天狐の桜14
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「大事ないか?」
鳥居をくぐった先では、リオウが心配そうに柳眉を下げていた。黙って首肯く竜二に、ふっと頬を緩める。
「もう声を出しても良い。…あれらに認めさせるためとはいえ、悪いことをしたな。もう体は平気か?」
「問題ない。…それよりも、いいのか?あんな啖呵きって」
「うん?ふふっ心配せずとも、あれは私に甘い。あれぐらいでちょうど良いくらいだ」
そうではなくて、と言いかけて、竜二は口をつぐんだ。"無知こそ罪""知る努力を怠ったことこそ大罪"という朱雀の言葉が脳に焼き付いている。
神は人間の味方で、妖はその敵だと思っていた。…が、あのぬらりひょんの孫は此方を助け、現に今自分は神に殺されかけた。あれほどまでに敵意を向けられることを、先祖の咎を背負っているのか。
(白黒両極でははかれぬ者、か)
灰色の存在を許せぬ自分の内心を知っていて、ここに連れてきたのか。
リオウはぱたりとひとつ瞬くと、ふわりと微笑みを浮かべた。諭すような、聖母のごとき優しい笑み。
「この世にな、生きとし生けるものに絶対などないのだ。絶対的な悪など無ければ、まして絶対的な正義など存在しない」
それらは全てその者の主観でしか存在し得ない。それこそ、正義を語り始めたらきりがない。勝者こそ正義とはよく言ったものだ。
「互いに己が正しいと思っているから争いが起こる。互いの信念を受け入れられず、力を振りかざすから戦が起きる。―――私には、必ずしもお前の考え方が間違っているとは言えぬ。だが、白黒両極でしか相手をはかれぬ生き方は、見ている世界が狭くつまらぬものよ」
幸いにして、お前は強い。賢く、精神力もあり、策略に通じ、能力も高い。あの花開院の中ではもっとも信頼にたる。だからここに連れてきた。
「虚言の。天狐の因縁はさておき、奴良組副総大将として頼みたい。…どうか、私たちに力を貸しておくれ」
「…竜二だ」
「!」
勘違いするな、と竜二はぶっきらぼうに続けた。きょとんとするリオウを一瞥し、ふいとそっぽを向く。
「これは今回の勉強料だ。妖怪を認めた訳じゃない」
「ふふっそれで良い。頼もしい限りよ」
たとえ妖怪を認めてくれていなくても。リオウ個人への協力であったとしても、今回花開院と協力できるのは大きい。
「お前がいてくれて良かった」
「…………行くぞ。もうここに用はないんだろう」
「ふふっはいはい」
素っ気ない返事と共にヒラヒラと手を振る竜二を、実に微笑ましげに見つめながら、リオウはこの上なく嬉しそうに微笑んだ。
暗雲が立ち込め、妖気が渦を巻いて天高く上っていく。京都のとある洋館、そのバルコニーで、羽衣狐と狂骨は茶を楽しんでいた。
「狂骨よ」
「はい、羽衣狐様」
羽衣狐はついとカップの湯気越しに狂骨を見つめた。まだ幼いが、かつて羽衣狐に仕えた父 狂骨よりも賢く立ち回れ、その力は目を見張るものがある。
「お主なら京を支配した暁には、どういう妖の世を作る?」
狂骨は、突然の問いに逡巡した様子でひとつ瞬いたが、すぐににこっと可愛らしい無邪気な笑みを浮かべる。
「それは…勿論、京は美しい街にございますから、今の建造物を壊し、趣あるものだけを残します。人間も多すぎますね。下らぬ人間どもは極力減らし、妖怪の棲みよい街にかえます。きっと楽しい世界になりますよ!」
「ふふっ楽しそうじゃのう。子供は素直じゃ」
「いえ、今のは羽衣狐様の受け売りです」
