人誑しな助手と司書ちゃんの話
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帝國図書館第弐特務司書仮名・国木田陽子
童顔で低身長な21歳
ビー玉を錬成する程度の錬金術師
前向きで明るく勢いのある性格
助手によくセクハラしては怒られる日々
何故か本名を頑なに隠している
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月夜の下の桜色
「では、ありしませんせ、おつかれさまです! お先に休んで大丈夫っすよー」
「本当に、もう手伝えることは無いのか」
「いやいや、もう十分過ぎるくらいですよ。練度上げの為とは言え、日々有碍書への潜書に、助手の仕事までしてくれて、大変でしょう?」
「そうでもないよ、独歩さんがよくサポートをしてくれるから。僕に随分世話を焼いてくれて、有難い限りだ」
「あはは、可愛い弟分が出来たみたいで嬉しいんでしょうねえ。とにかく! しっかり休むのも大事な任務のひとつです、無理すると志賀せんせやムシャせんせに心配されちゃいますよ」
「うん、そうだな……わかった。司書さんも、あまり無理はしないように、ね。何かあったらいつでも呼んでくれ、僕に出来ることなら何だって手伝うから」
「へへ、ありがとうございます。じゃあ、また明日、よろしくお願いしますね。おやすみなさ〜い!」
「おやすみなさい、司書さん」
ここでの新しい生活に慣れてもらう為、という名目で、先週から私の臨時助手をしてもらっている有島武郎先生を見送った途端、その身にどっと重たい疲れを感じた。
……はあ、今夜もあっという間にこんな遅い時間か。司書の私にはこれから本日の研究報告書をまとめる仕事が残っている。有島先生に心配されたばかりだけど、無理をしないとやってられないのが現状。今日もまた、先輩と共に図書館で寝泊まりすることになりそうだ。
こんなに忙しいのも仕方がない。まだ転生研究も進んでいない徳永直先生の有魂書が、侵蝕現象の著しい状態で発見されたと一報を受けて、館内職員は皆大慌てでばたばたとその対応に追われているのだから。小林多喜二先生も、中野重治先生も、仲間の著書が奪われつつある今回の件には、凄く怒っている様子だ。早く直先生を助け出して、二人を安心させてあげたい。そしてこの忙しさからも解放されたい。
そんなことをぼんやり考えながら俯きがちに廊下を歩いていたら、ふわり、と視界の端に黒い影が見えて、驚いて目を見開く。まさか、ゆっ、幽霊!? ……なんて焦ったけど。
「あれ、どっぽさん?」
鮮やかな桜色の跳ねっ毛が見えて、それが大好きな先生の後ろ姿だとすぐに気付く。でも、いつものスラリとした黒の洋装姿じゃない、珍しく灰色の袴を揺らしている。私の声は届かなかったのか、彼は黒い振り袖をゆらゆら靡かせて、廊下の曲がり角の向こうへすっと消えていった。
本来なら、いつも私の助手をしてくれているのは国木田独歩先生。今は臨時で有島先生が助手をしてくれてるけど、その仕事内容を丁寧に教えているのも独歩さんだ。厳しいことを言われることが多い(大体私のサボり癖のせいです)けど、なんだかんだ、私がきっちり仕事をやり遂げるのを待っていてくれる。優しい人だ。もしかして、今日もまだ私の仕事が終わるのを待っていてくれたのかな、なんて少し期待を抱きつつ、彼の後を追った。もし本当にそうなら、今日も図書館へ泊まっていくことを伝えておかないと。
しかし、先生の美脚がやたら長いせいか、疲れている私の身体が重いせいか、必死に彼を追うけども、なかなか追いつけない。声をかけても、先の長い廊下で、先生と距離が離れているから届かない。夢中で薄暗い廊下を歩く内、独歩さんの姿を見失ってしまった。
「先生〜……? あれ、おっかしいなあ。まさか、見間違い、だったのかな。陽子さんったら、疲労でついに幻覚まで見えるようになっちゃったか〜?」
はは、と誰も聞いてない冗談にひとりで乾いた笑いを零しながら、大人しく仕事を再開しようと、元来た廊下を戻る為に振り返った時だった。
何処かから、ぽん、ぽん、微かに高く淑やかな音色が聞こえてきた。あんまり詳しくないけれど、弦楽器の音、かな。近くで誰かが弾いているのだろうか。綺麗な音だと思った。
それは、この廊下をもう少し歩いた先にある、中庭へ繋がる裏口玄関の方から聞こえているようだ。誰かここから出て行ったばかりであろうか、玄関の戸は完全に閉まっておらず隙間を開けて、そこから月明かりが僅かに細く差し込んでいる。
中庭へ出た私は驚いた。一日中ずっと館内に閉じ籠っていたから気付けなかったけれど、今日はこんなに、雲ひとつない良い天気だったのか。吸い込まれそうな黒に光の粒を一面ばら撒いて、大きく丸い月をぽっかり浮かべた、美しい夜空だった。
その足元に、すっかり葉桜へ衣替えした桜の木々たちが揺れている。お花見用の提灯を撤去されてしまった中庭は暗いけれど、不思議と闇の怖さなんて少しも感じなかった。ただ、夏を早く迎えようとする若い緑色が美しかった。普段ならあまり気に留めて見ることのないそれらが、今夜だけ実に美しく見えてしまうのは、ひとえに。──葉桜の下で、優雅に弦楽器を弾く美しい彼の人のせいだろう。
