を破壊し、地下から禍禍しい妖気の塊が球体となってせり上がってくる。黒々としたそれは一点の曇りもない漆黒で、時折水面がうねるように対流しているのがわかる。
羽衣狐は辺りを見回し、ふっと微笑んだ。一糸纏わぬ姿のまま、下半身が球体に一体化している。
「妾はこの時を千年待ったのだ」
妖と人の上に立つ…鵺と呼ばれる新しき魑魅魍魎の主が今ここで生まれる。皆の者…この良き日によくぞ妾の下へ集まった。
「京都中から―――そして遥々江戸や遠野から妾たちを祝福しに…全ての妖どもよ…大儀であった」
弐条城中から割れんばかりの歓声が上がる。羽衣狐は嬉しそうに笑った。そうかそうか、祝うてくれるか。可愛い奴等だ。
淡島は、うっとりと微笑む羽衣狐を訝しげに見つめた。得体の知れない気味の悪さを感じる。彼女の言動が理解できない。あの女は、一体何を言っているんだ?
「な…なんだあの女…?おかしいのか?俺達が客だとぉ!?」
「……あれが羽衣狐」
あれが、鵺……!!!!
≪母上…≫
球体がズズ、と蠢き、人間の顔のようなものが迫り出す。手が、足が膜を突き破るように現れ、赤子の姿を形作る。
≪おお…母上…≫
巨大な赤子…鵺の体が天守閣を押し潰す。おぞましいその姿に、毛倡妓たちはさぁっと血の気が引いていくのを感じていた。
「う…うそ…」
「なに…これ…」
喉が緊張にひきつり、目が離せない。鏖地蔵は、腕を切り落とされた痛みも忘れて、諸手を上げて喜びを表した。生まれる。生まれるぞ。これで"ワシら"の望みも叶う。
羽衣狐はついと視線を巡らせた。眼下には冷たい建物が並び、瘴気に満ちた京の都。数多の妖が蔓延り、血の匂いが生温い風にのり鼻腔を擽る。
かつて人とともに闇があった。闇の化生は、常に人の営みの傍らに存在した。しかし、人は美しいままに生きてはいけない。
『闘えぬ母を何故討った!!!!』
『おのれ…おのれ花開院…その名、決して忘れぬぞ。お前たち一族を、妾は赦さぬ』
やがて汚れ、醜悪な本性が心を占める。相手が神でも妖でも関係ない。信じていたもの、愛していたものに、何百年も裏切られ、その度に絶望し―――妾はいつかこの世を純粋なもので埋めつくしとうなった。
黒く、どこまでも黒く―――一点の汚れもない純粋な黒
「この黒き髪――黒き眼。黒き衣のごとく完全なる闇を。そして、闇にふさわしい妾の愛しいただ一つの光を…さぁ、守っておくれ。純然たる…闇の下僕たちよ!!!!」
その声に応えるように、京妖怪たちは一斉に飛びかかる。先程よりも悪い足場。鵺復活までの時間もない。その上、先程よりも数の増えた妖怪たちに、リクオたちは皆身構えた。
「き、きた…!!」
「気のせいか増えてやがるぜ!?」
ゆらも式神を構えつつ、悔しそうに奥歯を噛んだ。
(守れなかった…!!!!)
京都を…鵺を、止められなかった。死んだ祖父や、前線から去った兄達のためにも、守り抜かなくてはと心に決めていたのに。
「"守れ"ってのは、どういうこった?」
リクオの静かな疑問に、ゆらははっと我に返った。秀元も口を開く。守れということは、恐らくまだ無理なのだ。あの状態はまだ完全ではない。鵺は本来人なのだから。
「まだ止められる!!!!その祢々切丸と…破軍さえあれば!!!!」
願わくば、リオウがこの場にいてほしかったが。ひとつ気になるのが、先程の羽衣狐の台詞。
『妾の愛しいただ一つの光を』
(あれはどういうことや?今、リオウちゃんはどこにいる?)