「そうじゃったかのう…」
満足げに笑ってカップを傾ける。狂骨は暫し楽しそうに笑っていたが、ふと心配そうに眉尻を下げた。
「天狐様は、気に入ってくださるでしょうか…?」
「さてのぅ。あれは少々優しすぎる嫌いがあるからな。」
『貴様だけは…貴様だけは赦さぬ』
かつて相見えた時を思い、羽衣狐は蕩けるような表情を浮かべてカップを揺らした。
天狐は、京都の守護神であり、どの神々より慈悲深く、人間たちを護っていた。その一方、妖にも寛容で、中立を保つ役目を担っていたのだ。
それを、この都の人間は裏切った。
『妾はの、羽衣狐とやら。人の子が愛しい。他者を愛し、紡いでいく営みも、自然を捨て置き、おのが種族の為なら前しか見えぬ愚かしいところもな。可愛くて仕方がないのじゃ』
勿論、妖である其方らもな
若かりし頃、力あるものの生き肝を食らってやろうと天狐の神域に飛び込んだことがあった。…結果は惨敗。だが、その時天狐の姫は、己を殺そうとした此方の傷を癒しながらそう言って笑っていたのだ。
『妾たち天狐は神とはいえ、少し特殊な一族。妾もいずれやや子を産み、妾の力を継いだやや子が私に代わって、また人の子を護っていく。やや子を産めば、あとはこうして神域から人と妖の営みを見守るのみじゃが、妾にはそれが嬉しいのじゃ』
何せ、愛している人の子や妖怪たちのように営みを紡ぐことができる。お前たちと似通っている、ただそれだけが嬉しくてたまらない。
それからというもの、神でありながら妖を受け入れたその姫のもとに、羽衣狐は度々通っていた。単純な好奇心と興味であり、姉のように、母のように慈愛をくれるかの君を心から慕っていた。
姫は、妖怪を拒絶することはなかった。生き肝を食らう羽衣狐を悲しげに見つめ、仕方のないことだけれど、やはり人の子が死ぬのは悲しいことじゃと微笑むのみ。
羽衣狐が倒された折りには、そうかと呟いてはらはら涙を流していたと、姫に目通りした京妖怪たちに聞いた。
『神には神の領分があるように、人には人の、妖には妖の領分がある。それはわかっておるのじゃが、妾はいつか、其方らと寄り添って生きてはいけぬものかと考えてしまうのじゃ。ふふっ欲張りであろ?』
そう言って微笑んだ心優しく美しい姫は、一族郎党人間の手によって皆殺しにされ、深手を負って東へと落ちのびていった。
やはり人間などろくなものではない。恩を仇で返すだけの下劣な種族ではないか。生かしておいてもなんの利点もない。
転生を経て、あの姫の子に会った時。京妖怪との記憶は継承されてはいなかった。…だが、人に、妖怪に微笑みをたたえて接する姿に、確かにあの姫の面影を見たのだ。
『嗚呼、やっと会えた。やっと、やっと…!』
『な、にを…』
『覚えておらぬか。…それもそうか。あれはお主の母故な。ふふ、しかし許そう。愛しい愛しい妾の天狐』
自身にぶつけられたのは、憎悪と怒り。だが、それすら心地いいもので。慈愛でなくてもいい。悲しみでも怒りでも憎悪ですらも、自身に向けられるのがこの上なく嬉しく、愛しくてたまらない。
姫によく似た絶世の美貌。姫と同じ、慈愛の持ち主。かの姫の愛し子なれば、姫を慕った者として、守り慈しむ義理がある。
リオウを傍に置き、これから生むやや子と下僕と共に、妖の力によってこの世を統べる。全てはそのための布石。願わくば、やや子の嫁にリオウを据えられたら。
「いよいよこれが最後じゃ」
もうすぐ宿願が果たされる。わらわの理想の世界がやって来るのじゃ。
決して遠くはないその日を思い、羽衣狐はうっとりと微笑んだ。