単発まとめ
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タバコとキャラメル
あー、良い天気。うちの煙草屋は今日ものんびり平穏そうだ。
ぼんやり小窓の外の空を眺めていたら「それじゃあ図書館の句会に行ってくるから」「今日もお店番よろしくね、いってきます」という祖父母たちの声が後ろから聞こえてきたので、慌てて振り返り「はーい、いってらしゃい」気をつけてねーと声をかけて、私はまた店の小窓の向こうへ体を戻した。いつもと変わらぬ平穏な街並みに、いつもよりキラキラきっちりお洒落したお爺ちゃんとお婆ちゃんの後ろ姿を見送って、ついニヤけてしまう。
ここは街の片隅にある小さな煙草屋さん。さっき出掛けて行った、私の大好きな祖父母が昔々からやっている、ご近所から長く愛されてきた古き良きお店なのだ。都内電車の乗り場から徒歩数分、近所にある帝國図書館からも職員さんたちがよく買いに来てくれるので、なかなか繁盛している。何故かあの図書館、喫煙者がやたら多いらしい。禁煙ブームの近頃にしては珍しいし、煙草屋にとっては有難いことだ。
そして私はと言うと、今年の春から晴れて花の高校一年生になり、同時に祖父母の代わりとしてここへ座るようになった、煙草屋の店番だ。学校がお休みの日限定、だけどね。「まだ若いのにこんな地味なお仕事頼んでしまってごめんね」「もっとお友達と沢山遊びたいだろうに」なんて祖父母たちからは申し訳無さそうに気遣われるけど、これは私が好きでやっていること。こうして店の狭くて小さな窓から、ぼんやり街を眺めることが好きなのだ。面白いお客さんも多く来てくれるし、お客さんがなかなか来ない時間は図書館で借りた本をゆっくり読んでいたりする。私にとっての楽しみは、ここで店番をする時間なのだ。
祖父母を見送ってしばらく経った後、昨日借りたばかりの歌集を読んで夢中になっていた私に、誰かが「すいませーん」と声を掛けてきた。もうすっかり聞き慣れた、大阪訛りの軽やかな声。おっといけない、お客さんだ、私はすぐに本に栞を挟んで閉じた。顔を上げれば、予想通りの長い三つ編みが目に入り、宝石みたいな赤色と目が合った。やっぱり。
「オダサクさんだ、いらっしゃいませ。こんにちは!」
「おっ、わしの名前まで覚えてくれたん? 嬉しいなあ〜」
こんにちは、と満点の笑顔付きでお返事してくれたこの美男子さんは、うちの常連客のオダサクさん。根が陽気で話好きなのか、暇な時は店の横で買ったばかりの煙草を吸いながら色々と話し相手になってくれる、面白いお客さんのひとりだ。店番を始めてまだ数ヶ月だけど、結構仲の良い常連さんだと、私は勝手に思っている。
彼の本名は織田作之助と言って、──あ。そういえばこの間、図書館で全く同じ名前の作家さんの小説を見つけてびっくりした。気になって少し調べてみたら、その小説家さんも同じオダサクという渾名で親しまれていたらしく、しかも出身地まで同じ大阪だった。珍しいことがあるものだなあ、と思う。そんな話をしたら、彼は何故だか気まずそうに笑って「その作家ならよーく知っとるよ。お嬢ちゃんの好みに合うかわからんけど、結構自信……いや、面白いから今度読んでみて」と言った。うん、早速また今度借りて読んでみよう。
彼のお気に入りの銘柄はラッキーストライク。決まって毎週日曜日に来て、煙草を2カートン、それから、12粒入りのミルクキャラメルの箱をひとつ買って行くのだ。まだご結婚しているようなお年には見えないが、彼には"可愛い嫁はん"が居るらしく、キャラメルは甘い物好きな彼女へのご褒美なんだとか何とか、いつぞやデレデレ惚気られた記憶がある。
「はい、お会計ちょうどですね。ありがとうございました。また来てくださーい」
「おおきに。お嬢ちゃんもまた図書館来てな、庭の向日葵がもうすんごいことなってるから、見においで」
「えっ、ほんとに。春の桜も凄かったですけど、今度は夏の向日葵ですか。明日、学校帰り見に行きます」
「うん、待っとるでー」
にんまり笑顔でひらひらと手を振り去って行くオダサクさんに、私も自然と口元が緩み、手を振り返して見送るのだった。
さ、また読書に戻ろうかと思いきや、その後も続々とお客さんがやって来て、本を読む暇なんてなかった。有難いことだ。
「いらっしゃいませー」
「あ、今日もお孫さんがお店番なんだね、お疲れ様。じゃあ、バットを10カートンください」
「は、はーい」
うちには色々と面白いお客さんが本当に多く来て下さるけど、腰より長ーい濃藍の髪を揺らしてまったり笑うこのひとは、何て言うかもう、すごい。先週も、先々週も、確か全く同じ量を買いに来ていた……もはや、煙草が主食のようなものなんだろう……。煙草屋としては有難いけど、ちょっと心配になる美形のお兄さんだ。
その後もたくさんお客さんが来てくれて、ばたばたと接客している内に、気付けばお昼の時間を過ぎていた。ようやく客足が途切れ、ふう、と一息。さすがにおなかすいたなあ、私もお昼休憩を取ろう。小窓に『休憩中』の札をかけて一旦閉じた、その時だった。
バン!! ──と、大きな手が窓に叩きつけられて、びっくり目を見開く。無理矢理こじ開けられたその向こうに居たのは、金髪に赤いメッシュを染めた大学生ぐらいのお兄さん。顔はかっこいいけど、明らかに不良っぽい。な、何、この人?