桜の木の根元を椅子代わりにして、見慣れぬ楽器を静かな手捌きで奏でる独歩さんは、普段あまり見られない穏やかな表情をしていた。口元は微かに笑みを浮かべていて、とても楽しそうにも見える。
彼の指によって美しい音を奏で続けている弦楽器は、満月みたいな丸い胴をしていて、首は短い。明らかにギターやウクレレとは違う和の雰囲気だし、かと言って三味線とも違うようだ。恐らく生まれて初めて見た楽器だろう、ちっとも馴染みがない。でも、やっぱり。
(きれい、だなあ)
まるで一夜限りの夢の中にいるような光景、本当に幻を見ている気分だった。
あの楽器も知らない、この耳に届く曲名だって何もわからないけど、私はただ聞き惚れて、彼の姿に見惚れて、うっとり立ち尽くすばかりだ。いつもと違う黒い振り袖に袴姿のせいもあるだろうか、人ならざる者の如く、とても綺麗で。いや、実際、彼らを普通の人間と同じ括りにして良いのか、わからないけど。例えるなら、そうだなあ……。
どのくらいの間、そうして立っていたのだろう。ひとり、ぼぉっと考えを巡らせていたら、ぽん、ぽん、と淑やかな音色が止まっていた事に気付き、ハッと目が覚めたような気分で我に帰る。ぱちり、彼の青緑色の瞳と目が合ってしまった。
「あッ、えっと……」
何て声をかけたら良いかもわからず、どこか神聖にも思えていた演奏を邪魔してしまった罪悪感で、頬が熱くなって、その場に居た堪れなくなる。しかし離れ難い。まだ彼の演奏を聴いていたかった。
黙って立ち去ることも話しかけることも出来ずにそわそわ狼狽えていたら、ふっ、と彼の弾むような笑い声が聞こえてきた。
「陽子」
先生が私に与えてくれた名前を呼び、おいで、と彼の薄い唇が動く。柔らかく微笑みかけられ、片手でひらひら手招きまでされてしまったら、私はふらり誘われるままに足を彼の元へ向けるしかなかった。
「お隣、失礼しますね」
「ん。有島はちゃんと帰ったか?」
「はい。今日もしっかりお手伝いしてくれて、助かりましたよ」
「残りの仕事は」
「後は報告書だけですけど、まあ、このままお泊まり確定でしょうねー。あ、それをお伝えしようと思って、追いかけて来たんですよ」
「ああ、そうだったのか。どうせそんな事だろうと思って、暇潰しするつもりでここへ来たんだけどな」
「……へへ、やっぱりいっしょに居てくれるんですね」
「当然。あんたには見張りが必要だろ、放っとくとサボるか無茶するかの両極端だからな」
会話はいつも通りだけど、なんだかいつもと雰囲気の違う独歩さんにどきどきして、変に緊張してしまう。先生の隣に体育座りで落ち着いたは良いものの、近くで真正面から顔を見つめられる度胸がなかった。代わりに、じっ、と彼の持つ弦楽器を見つめた。
「せんせ、楽器弾けるんすね」
「おう、知らなかったか? こいつは月琴と言ってな、」
「げ、……何です?」
「満月の月に楽器の琴と書いて、げっきん。こういう月夜の日にはよく弾いてたんだ」
「へえ、月琴……」
試しにまた彼は、軽くそれの弦をピックで弾いて、ぽん、と音を鳴らしてくれた。やはり耳に心地良い音で、ほんわり頬が緩む。
独歩さんが月琴を弾けることを知っていた館長が、先日持ち込んでくれたばかりの新品らしく、最近改めて練習していると話す彼の声は、とても嬉しそうだ。きっと月琴を弾く時間は、小説を書いたり、取材をする事とはまた別物の、大切な趣味のひとときなんだろう。弦を押さえる指の位置を変えながら様々な音を聞かせてくれる彼は、心の底から無邪気な子供のように楽しんでいた。
あ、そうだ、今の彼はまるで。
「……どっぽさんって、なんか、その格好して桜の木の下で月琴弾いてると、」
「うん?」
「桜の妖精さん、みたいですね」
数秒、間が空いた。
あまりに何の反応も帰ってこないので、月琴から彼の顔へと目線を移す。ぽかん、と口を開けて呆然としている独歩さん。私も自分で何を言っているのか訳がわからないけど、本当に一瞬そう見えてしまったのだから仕方ない。
「ふっ、ははっ、あははは!」
彼は大きく開けた口をそのまま、けらけら笑い出した。
「はははッ、なあに馬鹿言ってんだよ、はる。ああ、でも、なるほどな、あんたほんと斬新な発想してるよなぁ、そういうとこ案外好きだぜ、あっはっは!」
「ちょ、ちょっと笑い過ぎじゃないですかねえ。それだけ幻想的で綺麗だったって、いちおう、褒めたつもりなんですけど!」
そうも腹を抱えてまで爆笑されると、さすがの私も羞恥心というものに、顔を熱くしてしまう。あー、もうやだー、穴があったら入りたい、いや、桜の木の下の死体になってやりたい気分です。
独歩さんはひとしきり笑うと、笑い過ぎて腹が痛いのかひーひー言いながら、月琴を木の根元に寝かせて置いた。自由になった右手で、ぽすぽす、私の頭を雑に撫で回す。突然のことで驚いて目を瞑れば、次の瞬間にはふわり全身が桜の香りに包まれ、あっ彼に抱きしめられたのか、と目を閉じたまま理解する。……えっ、いや、なんで?
