天狐の桜14
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リオウはついと繊手を持ち上げると、リクオの袖を小さく引いた。なんだと身を屈めるリクオの首にたおやかな腕を回し、甘えるように目を細める。
「私も京都へ行くぞ」
「兄貴は待ってろって」
「む…お前もお祖父様の味方か」
実に不満そうに柳眉を寄せ、白魚のような指がリクオの頬を戯れに摘む。
大抵の者なら、妖怪も人間も神も関係なく、呆けた顔で赤面して首を縦に振るのだが、どうにもこの奴良家三代の男たちには色気で懐柔は難しいらしい。無論、リオウ本人は色気を振り撒いているつもりは毛頭無いのだが。
ちなみに、とことんまで惚れぬいているから今更リオウの色気にたじろぐ事もない、とは奴良家の男たちの談である。
「三代目を継いだら祝言を挙げる。…だから大人しく俺の帰りを待ってろ」
「生憎と私は嫁をほっぽり出して放浪する旦那の姿にはいい加減飽き飽きしている。そんな男此方から願い下げだ」
リオウは興ざめだと言わんばかりにパッと手を離した。さっさと離れると、とっとと行ってしまえと尻尾を揺らす。
「リオウ。聞き分けろ。これはお前のためなんじゃ」
「私はもう十分に軟禁されてきた」
リオウは真っ直ぐにぬらりひょんを見据えた。この世に生まれ落ちて実に382年の時が流れた。体が弱く病気がちで、尚且つ類いまれなる美貌と神力の強さに組の内外からも狙われているリオウは、生まれてこの方外を自由に出歩くことなど許されなかった。
「お祖父様の言いつけを守り、屋敷から出ず、外に出るにも父上やお祖父様の供がなければまともに出歩くことも出来なかった。外のことは書物で知り、四国と遠野以外の地はこの足で降り立ったことすら無かった」
もう十分だ、とリオウはどこかうんざりしたように首を振った。リオウが度々言いつけを破り、外に出たいと訴えるようになったのは、リクオが生まれてからである。
「これは、この組の大切な跡取りだ。私の待ち望んでいた、妖怪たちを率いるに足る三代目…私が守らねばならぬものは私自身ではない。この組だ」
そのために、リクオに死なれるわけにはいかない。
「私は、守りきれなかった歯痒さと怒りを味わうのはもうたくさんだ」
思い出すのは、倒れ伏す父の姿とその身を汚す鮮血のアカ。
『――――…私は大丈夫よ。リオウ君』
『私だって極道の女ですもの。覚悟はできてたわ』
涙をこらえるような、しかしこちらを心配させまいと気丈に笑う若き母。泣くことすら出来なかった弟。震える手でリクオを抱きながら、お前たちだけは失うわけにはいかないと呟いていた祖父。咽び泣く妖怪たち。
あんな顔はもう二度とさせたくない。
「私は私の守るものの為に動く。…お祖父様。貴方には、勿論感謝している」
外界から隔離して護られてきたからこそ、今この自分がある。師や書物で学び、限りある情報を広い集め、教養をつけ生きてきた。千里眼や天狐の耳は外界の情報を得るのに事欠かない。祖父は自分を守ろうとしているだけなのだと、それは重々承知しているのだ。
「貴方を愛している。…だが、此度は私の生きる意味のため、ご理解願いたい」
「ワシが愛しているのはテメェで、テメェがリクオを守ることを理由とするように、ワシの生きる意味もテメェだ」
「………」
リオウは静かに祖父を見つめた。ついで流れるように立ちあがり、深々と頭を垂れるとポカンとしているリクオと重く口を閉ざす祖父を残して部屋を後にする。
<ったく…無茶しやがる>
苦笑を滲ませながら、鯉伴はゆらりと姿を現した。暗く長い廊下には、妖怪たちの気配はない。皆京都へ行く用意に追われているのか。宝船まで呼ばれてきたのか、庭ではやんややんやとどこか懐かしい声がする。
