審神者と仄々生活
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それはとある朝の出来事だった。
時の政府とやらに呼び出され審神者が一同に会する会議が行われるから、明日は早起きして出掛けなければ、と昨夜話していた筈の主がまだ起きてこない。
皆の食堂と化している大広間で、朝食の準備のために押入れから机や座布団を出していると、安定が心配そうに口を開いた。
「……主、また寝坊かな?」
多分、その通りだろう。最近の主は朝寝過ごしてしまう事が多い。日々の疲れが抜け切らないのか、最近体調も悪そうに見える。
子狐丸? 小狐丸? どっちか忘れたけど、そんな名前の太刀を探して毎日頑張ってるもんね。本当はゆっくり寝ていて欲しいんだけど、今日はそういう訳にもいかないかあ。
「俺、ちょっと様子見てくるー」
「あっ、こら!」
安定に抱えていた座布団を全部押し付けて、主の眠っている本丸(という名の仕事場兼寝室)に向かった。別にサボりじゃないし、近侍として主が心配なんだもーん。
と、言うわけで。
「あるじーもう朝だよー起きてる? 寝てる? ……入っちゃうからねえ」
いちおう声を掛けてから、主がぐっすり眠っているであろう本丸へ、そろりと襖を開けて入室した。
ああ、やっぱりぐっすりだ。こちら側に背を向けて、お布団を抱き枕にして眠っているようだ。もう、また寝衣乱れまくってる……。
しょうがないなあ、と微笑ましく思いながら足を近付けると、ふと、枕元に赤い紐の付いた白い布切れを見つけた。あれ、これって、主がいつも付けてる顔布? どんな時でも肌身離さず顔を隠している布を、外している?
ってコトは、あるじ……今、素顔が無防備になってる状態……!?
「あ、あるじ、朝だよ、主?」
凄くその素顔を覗き見たいけど、でも、常に隠しているってことは、きっと誰にも見られたくないってこと。
審神者は顔を隠す義務が決してある訳ではない。政府から推奨されては居るらしいけど、それは審神者本人の自由だ。演練で様々な審神者を見てきたが、顔布やお面で素顔を隠している人も居たけれど、殆どの人は何の問題もなく顔を晒していた。
だから、……主が自分からその顔布を外すまでは、俺から素顔を見てみたいなんて……言い出すべきではないと、思って、いたけど。
主の素顔、見て、みたい。
ゆさゆさ、ゆさゆさ、主の肩を揺らすけど「うーん」と唸るだけで目を覚ます気配がない。
どくどく、この人に与えられた心の臓が高まる。早く起きてよ主、早く、目を覚ましてくれないと。
ああ、駄目だと、堪え切れず、その人の顔に近付いてしまった時。
「きよみつ、ちゃん……?」
赤い瞳。寝ぼけ眼でぼんやりこちらを見つめ、薄ら桜色の唇がゆっくり弧を描き、ふにゃりと頬を緩めた。
初めて見たその人の笑顔は、本当に綺麗だった。でも、でも、ねえ、主、どうして、その顔。
「あるじ……顔、怪我してたの?」
その顔の右半分は、濁った茶の色で肌をぼろぼろにしていた。右の目も、真っ白で、上手く見えていない様子。これって、火傷の痕……?