「ばあちゃん! 悪いんだけど、また匿って……て、誰だお前!?」
「ぅえッ!? そ、それはこちらの台詞なんですけど……?」
彼が咄嗟に呼んだ"ばあちゃん"とは私の祖母のことだろうから、常連さんなのだろうか?
「ああッ、もう、この際誰でも良い、頼む、俺様を匿ってくれ!」
「は!? か、匿う? お兄さん、一体全体何言って、うわ、ちょっ、ちょっと! 勝手に上がって来ないでくださっ、わ、わーッ!?」
不良さんはいきなりカウンターに足をかけると、そこからぐっと登って、狭い小窓から店内へ転がるように飛び込んできたのである! 私は咄嗟に彼を避けるため立ち上がった。座っていた椅子はひっくり返り、この騒ぎで棚が大きく揺れて、中にしまっていた煙草がバサバサと床へ散乱する。
更にその人は、匿ってくれ、との言葉通り誰かから追われている身なのか、すぐさま私の座っていた机の下へ潜り込んで隠れた。こちらが口を開こうとすれば、しぃー! と自身の口の前に人差し指を立てて、黙るよう無言で訴えてくる。余程怖いひとに追われているのか、まるで命を狙われているみたいに、凄く必死だ。
ほんとに何なの、このひと。お婆ちゃんの顔見知りじゃなきゃ、お巡りさんを呼んでいるところだ。ああ……今朝予感した私の平穏は、何処へやら……。
そこへ。
「こんにちは、まだ買えるかい?」
「あっ、は、はい! 大丈夫ですよ、いらっしゃいませ」
新たなお客さんが来てしまった、一旦、足元の不良さんは後回しにするしかない。必死に内心の動揺を営業スマイルで隠しながら、頼まれた煙草を二箱、そしてお釣りを返そうと、小窓から腕を伸ばした時だった。
「ところで、お嬢さん」
女性よりも上品で綺麗な顔をしたお客さんの、藤色の髪の隙間から、ぎらりとアメジストが光る。その美しくも鬼のような迫力に、ヒェッと小さく悲鳴が溢れた。
「ここへ妙な男が逃げて来なかったかい」
!? どきん、と心臓が跳ねた。これは恋のときめきなどではない、悪い事をしてバレた時のような、嫌な胸の高鳴りである。って、私は何にも悪い事なんてしてないんですけど!
「え、えっと、どんな方でしょう?」
「金髪であからさまに柄の悪そうな男だ。僕は彼になかなかの額のお金を貸していてねえ、半年ほど前から……そろそろ返してもらえないだろうか、という話を、じっくり交わしたいだけなのだが……逃げられてしまったから、仕方無く探し歩いているのだよ」
全く困ったものだね、と溜息交じりの冷たい声に、思わず私の背筋も凍る。ど、どうでしたかね〜? なんて考え込む素振りを見せながら、ちらり、足元に目を向ければ、例の不良さんがこちらを見上げて「助けてくださいお願いします」という気持ちを泣きそうな顔で訴えていた。そもそもこんな、綺麗なのに怖いひとからお金を借りられるなんて、変なとこで度胸ありますね!?
さっき出会ったばかり、おまけに店内を騒がせた相手に、恩を売る理由も助ける義理もありはしないのだが。ただ、うちのお婆ちゃんとは前々から知り合いのようだし、このまま見捨ててしまうのは……でも、どう考えても悪いのはお金返さないこの人だし……あっ、そうだ!
