図書館の眠り王子と補修屋の話
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帝國図書館補修専門職員通称・補修屋さん
物を直す技術に特化した錬金術師
中性的な見た目の世話焼きお姉ちゃん
細身で高身長、好む服装も男装っぽい
自作するほどのヌイグルミ好き
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ケーキより甘いひと
コンコンと軽いノック音に、もうすっかり補修室の主として様になった女が顔を上げる。男のように首の所でぶつりと切った髪を整えながら「はい、どうぞ」と声を返した。
この女もまた、国定図書館専属錬金術師のひとり。補修室を主な仕事場として、転生文豪らのメンタルケアや本の補修を専門に行う職員である。どんな壊れ物でも彼女の手にかかれば、魔法のように直ってしまうから、皆には"補修屋さん"なんて呼ばれていた。
声が返ってきたことに安心して「失礼する」と補修室の扉を開けたのは、元軍医であり小説家の転生文豪──森鴎外だった。しかも、普段の白衣を羽織った軍服姿ではない、深い緑色に染めた浴衣を身に纏っており、その涼やかな姿に補修屋は驚いて目を丸くした。
「あれ、鴎外先生、今日は非番の筈では。何かお忘れ物でも?」
「いいや、大した用事ではない。まあ、どちらかと言えば、お届け物だな」
鴎外はふっと微笑み、後ろ手に隠していたのか、彼女の目の前に小さな白い紙箱を見せる。その箱の隅に刻まれた金の文字は、彼女もよく知る近所で有名なケーキ店の名前だった。患者用の丸椅子をテーブル代わりに箱を置いて開ければ、ふわり、爽やかなレモンの香りが漂う。補修屋は仕事机から立ち上がって中身を覗き、わあっとはしゃいだ子供のような声を上げる。珍しい彼女の反応に鴎外は一瞬驚き、しかしすぐ安堵の笑みを浮かべた。
「どうやら、この店のレアチーズケーキが特別好きだという情報は、間違いなかったようだな」
「はい、大好きです!」
さくさくのビスケットを砕いて敷き詰めた丸く大きな舞台に、真っ白なレアチーズがずっしり、箱の中で煌めいている。上にブルーベリーやラズベリーがミントと一緒に飾られていて、実に華やかだ。ひとくち食べれば、たっぷりの生クリームと混ざり合ったチーズのフワフワ滑らかな食感に、もはや感動を覚えることだろう。
それは確かに、彼女の大好物であった。しかし、補修屋はやはりまだ不思議そうに首を傾げる。
「……でも、どうして?」
「有島君から聞いたのだ」
「えっ、有島先生……あ、いや、そうじゃなくて、」
「句会の帰りに正岡殿とケーキ屋へ寄ってな、茶漬けのお供に少し買って帰ろうかと。そこで、これを見つけた時に、彼から聞いた話を思い出してね。お裾分けにやってきた訳だ」
「このレアチーズケーキも茶漬けにするおつもりですか、先生……」
自分を思ってくれたことよりもケーキ茶漬けの衝撃で、彼女の顔は明らかに引き攣っているが、鴎外は全くその理由に気付かず微笑みを保ったままだ。
「まあ、特に畏まった理由はない。もうすぐ"父の日"という記念日があるだろう。今の内に、可愛い娘の前で良い父親ぶっておこうか、と思っただけだ」
「もう、何言ってるんですか、鴎外先生ったら。私、こんな格好良くて素敵な父親がいた覚えはありませんけど、ふふ、ありがとうございます」
鴎外の優しさを少し照れ臭く思いながらも、補修屋は嬉しそうに笑った。こうして彼がお節介な親のように、彼女を子供のように可愛がってくれるのは、もはやよくあることであった。