主はようやくちゃんと目が覚めてきたようで、あぁ、と小さくため息をついてその傷痕を片手で覆い隠す。何かを諦めるように目を閉じた。
「ごめんなさい、気を付けていたのに、寝てる間に顔布が取れてしまったんですね……」
どうして主が謝るのか、俺にはわからなかった。
「今まで、こんな醜い肌を見せたくなかったから隠していたのですが……驚かせてしまったでしょう、ごめんなさい、ごめんなさいね、清光……」
「や、やめてよ、主。謝らないで。ちょっと驚きはしたけど、主が謝る事じゃないよ!」
「……ふふ、清光ちゃんは優しい子ですね」
口元は笑っているけど、その赤い瞳は泣きそうだった。
主はまだ片手で顔の右半分を隠したまま、布団からゆっくりと体を起こす。ふぅ、とまたため息を吐き出す主に、恐る恐る声をかける。
「あの、それ、痛くない、の?」
「痛くはありませんよ、酷く痕が残ってしまっているだけですから」
そうなんだ、良かった。……いや何も良くないんだけど、痛みは無くても、その火傷痕のせいで、この人は心にも深い傷を負っているだろうから。
「もう朝なんですね、また寝坊をしてしまいました。起こしに来てくれてありがとう、清光ちゃん。すぐ支度をしますから、先に朝食を取って待っていて下さい」
「……うん、わかった。」
遠回しに、出て行ってくれと、少し一人にさせてほしいと、言われた。
俺はこれ以上その人から何も聞きだせる勇気は無くて、本丸から逃げ出してしまった。
やっぱり隠していた物を安易に見てしまうのは、良くなかったんだ。俺は主が言う程優しく良い神様じゃない。だって、主の素顔を見てしまったのが、……俺で良かった、なんて。
あの後、主はまるで何事も無かったかのように大広間へ現れて、皆に「また寝坊しちゃってごめんなさいね」と謝りながら朝食の席に着いた。いつも通り、白の顔布でその素顔を隠して。
彼女が短刀達に囲まれている横で、俺は何も話しかけることが出来ず、気まずいままに朝食を終える。
大広間を出る直後、主にようやく声を掛けられた。「出かける前にお話したい事があります。清光と安定は本丸へ来て下さいね」と。主は顔布越しにニコリと笑って去っていった。……安定の不審げな眼差しが痛い。
「清光、お前何かやらかしたの?」
俺と主の間に流れる妙な空気を、安定はすぐに察したようで。変に嘘をつく訳にもいかず、正直にあの人の素顔を見てしまったことを、話した。
「じゃあ、主は、これまで素顔を隠していた理由を、僕たちに教えてくれるつもりなのかな」
「え……?」
「だって、見てしまった以上は気になるだろ、そんな……顔に火傷の痕だなんて」
その為に、俺たちを呼び出したのだろうか。いや、本丸の前で、いつまでもうだうだ悩んでいたって仕方がない。
俺はどんな主だって受け入れる、あの人が俺を受け止めてくれたみたいに。そう意を決して、本丸の襖を開けた。
「ああ、待っていましたよ二人共」
すっかり布団も片付けられたそこに座っていたのは、さも当たり前のように素顔を晒している主だった。顔布は彼女の作業机の上に放られている。
俺は慌ててすぐに本丸の襖を後ろ手に閉めた。俺たち以外の刀剣達に見られてはいけないと。
隣で、安定が初めて見る主の素顔──その綺麗な赤い瞳と痛々しい火傷痕に、息を飲んでいるのが分かる。
「主、隠さなくて、いいの?」
「ええ。二人の前でなら、もう構う必要も無いかと思いまして」
俺の心配にそう答えた主は、自身の顔の右半分を覆う火傷痕に触れた。悲しそうに、微笑んでいる。やはりとても綺麗な笑みなのに、その傷痕が痛々し過ぎて、こちらが泣きそうになる。
「さすがにずっと隠し通せるとは、思っていませんでしたから。いつかは話さなくてはいけない日が来るだろうと、覚悟していました」
主は俺たちを用意していた座布団の上に座らせてから、ぽつりぽつりと昔を思い出すように話し出した。
「私のこの火傷痕は、もう十年も前に、母親から与えられたものです」
──主の、母親?
