天狐の桜12
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夜更けの奴良本家。離れの一室ではゆらの悲鳴にも似た声が響いていた。
「いやや!!!なんで妖怪なんぞに治療されなあかんねん!!!」
「こ、こら!私も嫌です!でも若とリオウ様のご命令なんだから仕方ないでしょ!」
ゆらに負けじと氷麗も叫ぶ。ええぃ喧しい。氷でも口に詰め込んでやろうか。何を騒いでいるんだとひょっこり顔を出すリオウに、氷麗は思わず飛び上がった。
「リオウ様!まだ起き上がってはいけませんと…!」
「よい。そこな娘の傷を癒すことの方が先決よ。…ほら、妖怪に情けをかけられるのは嫌なのだろう?私の部屋まで聞こえて来たわ」
リオウは固まるゆらの前に膝をおると、そっとその手を取った。ぶわっと何かが体を駆け巡る感覚がして、体から邪気と痛みが消えていく。氷麗は面白くなさそうな顔でぶすくれた。
「陰陽師になにもそこまで…」
「そんなことを言って、女子の顔に傷が残ったらどうする。お前も後で傷を見せよ」
氷麗の言葉にリオウは柳眉を寄せ、尻尾がたしんたしんと畳を打つ。転んだのだろう?とどこか心配そうに小首を傾げる主君に、氷麗は渋々頷いた。妖怪も人間も平等に愛している辺り、やはりこの方は神様なんだなぁと納得する。
リオウはついと憂いげに目を細めた。言葉を探すように、可憐な唇が逡巡した様子で開閉するが、言葉はなおも出てこない。
すまない、でもなく、あぁ、私はこの娘子になんと声をかければよいのやら。
探しても出てこないものは仕方がない。神妙な言葉をかけるのはまるっと諦め、リオウは困ったように笑った。
「…怖い思いをさせてしまったな」
「…今、こうして手当てしてくれてはるけど、ほんまは怖いんとちゃうん?なんで、こんな…」
「あぁ、お前のようなちんちくりんの陰陽師など恐るるに足りぬ。恐怖も憎さも飛んでいったわ」
「はぁ!?💢💢」
「ふふ、冗談だ」
白魚のような指が唇に添えられ、クスクスと小さく笑っている。畏まらず、そのままのお前が一番好ましい、と微笑む天狐に、ゆらはぐっと言葉につまった。
(こ、こういう人を口説くような言動…無自覚にやるなんてあかんやろ!!!)
そりゃあ狙われるしリクオたちが死ぬ気で守ってるわけだ。こんな無自覚の天然タラシを野放しにしといたらアカン。何がってこの神様の貞操が。
(花開院がどうのとかそうゆー問題やのうて、これは私がちゃんと守らな…)
熱い決意を固めるゆらを不思議そうに見つめ、こてっと小首を傾げたリオウは、まぁよいかとばかりに口を開いた。
「人の子は恐ろしい」
底知れぬ欲望を持ち、その為には手段を選ばない。時に神よりも傲慢で、鬼よりも残虐になれるその生き物を、どうして恐れずにいられようか。
「…だが、同時に面白いと思った。単なる好奇心よ。"記憶"に抗い、私が私たるための…だから人の子を愛してみたいと思った」
お前のようななかなか見所のある者にも会えたしな、と微笑み、白魚のような指がゆらの黒髪を撫でる。
「さて、私は逃げるか」
リオウは流れるように立ち上がる。屋敷のどこからか、側仕え3人のリオウを探す声がする。下駄を突っ掛け、ふわりと庭に降り立つと、頭上から飄々とした声が飛んできた。
「寝てろって言われただろ。それとも、俺に会いたくなっちまったのか?」
「ほう?会いたいと思っているのはお前の方だと思っていたが」
「そりゃあな。嫁さんに会いたくねぇ旦那がどこにいるんだ」
リオウはふわりとリクオの腰かける枝へと飛んだ。リクオの足先にちょこんと腰かける。傍に来ねぇのか?と面白くなさそうな顔で言うリクオを一瞥し、リオウは手近にあった瑞々しい葉をそっと撫でた。
「すっかり葉だけになってしまったな」
「"花"ならあんだろ、ここに」
「ふふ、それは私を口説いているつもりか?」
リクオは兄の艶やかな長い髪を掬い、軽く口づけた。愉しそうに笑うリオウは、やはりこれくらいの口説き文句は慣れきっているらしく、顔色ひとつ変えやしない。
(………………)
どうしたもんかと考え込むリクオに、ふっと影がかかる。ついとそちらに視線を向けると、同じくらいの高さの枝に、式神を構えたゆらが立っていた。
「妖の癖に神様たぶらかすんも悪行やで」
「おい、物騒じゃねぇか」
ゆらはちらりとリオウに視線を向けた。リオウは、ゆらのやることに異論は特に無いらしく、相も変わらず優雅に微笑んでいるだけだ。
「納得出来んかったら撃つ。奴良君は、人間?妖怪?」
「――――………昼は人間だが、妖怪だよ。"今は"な」
「同一人物…なんやな」
「納得いかねーかい。別人みてーだからな」
煙管を弄ぶリクオに、ゆらはふっと口許を緩めた。あぁ、そうか。それならば納得がいく。どうしても妖怪が自分を助けるという事実が、自分のなかで繋がらなかったが、この妖怪が奴良君だったら、全部繋がるんだ。
「妖怪は悪いことをするから、妖怪。奴良君やったら納得できる。何度もありがとうな、優しい奴良く―――――」
ふわりと体が宙に浮く感覚。え、と思う間に全てがスローモーションに見える。珍しく焦った様子のリオウがこちらに手を伸ばしているのが見えたと思った瞬間、派手な水飛沫をあげてゆらは池に突っ込んだ。
「何するんやーーー!!!あんた最低やな!!!」
「…さっさと帰れ、京都に」
「今のは悪業やで!帰ってきたら…今のぶん滅したる!」
「へぇ、楽しみにしとく」
「………照れ隠しもいいが行動を慎め…」
リオウは額に手を当てて深く息をついた。打ち所が悪かったらどうする気だったんだ。いや、そもそも女子は体を冷やすべきではないというに…
「今着替えと手拭いを用意させよう」
「おおきに!でも平気や!ありがとうな!優しいリオウさん!!!」
ざぱざぱと水音荒く池を抜け出すと、ゆらは肩を怒らせてずかずかと歩き出した。おろおろと繊手を彷徨わせ、耳をしゅんとさせるリオウは大変可愛らしいが、その横でしれっとした顔をしている男が死ぬほど気にくわない。
「おい」
「なんや!!!」
「ついてってやろうか。京都に」
「なんでやねん!!!」
ぐわっと噛みつくようにツッコミを返し、今度こそ振り返りもせずに屋敷をあとにする。去り際に、あの甘く美しい声に「また顔を見せておくれ」と言われた気がして、ゆらは小さく微笑んだ。