慌てて目を開けた。やはり私の身体は、彼の身に纏う振り袖ですっぽり包み込まれている。戸惑いに顔を上げれば、そこには、とてもやさしい彼の微笑があった。
「俺が本当に桜の精とやらだったら、このままあんたを攫ってしまうだろうよ」
桜色した髪が春の夜風でさらさらと靡いて、青緑の琥珀糖が、彼の瞳が、愛おしそうに私だけを映していた。周りの葉桜なんて、もはや闇に霞んで見えてしまう。そのぐらい彼があまりにも綺麗で、私はしばらく、何の言葉も返せなかった。
「……なーんて、な」
「えっ」
ぱっ、と彼の身体はあっさり私から離れていき、その両手は再び月琴を抱えた。ぽん、ぽん、弦を弾いて音の調節なんかしている。
「あんまりにも面白いこと言い出すから、からかってみただけだよ。そもそもあんた、そんな桜に攫われるような女じゃないだろ」
「ぐわー、否定出来ねえー!」
確かにそういう儚げか弱い系女子ではありませんけども!
はあ、ひどい人だ。こちらはまだ心臓がばくばく鳴って痛いくらいなのに、向こうは優雅に月琴鳴らしてやがる。あの瞬間、独歩さんにならこのまま攫われてしまっても良い、なんて、思ってしまったのに。
少し不貞腐れながら彼を横目で睨んでみたが、桜色の髪の隙間から真っ赤な耳が覗いていたので、強ち全てが冗談、という訳でもないかもしれない……とか、自惚れてみたりして。
「そろそろ司書室に戻るか」
「えっ、もう月琴の練習やめちゃうんですか?」
「あんた、俺がいつまでもここで弾いてたら、仕事もせずにずっと居座る気満々だろ」
「うっ! じゃ、じゃあ、せめてもう一曲!! 聞かせてください。月琴って楽器、初めてちゃんと知って聞きましたけど、すごく綺麗で好きだなって思えました。先生の弾く音を、もっと聴いていたいです」
「……仕方ねえなあ。そんなに言うなら、独歩さんの十八番を一曲聞かせてやんよ」
「わあいっ!」
「聞き終わったら仕事に戻れよ」
「はあい……」
なんだかんだ言って、私を厳しくも甘やかしてくれる先生は優しいな。
独歩さんは黙り込むと、先程のように月琴を巧みに鳴らし始めた。ゆったり落ち着いた曲調である。私も黙って、演奏する彼を見つめた。
弦を順々に押さえる左手指の動きや、ピックであの高く淑やかな音を奏でる右手、自分の手元を真剣に見つめる横顔、どこをとっても美しく、かっこいいと思う。そして眠気を誘うような優しい音色に、私はまた、うっとりと見て聴いて惚れ直してしまう。
「先生、」
小声で呼びかけてみる。返事は無い。演奏に集中しているのだから、当たり前だ。きっと聞こえてもいないだろう。そう思って、
「いつか私の役目が終わる時が来たら。その時は、何処へでも、攫っていってくださいね」
本心をぽつりと零してしまった。葉の擦れる音にも負けそうなくらい、小さな声で。
やや間があって。
「ああ」
月琴の音に混ざって、了承の返事が聞こえてきた気がしたけれど。
その微かな返事は、今はまだ、聞き逃してしまったことにしておこう。嗚呼、
「綺麗だなあ」
2017.04.28公開
2018.04.03加筆修正