彼は前述のとおり、作家でありながら、医師でもある。その関係で彼女と補修室にて同じ仕事に関わることも多いため、自然と交流する機会も増えて、お互いの仲は非常に良好だ。そうして頻繁に顔を合わせている内に、年の割に若い見た目をしている補修屋がいつの間にか、鴎外にとって娘のような可愛い存在になっていたのだろう。
「でも、こうして娘扱いしてくれること、心の底から嬉しいと思います。先生」
彼女はせっかくだから早速一緒にお裾分けのケーキを頂こうと、補修室に折り畳み式の机を広げながら話し出した。鴎外もそれを手伝ってやりながら、耳を傾ける。
「やっと、本当の父親が出来たみたいだ。私は……男を望まれたのに、女として産まれてしまったから。あまり両親には、可愛がってはもらえなかったので」
そう語る補修屋の横顔は、寂しそうに、だがもう何かを諦めてすっきりしてしまったような、清々しいものでもあった。
棚の隅にこっそりしまってある、おやつ用の小さなフォークを二本、お皿を二枚、もうひとり分のティーカップを出して、組み立てたばかりの机に並べれば、即席のお茶会テーブルが完成した。まだ温かいポットからお気に入りの紅茶を注いで、鴎外の手元に置いた。
彼は愛娘の過去を下手に詮索しようとはしない。ただ、ありがとう、と優しい声を返す。彼女は、こちらこそ、と笑った。
「うむ……そうか。ならいっそのこと、これから『パパ』と呼び慕ってくれても、俺は一向に構わんのだがな」
「ぱ、パパって、」
「ほら、この間のように」
補修屋の顔がカァッと赤くなる。それは数日前のある事件を思い出したからだ。
『今度の健康診断の件なんだが……』
『ああ、その件なら、こちらの書類に日程等まとめておきましたよ、パパ。明日にでもコピーして、皆さんにお知らせしようと、』
『……パパ』
『えっ……あ、あっ!? すっ、すみませんっ、ごめんなさい! 間違えました林太郎先生!!』
補修屋も内心、彼を本当の父親のように慕っていたからか、そんなうっかりの呼び間違えをしてしまった。
あの時と同じように、恥ずかしさのあまり口元を片手で覆い隠す彼女を見て、鴎外はくつくつと喉を鳴らして笑う。
「……この間の失態は、忘れてください」
「ふっ、そう簡単に忘れられるものか」
照れて顔を背けてしまった彼女に代わり、鴎外が箱からケーキを出して、それぞれ一切れずつ皿に取り分ける。彼女の分を近くに寄せてやれば、少し不貞腐れた顔がようやく彼の方を向いた。しかし、そんな顔も「いただきます」と声を揃えて、フォークで真っ白なケーキを突けば、一瞬にして綻んでしまう。
「ああ、やはり良いですね、このレモンの香り、ふわふわのレアチーズ……」
「ふむ、なるほど、確かに美味い。これは白い米にも合いそうだ」
ひとくち食べた鴎外の感想に、うっとりしていた補修屋の顔はまた苦笑いで引き攣るが、その次の瞬間にはくすくす楽しそうな笑顔になっていた
「今日のお礼は、後日改めてさせて頂きますから。そうですね、ちょうど父の日にでも」
「ああ、さっきの言葉は冗談だ。このぐらい、気にすることはない」
「そうはいきませんよ。日頃お世話になってるお礼も兼ねて、私も何かお返しさせてもらえないと、気が済みません。父の日の予定は、どうか私の為に空けておいてくださいね。……パパ」
彼女のまさかの一言に、鴎外は面食らって、フォークを咥えたままピタリと固まって目を見開いた。
彼にそれだけの衝撃を与えたにも関わらず、補修屋は頬を赤くしたまま知らん顔をして。ぱくり、大好きなレアチーズケーキをまたひとくち頬張った。
──嗚呼、まったく。
(やはり娘というのは、どうにも甘やかしてしまうものだな)
我が娘の如く愛らしい女が、幸せそうにケーキを頬張る、満面の笑み。鴎外はそれを、まるで本当の父親のように温かな眼差しで見つめるのだった。
2017.06.11公開
2018.04.09加筆修正