怪物と宝物
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カチャリ、と控えめに扉の開く音。そして鼻腔をくすぐる、美味しそうな焼きたてパンの香りに、わたしはゆっくりと目を覚ました。
見覚えのある薄暗い天井をぼんやり見つめていたら、ぬっ、と明るい桜色の帽子がその視界を遮る。ツヤツヤの青い鼻がツンとわたしの鼻先に触れた。
「アリーシャ! 目え覚めたんだな!? あぁッ、よかったー!!」
チョッパー、とこちらが呼びかけるより前に、彼はわたしの首元に顔を埋めてギュウウウッと強く抱き着いてきた。チョッパーの角がわたしの頬にぐいぐい刺さって痛いけど、文句は言わずにその小さな背中へ両手を伸ばして、わたしもぎゅっと彼を抱き締め返した。うん、今日も彼の抱き心地はあったかくて、ふわふわで、きもちいい。
「えへへ、チョッパーだ、チョッパーがいる。目が覚めた、ということは、こちらがわたしの現実なんですね……夢で終わらなくて、良かった……」
「んん? いったい何言って、あっ、そっか、お前まだ寝惚けてるんだな! もう30時間ぐらい、ずーっと寝てたんだぞ」
「えッ、そ、そんなに? サンジさんのご飯3回分とおやつ、食べ損ねちゃった……通りで、お腹が空いていると思いました……」
何でサンジの飯計算なんだよっ、なんて彼にツッコミを入れられながら、ふたり一緒にえへへと笑い合う。
彼はわたしの腕の中からモゾモゾ起き上がると、人形態に変身して「少し起こすぞ」と告げてから、わたしの上半身をゆっくり抱き起こしてくれた。わたしは小さく頷いて、彼の逞しい両腕に身を任せる。ベッドの端に座らせてもらって、やっと、ぼんやりした頭も覚醒してきた。
わたしが目覚めた場所はチョッパーの医務室だった。船長たちに助けられた後、傷だらけで弱っていたわたしは安心したせいか、すぐに気を失ってしまったらしい。暴力による身体中の怪我は、優秀な船医さんの手によって既に丁寧な処置が済んでいる。でも、しばらくの間はこの痛々しい包帯やガーゼを取れそうもない。骨折などしていないだけ、不幸中の幸いか。
「あ、そうだ。お腹、空いてるんだよな。パンと牛乳ならあるけど、食べられそうか?」
「はい。だけど、それはチョッパーひとり分の朝ご飯、でしょう……?」
「うん、でも良いよ。はんぶんこしよう。それとも、やっぱりお粥やスープの方が起き抜けには食べやすいかな? 今からサンジに頼んで来ようか」
「ううん、大丈夫。……チョッパーと同じものが、食べたいです」
彼は一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐにその表情をふにゃふにゃ照れ臭そうに緩めて「食欲があるのは良いことだな!」と笑ってくれた。
人獣姿に戻ったチョッパーは、お気に入りの回転椅子に座る。ふかふかの焼きたてパンを両前足で持つと、蹄の先でそれを器用にちぎり始めた。そうして小さなひとくちサイズになったパンを、わたしの口元に差し出してくれる。わたしは素直に首を伸ばして、彼の好意を喜んで頂いた。
「美味いか?」
「はい、とっても美味しいです」
「へへっ、良かった! 焼きたてのパンって美味いよなー」
チョッパーもちぎりながら食べるのかと思いきや、そのまま大きく口を開けてパンに思いきりかぶりついた。想像より野生的な食べ方に驚きつつも、やはり頬袋をもぐもぐ膨らませる彼が可愛くて微笑んでしまう。
瓶入りの牛乳もはんぶんこで頂きながら、彼は少しずつわたしが眠っていた間のことを話してくれた。
「あの後アウールは、手を組んでた海軍大佐どもとまとめて海軍の船に縛り付けて流しておいたから、多分また監獄行きだなあ。何隻かおれたちを追ってきた海軍も居たけど、余裕で逃げ切ったから大丈夫だぞ! あと、例のガレオン船に残っていた100人の乗組員は全員、アウールが買った奴隷たちだったらしくて、そっちはブルックが上手く逃してやれたみたいだ」
「まあ、そうだったんですか。彼らも、わたしと同じような……逃げ出すことが出来て、良かった……」
「……皆、すごく心配してたんだぞ」
「え──?」
ごくん、と最後のひとくちのパンを飲み込んだチョッパーが、妙に真剣な眼差しでわたしを見上げる。
「お前が眠っている間、皆お見舞いに来てくれてさ。ほら、枕元が大変なことになってるだろ?」
彼に言われて改めて枕元に目を向けると、そこには何とも様々なお見舞いの品が並んでいた。ナミさんの育てているミカン、ブルックさんの歌声が入っているだろうTDや、フランキーさんの燃料代わりのコーラ、それから──
「ルフィさんの、麦わら帽子……」
船長の大切な宝物まで、預けられている。わたしはそっと彼の帽子を被ってみた、目の奥がじわりと熱くなる。
他にも腹巻きや絵本、特製ルアー、日持ちするよう袋詰めされたクッキー、その品を見れば誰が置いてくれたかすぐにわかる、個性的な物たちが山になっていた。
「皆、本当優しくて良いヤツで、お前のこと大好きなんだ。命を賭けても守りたいし救いたい、一緒にずっと笑い合っていたい仲間だと、思われてるんだよ」
チョッパーはそこまで言うと急に黙り込み、回転椅子から軽やかにぴょんっとわたしの膝の上へ飛び乗ってきた。わたしの胸に顔を埋めるように、ぎゅっと抱き着く彼は、先程に比べて随分弱々しい。
