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またたび森のおねこさま

三度森、と書いて、みたびもり、と読む。三度森は三度山――これもみたびやま、と読む――の山裾にある小さな森だ。昨今の宅地造成工事のおかげで、猫の額ぐらいあった森は、今では猫の眉間ぐらいになってしまった。
この森は近所の猫好きには有名な猫スポットになっていて、姿は見えないのにあちこちから猫の鳴き声がするものだから、「きっと猫がのんびり暮らしている、猫の天国なんだ」なんて、空想めいた噂まで出てくるような場所であった。
柊一郎は、取り立てて猫好きではなかった。猫嫌いの父親と猫好きの母親から生まれたからなのか、ちょうどいいぐらいに猫に無関心だった。その日、三度森に入ったのも、猫の写真が撮りたいというクラスメイトの真莉絵に付き合ってのことで、全くの偶然だった。柊一郎は帰宅部なのでよくこうして真莉絵の写真撮影に付き合わされている。真莉絵曰く、柊一郎のように何を考えているかわからない奴が助手だと集中できるのだそうだ。柊一郎にとってみれば、迷惑で失礼な話である。
真莉絵は、森の中でにゃーにゃー、と声がするたびにカメラを構えるが、そこに猫はいない。そんなことが何度か続いて、写真撮影はいつの間にか三度森の散歩へと変わってしまった。
季節はもう秋が近づいていて、森の木々は紅葉し始めている。もう少ししたらこの森も落葉して、地面が色とりどりの葉で埋まるだろう。
柊一郎は真莉絵の一歩後ろを歩いている。真莉絵は柊一郎を振り向きもせず、先程から文句ばかり言っている。
「なんなのよ、猫の写真って。私はもっとこう、壮大なテーマが撮りたいのよ。夕焼けとか」
夕焼けが壮大なテーマなのかはわからないが、柊一郎はうんうん、と頷く。真莉絵の話は決して邪魔してはいけない。彼女は返事が欲しいんじゃない。うんうんと適度に頷く相手が欲しいのだ。
「先輩も先輩よ。來実の言うことばっかり聞くんだから」
「うん」
「猫なんてテーマを出してきたのは來実よ。せっかく三度森が近くにあるんだから撮りましょうだなんて」
「そうだな」
「結局ここに来てるのも私ぐらいじゃない」
「なるほどな」
「賛成した先輩にすら会わないわよ。一体どういうことなの」
「本当だな」
「猫ばっかりの写真展! なんて考えただけでゾッとしちゃうじゃない?」
「言われてみれば」
「私たち、可愛いものが好きなですぅーなんて主張はどこぞのサブカル女にでもやらせておけばいいのよ」
「確かに」
「そういえばね、先輩ったら」
にゃおん。猫が鳴いた。そこら中で猫はにゃーにゃー鳴いているが、この声ははっきりと、真莉絵の話の邪魔をした。真莉絵は勢いよく振り返り、柊一郎へ詰め寄った。
「なによ猫のモノマネなんてして」
「どんな耳してるんだよ。どう聞いても猫の声だったろ」
にゃおん。会話を遮るように、また猫が鳴く。柊一郎と真莉絵が辺りを見回すと、近くの木の根元に猫が一匹座っていた。三毛猫で、愛らしい、というより憎らしい、という顔をしたデブ猫だった。真莉絵はデブ猫に近づき、頭を撫で始める。
デブ猫とはいえ、ようやく会えた猫である。真莉絵は猫なで声で、「おーいデブ猫ー」と随分失礼なことを言いながら、そうっとカメラを構えようとした。だが片手で猫を撫でているのでうまくいかない。目で柊一郎に撫でるのを変われと指示する。柊一郎は素直に従ってデブ猫を撫でくり回した。猫は甘えたように、にゃお、と鳴いた。
「俺、こんなに猫に触ったことないかも」
カメラのカシャ、というシャッター音の合間に、真莉絵が「嘘ォ」と全く気持ちの入っていない相槌を打つ。もう写真を撮ることに夢中だ。
撫でながら、柊一郎は幼いころのことを思い返していた。父親は猫が庭に入ってくるだけで盛大に水を撒いた。母親が止めようとしても父親は止まらず、父親が去った後に母親が台所から柊一郎が食べ残した魚を猫にくれてやるのだ。その背中を、柊一郎はじっと眺めていた。サンダルをつっかけて母親と並んで猫を撫でることもできたはずだが、家の中にいる父親が気にかかって、ついに外には出られないのだ。
「何考えてるの?」
写真を撮り終えた真莉絵が、手のひらを柊一郎の目の前でひらひらさせている。柊一郎がぼんやりと、とはいってもそれほど時間が経っていないはずだが、そんな短い時間で真莉絵は猫の写真を撮り終えたらしい。元々夕焼けという壮大なテーマを撮りたがっていたから、さほど猫に興味がないのだろう。
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