天狐の桜10
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
鮮血が舞う。まるで噴水のように噴き出す血にまみれた玉章の右腕は、ぼとりと地面に落下した。切り落とされた腕に握られた刀はからからと地面に転がり、玉章は目を見開く。
「うおっ…!!!うおおおおおお!!!ひゃっ…百鬼が…!!!」
ピシピシと面が割れる。切り落とされた腕から、顔につけられた傷口から、次々と百鬼が抜けていく。
「あ゙っが…っまて、まつのだ…!!!う、ぐ…がぁっ…」
抜けていく…この玉章の力が。なぜだ、刀か…?
玉章は右腕を押さえながら、のろのろと体を起こした。這いつくばるようにして魔王の小槌に手を伸ばす。
「ハァッハァッ…!!!も…もう一度僕に力を…!!!」
だが、その刀をいち早く取り上げたのは玉章ではなく…
「夜雀!?その刀…こっちによこせーーーー!!!!」
夜雀は玉章を一瞥し、刀を大事そうに抱えると、そのまま振り返りもせずに飛び立っていく。小さくなっていく背中に、玉章は絶望のどん底に叩き落とされた。
「ゔゔうう…あ゙あ゙あああ!!!!!!」
力が、百鬼が、全てが抜けていく。何もかもを失った玉章は、力なく座り込み、呆然と何故だと繰り返す。
「んで…だ…バカな…どこで、間違ってたって…言うんだ…」
玉章の方が力は遥か上で。それなのに、何故。
「組を名乗るんならよ…自分を慕う妖怪くらい、しゃんと背負ってやれよな」
お前に尽くすために、お前の畏れについてきた奴は確かにいた。それを裏切ったのはお前だ。
リオウは、リクオの言葉についと後ろを振り返った。背後に控える犬神は、静かに首を振る。今の自分は、リオウのもの。玉章に言葉を投げ掛ける権利も、投げ掛ける言葉も持ちはしない。
「夜雀ェ…針女…犬ゥ…はっ…役立たずどもめが…誰もこの玉章について来んとはな…」
僕についてくれば、新しい世界へ行ける。せこい組で、もう地べたを這いずり回り蔑まれることもないのに。――僕は、選ばれた存在なのに。
「若、リオウ様。こいつはもうダメだぜ」
「猩影…」
「約束は守らせてもらう!!親父の仇だ!!!」
ガッッ
間一髪のところで、玉章と猩影の間に滑り込んだぬらりひょんが、猩影の刀を己のそれで受け止めた。驚く周囲をよそに、杖をついた洋服姿の老人がふらふらと玉章に近寄っていく。
「おお…玉章…情けない姿になりおって」
どろんっと老人は巨大な狸妖怪の姿へ変化する。四国の大妖怪 隠神刑部狸その人である。その背丈はゆうにビルの一棟ほどあり、その場にいた妖怪たちは皆あまりの大きさにあんぐりと口を開ける。
「頼む。この、通りだ。こんなやつでもワシらには…こいつしかおらんのです。バカな息子…償っても償いきれんだろうが、四国で今後一切大人しくさせます故」
お願いじゃ…何卒、命だけは…それ以外ならどんなけじめもとらせますから…
「リクオ。どうすんだ、お前が決めろ」
ぬらりひょんにせっつかれ、リクオはじっと目の前で額を地面に擦り付けながら詫びる古狸を見据えた。
「一つだけ、条件がある。――――――……」
"条件"を聞いた隠神刑部狸は、涙ながらに必ず、必ずと言って再び頭を下げた。リオウは、リクオらしい決断に満足そうに笑いながら、すたすたと玉章の傍へ歩み寄った。
「兄さん!?」
「リオウ様!?」
「よい。少しこれと話をさせろ。…案ずるな、もうこれの牙はとうに折れている」
血に汚れるのも気にせず、リオウは玉章の傍らに膝を折った。玉章は、狂おしいほどに愛しい天狐の姿に、徐に手を伸ばす。
「今は眠れ。玉章(たまずさ)」
「ぁ…リオウ、様…」
ずるずると体を引きずるようにしてにじりより、陶器のような頬に手を滑らせる。玉章の上体がリオウの膝の上に乗り上げるような形だが、リオウは気にした様子もなく、ただただ優しく微笑んでいるだけだ。
「ぼくは、あなたを、ずっと…」
玉章の顔から、面がかしゃりと落ちた。リオウの雪のような白い肌が玉章の血で汚れる。それすらも嬉しくて、玉章は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
求めてきた力を手に入れ、迎えに来たが、初めて会ったあの日よりも、リオウとの距離は遠くなってしまった。こんな風になりたい訳じゃなかった。自分は、傍にいたかっただけなんだ。
手づから、様々なことを教えてもらえたあのときのように…
「あいして、いるんです…いつか、いつか、」
またおそばに…
リオウは、情けない顔で必死に愛を紡ぐ男の頬をそっと撫でた。
「…眠れ。玉章。お前が眠りにつくそのときまで、この一時は、お前をこの世で一番愛してやろう」
蕩けるような、慈愛に満ちた麗しい笑み。蜜菓子のように甘く、嘘偽りのない真実の愛の言葉。嗚呼、だがなんて残酷な囁きだろうか。
「リオウ、さま…」
「愛しているぞ、玉章」
今この時だけは…
言葉にしなくても、続く言葉は分かってしまうもので。玉章は重くなる瞼に猶予が無いことを悟り、名残惜しげに唇をなぞった。
次こそは。次にあった時こそは、今この時だけはなんて言わせない。
(だが、今この時だけは…この方は僕のものだ)
玉章の意識は闇に飲まれた。