図書館の眠り王子と補修屋の話
夢主設定
帝國図書館補修専門職員通称・補修屋さん
物を直す技術に特化した錬金術師
中性的な見た目の世話焼きお姉ちゃん
細身で高身長、好む服装も男装っぽい
自作するほどのヌイグルミ好き
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眠り王子とやさしい魔女
図書館の眠り王子とは、いったいどちらさまが名付けた愛称なのだろう。随分ぴったりお似合いの名前をつけられたものだ。
彼はついこの間、司書さんたちの懸命な研究のおかげで、この図書館に招魂された新たな転生文豪である。王子様集団なんて呼ばれる、白樺派のおひとりだ。名を有島武郎という。彼の補修を何度か担当して色々お話させてもらったが、優しい心根の持ち主で動物も大好きだと言うし、確かに、王子様と呼ばずには居られない気品さ、美しい容姿を持ち合わせている。
──けれど、図書館の片隅で横長いソファーの端に腰掛けて、すやすやと穏やかに眠る姿は、まるでおとぎ話のお姫様みたい。なんて、さすがに男の人への褒め言葉としては失礼だろうか。でも、その腕に白い猫を模したヌイグルミを抱いて、幼子のように無垢な寝顔は、やはり可愛らしいと思ってしまう。彼の眠る姿が一部で人気を集めている、という噂にも頷ける。かく言う私も、そんな密かなファンのひとり。
しかし私は特に彼へ用があったわけではなく、仕事の合間、読みたい本があったので探しに来たら、偶然この眠り王子を見つけてしまっただけだ。起こすのは悪いと思い、かと言ってこのまま放置するのも何だか勿体無い気がして、黙って彼の隣へ失礼した。腰掛けてすぐに、なるほど、と内心ひとり納得する。あまり人も寄り付かない図書館の片隅、しかもご丁寧に窓際に設置されたふかふかのソファー、春のあたたかな陽気も合わさって、これはうとうと微睡んでしまうのも仕方がない。きっとこの場所は、彼のお気に入りの場所なのだろうな。窓の外、中庭へ目を向ければ、もう殆ど葉桜に着替え始めた木々たちがよく見えた。
ここならゆっくり読書が捗りそう。補修室にばかりいると、頻繁に睡眠薬を求めに来る方や、たまに金を無心しようなんて方まで来るから、落ち着いて本を開く暇がない。お昼の休憩時間ぐらいは、ここへ避難したって許してもらえるだろう。私は早速、先ほど見つけてきたばかりの本を開いた。
数ページ読んだところで、こつん、頭の左側に何かが触れた。内容に集中していたから思わず「わっ」と驚いて声を上げてしまったが、目だけを左隣へ向ければ、なんてことはない、王子様の頭が軽く当たっただけだ。
「……有島先生?」
試しに声を掛けてみるが、反応は無い、まだ眠りの中に居るようだ。私の頭と肩を支えに身体を寄せて、すう、すう、眠っている。薄く開いた唇が思いのほか近いことに気付き、どきんと肩を震わせてしまう。ああ、しかし、動いてはいけない、起こしてしまったら可哀想。だけど、私の肩は男性と違って幅も狭いし小ぶりで頼りない。とてもじゃないが力の抜けた青年の身体を支えるには向いてないし、正直重たくて結構辛かった。
私はこれでは読書に集中出来そうもないと自身の胸の高鳴りに諦めて、読みかけの本に栞を挟んで閉じた。それをソファーの隅に退かして、膝の上を空ける。代わりに、私の肩に寄り掛かる彼の頭を、そおっと動かして、ゆっくり、ゆっくり、私の膝の上へと移動させた。いわゆる膝枕である。細くて寝心地の悪い枕だと思うけれども、我慢して頂きたい。
よし、これなら肩枕よりは楽だ。また読書を再開しようか……と、思ったのだが、つい、この美しい人の寝顔に見惚れてしまう。横向きに寝ているから、彼の睫毛の長さ、鼻の高さ、唇の形までよくわかる。
