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雪と桜の生きた証
新たな島への航路を急ぐ途中、ゴーイングメリー号は気候外れの大雪に歓迎された。船員たちはみんな(航海士であるナミ以外)子供みたいに大はしゃぎ。特にアリーシャは、初めての雪を前にすごく喜んでいた。久しぶりに見た雪は、おれの心も懐かしくさせた。
その日の夜のことだ。
「チョッパー先生の故郷は、冬島──なんですよね」
「うん、そうだぞ」
女子部屋のふかふかベッドの上で、おれの毛並みを丁寧にブラシかけしてくれていたアリーシャは、急にキラキラと瞳を輝かせた。
「雪が、いっぱい降るんですか?」
「年中ずっと雪に覆われた島だからな、そりゃあもうたくさん降るぞ。──でも、一度だけ、桜が降ったこともある」
「さ、桜……!? 冬島に? ほんとう?」
「本当だぞ! エッエッエッ、いつかアリーにも見せてやりたいなあ」
ドクターとドクトリーヌが咲かせてくれた"あの桜"の光景を思い出すと、ほんの少しだけ、泣きそうになる。けれど、目の前ではアリーシャが「すごい、冬島にも咲くんだ……どんなに綺麗な桜なんだろう……!」ってわくわくした顔してるから、おれは自然と笑顔になった。
「ほ、他には? シロクマさんとか、アザラシさんとか、居るんでしょうか」
「熊なら、ハイキングベアがいるぞ。すれ違った時には一礼するのがマナーだ。ハイキングベアはとっても山を愛しているから、山でのマナーを守らないヤツには厳しいんだ。悪い登山客は皆、雪山で一時間の正座をさせられる」
「想像よりもあんまり怖くないクマさん……いや、結構怖い……?」
「それから、ラパーンっていう巨大なウサギがたくさん居るんだ。肉食ですんげえ獰猛だから、お前は絶対近付いちゃ駄目だぞ! あ、でもアリーなら仲間だと思われて、襲われないのかな?」
「お、大きなウサギさん?? って、わたしはウサギさんじゃありません!」
わたしはカッコいい竜ですよ、と頬を膨らませて怒るアリーシャ。そんな彼女を見ていると、顔がにやにや緩んで、胸がきゅーきゅーする。きっとこれが"可愛い"と思う感情なんだろう。
「もう、変な意地悪しないでください、チョッパー。わたしは、あなたの生まれ育った故郷が知りたいんです。住んでいた環境とか、一緒に過ごしてきた家族、とか……」
──家族。
「わたしには、そういう思い出が、無いから」
ずきり、と胸が痛くなった。
それは自分の幼い頃が思い出された事、そして彼女の過去を思った事による、悲しい痛み。
だけど、おれには"家族"の言葉で思い浮かぶ二つの顔がある。おれに名をくれた生みの親、おれに医術を教えてくれた育ての親、大好きな二人の笑った顔。
アリーシャには、何にも無いのか。故郷の島の名も、家族の顔も、何ひとつ覚えてはいないと、いつか聞いた。
「あ、」
先程までにこにこと楽しそうに笑っていた彼女の表情が、突然何か気が付いたように青冷める。
「ごめんなさいっ、もしかしたら、昔の事なんて、思い出したくもない話を、わたし……。あなたに、無理をさせてしまいました、か?」
ブラシかけの手を止めて落ち込む彼女に、おれは慌ててブンブンと激しく首を横に振った。
「ううん、そんなことねえよ! おれの大好きな故郷のこと、アリーにたくさん、たくさん話したい!」
続きは寝ながら話そう! と提案すれば、彼女はまた嬉しそうなにこにこ笑顔を取り戻してくれた。
ブラッシングは終わり。部屋の電気も消した。おれたちは勢いよくベッドに寝転がって、ひとつの枕にふたりで頭を埋めて、いつものように鼻先が触れる程ぴったりと抱き合う。
そうしておれは、ひそひそと小さな声で故郷の話を続けた。彼女も静かに聞き耳を立てて、時折くすくすと笑ってくれる。まだナミもロビンも居ないから、ふたりっきりの内緒話でもしている気分だった。
変だなあ。アリーシャと楽しく昔話しているだけなのに、何でこんなにも心臓がどきどき煩いんだろう。
「──で、ドクターったら酷いんだ! 囮作戦だーッ、とか言っておれを蹴り飛ばしてさー!! 仮にも患者相手にとんでもない仕打ちだろ!? ほんと、どうしようもないヤブ医者だー! って、その日、おれ初めて誰かと喧嘩したんだ。取っ組み合って、殴り合って。けど、すぐに仲直りして……。おれに、帽子と、名前をくれた──」
「ふふ……」
「……へへ、嬉しかったなあ」
「Dr.ヒルルク、素敵なひとですね。わたしもいつか、お会いしたいなあ」
ちくり、と胸に小さな針の痛み。
おれは彼女の頬に手を伸ばして、そっと蹄の先で触れる。マシュマロのようにふんわり形を変える頬、きょとんと不思議そうに丸くなる赤い瞳。
「ドクターには、会えない」
え、と短く吐き出された彼女の声。その表情がまた、悲しみと罪悪感にじわじわ歪み始める。ほんと、アリーシャは優しいやつだなあ。
「チョッパー……? わたし、やっぱり、あなたに辛い話を、させて……」
おれは再び、首を横に振る。
『人は"いつ"死ぬと思う……?』
おれの心の中で突然、ドクターが笑う。
──ああ、そうか。
『……人に、忘れられた時さ!!』
こうして誰かに思い出を話して聞かせることも、ドクターの命を繋げているようなモノ──なのかな。
「ちょっぱー、泣いて、」
「大丈夫だから。このまま聞いてくれ、アリー。ドクターは最後に呼んでくれたんだ、おれのことを"息子"だって」
あの人の最後、爆風に舞った黒い帽子を。雪の夜空に咲いた、美しい桜を。おれは覚えている、死んでも忘れはしない。あの人が命と共に掲げた旗、ドクロの信念を、おれは引き継いだんだ。
この世に治せない病なんてない。おれが万能薬になるんだ、って、一緒にドクロの旗を振った。
ああ、そうなんだ、おれは。
「おれが、ドクターの生きた証、なんだ」
ふたりきりの暗闇に、おれのみっともない泣き声がぐすぐすと響く。鼻水もしゃっくりも止まらない。
アリーシャのもちもちした優しい両手が懸命に、おれの涙を拭ってくれる。それでも涙は乾かなくて、ぼろぼろ、ぼろぼろ落ちてくる。彼女の赤い瞳も潤んで見えた。
嬉しい時にも泣いてしまうなんて、人間の心は不思議でいっぱいだ。
「チョッパー先生。もっと、たくさん、ドクターさんとの思い出、お話してくれますか」
「ゔんっ、まだまだ、ばなじだりないごど、いっばいあるぞぉ!」
「わたしもずっと、忘れませんから」
「……ありがとう!!」
「こちらこそ、ありがとう。あなたの大切なものを、教えてくれて」
おれたちはぐしゃぐしゃの顔でエヘヘと笑い合い、すりすりと鼻先を触れ合わせた。なんだかほっとして、あったかい。大好きな人のことを話す時って、こんなにも幸せなんだ。
今日は寒いからさ、少しぐらい、夜更かししたって良いよな。ドクター。
2019.08.21