先程まで感じていた神気が見当たらない。彼程の強者が死ぬことはまずないだろう。であれば、一体どこに行っているのか。
まさか――――
漆黒の妖気が渦巻く。その中に、リオウと晴明は立っていた。まさか今度は向こうから会いに来てくれるとは。満足そうに鼻をならす晴明に、リオウは静かに対峙する。
「そんなに私に会いたかったのか。ふっ愛いやつよ」
「貴様の復活までの時間稼ぎだ」
「ほう?それはまた…謙虚なことだな」
今なら殺せると言うのかと思っていた。晴明は悠然と微笑みながらリオウを見据えた。リオウはその顔をじっと見つめ、ついで困ったようにふわりと微笑む。晴明はその表情にわずかに瞠目した。
「最初はそれでもいいかと思っていた」
相討ち覚悟で、たとえ自分が死んだとしても、親の仇を、愛するものを害する災厄を討ち滅ぼせるのなら、それでもいいと。…だが、惜しくなってしまったのだ。
『だから…お前のその心も体も、俺に全部あずけろ!!』
「うちの三代目に口説かれてな。…初めて、私は組の百鬼に"なれた"と思った」
この400年近く、私は酷く孤独だった。出入りにも行けぬ、名ばかりの副総大将。皆から愛されているのも感じていたし、私も皆を心から愛している。それでも、孤独は拭えなかった。
愛しいものを護るのは、笑顔を向けられることはこの上なく幸せな時間で―――同時に、自らの異質さを感じていた故に。
己は"神"であり、"妖"ではない。
妖だったなら、虚弱な体になることもなく、組の者たちと同じように出入りに出て、祖父や父の役に立てたのかもしれない。他の者たちと同じように、肩をならべて暴れることも出来たのやもと。
だが、無い物ねだりしても、無いものはないのだ。それは変えることのできない事実で。己の天狐の血を誇りこそすれ、恥じることなど毛頭無い。
それでも、私は―――寂しかったのだ
『リオウ。お前は強い。…だが、お前のそれは"孤高"だな。守らなくちゃなんて考えてばっかりじゃ、それは真の強さじゃあねぇ。―――こいつなら絶対に守ってくれる、絶対に傍にいてくれるとお互い信じあい、戦うこと。それこそが本当の強さってもんだろ』
父はそう言いながらも、私を出入りに連れていくこともなければ、背を預けて戦うことを決してさせなかった。いつだって、私は置いてけぼりで。
そして、父は私を置いて逝ってしまった。
怖くなった。愛しいものたちが、掌から溢れ落ちててしまうのが。私を護ると言う下僕たちが、いつ父のように手の届かぬところへいってしまうのかと。
『リオウ。俺は絶対にお前を置いていったりしない。生涯かけて、お前の傍にいると誓う。お前はもう守らなくて良い。けど、その代わり…お前の"想い"と"力"。俺に貸してくれねぇか』
「あれは、私の前から消えぬと誓ってくれた。心から対等に、私の"力"を、私の全てを望んだ」
だから、私は―――組の主たるリクオのために生きると決めたのだ。
晴明はリオウの迷いの無い瞳に、拗ねた子供のようにそっぽを向いた。孤独から救ったのがあのぬらりひょんの孫だと?だから、それのために生きると?
「まるで惚れているかのような口ぶりだな。面白くない」
「惚れている、か。色恋沙汰というものは私にはよくわからぬ。だが…あれの懐の深さを、私はいたく気に入っている」
他の者がリクオをどう見ているかは関係ない。私自身は、リクオを奴良組の三代目として認めたことにかわり無いのだから。
「其方は死するものの魂すら召喚する術を持っている。――それでもまだ、失うことを恐れるのか」
「天狐のこの力も、魂が朽ちているものは呼び出して留め置くことができぬ。それに、幾度経験しても身内の"死"というものは慣れぬものよ」
「私は、死なぬ」
リオウは怪訝そうに片眉を上げた。晴明はムッとした表情のまま、尚も言葉を続ける。
「私は其方の隣から離れることはない。其方以外の者など要らぬ。それに、其方が我が妻であることは誰にも譲れぬ」
「――だが、貴様は私の大切なものを大切には出来ぬだろう」
人を愛し、妖を愛し、神を愛している。無論人の子の愚かしさも、営みも。だが、それは晴明の理想とするものには不要なものであり、壊さずにはいられぬもので。
「貴様と私では理想とするものが対極だ。それはどうしようもない事実。というかそもそも、これまでの接触と貴様がしてきたことに殺意こそわくものの、恋情など塵のひとつほども生まれぬ。いっそ"晴明として"などと言わずに、まっさらで真っ当な奴に生まれ直せ」
「―――この私が惚れ、其方を妻にと決めた。それは変わらぬ。私は必ず其方を私のものにする」
「諄い。少しはめげろ戯け」
ちら、と視線を下げれば、黒く揺蕩う水のような"鵺の殻"の向こうが透けて見える。羽衣狐に果敢に立ち向かうは、花開院の竜二か。
「さて、お喋りは終いだ。――愛しい者たちが待っているんだ。貴様ごときにこれ以上構っていられなくなった」
「…行かせぬ。私と共に来い」
妖気がうねった。触手を象ったそれは、しゅる、とリオウの肢体を拘束した。かと思えば、リオウの姿はふわりと桜の花びらとなって消えてしまう。
(一太刀浴びせるだけでも、回復と復活までの時間が稼げる。この現世に体が馴染むまでには相当の時間を要するはず。後は…)
瞬時に思案を巡らせ、リオウは妖艶に笑って刀を構える。さて、さっさと終わらせてここから出ていかなくては。