天狐の桜14
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リクオたちと別れてから早三日。相剋寺では、土蜘蛛が巨大な煙管を手に不満げに息をついていた。
「おっせぇなぁ…あのガキ」
「ふふっ堪え性のない男め。相手をしてくれる者の前で、他の男の名前を出すものではないぞ」
リオウのついと伸ばした繊手が一振りされ、巨大な瓢箪がふわりと浮く。そのまま盃に酒が注がれるのを、ぼんやりと見つめながら、土蜘蛛は紫煙を吐き出した。
「仕方ねぇだろ。面白れェ奴と殺り合うのが好きなんだからよ」
「とっかえひっかえか。全く…鵺(本命)が現れるまではどいつもこいつも遊んでは捨てるわけだ。ふん、下衆男め」
「そー言うな。お前ェとは長続きしてる方だぜ?何せ俺が本気で殺り合っても死なねぇんだからな」
つまり、弱かったりしたら三日ももたずして喧嘩を売りに向かったのかもしれないのか。危ない男だ。
リオウは呆れたように嘆息した。因みに、今リオウは鬼童丸から贈られた着物を身に纏っている。
裾に白い桜の花弁があしらわれた青藍の袴に、狩衣のような白藍色の上衣。生地もなかなか上物で、上品なデザインのそれに鬼童丸のセンスの良さがうかがえる。
(リクオ…牛鬼が鞍馬山の天狗と共に鍛えているとのことだったが、大丈夫だろうか)
様子を見に行った黒羽丸の報告を待って、身の振り方を考えなくてはならないなとリオウは思案を巡らせる。
酷く気だるい。京妖怪たちの妖気が消えるものがある半面、重苦しくおぞましい気配が近づくのを感じる。恐らく、鵺の誕生が近いのだろう。
(生まれ落ちずして、この瘴気…暴れるにはちと辛いか)
まだ、守らなくてはならないものがある。倒れるわけにはいかない。…だが、もしも。もしも足手まといになるようなことがあれば、その時は。
(命を賭して護りたいもの…か)
思えば、幼い頃よりあれは守られるよりも、此方を守ることを意識していたようだった。
『兄さん!今日鴆君が遊んでくれたよ!』
『おや…そうかそうか。それは良かったな』
膝を折り、視線を合わせて頭を撫でる。嬉しそうに飛び付くリクオは、愛おしそうに目を細める最愛の兄に、にこにこと出来事を報告する。
『鴆君が総大将になるの応援してくれたよ!』
『ふふっ私も、お前が総大将となるのが楽しみだ。では、そうさな…立派な総大将になるまで、私はお前を守ることにしよう』
その言葉に、リクオはぷくっと不満そうに膨れる。おや、と目を丸くするリオウに、その繊手をぎゅっと掴まえたリクオは、ひどく真剣な眼差しで口を開いた。
『違うよ!僕が守るんだい!兄さんを!!』
『!―――……ふふっでは、大切な者たちを守れるように、立派な総大将にならねばな』
(俺も大概だが、兄貴もなんでもかんでも自分でやりすぎだな)
リクオは日溜まりの中の記憶を想いながら、ついと目を細めた。兄は此方を守ってばかりで、素直に守られようとはしなかった。
体が弱いのを押して、それでもなお気丈に笑って此方を受け止めてくれる。恐らく、あれは根本でわかっていないのだ。"護られる"ということを。―――此方が、もう既に"護る側"であるということを。
さて、さっさと迎えにいってやらなくては。
「土蜘蛛は相剋寺にいる!」
ばさりと代紋の入った羽織を羽織り、祢々切丸を口許に寄せる。随分時間かかっちまった…待ってろ兄貴。
「行くぜ!!!土蜘蛛退治だ」
オレの後ろについてこい!!!!
