堕落した作家と生前嫁さんの話
夢主設定
帝國図書館特務警備員・昼勤担当随筆「クラクラ日記」より招魂
作者"坂口三千代"の記憶を持つ
明朗快活、心身ともに逞しい女性
華奢な見た目に似合わぬ武闘派
首を飾る珊瑚のペンダントがお気に入り
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夫婦の帰り道
最近、日の沈む時間が早くなった。秋の終わりが近い。外はもうすっかり暗くなっていて、風も強く冷たいだろう。私はお気に入りの群青色したマフラーを口まで覆い隠して巻いた。本日の業務も無事終わったことだし、さっさと寮へ帰ろう。
エントランスの階段をそそくさ早足で降りていく私に「おーい、蜜代」そう声が掛けられる。振り返った踊場には、珍しく透明の眼鏡をかけた彼が居た。坂口安吾。私と彼は生前、夫婦だった記憶を互いに持って転生してしまった。その為、今生でも腐れ縁というか何というか、恋人というには甘さの無い、しかし友人というには互いを知り過ぎている不思議な関係。まあ、同棲する程度の仲ではあるのだが──あ、そういえば、普段使ってる色付きの眼鏡は、この人自身が昨夜酔って割ってしまったのだったワ……。
「もう帰るのか?」
「ええ、見ての通りよ。お夕飯、いちおう作っておきますけれど、何かリクエストはあるかしら」
「あー……そう、だな。鍋が食いたい」
「三日前にも食べたばかりよ?」
「この間食ったのはこってりした辛ぁいキムチ鍋だろー、今夜はあっさりした鍋が食いたいんだよ」
「はあ、わかりました。ではお先に、」
「待て待て、俺も一緒に帰るから」
「えっ」
驚いた。珍しいことがあるものだ。てっきり今夜も弟分の世話とか何とか言って飲みに出て、帰りは遅くなると思っていたのに。私と一緒に帰るだなんて。彼は私の返答など聞きもせず、さっさと帰り支度を整えに廊下を駆けて行ってしまった。
待てと頼まれたら、とりあえず待つしかない。私は階段を降りきった先で手摺に寄り掛かりながら、不思議で首を傾げた。いったい、どういう風の吹き回しなのかしら。そうしていると数分もしない内に、彼が烏の如く真っ黒なコートを着込んで戻ってきた。首にきっちりと、私のお気に入りと全く同じ群青色のマフラーを巻いて。
「さ、帰ろうぜ」
彼はそれだけ言って、まるで当たり前のように、私の右手を掴んで歩き出した。私は先程よりも更に驚いて言葉を発することすら出来なかった。彼に引き摺られるかのように手を引かれ、温かな図書館から寒い外へ連れ出される。
「ちょっ、と、あの、炳五さん?」
冷えた空気を吸い込んで、私はようやく言葉を吐いた。我ながら弱々しく震えていたと思う。何故、咄嗟に本名を呼んでしまったのだろう。寒い筈なのに頬の熱くなる感じがする。心臓がどくりどくりと早鐘を打っている。
こちらの呼び掛けに彼から返答はなかったけれど、その濃藍色の髪から覗く耳は赤色だった。
「なんだか、恥ずかしいワ」
「はあ? 今更なあに言ってんだ。アンタが俺にくれたんだろう、このマフラー。まさかお揃いとは、こっちも予想外だったけどな」
「そっちの話じゃないわよ」
確かにそのマフラーは、私が先月の彼のお誕生日祝いとして贈ったものだけれども。いきなり手を繋いできたことを言ってるのに、すっとぼけちゃって。
私はどうも自分だけ揶揄われているようなこの状況が気に食わず、仕返しする気分で彼に握られた手をぎゅっと握り返して、おまけに腕まで絡めてぴったり引っ付いてやった。わざと彼の肘に控えめな胸を寄せる。
ふふん、と勝ち誇った笑みで見上げてやれば、むっすり不満そうに眉間を寄せた顔で見下ろされた。でも寒いのか照れているのか鼻も頬も赤く染まっていたから、少しも怖くなんてなかった。
「今更ながら、恥ずかしいもんだな」
「でしょう? こんな恋人みたいな姿、誰かに見られたりしたら恥ずかしくて死んでしまいたいワ」
「おお、そんときゃ心中してやろう」
「馬鹿ね、アナタにそんな真似出来るわけないじゃない」
