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またたび森のおねこさま

喋るデブ猫は、ミケといった。三毛猫なのでミケ。安易な名前だ。けれどそう名乗るので、柊一郎は母親にもデブ猫をミケと呼ぶように言っておいた。母親は「随分安易な名前ねぇ」と柊一郎を笑った。息子の心、親知らず。
ミケは三度森で生まれてから百年を越えた辺りで、話せるようになったらしい。普段は絶対に人前では話さないとミケは言ったが、柊一郎の前ではペラペラといろんなことを話した。スーパーの誰それが魚の切り身をくれたり、近所の八百屋の無防備な時間だったり、どちらかと言えば猫よりの耳寄り情報だったので、柊一郎は真莉絵と話をするときのように、適当に相槌を打った。
ミケを向かい入れたその日から、ミケは日がな一日柊一郎の部屋をうろうろしている。日中、母親が呼べば傍に来るそうだが、目を離すと大体柊一郎の部屋にいるらしかった。おかげで柊一郎の部屋は毛玉でいっぱいになった。そんなわけで、柊一郎は動物の毛玉を掃除するためにわざわざ小遣いからコロコロを買う羽目になってしまった。これを機に小遣いの値上げ交渉をしてみたいものだが、母子家庭なので少し気が引けて、実行には移せていない。
柊一郎が四つん這いになってコロコロと絨毯についた毛を取っていると、ミケが部屋に入ってきた。
「おう、柊一郎。今日は三日月だァ。正真正銘、三日目の、三日月だァ」
外はまだ日が照っているから三日月かどうかなんて、柊一郎にはわからないが、うんうんと適当に頷いておく。ミケは柊一郎の腰の辺りに体当たりした。デブ猫だけあって、それなりに衝撃があった。柊一郎は手を止めてミケを引き離そうとして、ミケと目が合う。
「だから一緒に、三度森に行くぞォ」
「なんでだよ」
「今日は三日月だからなァ。街中の猫が森に行くんだ」
「俺は猫じゃないぞ」
柊一郎はミケを引き剥がす。ミケはじっと恨めしそうに柊一郎を見た。
「だって奥さん、夜になるとオレのこと出してくれないしさァ」
ミケは柊一郎の母親を「奥さん」と呼ぶ。
「お前と一緒ならさァ、許してくれそうじゃん」
頼むよォ、頼むよォ、にゃぉあ、とだんだん鳴き声と嘆願の言葉が混ざっていく。柊一郎はため息をついた。押しに弱い自分の性格が恨めしかった。
「わかったよ。その代わり、俺の作戦には文句言うなよ」
「ホントかァ、お前良い奴だなァ」
ミケは嬉しそうに柊一郎にの足に頭を擦りつけた。なんとなく、柊一郎は手を伸ばしてミケを撫でる。生き物の温もりが伝わってくる。撫で過ぎるとすぐに手が油っぽくなるのが好きではないが、いつも撫で始めるとミケが良いと言うまで撫でてしまうのだった。
ミケは柊一郎に体を委ねつつ、時折撫でて欲しい箇所を柊一郎の手の辺りに押し付ける。柊一郎がそのままその場所を撫でると、「はァ、そこそこ」と実におっさんのような言葉が返ってくる。
ひときしりそうして撫でると、また部屋中が毛だらけになった。今度は柊一郎の洋服も毛だらけだ。柊一郎はまず自分の服にコロコロをかけ始める。ミケはその様子を興味なさそうに眺めていた。
「ところで、三度森で何するんだ?」
コロコロしながら問いかけると、ミケはぐるぐると喉を鳴らす。
「おねこさまに会うんだよォ」
「おねこさま?」
それは、今までのミケの話の中で出たことのない、初めて聞く名前だった。お猫、というからには猫の関係者の名前なのだろう。
「おねこさまは、馬鹿……じゃなくて、愛らしくて可愛い猫の親分殿さァ」
「おい、今馬鹿って言わなかったか?」
ミケはごまかすように、にゃあん、にゃあんと甘えた声を出して、台所の方へ向かっていった。
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