天狐の桜13
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一面に広がる深い森。シャワシャワと蝉の声がし、清流がコポコポと湧き出している。広い屋敷の奥で、赤河童は朔を呼びつけていた。
「大旦那様、お呼びでしょうか」
「朔や。今日はもう下がってよい。イタクの手伝いをしてやれ」
「承知しました」
朔は金色の翼を広げて青空へ飛び立った。上空から洗濯物をしているリクオを見つけて近くの枝へと降り立つ。
「…朔。何の用だ」
「お前の手助けをしろと、大旦那様からのお達しだ」
「ふっなるほど、"休暇"か」
勤勉なこの青年のことだ。休めと言ったところで休むことはしないんだろう。その点、イタクの補佐でリクオの見張りとなれば殆ど休暇と変わらない。
二人の視線の先では、洗い終えた洗濯物を物干し場まで運ぶ最中に足を滑らせたリクオが、小さく悪態をついていた。
「おい新米。ここ置いとくぞ~~洗っとけよ~~」
追加の洗濯物を持ってきたなまはげは、まったく終わっていない薪割りにやれやれと肩を竦めた。
「使えねぇ奴でねが~~。こんなのは夜明け前にやっとかねーと他の仕事が終わんね~でねが~~。雑用も出来んのか~~」
「…………おい。何でこんなことしなくちゃなんねーんだ。俺が、ここで」
こちとら早く京都に行かなきゃならんというのに。ジトっと不満げな視線を送るリクオに、なまはげは何を言ってんだと言わんばかりの顔を向けた。
「てめーのじいさんとリオウが送ってきたんだろーが。「死んで本望」「我が愚孫を鍛えてやってくれ」つってよ」
「な、何ィ!?」
「リオウなんかは「お前が死んだら私が組を継いでやるから安心しろ」とか言ってたらしいぞ。あ、「好きに使え」とも言ってたで、人手が足りねーこっちは大助かりぃ~~」
(あ…あの野郎…💢)
扇子で口許を隠してはっと鼻で笑う兄を思い、リクオはひくりと頬をひきつらせた。まだ何か怒ってんのか。惚れた弱味か、怒れる様もそれはそれで可愛らしいんだが、さすがにこれはどうなんだ。
『リクオ。貴様では下っ端相手の時間稼ぎにも使えぬ』
カリカリ働けよ~~と向こうに行ってしまうなまはげを見送り、リクオは小さく舌打ちした。一体ここで何を学べというのか。
バシャバシャと川のせせらぎで着物を洗う。冷たい水はどんどん手の感覚を奪い、同時に苛立ちが募っていく。
「よし、逃げよう」
こんなことやってられるか。幸い誰も見ていないし、逃げるなら今しかない。着のみ着のままでバタバタと森を駆け抜ける。里の端、深い渓谷にかかる橋を見つけ、リクオはホッとした顔で駆け寄った。
橋だ。なんだ、出られないとか言いながらこんなにも簡単に出られるではないか。
橋に一歩足を踏み入れた時、ゆらりと橋の影が揺れ、霧散した。リクオの体がぐらりと傾ぎ、宙に投げ出される。
(え…)
しまった…幻!?
気づいたときにはもう遅い。リクオの体は渓谷の底へと落ちていく。
「バカだな、お前。お前じゃこの里からは出られねぇってば」
見張りがついてて良かったな。この…"鎌鼬のイタク"と"天狗の朔"がな…!
朔が団扇を一振りすると、ぶわりとリクオの体が宙に浮き上がった。その隙にイタクが投げた短刀が木々の皮を剥ぎ、無数の帯のようなそれがシュルシュルと網を作り上げる。
ドサッと網に受け止められるリクオを見下ろし、朔は静かに口を開いた。どうやら本当にこの遠野の里を知らないようだな。
「ここは"隠れ里"。言うなれば里全体が「妖怪」だ」
「畏れを断ち切る力がなけりゃ、死ぬまでここから出られねぇ!!!」
イタクの言葉に、リクオは兄の言葉を思い出した。
『古の妖は、次の段階をふむ…!!!』
「おい、鎌鼬と天狗のなんとか。今何て言った?畏れを断ち切る力だと!?」
「そーだよ、なんだ?まだ逃げる気か!?ばっかでねーか?今のお前じゃー無理だよ!」
イタクは呆れたように目を眇め、朔は表情こそわからないものの、やれやれとばかりに頭を振っている。
「"畏れを断ち切る力"…じじい、兄貴…そうか、俺はその為に俺はここに突っ込まれたのか…!」
だーれが死ぬか。やってやろうじゃねぇか!