鞍馬山の天狗らを従え、祢々切丸を肩に担ぐリクオは、高らかに宣言してニヒルに笑った。
濃い妖気に意識が掠れるのを感じる。眠気にも近いその感覚に、リオウは柱に背を預けてずるずると座り込んだ。
「なんだァ?おいおい…勝手に死んでもらっちゃ困るぜ?まだ鵺が生まれるまでにゃあ時間がある。それまで遊んでもらわなきゃな」
「誰が死ぬか…戯者。少し…眠い、だけだ」
何かの術か。意識外からこのようなことを仕掛けることができるのは相当高位の術士…となると、一人しかいない。
(まだ生まれ落ちてすらいないうちから、面倒なことをしてくれる。…あぁ、またひとつ、妖気と霊気の波動が消えたか)
陰陽師と京妖怪が死んだか。うちの組の妖怪達はまだ誰も妖気が消えていないが、いつ命を落としても不思議はない。
闇に引き込まれるような感覚。遠くに鈴の音が聞こえる。ずるずると泥のなかに沈みこむように、リオウの意識は闇に飲まれた。
色褪せた写真のような、セピア色の記憶。卒業証書を手に、にこにこ笑う氷麗と青田坊。そして、その頭を撫でて優しく笑うのはかつての自分。
『リクオ様、全然気づかず小学校を卒業しちゃいましたね』
『側近として一段落ですよ』
『ふふっお前達には苦労をかけているな。いつもいつもありがとう』
えへへと嬉しそうに笑った氷麗は、いいえと誇らしげに胸を張った。心優しく聡明な主人に、将来が楽しみな若君。あぁ、この方々にお側に置いてもらえるなんて、なんて幸せなことだろう。
『一生お守りするんですから!リクオ様も、勿論リオウ様も!』
『ふふっあぁ、ありがとう。頼りにしているぞ。二人とも』
「大人しく守られることを知らぬというのに、よくもまぁあのような非の打ち所のない笑みを浮かべられるものだ。流石は狐と言ったところか」
不意に響いた声に、リオウは無言を返した。声の主は、くつくつと低く笑いながらリオウの肩を抱く。
護るためには、庇護する者より力がなくてはならない。無能がいくら吠えたところで、力がなくては守れない。
「あの者達では力不足。…いや、其方の力の前では、真に其方を護れる者などそうはいまい」
「気安く触るな」
狐火が謎の男に襲いかかった。男は驚いた様子もなく、またくつくつと笑うとリオウの前へ姿を現した。
緩く癖のある長い髪。均整のとれた逞しい体躯。白目と黒目の光彩が真逆になっており、漆黒の闇を思わせる瞳が酷く不気味な雰囲気を漂わせる。
「貴様が"鵺"か」
リオウは深く息をついた。拒絶を表すように腕を組み、恐ろしく冷たい目で"鵺"を一瞥する。もうこの忙しいときにとか何とか、言いたいことは吹っ飛んだ。それよりもだ。
なんでこの男は着物を着ていないのだろう。
「此処が精神世界か時空の狭間かは知らぬが、着物の一枚くらい羽織ったらどうだ」
「恥じらいに憂うか。そんなところも愛らしいな」
「いや…恥じらう以前の話なんだが。むしろ恥じらうべきは貴様だろう。穢らわしいものを見せるな目が腐るとでも言ってほしいのか?」
なんで素っ裸なんだこいつ、とこれにはリオウでなくとも思ったことだろう。辺りは漆黒の世界。上も下もない無の空間。そこにリオウと鵺の二人はぼうっとした光に包まれて立っている。
何故素っ裸で輝いている男を目にしなくちゃいけないんだとか、リクオが来るからさっさと帰りたいなんて明後日の方向に思考を飛ばす。先程までの真剣な空気を返してほしい。
「照れているのか。強気なところも愛らしい。…其方のことはずっと見ていた。地獄の底からな」
(このまま話を進めるのか…)
リオウはぱらりと開いた扇で口許を隠した。鵺はまた無言を返すリオウに、口許を緩める。
「天地魔三界一の美貌に、博識多才かつ八面玲瓏、情緒纏綿な心根。流石は我が妻」
「勝手に決めるな。死人(しびと)の嫁なぞ願い下げだ」
「死人などと可愛らしい憎まれ口を。ふっ私は今こうして生きている。いや、未だ母上の腹の中か」
「生まれたばかりのややの嫁なぞ尚更御免だ。私にそんな趣味はない」
そもそもずっと見ていた、という性根の悪さが気に入らない。監視していた理由は、大方目的を果たすのに邪魔になるからだろうが。