リオウはふいっと視線をそらした。これがなんと言うべきか思い悩んでいる時の癖であると知る鯉伴は、黙って微笑みながら最愛の息子の言葉を待つ。
「…私は、貴方の背中ばかり見てきた」
思い出すのは、ふらりとどこかへ行ってしまう父の姿。屋敷から出て追いかけることのできない自分には、その大きな背中はいつもとても遠くて。
「誰かの背を追うのは好かぬ」
「なら俺がお前の"唯一"だな」
唯一、リオウがその背を追いかけた者
「…馬鹿を言っている暇があるなら顕現するのをやめていただきたい。お陰で妖気がなかなか溜まらぬ」
「俺お前を慰めに来たんだけど?」
「余計なお世話だ」
そうやって可愛くねぇことを言うところも可愛いな、と宣う鯉伴を、意味がわからぬとリオウは一蹴した。つれない態度に鯉伴の笑みが深くなる。
組の妖怪たちにも、遠野の面々にも、ぬらりひょんにもリクオにも見せないこの態度。少しも気を使わない父にしか見せない甘えた顔。あぁ、本当に可愛くてしかたがない。
鯉伴はリオウの手を引いて空き部屋に引きずり込んだ。呆然とするリオウを正面からきつく抱き締める。
「なっ…!?」
「背を向けられるのが嫌なんだろ?」
「だからと言って抱擁する奴があるか…!」
尻尾が抗議するように鯉伴の体をベシベシ叩く。鯉伴はケラケラ笑いながら、そっとリオウの耳へ唇を寄せた。
「京都には花開院がいる」
「っ…」
「お前の狙いはそっちじゃないのか?リオウ」
リオウは面白く無さそうに鼻を鳴らした。食えない人だ。だからいつも振り回される。…この方にかけられた迷惑の数々を思い出したら、段々腹が立ってきた。
「この私がわざわざ一族の恨み言を言いに行くとでも?」
「いや、逆だ。いかに血が憎いと騒いだところで、お前個人は気になって仕方がないんだろ?あの黒髪の陰陽兄妹」
「……………………」
リクオの安否が心配で側にいたいというのは本心だろう。だが、恐らくこいつは京都(向こう)についたら花開院の例の二人を守るために動くことだろう。もし逃げ遅れた人間がいれば、そちらを守りに奔走するかもしれない。
「優しすぎる、流石神様とでも言いたくなるよーなお前らしい考え方だな」
「…本心は」
「今すぐ布団に押し倒して無茶が出来ねぇように添い寝してやろうか。…げっ」
リオウはそれはそれは麗しい笑みを浮かべた。心なしか米神に青筋がたっている気がする。言霊によってべらっと本心を話してしまった鯉伴は、思わず頬をひきつらせた。どう考えても余計なことまで言ってしまった。
「ふふ、まったく面白いことを仰有る」
「いやあのな、リオウ」
「問答無用だ。この色魔」
「誤解だって」
本心を語らせたのに誤解な訳あるか、とリオウはすげなく返した。するりと腕を抜け出して思案を巡らせる。だが、この阿呆な父の言葉で腹は決まった。いや、最初からそのつもりではいたんだが。
「忍び込んで暫くやり過ごすなら納戸か…いや、いっそ…」
「リオウ。俺が悪かったから考え直してくれ…」
「おや、何を仰有る。あれは"誤解"で父上には何の落ち度も無いはずであろう」
鯉伴はぐっと言葉につまった。この静かに着々と相手の弱いところを突いていく攻撃。まさしく鯉伴のかわりにリオウの面倒を見ていた雪麗の教育の賜物だ。余計なことまで仕込みやがって、と文句のひとつも言いたくなる。
「―――私は私のやりたいように生きると決めた」
周りの奴等がなんと言おうと知ったことか。
そう言ってふわりと微笑むリオウの顔はとても晴れやかで、憎らしいほど何よりも美しかったと後に鯉伴は語った。