お茶目な怪談王と幽霊さんの話
夢主設定
帝國図書館特務警備員・夜勤担当怪談「雪女」より招魂された存在
作者の妻"小泉節子"の記憶を持つ
温厚で上品な、雪のように美しい女性
自在に雪を操り、宙に浮く事も出来る
熱い食べ物や暑い場所が苦手
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夕暮れの家族時間
帝國図書館の夕方は実に静かだ。この時間にはもう閉館してしまうので、一般の利用客はぞろぞろと帰って行く。そんな中、わざわざ誰も居なくなったのを確認してから、するり、館内へ忍び込む紫色の羽織姿がひとつ。
「ママさん、ママさーん」
人気の消え失せた静かな開架館内で、小泉八雲は愛しの"幽霊さん"を探して、彷徨っていた。夕方の閉館後、彼は決まって彼女に会いに来ていた。特に今日は何としても、彼女に会いたかった。何故ならこの日は彼にとって、少し特別な日であるから。
「ンン……? 可笑しいデスね、ママさんの気配がしませ、」
「わあ!」
「ワァー!?」
後ろから急に何かがドーンッと突撃してきて、八雲の大袈裟な声が館内に響く。驚き振り返れば、子狐のぬいぐるみを抱いた可愛らしい悪戯少年──新美南吉が、珍しく和装姿で、彼の羽織りに張り付いていた。
「えへへ〜、おどろいたあ?」
南吉は嬉しそうに、大成功ー! と笑っている。しかし八雲は彼を怒るでもなく、驚きましたよ〜とけらけら笑い返して、大きな身体で小さな友人を包み込み、その両腕に抱え上げた。今度は南吉がわあわあ驚いて声を上げる。
「イタズラっ子にはお返しデース!」
「ひゃあ〜、捕まっちゃったあ」
「ンフフ! ところで、南吉クン。ワタシのママさん、見ませんでした?まだ、屋根裏で休んでいるのでしょうか」
「大丈夫、ママならすぐ来るよ。パパ、あっちのソファーに連れて行って」
「? はい、あの窓際のソファーデスね」
時々南吉は悪戯に、八雲と彼が恋う幽霊を、パパ、ママ、なんて呼び慕う。幼い姿で転生した南吉にとってふたりは、優しくて大好きな親代わりのようだった。八雲にとっても南吉は、生前深く可愛がった我が子たちのように、愛おしくなる存在だった。
南吉に言われた通り、開架館内一階の奥の窓際の、本棚の間にアンティークなソファーとテーブルを置いた、簡易休憩場に歩み寄る。そこで八雲はテーブルの上に、朱色の重箱を見つけた。この空間の西洋感とはどうにも合わぬ、見事な和の桜と唐草模様が描かれている。ご丁寧に傍らに箸とお茶まで用意された、その存在を不審に思っていると──
「こんばんは、ヘルン先生」
優しい女の声で呼ばれ、振り返る。そこには相変わらず雪のように美しい幽霊──彼の作品から招魂された雪女が佇んでいて、八雲はその女の姿に目を丸くして見惚れた。確かにいつもと変わらぬ白、しかし今日の彼女は同じ白でも、洋服姿ではない。白地に水縹色の雪の花が舞う、清楚な浴衣を身に纏っていたのである。今度は違う意味で、どきりと驚かされてしまった。
「……あの、先生? そんなに見つめられると、私、溶けてしまいそうでございます……」
「ハッ! ご、ごめんなさい、ママさん、とってもお綺麗で、嗚呼、やはり浴衣は良いものデス。アナタの美しさが引き立ちますね」
八雲にうっとりした眼差しで褒められて、雪女は本当に溶けてしまいそうなぐらい頬を熱くして恥ずかしそうに俯く。けれど、とても嬉しそうに口元を緩めていた。
そんなふたりをにこにこと見つめていた南吉は、悪戯っ子の笑顔で、あのね先生、八雲の腕の中で彼の耳元にこそこそと内緒話をした。「幽霊さんね、今日はヘルン先生に喜んでほしくて、お胸が苦しいのも我慢して浴衣を着てくれたんだよ」と。その言葉に、八雲まで顔を赤く染めて俯いてしまった。嗚呼、我が良妻の、なんと可愛らしいことか。
また大成功した悪戯でご機嫌な南吉。パパの腕の中からぴょんっと抜け出すと、照れる彼の腕をぐいぐい引っ張って、ソファーの真ん中に座らせた。目の前には、あの不審な大きい重箱がある。
「先生、次はこっち! 重箱の蓋、開けてみて?」
「えっと、良いのデスか?」
「はい。ヘルン先生の為に、南吉くんといっしょにご用意したものですから。遠慮なくどうぞ」
雪女の言葉に八雲は喜びと好奇心で目をキラキラ輝かせ、自分の声で「ダララララ」なんて効果音を付けて、妙に仰々しい演出をしながら「ジャン!」と蓋を開けた。「あなや!」とは随分古風な歓喜の声が上がり、南吉と雪女の間に、ふふっと笑いが溢れる。同時に、舌に滲み込む爽やかな酢の匂いが広がった。
