天狐の桜12
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鮮血が舞う。噎せ返るほどに甘い香りが辺りに漂う。躯が桜へと姿を変え、可憐な花弁にまた新たな紅が飛び散る。
神の領域たる神域に、土足で上がり込んできた愚かな人間共め。
赦さぬ、赦さぬ…
神殺しの刃を振り上げる陰陽師たちのあの恐ろしい声が。同胞たちの断末魔の叫びが。脳裏に焼き付いて離れない。
『姫を探せ!!!他の血肉は食らっても構わん!!!』
悪戯に肌を削ぎ、溢れ出る血を、肉を貪る人間が、悪鬼ではないと言えるだろうか。あれほどまでに恐ろしく、愚かで悍ましい存在が、今の今まで守護してきた人間だと言うのか。
『妾は、妾たちは…決して堕ちぬ。どれだけ怨み、憎み、憎悪に取りつかれようと、最期まで理を犯しはせぬ。…嗚呼…だが、こうもおぞましい人間共をどうして護ると言えようか』
血にまみれた白魚のような指が、桜の幹に爪を立てる。取りすがって泣く天狐の姫の声に応えるものはもう誰もいない。
『おのれ…おのれ花開院…その名、決して忘れぬぞ』
お前たち一族を、妾は赦さぬ
呪うてやる
姫は、焼き払われた屋敷を一瞥すると、神域からふわりと姿を消してしまった。
月華の淡い光の中、リオウは一人、枝垂れ桜の下に佇んでいた。月の光に白銀の艶やかな髪が煌めき、雪のような肌が今にも消えてしまいそうに儚い。ぱたりと長い睫毛が瞬く度、両の眼からは透明な雫が溢れ、陶器のような頬をしとどに濡らす。
「"…嗚呼、嗚呼…なんと口惜しい"」
どうしようもない怒りと憎しみに苛まれる。これは継承された天狐の…一族の記憶。怒りも憎しみも悲しみも、すべてがリオウの中にある。
「"この怨み、どうして晴らさずにいられようか"」
殺してしまえ
"記憶"が生んだ憎しみが、リオウにそっと囁いた。天狐の力をもってすれば、人間を屠ることなど造作もない。
奴等は未だ生き残りの"姫"を探している。あれから幾星霜の時が過ぎた今もなお。天狐を襲ったのは妖であり、生き残りを探すのはか弱き天狐を保護するためだと。
己の過ちを悪鬼へ擦り付け、子孫にすら悍ましい過去を隠して正義を振り翳す。
「リオウ」
リオウは己を呼ぶ声にゆっくりと振り返った。誰だと知覚する前に腕を引かれてその胸に飛び込む。
「お前は"リオウ"だ。他の誰でもねぇ。ほら、"帰ってこい"」
「―――――ち、ちうえ…」
リオウの膝ががくりと折れる。意識を飛ばした息子をそっと抱き上げ、褥に運ぶ。雪のような肌に、長い睫毛の影が落ちる。ぐったりと眠りにつくリオウは、まるで精巧に作られた人形のようにゾッとするほど美しかった。
「嫌な記憶なんか継承しねぇで、全部忘れちまえば良かったのにな」
涙の痕をそっと拭い、鯉伴はポツリと呟いた。
翌朝、目を覚ましたリオウの傍らには、ぬらりひょんが険しい顔をして座っていた。その隣には、強ばった表情の黒羽丸が座している。
「…どうした?黒羽丸」
ゆっくりと起き上がり、黒羽丸の頬を撫でる。リオウの体を支える黒羽丸は、暫し逡巡した様子で口を開閉させていたが、意を決したように漸々口を開いた。
「昨夜、どちらに行かれていたのですか?」
「昨夜…?」
リオウは困惑した様子で祖父に視線を投げた。しかし、ぬらりひょんは黙ってこちらを見ているだけだ。昨夜、私は何かしたのか?褥に入ってから記憶がない。強いて言うのなら…
「一族が、滅ぼされた時の夢を見た。…私は、昨夜何かしたのか?」
