天狐の桜14
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甲板は、もはや戦場であった。
首無の畏をまとった黒弦が、イタクの起こす斬撃が辺りをめちゃくちゃに破壊する。黒弦がイタクの首を絞めたかと思えば、鎌鼬の本性を現したイタクが黒弦を切り裂く。
「うひゃー船がぶっ壊れるぜー!!!!」
「ひぇぇぇえ!!!!」
慌てふためき逃げ惑う妖怪たちの間を、疾風が駆け抜けた。風は…否、リオウは一瞬にして間合いを詰めると、首無の腹に向かって鋭い一撃を食らわせる。
翻筋斗打って吹き飛ぶ首無に、イタクが何事かと目を見開いたのも束の間。横っ面にこれまた鋭い一撃をお見舞いされ、ものの見事に吹き飛んだ。
(膝蹴りと回し蹴りしかしていないんだが…これで沈んだら修行が足りんな)
流れるような美しい動きで殺人級の蹴りを放った奴の台詞ではない。舞でも舞っているかのような華麗な足さばきだが、そのしなやかな御足やら動きやらに見蕩れたら最後、文字どおりそれが最期の記憶となるかもしれない。
「な、なんだ!?」
「突然吹き飛んだぞ!?」
「あ、あれはリオウ様!?」
妖怪たちが何事かとわらわら集まってくる。立ち上がることも出来ずに悶絶する二人を冷たく見下ろし、リオウはひとつ息をついた。イタクは兎も角、首無が騒ぎを起こすとは。
(暫くこれを甘やかしてはいなかったからな。余裕がなくなってイタクの挑発に乗ったか)
もう少し我慢強いやつだと思っていたのだが、どうやらそうでもなかったらしい。まだ若く、甘えたい盛りの犬神や、完全甘え下手な黒羽丸とは違い、余裕な一面を見せ、上手に甘えてくるので平気だと思っていたのだが。
(…仕方のないやつめ)
京都のゴタゴタが多少落ち着いたら、たんと甘やかしてやろうと心に決める。まぁ、それはそれこれはこれ。今はきちんと叱らなくては。
「ガッ…ぁ、ぐ、」
「は、ぐ、リオウ、様…っ」
「まったく、お前たちは遊楽の旅の気分でいるのか?」
ちとはしゃぎすぎだ
重苦しく息をつくことさえ容易でないほどの怒気と殺気が甲板に転がる二人を包み込む。リオウはそれはそれは良い笑顔でぐい、と二人の胸ぐらを掴みあげた。
「船を壊すな喧嘩はするなと…私は言わなかったか?」
美人が怒ると怖いというが、成る程これは本当に怖い。美しい非の打ち所のない笑顔だが、目の奥が笑っていないのが更に恐怖を増大させる。
「リオウ様、いつも優美だから忘れちまうけどよ…ヤクザの副総大将なんだよな」
「ああしてみるとちゃんとヤクザだよな…」
奴良家の面々は代々足技に強いらしいが、リオウはその最たるものだろう。なんというか、こう…近接戦闘も強いと側近たちの護衛が必要あるか疑問に思えてくる。
リオウはついと船の屋根を仰ぎ見た。呆れたような顔をしている鴆に肩を竦める。ぽいっと二人から手を離し、ひらひらと手を振ってみせる。
「鴆。あとは任せた」
「チッやっぱこーなんのかよ!つーかもう少し加減しろ馬鹿!」
「お前がいるんだから良いだろう。―――ふふ、この状態で歩いて帰れと言わないことを感謝しろ」
可愛いお前達でなければ今頃この船から引きずり落としている、と言い切ったリオウは首無とイタクの頭を軽くなで、船に向かって腕を一振りする。
飛び散った木片がもとの場所に飛んでいき、修復されていく。ついでに首無とイタクには、軽く治癒の術をかけてやったので、鴆の薬さえあればすぐに起き上がることだろう。鴆がこれ以上味方同士の争いにつける薬なんざ持ってねーぞ!と吠えている声が遠くに聞こえる。
さて、さっさと身を隠してしまおうかとぼんやり考えていたとき、妖たちの間からゆらりと人影が現れた。リクオである。
「やっぱり来てやがったな」
「…………」
黒羽丸は足止めに失敗したか。まぁいい。これでももってくれた方だ。これも後でたんと誉めてやらなくては。
が、今の状況はあまり宜しくない。
リオウはついと腕を一振りすると、桜吹雪と共に姿を消した。また神気で瞬間移動したのか、ときょろきょろ姿を捜す妖怪たちを尻目に、リクオはつかつかと迷うこと無く歩みを進めていく。
姿を消したリオウは妖怪たちの間をひらりひらりとすり抜ける。だが、リクオもリオウの気配がわかるだけあって、その足取りには迷いがない。
(これは、ちと困ったな)
これから"やりたいこと"があるため、神気はあまり使いたくない。これしきのことで瞬間移動したりするのは勿体ない。
そもそも、完璧に姿も気配も消えているはずなのに、リオウの気配だけ鮮明にわかるというリクオがおかしいのだ。背中に手すりが当たる。退路を断たれたか。
「そこにいるのはわかってんだぜ?」
(…………)
さっさと飛び降りてしまおうか。どうせ別行動するつもりだったのだから。手すりに手をかけ、周囲の小判船をちらと横目で確認する。…多少遠いが、跳び移れる。
手すりに足をかけ、飛び出そうとしたそのとき、リクオの手がリオウの着流しの帯を引いた。
(なっ!?)