どちらともなく、ふっと噴き出して笑い合う。恥ずかしい恥ずかしいとお互いに言いながら、どちらも手を離すことはなかった。
それからは他愛も無い会話をしながら近くのスーパーマーケットへ行き、今夜の鍋の材料を買った。私の妹分である苑宮司書にミルフィーユ鍋なるものを教わったことを思い出して、白菜と豚バラ肉を買いましょうと提案するも、安吾は聞き慣れない料理名に怪訝な顔をしていたけれど「織田くんに作ってあげたらとても喜んで食べてくれたそうよ」と教えたら、どんなものか興味が湧いた様子である。更に彼の「チーズものっけたら上手いんじゃねえか」との思い付きでカマンベールチーズも袋の中へ詰め込まれた。六缶パックのビールも入って重たい袋を、彼は何も言わずに持ってくれる。私は彼のこういう、わざとらしくない優しさが好きだと思う。
そしてスーパーを後にした私は、これまた驚かされた。ついでに隣のケーキ屋も寄って行こう、どれでも好きなやつを買ってやると、なんと彼から言い出したのだから。
「まさか、ケーキまで買ってくれるなんて──明日はきっと雪が降るワ」
「おまえさんは俺のことを何だと思っているのかね?」
また、むむむと彼の顔が不機嫌になる。私はくすくす笑いながら言った。
「そうねえ。今日は"良い夫婦の日"だからって張り切ってらっしゃる、意外と可愛い旦那様、かしらネ」
「……なんだよ、気付いてたのか」
「さっきね、ケーキ屋さんのチラシを見て思い出したのよ」
店内で栗のショートケーキにしようかモンブランにしようか迷っていた時、ふとガラスケースに貼られたチラシが目に付いて『本日11月22日は良い夫婦の日! 普段なかなか言えない感謝の気持ちをケーキといっしょに伝えよう♡』なんて宣伝文句を読んだら、ああ、成る程と、彼の不自然に浮かれた行動の全ての理由をわかってしまったのだ。
「だけど、いいのかしら。私は──」
ひゅう、と一際冷たい風が私たちの身体を吹き抜ける。
「私は、アナタにとって良い妻だと、呼ばれてもいいのかしら」
先程までの楽しかった会話が途切れ、静まり返った。嗚呼、嫌な沈黙を作ってしまった。言わなければよかった。ふたり分の足音とビニール袋の揺れる音だけが鳴っている。寮へ帰る途中の閑静な住宅街、私たち以外の人気はない。
「俺だって、アンタにとって良い夫ではなかっただろう」
沈黙を破った彼の言葉を、私は否定したかった。そんなことはない。だって貴方は、私の命を救ってくれたひと。私を安心して眠らせてくれたひと。私に愛される幸せを教えてくれたひと。だから私は、貴方の為に命を捧げるつもりで嫁いだのよ──そう言いたかったのに、彼の大きな手が痛いぐらいに私の手を握り締めるものだから、何も言えなかった。
「でも悪いなァ、蜜代さん。俺は今生もアンタを手放してやるつもりはないよ、例え俺がまた先に死のうともアンタは俺の女房だ。諦めてくれ」
彼はニタリと歯を見せて笑った。なんて、ずるいひとだろう。私は再び彼の腕にぴったりとくっ付いた。
「もうとっくの昔に諦めてるわよ。アナタみたいなひと、お世話出来るのは私だけでしょう」
「ばあか、逆だ、逆。アンタみたいなボンヤリ、付き合ってやれるのは俺だけだよ」
安心したのか、強く握られていた彼の手の力が緩む。代わりに甘く指を絡められて、どきりとした。恋人繋ぎだなんて私たちにはやはり恥ずかしいのだけれど、今日ぐらいは許されるだろう。
「まったく、おまえさんほど幸福な女は居ないね。こんなにも愛されているのだから」
「あら、アナタほど幸せなひとも居ないと思うワ。そんなにも愛せる女をまた見つけたんだもの」
「ふははっ、良い夫婦じゃねえか」
彼が望んでくれるなら、私はもういちど妻をやりたい。良いか悪いかはわからないけど、この人とまた夫婦として生きていこう──そう思える帰り道だった。
「まあ、その、なんというか、あれだ……これからも、よろしく頼むぜ?」
「ええ、こちらこそ」
2017.11.22公開
2018.04.07加筆修正