800字SSまとめ

 

  【料理】



 俺は恋人の、料理している後ろ姿を眺めるのが好きだ。
 オンボロ寮の狭くて古いキッチンは、もはや寮母さんの聖域と言っても良いだろう。その中で、彼女が忙しそうに右へ左へと動くたび、白いエプロンのリボンがふわふわの尻尾みたいに揺れて──。なんだか、心のほっと安らぐ光景だ。まるで、新婚の妻を見ているような、幸せな気分に浸ってしまう。癒される。ギュッて後ろから抱きしめたいとか思う、心の底から。
 トントンと包丁でまな板を手際良く奏でる音も心地良い。極東の島国では定番料理らしい、醤油や砂糖などでよく煮た魚や野菜などの、甘辛く染み込む匂いにも食欲をそそられる。
 オマケに、今日は随分とご機嫌のようで。
「ふんふん、ねじれたリズムで踊ろお〜♪」
 俯き張る意地も愛嬌さ〜♪ なんて、去年流行った曲をルンルンと口遊んでいる。たぶん、監督生とグリムがVDC(ボーカル&ダンスチャンピオンシップ)オーディションに挑戦するため練習していた課題曲だから、自然と覚えたんだろうな。可愛い。好き。
 寮母さんと将来、夫婦になれたら。こんなにも愛らしい人が、俺の妻になってくれたら。それはもう、どれだけ幸福なことだろうか。きっと一生の、幸せ者だ。そんな素敵な未来を、俺はつい想像していた。
 嗚呼──いつか、彼女を俺の故郷へ連れて帰りたい。それから、スミレの花がいっぱいに咲いているという、小さな村にでも移り住もう。そこでクローバー印のケーキ屋、2号店を営むなんてどうだろうか。俺はスミレの砂糖漬けが好きで、彼女はレアチーズケーキが好きだから、看板メニューはふたりの好物を組み合わせた物なんて良いんじゃないか? イチゴタルトと並ぶ人気商品になること間違いない。常連客から、素敵なおしどり夫婦だね、と微笑まれたりなんてするんだ。そうして、もっと先のいつかには、愛らしい家族を授かったり、なんて──。

「……あら、トレイ君! 遊びに来てくれてたのね。もう、声を掛けてくれたら良かったのに、全然気づかなかっ、」
「子供は3人欲しいな……」
「うん? 何の話??」





2020.12.18公開
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