「…ここ数日、魘されているご様子でしたので、お水をお持ちしたのですが、褥にいらっしゃらず…。どちらに行かれたのかと庭も屋敷も方々探したのですが見つからず、気がついたときには褥に戻っていらっしゃったので…」
腕を伸ばして黒羽丸の頭を胸に抱く。烏の濡れ羽色の髪に指を絡め、幼子をあやすように撫でる。黙ってされるがままになっている辺り、かなり心配をかけてしまったらしい。
「すまない。…何も覚えていない」
「……リオウ。お前ェ、何か心当たりがあるんじゃねぇのか?」
ぬらりひょんの言葉に、心当たり…とリオウは思考を巡らせた。そして、かの夢を見始めたひとつのきっかけに思い当たり、あ、と目を瞠る。
「…花開院の陰陽師が、この街に入った」
「―――ほう?」
本家の、若い青年が二人。既に相当数の妖が滅されているようだ。そういえば、昨日青田坊と黒田坊が接触したと言っていたか。
「調伏されたのはいずれも奴良組の妖怪ではない者たち故、未だ報告はしなくても大丈夫かと思っていたが…そうか、これか…」
リオウは疲れたように息をつく。リオウ本人は大丈夫だと思っていても、リオウの中に継承された天狐の"記憶"はどこまでも花開院を許す気はないらしい。
「まさか、のまれていたのか…?いや、そんなはずは…」
「リオウ。…それ以外にワシらに隠しているこたぁねぇか?」
「…なんだと?」
一瞬、懐に仕舞っている父の魂を繋ぎ止めている古びた指輪が脳裏を過る。が、そんなことはおくびにも出さず、リオウはいや、と首を振った。
「別段、今ここで報告せねばならぬようなことは、何も」
「本当だな?」
「あぁ」
嘘は言っていない。今報告する必要はないのだから。リオウの言葉を信じているのかいないのか、相も変わらず険しい顔のぬらりひょんは、そうかとひとつ言葉を返して立ち上がる。
「ご心配をお掛けした」
「ふん。…"記憶"のことでお前ェを心配できるのはもうワシ位なもんだからな。役得とでも思っとくぞい」
ひらひらと手を振って出ていく祖父を見送る。少し一人にしてくれ、と黒羽丸に言付け、リオウはついと庭へと視線を投げた。
視線の先にはリクオの部屋の前ほどのものではないが、立派な桜が植えられている。…かつて、リオウの母であった天狐のなれの果てだ。
「私は、未だ弱いな」
否、継承される記憶に打ち勝つことなど出来ないのかもしれない。それほどまでに天狐たちの怨みは強く、鮮明に焼き付いてしまっている。
(だが、このままでは…記憶に呑まれては、私が私ではなくなってしまう)
ゆらを始め、今を生きる花開院の者たちはかつて己の一族を皆殺しにした者たちではない。あくまでこれは先祖の話。恐怖こそあれど、憎しみをぶつけて良い相手ではない。
「…父上。私は、昨夜」
<…さてな。不安がっててもしかたねぇだろ。ほら、お前はそんな顔より自信満々に笑ってる方が可愛いって言わなかったか?>
「…茶化さないでいただきたいんだが…」
私は真面目な話を、と柳眉を寄せるリオウの前にふわりと顕現した鯉伴は、ニヤリと笑ってリオウの唇に指を当てた。
「その顔、黒羽丸に似てきたな」
「誉め言葉と受け取っておこう。…はぁ、もういい」
リオウは諦めた様子で鯉伴にジト目を向ける。本当に、この人は昔から変わらない。
(…だが、父上のあの口ぶりからして、やはり私は…)
未だ体に残る妙な違和感と、言い様の無い焦燥を感じながら、リオウは皆のもとへと歩いていった。