「だから、もう、自分の命を諦めるような真似、しないでくれ」
一瞬、息が止まるようだった。
「舌の奥の方、今はもうほとんど消えているけど、不自然な噛み傷が残ってた。まるで、自ら死ぬ為に舌を噛み切ろうとしたような、傷だ」
船医であるチョッパーはわたしの身体に少しも傷が残らないように、隅々まで手当てをしてくれた筈。当然、口の中も診てくれたのであろう。
そう、わたしはアウールたちに再び囚われてしまった時、恐怖に支配されて何もかもを諦めようと──皆にこれ以上の迷惑をかけるくらいなら、死んでしまおうとしたのだ。なんて、馬鹿な真似を。
「おれ、もっと、もっともっと強くなるから、誰にも取られないように、アリーシャのことを守るから。例えお前が何処に攫われようと、必ずまた奪いに行ってやる。だから、お願いだから、約束してよ、何があっても生きてくれると、約束、しろぉ……ぅ、ううっ、」
わたしの為に、こんなにも泣いてくれるひとがいるのに。自ら命を断とうだなんて、そんな大罪は犯せない。
チョッパー、と呼び掛ければ、彼は涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃの顔を上げた。そんな表情すら可愛い、愛おしいなんて、口に出したら怒られてしまうだろうか。
「ごめんなさい。もう二度とそんなことしませんから、泣かないで、チョッパー。……ありがとう」
彼の大切な帽子を少しだけ上にずらして、そのふさふさした額へ、わたしは音も立てずに唇を付けた。
途端、ピタリと、涙どころかチョッパーの動きも石化のように止まったから、何だか面白くて微笑んでしまう。
数秒の沈黙が続いた後、チョッパーの顔がボンッと爆発したように赤くなった。彼は「ひゃーッ!?」なんて女の子みたいな悲鳴をあげながら後退り、結果わたしの膝の上からゴロゴロゴロッと大きな音を立てて転げ落ちる。
「えッ、あの、チョッパー! だ、大丈夫ですか!?」
慌てて足元に転がったチョッパーに手を差し伸べるも、彼はわたしの唇が触れた自分の額を両前足で押さえながら、真っ赤な顔のまま「な、なんっ、なー!?」と言葉にならない声で叫ぶばかり。わたしとしては、約束の意味を込めた口付けだったのですが。
「ご、ごめんなさい、そこまで驚かれるとは思わなくて……。嫌、でしたか?」
「なっ、い、嫌なわけねえだろ! ただ、ちょっと、心の準備が出来てなかっただけだ!!」
何だか強がるように声を張るチョッパー。差し出したわたしの手を取り、彼はヨロヨロ立ち上がると、またわたしの膝の上に登った。
「嬉しい、けど、こういうことは、おれが先にしたかった、な。おれだって、トナカイだけど、男だから」
ふたりきりの医務室じゃなかったら、聞こえなかったかもしれない程の小さな声。むっすりと拗ねた様子で口を尖らせている、顔はまだ赤い。
「……チョッパー、かわいい」
「男に可愛いなんて言っても、嬉しくねえぞ!」
あ、この嬉しくないは本当に嬉しくないパターンだ。でも、彼が可愛いことは事実なので仕方ないと思います。
仕返しだ、と言わんばかりにわたしの頬を蹄でむにむに突いてくるチョッパー。ふふふ、やっぱり可愛らしい、なんて和んでいたら、彼の青い鼻が急速に近付いて──
ドンドンッ、ドンドンドンッ。医務室に響き渡った突然の強いノック音。ふたり揃ってビクッと肩を震わせ、慌ててお互いの顔を離した。
「おーいっ、チョッパー!? さっきなんかゴロゴロゴロってスゲー音響いてたけど、大丈夫かあー!」
扉越しにウソップさんの声が響いてきた。先程チョッパーが転げ落ちた音を聞きつけて、心配で様子を見に来てくれたみたい。
「な、何だ、ウソップかあ〜……はあ、驚いた……」
ぎゅっと胸元を押さえながら、残念そうに深々ため息を吐き出すチョッパー。わたしも、どきどきと喧しく高鳴る胸元に手を当てた。
扉の向こうからは微かに「何だとは何だよ!?」と怒るウソップさんの声が聞こえる。
「び、びっくりしました、ね」
さっきは本当に、キスを、してしまうかと思った。お互いの唇が触れ合うまで、あとほんの1センチも無いギリギリだった。
なんだか妙に恥ずかしくなって、彼の顔を真っ直ぐ見ていられない。少し俯いてしまうわたしを気遣ったのだろうか、チョッパーは床に降りると再び逞しい人型に変身して。
ひょいっ、とわたしの身体を横向きに抱き上げた。所謂、お姫様抱っこである。
「きゃっ、ちょ、チョッパー!? だ、大丈夫ですよ、わたし、もう自分で立てるぐらい元気ですから、」
「ダーメーだー。まだ医者のおれが完治と認めてないだろ、というか、おれが、アリーシャを特別扱いしたいんだ」
だって、恋人なんだから。
ちゅーしたり、だっこしたりって、恋人同士じゃなきゃしないような、特別な事なんだろう?
──そんな風に問われてしまったら、わたしはもう、黙ったまま小さく頷いて、彼のもふもふした両腕に身を任せるしかなかった。
顔がとても熱い。きっとみんなと顔を合わせたら、まずはこの状況と頬の赤さをからかわれてしまうんだろうな。
「さ、甲板に出よう。皆が待ってる!」
「……はい!」
わたしの恋人さんはとっても可愛いのに同じくらい格好良くて、優しくて頼もしくて、ああ、ますます大好きになってしまいます──。
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