「其方に相応しいのは人の世ではない。人は驕り高ぶり、挙げ句身の程知らずにも神の領域にすら手を伸ばして穢していく。その浅ましく悍ましい妄執の恐ろしさは、其方が一番よく知っているはずだ」
「私は人を"赦す"と言った。神たる天狐に二言はない。…人の子は刹那の時を生きる。あれの一生など、私達(神々)にとってみれば瞬きのようなもの。だが、その刹那の時を生きようと、必死にもがく姿のなんと愛おしいことか」
「愚かしいの間違いだろう。…あれは嘗て母を殺した。私利私欲のために戦えぬ母を討ったのだ。天狐にしても同じこと。何故それで赦すと言えよう」
あぁ、あれはかつての私と同じだ。憎しみを抱え、怒りを内に秘めて、どうしようもないほどの悲しみに突き動かされている。リオウは内心独りごちると、ふっと淡く微笑んだ。
「踏み躙るのは簡単なこと。だが、その後に何が残る?絶望は憎悪を呼び、膨れ上がった負の感情は次の世代へと受け継がれる。形あるものなどなにも残らぬ。そこにあるのはどうしようもなくつまらぬまのばかり」
私はそんな世界は好かぬ
リオウはスパッと言い切ると、ついと鵺に向かって扇を向けた。
「私を慈愛だなんだと言ってくれるが、人を憎む貴様がなぜ、人を愛する私を妻にと望むのか」
目的が違う上、完全に対立しているのだから、嫁だなんだと騒ぐ前に殺してしまえば良いものを。少なくとも、自分がこれの立場なら嫁にとるなんて発想は一寸たりとも出てきはしない。
鵺は相も変わらず、不敵な笑みを浮かべてこちらを見つめる。天狐を殺せば神々からの報復もあるだろう。神は簡単には殺せぬ故に、常に側に置いて監視するということか。それだけの力があると誇示する目的もあるのかもしれない。
ぐるぐる可能性を模索するリオウに、一層笑みを濃くした鵺は、心なしか誇らしげに胸を張った。
「其方に惚れた」
「論外だ」
一昨日来やがれと扇が掌を打つ。まさに即答。瞬殺も良いところ。今までこれほどまでにすげなく求婚を断ったことがあるだろうか。いや、ない。
大体なんだ?惚れた?それだけ?馬鹿馬鹿しい。そもそもこいつとは何ら接点が無い筈だ。母と交流があり、執着していた羽衣狐は兎も角として、なんなんだこいつ。
「言っただろう。地獄からずっと見ていたと。幼い可憐な姿も良いが、その大人びた姿も麗しい」
「………………つまり、幼少の私を見初めて、それから約400年に渡ってずっと監視していたと。その姿からもわかりきったことだが、筋金入りの変態だな貴様」
「一途と言ってくれ」
「この状況をそう前向きにとらえられるほど、私は楽観的にはなれぬ」
こういう、相手に対して一方的な恋愛感情や関心を抱き、相手を執拗につけ回して迷惑や被害を与える人物を現代の言葉でなんといったか…あぁ、"すとーかー"だ。
(『兄さんは狙われやすいんだから気を付けるんだよ』なんてリクオに釘を刺されていたが、まさかこうして相対するとは思わなんだ)
ついでに言うと、いつまでも誇らしげに素っ裸で煌めいているこの男は"露出狂"というやつではないのか。昔父や祖父をはじめとする組の者達から、『全力で逃げろ。切り殺してでも逃げてこい』と言われたのを思い出す。
(…………もう帰ってもいいだろうか)
何のために呼ばれたのだろう。わざわざこうして胎内から術をかけて、此方と接触をはかる必要はあったのか。
今のところ素っ裸で煌めいている男に求婚されただけなのだが。どうせなら有効な情報を抜いておきたかったが、どうにもこれ以上は望み薄だ。
というか早く帰りたい。
「…悪いが帰らせてもらうぞ。これ以上貴様といても時間の無駄だ」
「イヤよイヤよも好きのうちというやつか。ふん、わかっている。素直でないところもまた愛らしいな」
心配せずとも、きちんと相見えるその時まで、あまり時間はかかるまい。
「……………」
誰か地獄で、こいつに常識と現実を教えてくれる者は無かったのだろうか。いや、地獄にいる位だから、ろくでもない奴が多いのだろうが、もうそんなことはおいておいて。
(いい加減にしろ!!!!)
渾身の怒りを込めて、リオウは闇を叩き斬った。