天狐の桜14
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
辺りを包み込む漆黒の闇。静まり返ったそこは、足下に闇色の水が浅く溜まっており、ぱしゃぱしゃと歩く度にしとどに下駄を濡らす。
「―――嗚呼…気に入らぬ」
リオウは徐に刀を抜くと、一閃のもとに凪払った。闇の一部が、まるで帳のように切り捨てられ、ひらりと舞って消えていく。そしてそこには、金糸の髪に狩衣を纏った男――鵺の姿があった。
「着物を着ることを覚えたか。ふん、学習能力はあるらしいな」
「あぁ。恥じらい深い其方のために。それにこの着物ならば、其方と揃いに見えるだろう」
不毛な会話だ、とリオウは一瞥のもとに切り捨てた。早く術を解き、リクオたちのもとへ戻らなくては。
鵺は無言でそっぽを向く最愛の天狐に、愛しくて堪らないとばかりに口の端を持ち上げた。照れているのか、つれないところも可愛らしい。
リオウは印を結ぶと、神気を操って水鏡を造り出す。音もなく水が持ち上がり、リクオたちの様子を映し出した。
《六人…これで全部かい。ごちゃごちゃやってんなよ》
土蜘蛛の拳が襲いかかる。雨造の技が拳を受け止めようと奮闘するも呆気なく破られ、殴り飛ばされる。
一人一人がバラバラに戦った所で、土蜘蛛に勝てぬことは自明の理。リクオの傍には遠野がいる。鬼纏さえ出来れば、あるいは―――
「何故外を気にする必要がある。其方の前にいるのはこの私だ」
「それがどうした。私の愛しき者は貴様ではない」
鵺はリオウの言葉に片眉をあげた。何故此方を見ない。愛しき者だと?その清んだ瞳にうつるのは、私一人で良い。甘い声が紡ぐ名は、白魚のような指が触れるその手は、私だけで良いのだ。
鵺は徐に刀を一閃させた。水鏡はただの水と化し、ばしゃりと派手な水音をたてて崩れ落ちる。リオウは小さく息をつくと、左腕で刀を肩に担いだ。
「私は天狐として、奴良リオウとして、人と妖を愛する事をきめた。私は私の愛するものたちの為に道を切り開く。邪魔をすることは許さぬ」
「光と闇の共生など無意味。人は傲り、神さえ喰らう。下手に出ていればどこまでも付け上がる人間に、見切りをつけた神々もまた多いと聞く。神にも見放された愚かな種の何を愛するというのだ」
「無論、その愚かさを」
鵺はリオウの言葉に訝しげに眉根を寄せた。リオウは変わらず真剣な表情のまま、とんとんと担いだ刀で肩を打った。
「人の子は確かに愚かしいだろう。だが、思い上がるな。私も、貴様も、その憎い人間の血をひいている。そうだろう?半妖の子―――安倍晴明」
「………」
鋭い視線が"鵺"を射貫く。自分が愛しているものを、相手にも愛せと強要することはしない。そんなものは無意味であり、そこに生まれた抑圧された愛情など何の価値もない。
だが、その存在を否定することだけは許さない。
「…愚かな。斯くも下等な種族に何故そこまでの慈悲をかける」
この話京都に来てから何度目だろうか、とリオウは内心息をついた。全く、神といい妖怪といい…私が人間を愛することがそんなにも不満か。何故何故何故何故とどいつもこいつも鬱陶しい。
「愛しいと思うことに、何の理由が必要だというのだ」
おのれ人間、と怨むこともあるだろう。怒りと憎しみに苛まれることもあるだろう。だが、それは全て此方が愛情を持って接しているからで。それさえ自覚していれば、赦すことができる。
心の底から見限っていれば、自身に何をされても興味などわかず、怒りすら感じなくなるのだから。
リオウはついと辺りを見渡した。漆黒の闇のなか、リオウと晴明の姿だけがぼんやりと浮かび上がっている。
「漆黒の闇こそが至上…か。ふん。貴様らの理想とやらには、私はちと明るすぎるのではないか?」
「光があることで、また影は濃くなる。光を否定しようと、それはこの世の道理。なればこそ、光たる愛しき其方を傍に置くことで世の闇は完全となる。それと…此処は"紛い物"だ」
闇が光の上に立ち、すべてを支配する秩序ある世界。それこそが理想。ここはそれに限りなく"寄せて"いるだけの空間。
「何よりも美しく、気高く、強く…慈愛に満ちた其方こそ光。私とひとつに――」
「…戯れ言を」
リオウは刀を手に晴明の懐へ飛び込んだ。早く術を解かせなければ。大抵の呪いは解けても、"傀儡の術"は覚えがない。ならばこいつを殴り飛ばしてでも、術を解かせるしか方法はない。
「ほう?じゃれついてくるとは愛らしい。慣れぬ左腕一本で私に勝てると思うのか?」
その右腕、もう動いてはおらぬのだろう?