「ああ! 不良っぽい男のひとなら、さっき見かけましたよ。『来週には必ず! 少しでもお返し致しますからー!!』って叫びながら、えっと、そう、あっち、都電乗り場の方へ走って行きました。もう電車に乗って、遠くへ逃げちゃったかもしれません、ね?」
我ながら名案だと思った。しかし問題なのは、その時、思いっきり「ひらめいた!」と言わんばかりの顔をしてしまった可能性だ。私は悲しいことにどうも、嘘を付けない(もしくは表情に出てすぐバレる)タイプである。
「……ふっ、はは、そうか。なるほど、貴重な情報をありがとう、お嬢さん。なら、今日はもう彼を追い回すのはよそう」
さっきまでの怖い顔は何処へやら、お客さんは口元を拳で隠しながら大きく笑った。えっ、と、あっさり嘘が通じてしまって、逆に驚いています。
「迷惑をかけたね」
「い、いえ、そんな、」
「ただし……」
「ひぇッ」
「今回は心優しいお嬢さんに免じて、見逃すけれど。約束通り、来週、一割でも返さなかったら……わかっているのだろうね、足元の君」
やっぱりバレてました!! ──だけど、お客さんは「また来るよ」と一言、妙に満足気な笑顔で去って行った。私はしばらく、ぽかんと空いた口を閉じる事が出来なかった。
お客さんの姿が完全に見えなくなったことを確認して、私は足元へ目を向ける。隠れていた不良さんはすっかり脱力して床に倒れていた。
「何してるんですか、もう。汚いですよ、不良さん」
「あー……大丈夫だよ、お前んとこのばあちゃんがいつも掃除してくれてんだろ、埃ひとつ落ちてねえ……っていうかやめろ、その呼び方」
「だって、名前知らないですし」
「ああん? それもそうか、俺様は石川たくぼ、く、」
──石川啄木?
咄嗟にこちらを見上げた不良さんは、明らかに「あ、やべえ」という顔をしていた。
私は今朝から読んでいた歌集を手に取る。そこには確かに、作家名"石川啄木"と書かれていた。文学に疎い人間でも辛うじて名前だけは聞き覚えのある人も多い、教科書にも載るような作品を世に残した、かの有名な……
「へぇー! 珍しいお名前ですね、啄木さん。あの有名作家さんと同姓同名だなんて。私、結構好きなんですよね、この人の言葉。この間、授業で短歌を読んで、気になったから図書館で歌集借りて読んでる真っ最中なんです」
「は?」
「名前が同じってだけでも、なんか親近感湧いちゃいますねー! って、何ですか、その鳩が豆鉄砲を食らったような顔」
「……いや、べつに。まあ、そうか、うん……そういう反応になるわな、普通」
啄木さんは何やら、ブツブツと呟きながら、のっそり随分疲れた様子で今度は座り込んだ。
「まあ、いいや。お前のおかげで助かったぜ、騒がせて悪かったな」
「え、あ、はい……」
「少しでも金があったら、詫びに煙草の一箱ぐらい買いてえんだけどよ、ねえんだよなあ、それが」
言いながら、彼は床に散らばった煙草の箱を拾い始めた。いや、彼のせいで散乱したのだから、片付けるのも当然と言えば当然だけど、なんだかちょっと、意外である。こんな惨状は無視して、すぐに出て行くものだと思っていたから。
私も手伝って片付けが終わると、よしと一言、彼はすっくと立ち上がる。
「じゃあな、嬢ちゃん。この借りは今度必ず返してやっから!」
そう言い残すと、啄木さんは来た時と同じく土足でカウンターに上がり窓を抜けて、さっきのお客さんとは反対方向に走り去って行った。あのひと、お金もきちんと返せない癖に、大丈夫なのかな。そんなこと言っちゃって。……まあ、期待はしないでおこう。
目立つ金髪が遠く見えなくなったので、私は改めて、ふう、と一息ついた。どうかこの後は、平穏無事に過ごせますように。なんて願いながら、今度こそ、小窓に『休憩中』の札をかけて閉じるのだった。
さて、あれから一週間後。
うーん、今日も今日とて平穏そうな良い天気、お店番日和だ。
毎週土日のお楽しみである店番を頼まれた私に、今日は夫婦で山登りへ行くのよと張り切っているお婆ちゃんから、商品として売っている筈のキャラメルが詰まった黄色い小箱をひとつ、手渡された。「なあに、これ?」と聞けば「常連の若い子がね、可愛いお孫さんに渡してくれって、買ってくれたのよ」ふふ、モテるわねえ、なんてニヤニヤした答えが返ってきた。えぇ、見るからに怪しいんだけど、大丈夫なの、これ。既に封も開いているし。
箱を開けると、キャラメルと一緒に小さな紙きれが入っていた。原稿用紙の端を雑に破って二つ折りにしたそれは、どうやら私宛ての手紙らしい。それには差出人の名前なんて書かれていなかったけど、短く「この間は助かった。ありがとう。」とぶっきらぼうに雑な字が書かれていたから、これはきっと"石川啄木"さんからの手紙なんだろうと察する。つい、ふっ、と笑みが溢れた。せめて名前ぐらいは書いてくださいよ、もう。恥ずかしかったのかなあ。
(色々どーしよーもなさそうひとだけど……不思議と、可愛くて憎めないひとなんだなあ、啄木さんって)
次はいつ来てくれるだろう。さすがにもう、あんなこわーい思いはしたくないから、今度は普通にお客さんとして来てほしいけど。……また、会えるといいな。ううん、なんだか、すぐに会える気がする。
そんなことを思いながら、私はキャラメルをひと粒頬張った。さあ、今日ものーんびり、お店番だ。
「よお」
「あっ、啄木さん! ふふ、いらっしゃいませー」
2017.07.24 公開
2018.07.02 加筆修正
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