白銀の髪を撫でれば、指の間の付け根まで包み込むような柔らかさが心地良く、また彼も撫でられて心地良いのか、唇を閉じて口角を僅かに上げて微笑むのが可愛らしかった。お人形のように白い肌を、頬だけは薄っすら桜色で染めていて、実にはしたないけれど、ごくり、喉が鳴った。
「先生、」
美味しそうな頬に指先を滑らせながら、私は幼い頃にいつか読んだ絵本を思い出す。あの眠り姫は、王子様から頬にキスをされて、ようやく百年の深い眠りから目を覚ましたけれど。さて、この眠り王子は如何でしょう。
「──武郎さん」
彼の耳元へ、触れそうなギリギリまで、口を近づけて囁いた。
「あまり無防備に眠っていると、悪い魔女に口付けされてしまいますよ」
私はお姫様なんて柄でもなければ、王子様にもなりきれなかった。彼を起こす役に、私は相応しくないだろう。
どうせ眠っているのだから聞こえはしないと、自嘲混じりの言葉だった。何を馬鹿なこと言ってるんだ、私は。後からどんどん恥ずかしくなって、すぐに顔を離した。何だかこの場にも居た堪れなくなって、彼を起こさぬように膝枕もやめて立ち去ろうと思ったのだが。
彼の横顔を見下ろして、気付く。桜色だった頬が、みるみる赤を足して、紅梅色に染まっている。瞼も唇も力強く閉じて何か必死に堪えているようだった。
「有島先生、あの、もしかして、」
どきん、どきん、心の音が喧しい。
「……起きてらっしゃいます?」
彼は私の声に反論する様に、白い猫のヌイグルミを顔の近くまで抱き寄せて、その赤いお顔を猫のふかふかの背に覆い隠してしまった。けど、真っ赤な耳が隠しきれていない。
「いつから起きてたんですか」
問い掛ける声が震える。やや間があって、酷く申し訳なさそうに「あなたが、隣に座った時、起きてしまって」と弱々しい小さな声が、ヌイグルミ越しにもごもご返ってきた。
あああ、嘘でしょう、そんな、恥ずかしい。私が自ら膝枕をさせた時には起きていて、さっきの言葉も聞かれてしまっていたのか。羞恥に顔が熱くなる経験はあれど、首まで熱くなるのは初めてだ。
「ごめん、申し訳ない……寝たふりなんて、悪い事だとわかっていたけれど、あなたがとても熱心に、僕の本を読んでくれていたから……」
そうだ、私がここへ探しに、読みに来たのは彼の本。何度か会話を交わす内に、彼自身のことや生前手掛けた作品が気になって、この人の本を読みたいと思った。ソファーの隅に追いやられた本には、題名に"小さき者へ・生まれ出づる悩み"と、著者に有島武郎の名がある。まずは短編から、そう思って手に取ったのだ。
「声をかけるつもりだった。けど嬉しく思う内に、また眠たくなってしまって、つい、あなたの肩へ。そうしたら……」
「その先は結構です、言わないでください」
全ては春の陽気のせいだ。私の頭もこのあたたかさに負けて、きっと半分微睡んでいた。でなければ、憧れる先生に自ら膝枕なんて、あんな浮かれた言葉なんて、言えるはずない。だって私は、この人の何でもない、まだ知り合って間もないただの補修職員。単なる職場仲間、そんな関係でしかないのに。
私は両手で顔を覆い隠しながら、ごめんなさい、と謝るしかなかった。もはや泣いてしまいそうなぐらい恥ずかしかったし、早くこの場から逃げ出したかった。
「出過ぎた真似をしました、本当にすみません。眠りまで妨げてしまって。すぐ離れますから」
顔を隠して嘆くのもやめて、立ち上がる為に彼の頭を退かそうとしたのだが、ヌイグルミの隙間から淡い緋色に見上げられていて、ぴたりと固まってしまう。
「……どうして?」
「どうして、って、先生、嫌でしょう。そう親しくもない女の膝枕なんて、寝心地も良いとは言えないでしょう」