しゅるりと帯がほどけ、着物の前がはだけて中の長襦袢が露になる。慌てて着物の前をかきあわせるリオウをよそに、リクオは手の中の見えない帯を見つめ、これは帯か…と冷静に呟いた。
「なら、この辺りか…」
「ひ…!?っぅあ!?」
「ふっやっぱりな。―――捕まえたぞ、兄貴」
尻を撫でられたかと思えば、尻尾の付け根を強く掴まれて力が抜ける。思わず術が解けてしまうリオウに、その体を軽々と横抱きにしたリクオは獲物を捉えた獣のようにニヤリと笑った。
「この、獣め…ッ」
「獣で結構。嫁さん前にした男なんざ皆獣だ」
確信犯かこの色魔と柳眉をつり上げるリオウに、帯は偶然だと耳に唇を寄せる。そもそも逃げるからいけないのだ。おとなしく捕まっていれば、帯がほどけて着物がはだけるなんてことはなかったのに。
「大体何で来やがったんだ。待ってろって言ったろ」
「…………」
「むくれても可愛いだけだぜ?」
「………………………お前ほど物好きな輩もそうはいまいな」
「それが本当なら今頃敵もいなくて俺も楽だったんだがな」
あぁ言えばこう言う。受け答えも面倒になり、リオウはふいっとそっぽを向いて尻尾をゆらした。お前が天下をとる様をこの目で見たい、とぼそりと呟く様に口角が上がるのを感じる。
(つまり、俺の傍に居たくてわざわざ忍び込んだと)
これだから、この天狐は堪らない
「体が弱いんだから無理すんなって言ったろ?鴆まで連れて来やがって」
「あれも私も、明日明後日死ぬ命ではない。…それに、仮にそうだとしたのなら、なおのことお前について行く。お前の傍で死ねるのなら本望だろう」
自分がどれだけ熱烈なことを言っているのか自覚はないのか。まったく、無自覚とは怖いものである。
「下ろせ。私はそろそろこの船を降りる。気がかりなことがあるのでな」
「傍に居てーんじゃなかったのか?」
「後できちんと合流する。それまで暫し別行動するだけだ。―――なんだ?寂しいのか?」
慌てて飛んできた黒羽丸に引ったくるように抱き上げられ、犬神によって素早く着付けがなされる。大人しくされるがままになっていたリオウは、側付きたちになにやら指示を出すと、ふっと下をみる。…京妖怪たちの群れが見える。囲まれているのか。
「リオウ、様」
「首無」
ふらふらと近づく首無の傷はすっかり癒えていた。だが、酷く憔悴しきったような、しゅんとした様子に思わずふっと口許が緩む。あぁ、これで許してしまうのだから、私も大概これに甘いのかもしれない。
「先程は、大変申し訳ございません…」
「ふふっあぁ。そうだな。だが、私もお前は大人だろうとちと甘やかし足りなかったな。ほとぼりが冷めたら、お前の望みをなんでも叶えてやろう。な?」
「!」
よしよしと金糸の髪を撫でる。なんでも、ですか?とおずおずと尋ねる首無に、お前はそれだけ頑張っているからな、と甘く微笑む。リオウは、しっかりと首肯く首無に満足そうに目を細めると、リクオへ向き直った。
「では、私は行くぞ。武運を祈る。―――ッ!」
ぐい、と手を引かれ、リクオの胸に飛び込む。目を白黒させるリオウに、リクオは愛しくて堪らないとばかりに微笑みながら細い頤を持ち上げる。
「さっき寂しいかと言ってたな。そりゃ寂しいさ、折角会いに来たと思った嫁さんがすぐ他の奴ンとこ行っちまうんだからな」
「リク、…っん!?」
噛みつくように唇が重ねられる。見せつけるようなそれに、側付きたちからは勿論、遠野勢やらリオウを恋慕う妖怪たちから殺気が膨れ上がる。
「リクオ!!!!テメー!!!!」
「抜け駆けはズリーぞ!!!!」
「嫁さんから英気と御利益もらって何が悪い」
「ゆ、油断の隙もないなこの色魔…ッ」
「男の前で油断する方が悪い。おっと、平手は次にあったときにとっておくぜ」
リオウはどこか悔しげに舌打ちをひとつすると、ひらりと船を飛び降りた。その背を黒羽丸が追いかける。闇の中へと消えていく背中を見つめながら、リクオはふっと口角が上がるのを感じていた。