単発まとめ
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お昼過ぎのプロポーズ
ここは帝國図書館の職員と転生文豪たちだけが利用出来る、文豪食堂。
日曜お昼のピークをすっかり過ぎた頃、去年の冬休み頃からここでアルバイトさせてもらっている私は、空っぽになった食器たちを片して机を拭いて椅子を整えて、ひとりでせっせとホールの後片付けに励んでいた。そこへ。
「こ、こんにちは」
お邪魔して申し訳ない、という思いがよく伝わる、とても控えめな小声が耳に届く。ああ、この声は。私はすぐに手を止めて振り返った。
「こんにちは、萩原先生!」
やっぱり、夜の空みたいな美しい瞳と目が合う。私が嬉しくなってご挨拶を返せば、お月様が星のように散らばった青い羽織りの裾を、恥ずかしそうにぎゅっと両手で握り締めながら、そのひと──萩原朔太郎先生も、はにかんだ笑顔を見せてくれた。
「先生、ボタン外れてますよ」
「わ、わわっ、ご、ごめん」
先生はちょっぴりおっちょこちょいなひとで、よくこうしてシャツの胸元のボタンが外れていたり、羽織りを裏返しに着ていたりする。それをお節介ながら直してあげることなど、私にとってはすっかり慣れたものであった。
「今日のお昼は、オムライスとハムサラダですよ。さ、どうぞ、どうぞ」
「ごめんね、綺麗に片付けたばかりなのに」
「なにおっしゃってるんですか。私は先生の為、いつも念入りに綺麗に後片付けして、待っているんですよ」
「えぇ!? えっ、と……」
「私もまかない貰ってきますから、少々お待ちくださいね」
ちょうど片付けも終わったところなので、私はいったん厨房へ引き返す。料理長がこちらもちょうどよく「そろそろ萩原先生が来る時間だと思って」用意してくれていたオムライスセットと、私用のまかない洋風炒飯を仕上げてくれていた。お礼を言ってそれらを頂き、また先生の元へと戻った。
あとはお水を用意して、先生はナプキンを首に巻いて、私が彼のお隣に座ったのを合図に、ふたり揃って「いただきます」と手を合わせた。
先生は何故だか、この少し遅い時間の昼食を気に入っているようだった。私も、先生がこの時間に訪れてくれると、料理長の作ってくれたまかないを彼といっしょに味わうことが出来るから、嬉しい。バイトの休憩時間たっぷり、つい長々と話し込んでしまうのもしょっちゅうだ。
「あ、萩原先生、お口の周りがべたべたですよ。それじゃあ食べにくいでしょう」
「おわぁ、ごめん……」
「もう、先生ったら、さっきから謝ってばっかり」
お口を閉じて、拭いて差し上げますから。そう言って私は自分の手元に用意していたナプキンで、先生の口周りを優しくそっと拭う。閉じるのはお口だけで良いのに、先生は目までぎゅうっと閉じてしまうから、可愛らしい。綺麗になりましたよ、と声をかければ目を開けて、また申し訳無さそうに苦笑した。
「ごめ、あっ、じゃなくて、えっと……ありがとう、ね。いつも」
「いえいえ、こちらこそ。先生と過ごせるお昼、私は楽しいですから。どうか気になさらないでください」
「ほんとうに?」
「本当ですよー」
こうして毎日先生とお食事出来る時間が、最近の私の、いちばん幸せで楽しい時間だ。ここでバイトを始めて良かったー、って思うくらい。
たぶん、私、先生のこと好きなんだ。可愛いなあ、放っておけないなあ、そういう気持ちがいつしか恋心に繋がったのだろう。今では願わくば、ずっとお傍にいたいなあ、なんて、思ってしまうから。
「でも……こんな手のかかる男、やっぱり、面倒だよね……」
そんな私に、このひとは可笑しなことを言う。こちらから顔を逸らして、しょんぼり俯いてしまった先生。その頬をいたずら心でプニッと突っついたら、先生の肩がびっくり跳ね上がった。ふふ、この大袈裟な反応も可愛くて好き。
「萩原先生。私は、先生のそういうところも可愛いなあって、思いますよ。毎日だってお世話してあげたくなっちゃいます」
驚きでまん丸になった青い目が、勢いよくこちらを向く。先生のお顔は、赤く林檎のように色付いていた。
「そ、れって、なんだか……プロポーズ、みたいだ」
「……え? あっ」