私をじぃっと見上げる彼の目は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。そしてまた横を向いて、ヌイグルミに隠れてしまう。
「嫌ではない」
「え、」
「僕は嫌ではないよ。でも、あなたが嫌なら、すぐに退こう」
一瞬、彼が何を仰っているのか分からなかった。嫌ではない。だから、このままでも構わない、と。いや、それは分かっている。嫌ではないと思ってくれる、その理由が知りたかった。
「僕はあなたと、共に肩を貸して眠れるぐらい親しい関係にある、そう思っていた。だけどそれは、僕の自惚れ、だったのかな」
そう続いた言葉があまりにも寂しげで、私は慌てて否定の声を張った。
「いえ、自惚れだなんて、そんな! 私、先生になら肩だけではなく、こうして膝もお貸ししますよ。──あなたが、嫌ではないのなら」
有島先生はようやくヌイグルミから顔を離して、仰向けの体勢に寝返り、こちらを見上げると、心底安心したように微笑んだ。「良かった」なんて消え入りそうな小声に、心臓をきゅうと締め付けられる思いがした。
「あなたも僕のことを、同じように親しい仲だと感じてくれていたなら、とても嬉しい、な」
「親しい仲……そうですね、先生がそう思ってくれていたのなら、私も嬉しい。光栄です。でも、」
「でも?」
「……いいえ、何でもありません」
この未だ高鳴る心音や、憧れを越えかけている感情は、果たして彼も同じなのだろうか。いいえ、きっと、私の片想いに過ぎないだろう。先生にとっての私は、知り合いや職場仲間から少し昇格した、良きお友達なのだろう。それは素直に嬉しいことだから、何でもない、そう笑って、また彼の触り心地の良い髪に触れた。
ふわり、ふわり、頭を撫でる内に、彼の瞼が何度もうとうと上下を繰り返し始める。眠り王子はまだまだ眠り足りないらしい。
「先生、もう少しお眠りになっても構いませんよ」
「ん……ありがとう……だけど、あなたが、疲れてしまわない、かな」
「休憩時間はまだ残っていますし、少しくらい平気です。先ほど起こしてしまったお詫びだと思って、遠慮なくどうぞ」
「ふふ、優しいな、実莉さんは……」
不意に、先生の手が私の頬へ伸びた。心臓と共に私の肩はびくりと跳ね上がって、膝の上で溶けそうな微笑みに見惚れる。
「あなたのような、やさしい魔女になら、僕は……。例え、百年眠り続ける呪いをかけられても良いと、そう思うよ」
彼の手はするり、するりと、頬から顎に首筋を伝うように私を優しく撫でて、またヌイグルミの腹へ落ちていった。
それは、私が悪戯心から彼の耳元で囁いた言葉に対する、返答だと気付いたのは、すっかり王子様が寝付いてしまった後で。ぴったり閉じられてしまった瞼は本当に百年目覚めそうもないほど重く、私には彼の長い睫毛を少し指先で揺らすくらいしか出来ず、言葉の真意を聞き返すことなんて不可能だった。
ぐるぐると頭の中で何度も彼の声が繰り返される。「あなたになら何をされても良い。口付けも死の呪いも受け入れる」そんな愛の言葉とでも解釈して自惚れて良いものか、小説家の単なる言葉遊びだろうか、いくら私なんぞが考えを巡らせようとも、大作家先生のお心など米粒ひとつも理解出来る気はしないのだが。考えてしまう。例え寝惚けた戯れだろうと、嬉しく思ってしまうのだ。
ああ、もう、これでは結局、読書になんて集中出来そうもない。
「魔女が王子様に恋をするなんて、笑えないお伽話ですね、先生、……」
全く、お姫様のようだなんてとんでもない。彼は正しく、王子様だった。
2017.04.18公開
2018.04.09加筆修正