単発まとめ
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幸福を食む時間
食事の時間ほど、孤独が虚しいものもない。川端康成は時折、食堂の片隅でそんな言葉を溜息交じりに吐き出すことがあった。
「横光はん、横光はん」
「おや、織田さん……オダサクさん、どうかなさったか」
「わしの呼び方はお好きにしてくれて構いませんよ、センセ。ああ、いや、そないなことやなくて、ほら、川端先生、なんや隅っこで落ち込んではりますけど、ええんですか?」
本日の昼食メニューである焼き鮭定食を前に隅でひとり、ひとくちも食事に手を付ける気配も無くぼんやりしている川端を見つけてしまって、織田作之助はどうも心配になったのだろう。偶然同じタイミングで食堂に入った横光利一にそう声を掛けたが、彼の親友であるはずの横光は不思議そうに首を傾げるばかり。
「余計なお世話やと思いますけど、声掛けに行った方がええんちゃいます?」
「うん? 必要ないだろう」
「えぇ、でも……」
「そうか、織田さんは川端を心配してくれているのか。ありがとう。だが、気にすることはない。邪魔をしてしまっては、無粋というものだ」
いったい、何の邪魔になることがあるのだろう? 今度は織田が首を傾げる。その疑問はふたりも定食を貰って川端とは少し離れた席に着いた頃、わかった。
賑やかな足音と共に、視界の端でポニーテールが揺れた。彼らと同じように焼き鮭定食を乗せたお盆を持ち、小走りに食堂の片隅へ駆けて行く少女の姿。「川端先生!」彼女の元気な声に、川端はすぐ顔を上げる。その表情は珍しく笑っているように見えて、心配で彼の様子を伺っていた織田は酷く驚いた。
「お待たせしました! すみません、師匠と少し話し込んでしまって」
「いえ、構いませんよ」
ポニーテールの正体は、特務司書見習いの少女であった。織田もよく知っている彼女は、どうやら川端と特に仲が良いらしい。そうか、彼は少女を待っていたのだ。しかし彼女は何故か川端の正面ではなく、彼の隣にお盆を置いて座った。川端はどこか不満げに少女を見つめる。
「た、たまには良いじゃないですかあ」
少女は川端のじっとりした眼差しに困った様子で眉を下げた。
「先生ったら、正面に座ると私がもぐもぐしてるところばっかり見つめて、全然自分の箸を進めないんですもん。そんなに嫌、でもないですけど……ちょっと、恥ずかしいし、先生もちゃんとお食事なさってください!」
「…………はい」
物凄く不満気な返答である。けれども少女は満足気に笑って、いただきます、とお行儀良く手を合わせた。川端も続いて箸を持つが、その目線はやはり隣の彼女の手元へ注がれている。
「ふふ、今日も美味しそうですね。私、鮭の皮が好きなんですよ。はーあ、毎日食べに来られたら良いのにな」
「毎日は、来られませんか」
「そうですねえ。来週から夏休みが終わって学校も始まっちゃいますし、また少しだけ寂しくなりますね……んんっ! わあ、この鮭、皮パリッパリ! 美味しい〜♡」
少しだけしょんぼりと落ち込んでしまった川端の様子に、少女は気付かない。程良くぱりぱりに焼かれて香ばしい鮭の皮を頬張って、全く幸せそうである。そんな彼女を見ていたら、一瞬の寂しさも焼き鮭の身のようにほぐれてしまったのか、川端もつられて微笑む。自分の皿の鮭から皮を丁寧に剥がすと、白米をいっぱい詰め込んだ彼女の口元にずいっと差し出した。
「どうぞ」
「むぐっ!? せ、先生、駄目ですよ、ちゃんと自分の分は食べなくちゃ」
「私はあなたの幸せそうな表情を食む方が、満たされます。どうぞ」
少女はしばらく口の中をもごもごさせて戸惑っていたが、川端が箸をこちらに向けたまま凝視も止めないので、根負けして「い、いただきます」恥ずかしそうに差し出された鮭の皮に噛み付いた。しかし、照れ臭さよりやはり美味しさの方が優って、彼女の表情はまた幸せに緩む。皮の塩気がたまらなく、彼女に夢中で米を頬張らせてしまう。
「うう、美味しい……私、このままでは食堂の美味しいご飯と川端先生のせいで、ぷにぷに肥えてしまいそうです……いや、先生のあーん♡ に抗えない、私も私なんですけど……絶対、この夏休みで体重増えただろうなあ」
「幸せ太り、というものでしょうか」
「それですよー! もおー! ポニーテールが似合うポニ子ちゃんじゃなくて、お肉むっちりでぷにぷにのぷに子ちゃんになったら、どうしてくれるんですか!」
「……私が責任を持って、きちんと美味しく頂きましょう」
「冗談で誤魔化さないでくださいよ、先生ったら!」
お返しですと怒ったふりをして笑いながら、今度は少女が川端に漬物のきゅうりを差し出した。全く、見ているこちらが恥ずかしくなるぐらい、仲睦まじい光景である。
そんなふたりの姿をしばらく見ていた織田は、つい息を溢して笑ってしまった。
「川端センセ、楽しそうですねえ」
何にも心配することありませんでしたね、と。織田の言葉に、横光は後ろを振り返ってふたりの様子をちらりと盗み見た後、すぐ織田の方を向き直り安心した笑みを浮かべた。
「誰か特別な人との食事ほど、楽しいものもないだろう」
「ははあ、なるほど。ケッケッケ、その楽しさは、わしにもようわかります」
そういえば川端が例の孤独を吐き出す時は、決まって少女がそばに居ない時であったかと織田は思い出す。少女は司書の仕事だけでなく、学生も未だ兼業している身だ。毎日、共に食事をするのは難しい。故に、食事の時間にこそ特別感じてしまう寂しさ、愛しい人と幸福を共有出来ない虚しさ、あの言葉にはそんな意味を含んでいたのかもしれない。
相変わらず隣同士仲良く食事を楽しむ川端と少女ふたりの姿は微笑ましく、また、未だ食堂に顔を出さない特務司書の女のことがじわじわ気にかかる。織田にも少しだけ、川端独特の言葉が理解出来たような気がした。
「さくのすけさん、よこみつせんせ、」
「あっ、おっしょはあん! もおー、来るの遅いから心配したわ。何を遠慮してはんの、ほら早くこっち、座って座って」
愛しい人との食事は、より一層、気持ちまで美味しくするものだ。
2017.09.02公開
2018.04.13加筆修正