リオウの右腕には、傀儡の術の呪紋が指先にまで表れている。だらりと下がる腕は指一本動かすこともできず、袖から覗くその紋様に、晴明はニィと口許を歪めた。
「その雪のような肌に、己の印を刻み込めるのは存外心地がよいものだな」
「世迷言を。貴様を殴り飛ばしてここから出る位、左一本で十分だ」
晴明は心底愛おしくて堪らぬとばかりに熱のこもった視線を投げ、障壁を張ってリオウの刀を軽々と受け止める。
打ち合っては離れ、身を翻しては切りつける。速さでは此方が上…だが、障壁が思ったよりも厄介だ。なにより、この空間に満ちる妖気が晴明を取り巻き、障壁となっているのが面倒。
さて、どうしてくれようかと思案を巡らせたとき、リオウは慣れた妖気に目を瞠った。見えないほど遠く、しかし近いところから、確かに気配を感じる。
(この妖気…お祖父様も来ていらっしゃるのか?)
「この私を前に考え事とは…随分と余裕があるらしい」
「っ…!!」
眼前に迫る刃をかわし、素早く跳躍して距離をとる。着物が破け、白い肌が覗く。思わず舌打ちするリオウに、晴明はふっと微笑んだ。
「戦い辛そうだな。それもそうか。ここは先程の…"其方"の記憶の世界でもなければ、私の精神世界でもない」
「っ、まさか…!?」
そう、ここは羽衣狐(母上)の胎内だ
「肉体は移せずとも、精神は術によって引きずり込むことが容易…」
「…今ここで貴様ごと羽衣狐を消し去るのも手と言うわけか」
「それができればの話だがな」
しゅる、と闇がリオウの肢体に絡み付いた。しまった、と思う間もなく、伸びてきたそれは四肢を拘束し、縛り上げる。
「っ、う、あ…っ」
ひんやりとしたそれが、ずるずると肌を這う。穢らわしい。気持ち悪い。リオウは狐火を飛ばして焼き払おうとするが、濃すぎる妖気に飲まれてうまく力が使えない。
「苦痛にあえぐ姿も扇情的だな」
「悪、趣味…だ、っぐ、」
ズズ、と闇が体内に入り込もうとするのを感じる。それと同時に呪紋がじわじわと侵食し、右肩を、首筋を、胸元までもに伸びていく。
このまま倒れるわけにはいかない。なんとか、意識だけでも保たなくては。浅い息をつきながら、リオウはぎっと晴明を睨み付けた。
「額に巨大な、っ、目のある老人がいたな…っ奴は、貴様の手先か」
「―――奴の名は…山ン本五郎左衛門」
リオウの紅水晶の瞳が大きく瞠られた。ひゅっと緊張に喉がなる。瞳孔が開き、息をつくのも容易でない程の殺気が華奢な肢体から溢れだす。
山ン本五郎左衛門…創作した怪談を広め、人々の畏を「百鬼の茶釜」に集め、それを国の要人に飲ませて虜にする事で世界を牛耳り、 果てには畏を自らに集めて生きながら神仏になろうとしていた愚かな男。
その後、自らも妖怪となり、鯉伴によって打ち倒された筈だが…地獄で生きていたのか。だが、何故奴が晴明と手を組むことになったのか。―――まさか
「反魂の、術…」
「ほう…?流石は察しがいいな」
「母をして…仇敵を誅せんがために、あの方を"使っていた"というのか…安倍晴明!!貴様…っ!!」
「良い目だ。聡明なる我が愛しき妻よ」
桜色が絶望に染まる。怒り、悲しみ、憎しみ…その全てが混ざり合う絶望の色に、晴明は思わず生唾をのみこんだ。嗚呼なんと可憐な。これ程までに美しい瞳があっただろうか。
神気が殺気と混じりあい、鋭い刃のように晴明へ向かって飛んでいく。体に入り込んだ妖気が神気と反発して暴れまわる。
此奴だけは、赦してはおけぬ
「抑えろ。今ここで戦った所で、お前の勝ち目はない」
耳元で、懐かしい声がした。晴明の能面のように表情を無くし、絶対零度の冷たい視線がリオウの背後の闇へ向けられる。
「何のつもりだ」
――吉平
何者かが、闇のなかから手を伸ばす。後ろから抱き寄せられるように、リオウは闇に沈んでいった。