怪物と宝物
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『次の島に着いたら、デートしよう!』
チョッパーと約束をした言葉が、心の中で何度も反芻される。
一週間ほど前だろうか、彼とふたりで味わったホットケーキの甘い香り、幸せに蕩ける柔らかな味が、今はまるで遠い過去のように思えた。
約束通り、次の島には着いた──けれど、今のわたしは、ひとりきり。狭くて暗くて寂しい、狭い狭い檻の中に居る。
身体が、重い。目が、霞む。海楼石の首輪、手枷、足枷、地上に放られた魚のように横たわったまま、何もする事が出来ない。ただ、無心に、浅い呼吸を繰り返す。一体どのぐらい、ここに閉じ込められているのだろう。ずっと酸素の薄い暗闇の中、陽の光も月明かりも見えはしない。まだ半日も経っていないのか、それとも既に数日過ぎているのか、時間の感覚がわからない。もう涙すら枯れたのか出てこなかった。
頭の中で何度も思い浮かぶのは、大好きな彼の笑顔。大好きな彼の、絶望に落ちた表情。
あの日、新世界の海は随分と荒れていた。鳴り止まぬ雷雨に、船を飲み込むような大波。航海士であるナミさんの指揮の元、みんな必死で帆を張り舵を切り、サニー号にしがみついていた。"
そんな中──嵐の向こうに、わたしは、邪悪な鳥の頭蓋骨をモチーフにした海賊旗を、見てしまった。真っ黒なガレオン船、そのメインマストの天辺で揺れる、あれは!
『アウール海賊団……!?』
それは2年前、偉大なる航路にて麦わら海賊団が戦った──正確に言えば、幼い頃のわたしを攫ってリュウリュウの実を食わせた者たちであり、カーバンクルの伝説を利用して人身売買と詐欺と略奪行為の悪逆非道を行っていた──憎き海賊の旗であった。
忘れられなどしない、奴らの商売道具として過ごした、真っ黒な記憶が蘇る。まさか、新世界にまで来ていたなんて。寒くもないのに、身体が恐怖に震える。カチカチと歯が音を鳴らし、ガタガタと膝が笑い出して、もう立ってすらいられなかった。
どうして、どうして、どうして! 彼奴らは2年前、ルフィ船長たちがぶっ飛ばしてくれた筈。瀕死のところを海軍に捕まって、インペルダウンに投獄されたと、新聞で読んだじゃないか!! どうして!!
『嫌ッ、いや……何でッ……!』
『アリー、おれの後ろに居るんだ。背中に捕まってて』
蘇る恐怖と憎悪に取り乱すわたしを、人型に変身したチョッパーが冷静に宥めてくれた。あの恐ろしいペストマスクのような船首を見ている事すら出来なくて、彼の言葉の通り、大きなモフモフの背中にしがみついて目を瞑る。
ガレオン船から放たれたであろう、数え切れないほどの砲撃音。それを合図に、嵐の中、奴らとの戦闘が始まった。
ルフィ船長とゾロさんが真っ先に敵船へ飛び込んでいく。しかし、向こうからの攻撃は最初の威嚇砲撃だけで、敵船内でも戦闘員らは守りに徹しているようだった。
『何だァ、コイツら!? 戦う気あんのか、ねえのか!?』
『チッ、やりづれえ……!』
こちらも嵐の中を航行する事で手いっぱい、砲撃し返すこともままならないし、無闇に船を近付ける事も難しい。下手に近付いた結果、波に押されて衝突しては船の上の全員が危険だ。
『──捕まえたゼェ、"生きる宝石"』
あ、と声を上げる間もなかった。
一瞬の出来事だった。
わたしの背後に気配もなく現れた、魚人の男。全員の集中がガレオン船へ向いている隙に、嵐の海を泳いでサニー号へ忍び込んでいた──?