朱い重箱の中は、色鮮やかだった。酢を纏ってつやつやと輝く白米の上で、炒り卵と花形レンコン、椎茸、みじん切りされた人参等々、たくさんの具材が美しく散って混ざり合っている。更に魚介類も、えびやたこ、うなぎにいくらがたっぷり。何とも具沢山で贅沢な、ちらし寿司がぎっしり詰められていた。
何故こんなものを、なんて聞いてしまうのは無粋というものだ。今日は彼にとっても、そして彼女にとっても特別で大切な日。小泉八雲の、誕生日なのだから。
「これはなんと豪華な、チラシズシ! ワタシの為に、ふたりで?」
「ううん、ごんもいっしょに! ごはんをうちわでパタパタしたり、具をまぜまぜして、いっぱいお手伝いしたんだよ」
「ふふ、そうでございましたね。さんにんで頑張りました」
「オー、それはそれは。ごんクンも、ありがとうございます。とても嬉しい嬉しい、サプライズ、デス」
南吉の抱いている子狐のぬいぐるみをぽふぽふ撫でてやってから、八雲は早速手元の箸を持った。「いただきます!」ときっちり手を合わせてから、大好きなうなぎを炒り卵や酢飯と一緒に器用に持ち上げて、ぱくり、と大きなひとくち。甘くまろやかな酢の味が広がり、ほろほろと柔らかく崩れるうなぎに、彼の顔は一瞬で幸せに緩んだ。
「ンン〜っ、美味しい、デース!」
「よかった……。朝からケーキやチキンなど洋食ばかりで、そろそろ和食が食べたくなる頃かと思いまして」
「さすがママさん、ワタシのことをよーくわかってくれてマス。やはり、ワタシのママさんは雪花、アナタに限りますネ! フフ!」
急に名前を呼ばれたものだから、雪女には予想外のことで、高く心臓が跳ね上がった。
「でも、こんなに美味しいもの、ワタシだけ独り占めは勿体ナイデス。みんなで一緒に食べマショウ?」
「あっ、そうですね、先生は相変わらずお優しいのですね。少し待っていてください、今お箸と取り皿を、」
「いえいえ、それには及びませんヨ。はい、ママさん、あーん♡」
えッ、と驚く間も無く、目の前にぷりぷりのえびが近付いて来る。ああ、もう、先程から彼に翻弄されっぱなしだ。
「あっ、ママだけずるいよお、ぼくも食べたい! パパ、あーんして」
「フフフ、順番、順番、デスよー?」
しかし、南吉とまるで本当の親子のように笑い合っている姿を見ると、つい絆されてしまって、恥ずかしさなど振り払って、彼の差し出すひとくちを頬張った。何度も味見を繰り返した筈なのに、不思議と、味見の何倍も美味しく感じられる。
とても美味しゅうございますね、と答えれば、そうでしょうとも! なんて、何故か祝われている筈の彼が自慢気に笑うので、雪女もつられるように笑ってしまうのだった。
ちょうど同じ頃、ふたつの足音が開架館内へ近付いてきていた。国木田独歩と、島崎藤村である。彼らはこれから行われる予定の誕生会の為、行方不明の主役を探していた。
時々窓の外を見たり、八雲先生ーと声をかけながら廊下を歩いていると、途中で島崎が足を止める。開架館内へ繋がる扉の隙間から、クスクス、フフフ、と人の笑い声が微かに聞こえてきたのだ。
「全く、何処へ行ったんだ、あの先生は」
「ねえ、国木田」
すぐに友人を呼び止め、中を覗く。そしてひそひそと話し合った。
「どうしたよ、島崎。……お? あれは」
「居た、八雲先生。新見君も。それから、あの白い女のひと、僕が先月見た"幽霊さん"だよ」
「ええ? 幽霊にしては随分綺麗過ぎやしないか。身なりも上等で、足もあるし」
「けど、間違いないよ、あんな綺麗なひと絶対見間違えないもの」
「ふむ……確かに噂通りの美女、雪女の名が実に相応しい、普段の図書館で見慣れぬ人物だが……それにしても、幸せそうだな」
「取材……」
「今はやめとけって。あれだけ楽しそうなのに、邪魔したら悪いだろ。代わりに、よっ、と」
「……写真、撮るの?」
「ん、もちろん新聞には載せたりしねえよ。まあ、ちょっとした、独歩さんからの誕生日プレゼントって事で。今日が忘れ難い一日になるように、な」
「うん、良いと思うよ」
ぱしゃり、小さくシャッター音が鳴る。
その日、図書館新聞用のカメラは、夕暮れ時の館内風景と共に、幸福で仲睦まじい家族たちの姿を写した。そして彼らはもう少しだけ、主役を探し歩くことにした。
今日はまだまだ長い、この後もきっと、彼への嬉しいサプライズが尽きないことだろう。
2017.06.27公開
2018.04.07加筆修正