"教育係"の二人の呆れた視線もまったく気にせず、リクオは拳を握りしめ、一人静かに決意した。
遠野。柳田國男が多くの河童伝説や座敷童子などの妖怪譚を集めた「遠野物語」…その書によって、大正以降よくその名を知られるようになった。
山に囲まれた隔絶の小天地は「妖怪の聖地」と呼ばれ、実際、妖世界においても最も重要な土地として一目おかれた存在である。
リクオは木々をヒョイヒョイと枝を飛び越えて進むイタクと朔を追いかけていた。
「おい!ちょっと待てよ!天狗!鎌鼬!」
「…洗濯、ちゃんと終わらせた方がいいんじゃないか?」
「俺らは稽古に行くかんな」
「さっきのやつ!詳しく教えてくれ!」
二人は振り向きもせずにヒョイヒョイと森を進んでいく。やがて、巨大な切り株のようなものを中心に、開けた場所へとたどり着いた。
「ここは…?」
「「遠野」の数ある実戦場の中で一番広いとこだ」
「実戦場?」
耳慣れぬ単語に、リクオは片眉を上げた。朔はふっと団扇で実戦場の上にいる奴等を指す。
「遠野が特別な部分だ。彼処で「河童」と「あまのじゃく」が戦っている。説明されるより見た方が早いだろ」
見れば、河童と天の邪鬼の青年が切り結んでいる。凄まじい勢いで切りあっているが、それはあくまでも準備運動の段階だ。
「ここからが本番。…ほら、河童の雨造が"畏れを発動"する」
ドンッと放たれた気迫に、リクオは思わず仰け反った。怖がらせたり威圧したり…尊敬の念を抱かせたり。それを総称して、妖怪の力を"畏"と呼ぶ。
畏の発動とは、簡単に言えば相手を気圧したり、妖怪としての存在感を一段階上にあげるものだ。大気の流れを自分のものにする。
だが、これは"対人間の話"。妖怪同士の抗争が激化し、妖怪たちは新たな力を産み出した。それが次の段階だ。
「雨造。淡島」
「おっ珍しいじゃねぇか。お側付きがこの実戦場に何の用だ?まさかオイラとやる気になったか!?」
「やらない。今は彼処の新入りとイタクの面倒を見ろと大旦那様が仰せだから来ただけだ。今日は少し気温が低いしな、お前とやりあったら俺が風邪を引く」
目を輝かせる雨造に、朔はヒラヒラと手を振って応える。リクオは、先の赤河童の前での姿との違いに目を丸くした。…黒羽丸のような真面目一辺倒かと思えば、どうやら素は結構そんなに固い人物ではないらしい。
イタクは朔の言葉に、その細い首に鎌を突きつけた。
「誰のおもりだって?」
「お前とそこの新入りの。どうした?まさかこの距離で聞こえなかったか?」
「やんのかこら💢」
「上等だ」
「やめなさい。貴方たちが暴れたらまた実戦場が吹き飛んじゃうでしょ」
「「冗談だ」」
朔とイタクは息ぴったりに声を合わせる。貴方たちは冗談が冗談に聞こえないのよ、と雪女の冷麗はため息をついた。
「オイラは"沼河童"の雨造だ。オイラの代わりに風呂掃除してくれるんだって?キヒヒ」
「薪割りもだ。あれが一番大変なんだ。俺は"あまのじゃく"淡島と呼んでくれ」
「お風呂を沸かす方が疲れるわ。私は"雪女"の冷麗。この子は"座敷童子"の紫…。貴方奴良組なんですって?」
「基本は掃除洗濯よ。しかもぬらりひょんの孫だって!?俺は"経立(ふったち)"の土彦だ」
口々に自己紹介する妖怪たちに、リクオはよろしくと軽く頭を下げた。イタクは畏の仕組みもわかってねーんだ、と話す。奴良組の若頭が?あり得ない。お坊ちゃんなんだろ、と散々馬鹿にされ、リクオはムカッとした様子で眉根を寄せた。
「"畏の発動"位なら出来るぜ」
「へぇ、お前が?やってみろよ。朔、お前が相手するか?」
「自分がやりたいって顔してんのに俺に振るんじゃねぇ」
朔は呆れたような声でイタクに返事をした。くれぐれも、くれぐれも実戦場を壊すなよと念押しし、朔は皆と共に傍観を決め込んだ。…筈だった。
「……………この始末を誰がつけると思ってるんだ馬鹿」
周囲の大木は一様に斬り倒され、辺り一面には土煙が舞う。嗚呼報告書と始末書を書いて、そのあとくどくどと赤河童に怒られなければならないという手間が増えるのかと、朔は一人頭を抱えた。
そんな朔の様子を見なかったことにして、イタクは言葉を続けた。
「畏れを断ち切る…畏れを破るといってもいい。畏れを破るには、気合いや気迫の類いでしかなかった自らの畏を具現化し、技として昇華させることだ」
畏を持って畏を破る。これが妖怪の歴史の必然で産み出された対妖用の戦闘術。…これをこの遠野では"鬼憑(ひょうい)"と呼ぶ。
膝をついたリクオはぐっと拳を握りしめた。リオウがやっていたのはそれか。妖の次の段階。
「京都の奴等はそれがねーと倒せねーわけだ。頼む。そいつを、俺に教えてくれ」
イタクはじっとリクオを見据える。"死んで本望"ぐらいの気合いじゃねぇと時間の合間に見てもやらねぇぜ、と脅しの言葉を吐けば、リクオはそれを鼻で笑った。
「弱ェままなら死んでんのと変わりゃあしねぇ。死ぬ気で覚えて、俺は京都に行く」
(京都?)
成る程、面白い。
「ふん。ここは戦闘好きの集まり…実戦あるのみだぜ」
「よし!次はこの淡島の畏を見せてやろう。君の心意気に惚れた!さぁやるぞ!」
「次オイラね!」
「朔もやるか?」
「……………俺は今から大旦那様と旦那様にテメェが壊したこの実戦場を代わりに報告して代わりに怒られてくんだよ。稽古なら勝手につけてやれ」
イタクに、朔は地を這うような声でそう言うと、バサッと翼を広げて瞬く間に飛び去っていく。お世話係として重鎮たちの身の回りの世話をしつつ、こうしてイタクたち遠野の妖怪がやらかしたことについても責任もって世話をしなくてはいけないのだから、彼の苦労は計り知れない。
もしあれが風呂の時間に間に合うようだったら、出来る限り労ってやろうと皆はひっそり考えた。