男は水掻きのついた手でわたしの口を塞ぎ、素早く海楼石製であろう手枷を嵌めると、俵のようにわたしを担ぎ上げた。
『ッ! アリー!?』
瞬時に気付いたチョッパーが振り返り、手を伸ばしても、遅かった。
男はすぐさま、嵐の海へと飛び込んだのだ──。わたしは悪魔の実の能力者、当然、カナヅチだ。抵抗は、不可能だった。
『あンのクソ鳥野郎ども、妙に手を抜いてやがると思ったら──!』
『狙いは最初っから、アリーを攫う事だったのね!?』
サンジさんとナミさんもすぐに気付いてくれたけど、その瞬間、またガレオン船からの砲撃音が激しくなった。
着水する直前、海に飛び込もうとするチョッパーが見えた。それを慌てて止めるフランキーさんの『やめろ!!』と言う悲痛な叫び。
代わりにサイボーグであるフランキーさんの機械の右手がぐんっと海に向かって伸ばされたけれど、その手もわたしに届くことはなかった。
『アリーっ、アリーシャーーーッ!!!!』
濁った海水越しに遠く見える、泣き叫ぶチョッパーの絶望した表情。意識を失う前に見た、最後の光景だった。
それからの出来事を、わたしはあまり覚えていない。頭を殴られ蹴られ過ぎて、きっと記憶が飛んだのだろう。
ただひとつ、先程アウールたちの会話を盗み聞きしてわかった事──それは、やっと取引相手と待ち合わせている島へ辿り着いた事。そして、わたしの身はこれから天竜人に売られる、という事だけだ──。
わたしの懸賞金額は知らぬ間に、1億ベリーにも跳ね上がっていたらしい。生け捕り、の文字は変わらぬままに。
女王ビッグマムの治める万国から生還した後に、ぐんっと跳ね上がったみたい。"やはりカーバンクルの齎らす幸運は本物だ"なんて、また有らぬ噂にどんどん尾鰭がついて、もう泳ぐにも不便だろう。
みんなとバラバラに別れたあの二年間で、わたしは強くなったつもりだった。魚人島でヒーローみたいな扱いされてからずっと、浮かれちゃっていたのかな。巨大で恐ろしい竜の姿にいつでも変身出来るようになって、この力で、今度はわたしがみんなを守るんだ──そう願って、強くなった筈なのに。
(わたし……結局、弱いままの、邪魔な装飾品だ……。幸運のマスコットになんて、なれなかった……)
みんなのお荷物になるぐらいなら、わたしはここで、お別れしよう。
(ああ……楽しかった、な……)
ルフィ船長に手を差し伸べてもらって、チョッパーに瀕死の命を救われた、あの日からずっと、わたしは幸せな夢を見ていたんだ。
今思い返しても嘘みたいに信じられないような、大冒険。空を飛んで雲の上まで行ったし、泡に包まれて深海にだって潜った。巨人、天使、人魚、ミンク族、様々な種族の素敵な人々にも出会えた。戦いもした。苦しくて辛い、恐ろしい世界の数々を目の当たりにした。それでも未来の海賊王を信じて、必死に前を向いた。
──恋も、した。わたしは物心ついた頃から、ただの装飾品か誰かの玩具でしかないのに、人並みの幸せを望んでしまった。わたしをちゃんとひとつの命として大切にしてくれた、ひとりの女の子として接してくれた、彼が大好きになっていた。想いが通じあった時は、あまりにも幸せ過ぎて死んでしまうんじゃないかと思った。
本当に、夢みたいな毎日だった。
でも、夢はいつか醒めるものだから。
なんだか、外がやたらと騒がしいけれど、ついに取引先へ着いたのだろうか。わたしの眠る檻は大きな木箱の中に収められているようで、周りの様子がよくわからない。意識も朦朧としている。
みんな、無事にあの大嵐を抜けただろうか。サニー号も傷ひとつ付いて無いと良いな。もう、わたしのせいで、誰も傷ついてほしくはないから。
わたしはこれからの船旅について行けないけれど、大好きなみんなの無事と夢の成就を願うくらいは、しても良いでしょうか。
最後の力を振り絞り、わたしは常人より長い舌を唇から垂らした。尖った歯で舌を噛み千切ろうと、力を込めた──
その時。
「おいッ、鳥頭ァ!! おれの仲間を、返せェッ!!!!」
大人数の野太い悲鳴、ドゴォン! ガラガラガシャン! と何かが次々に崩れて壊れる音、そして──ルフィ船長の怒声が、響き渡った。
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