今度は私の頬がぽふっと熱くなる。い、言われてみれば、確かにそうかも。でも、うっかり口から溢してしまっただけで、嘘のない本心だから、言い訳もしようがない。
先生はしばらく黙り込んで、おどおど目を泳がせたり、両手をもじもじそわそわ動かして落ち着かなかったけど。やがて何か意を決したように、その表情を真剣なものへ変える。その見慣れない男のひとの表情に、ついどきっとした。
「自分は、孤独が嫌いなんだ」
「はい、存じておりますよ?」
「なのに、どうして、わざわざ皆のいるお昼時は避けて、犀や白秋先生の誘いも断って、こんな遅い時間を選んで食事に来ていると思う?」
「それは……人の多い場所が苦手だから、混み合う時間帯を避けているのでは、無いんですか?」
「……ちがうよ。この時間なら、君とゆっくり話をしながら、食事ができるから。君にこうして、世話を焼いてもらえるから。君と過ごせる僅かな時間を、誰にも、邪魔されたくなかったから」
「え……?」
「君のことが、好きだから、だよ」
ずい、と先生の赤いお顔が近付く。鼻先が触れ合ってしまいそうな距離に、心臓がどくんと大きく跳ねた。
「ねえ、夢子ちゃん」
今まで聞いたこともない、低い声。ああ、そうだ、このひとはちゃんと男のひとだって、改めて思い知らされる
「本当に自分のこと、一生、お世話してくれる?」
ぎゅう、と彼の両手で包み込むように右手を握られて、じぃっ、とその目に見つめられて、動けない。心臓が、どきん、どきん、痛いくらい高鳴っている。
「萩原、先生……」
「朔太郎、って、呼んでほしいな」
彼の縋るような姿に魅入られて、息と一緒に声すらも詰まる。だけど黙り込んでいてはダメだ、返事をしなくちゃ。ずっと想っていたことを、言わなきゃ。私は必死に口を動かして、懸命に喉を震わせた。
「……わ、私も、」
あなたのことが──
「朔ー? まだお昼食べてるのか、そろそろ潜書の時間だぞー!」
「朔太郎くん、あまり司書さんたちを待たせては……おっと、」
噂をすれば何とやら、というやつでしょうか。潜書のお時間が近付いて彼を迎えに来たらしい、彼の親友と師匠の声に、私の言葉は途中で遮られてしまった。
彼が慌てて私に近づけていたお顔を離す。さっきよりも真っ赤なお顔で、こちらに歩み寄ってきた室生犀星先生を恨めしそうに睨んだ。犀星先生は何故親友に怒られているのかわからず、困った表情をしていらっしゃる。その少し後ろで、北原白秋先生がくつくつ喉を鳴らして面白そうに笑っていた。
「良い雰囲気のところ、邪魔をしてしまって悪かったね」
白秋先生の言葉に「べ、別に、問題ありません。すぐ行きます」と珍しく早口で声を張り上げる萩原先生。一切れだけ残していたハムを最後のひとくちで完食すると、ごちそうさまでした、と椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった。汚れたナプキンも解いて、まるでこの場から逃げ出すように、私の後ろを通って去ろうとする。
あっ、だめ、待って。私まだちゃんとお返事してないのに。このまま変に気まずくなってしまったら嫌だ。私は咄嗟に萩原先生の羽織の裾を掴んで、無理やり引き止めた。
「さ、朔太郎さん!」
「おわあ!? ど、どうしたの」
「えっ、と……」
すう、はあ、深呼吸して。極めて、いつも通りに。未だどきどき高鳴っている胸元を押さえながら、にこりと笑って見せた。
「どうか、お気を付けて。無事に帰ってきてくださいね。私、またここで待っていますから。その時にちゃんと、お返事させてください」
「……うん。いってきます」
「はい、いってらっしゃいませ」
さっきまでちょっと不機嫌だったのに、あっという間に上機嫌で笑顔になった先生。彼は私のお見送りを背に親友と師匠の後を追って、カランコロン下駄を鳴らしながら駆けて行くのだった。……途中、食堂の出入り口の段差で転びかけるという、危なっかしい後ろ姿を見せていたけど。もう、やっぱり可愛いなあ。
さて、私もしっかり休憩したら、夕方からのお仕事、また頑張らなくちゃ。これからも、大好きな先生のお世話をさせてもらうんだから、ね。
2017.06.04公開
2018.05.07加筆修正