「顔の半分に熱した鉄鍋を押し付けられました。死を覚悟しましたが、その最中、私に運良く救いの手が差し伸べられて、一命は取り留めましたが、その時の火傷の痕だけは今もこうして残っています」
それって、幼い頃から虐待を受けていたって事? ……なのに、どうして、どうしてそんな話を、主は笑ったまま話せるの。
「顔だけではありません。私の身体のあちこちに、母から与えられた傷痕があります」
主は何の戸惑いもなく、巫女装束の右袖をぐんっと捲る。その白い片腕だけで、無数の傷痕が刻まれていた。背中とお腹にもたくさんあるんですよ、と笑う主が酷く悲しい。
「私が常に顔を隠し、巫女装束以外を身につけないのは、こんな汚い素肌を皆に見せたくなかったのです」
皆に。そう答えた主の表情から、とうとう貼り付けたような笑顔も消えた。
「……生き物というのは、身体のどこかしらに欠陥が出来ると、それを補おうとして別の才能を産み出すらしいのです」
無表情のまま、主は話を続ける。
「私の母親も、付喪神を使役する審神者だったそうです。私に酷く虐待を続けていたのは、娘である私を、高い霊力を持った審神者にするため……だったのかも、しれません」
実際、主の審神者としての霊力は高いらしい。あの天下五剣である三日月宗近を、審神者になってたった数日で呼び出す人だ。
「私はこの顔に火傷を負った後、すぐ病院で保護され、物心つく前に亡くなった父方の親戚の家に引き取ってもらえたので、その後の母親の行方は知りません。……ただ、刀剣男士達にも私に対する以上の酷い仕打ちをしてきたそうで、最後は自らが初めて呼び出した付喪神に裏切られ殺されたと、聞いています」
「当然の末路じゃないか、そんなの」
安定が震えた声で呟く。血が滲んでしまうのではないかと思うくらい、怒りに両の拳を握り締めて、じっと主の顔を見つめている。
「もしまだ生き延びていたら、僕が首を落としてやったのに」
「安定ちゃん……」
ふと、主が小夜左文字を呼び降ろした日の事を思い出した。あの時、小夜に復讐する相手は居ないのかと聞かれた時、そんな相手は居ないと答えを返すまで、長く間があった。主はその時、もう死んだという母親の事を、思い浮かべてしまったのだろうか。
「……ごめんなさい、こんな話を聞かせてしまって。こんな醜い姿を、晒してしまって」
「なんで主が謝るの。やめてよ、謝らないでよ、主は何にも悪くないでしょう……?!」
「安定も、清光と同じ事を、言ってくれるんですね」
主の表情が、何故か安堵の笑みに変わった。素顔を見られ、過去を知られることで、俺たちに拒絶されるかもしれないと、少しでも考えていたのか。
主が俺たちのような付喪神を、刀剣男士をまるで子供みたいに目一杯愛してくれるのは、過去の自分や母親を思い出すせいなのかもしれない。自分は母親のようにはならないという決意か。そうだとしても、その無条件に注いでくれる愛情が嬉しくて、俺たちは貴方を慕っているのに。
俺はそっと主に近寄った。四つん這いで、猫が甘えるように手を伸ばす。ビクッと怯えたように震えた肩へ、顔を寄せた。背中に手を回してぎゅうっと抱き締める。
「もうやめてよ、醜いとか汚いとか、自分の事をこれ以上、貶さないで」
「清光ちゃん?」
「あるじは、どんな姿であっても、俺たちの大好きなあるじなんだから」
ゆっくり体を離して、主の素顔を見つめる。その真っ赤な左目に、じわじわと涙が滲んでいくのが見えた。隣にひょっこりと安定も顔を覗かせる。
「というか、主、美人だよね?」
「……えぇ?」
「ああ、それ俺も思ってた。火傷痕を完全に消せるかは難しいけど、化粧で何とかなるんじゃない? あるじ、元々肌白いから! いけるいける!」
「え、あの、ちょっと……」
「僕はそういうの専門外だから清光に任せる」
「んじゃ、そういう訳だから、あーるじ?」
いつも俺を着飾って可愛がって愛してくれる分、今日は俺があなたを綺麗にしてあげるから、ね。
***
「主、気を付けていってらっしゃいませ。お屋敷の事は俺に御任せ下さい!」
「僕も美味しい夕飯用意して待ってるから、気を付けて帰って来てね、主」
「ふふ、期待していますよ。それでは、いってきますね」
俺たちはへし切長谷部と燭台切光忠の台所担当組に主と共に見送られ、お屋敷を後にした。
今日の俺と安定は主の近侍であり護衛。時の政府が運営する城で審神者を一同に集めた会議が行われる為、出陣も遠征も休みにして本丸を半日ほど空ける。
審神者の悲惨な過去を知った俺は、こうした出掛け先ぐらい、主に可愛くお洒落してもらおうと思ったのだが……。
「ごめんね、主。上手く火傷の痕誤魔化せなくて」
結局、主はいつも通り白い顔布で素顔を隠してしまっている。どうにか白粉で火傷痕を隠せないかと試行錯誤したものの、薄く塗れば肌の凹凸が埋まらず逆に悪目立ちし、化粧を重ね過ぎると不自然だしで、完全なる失敗に終わった。
「そんな、謝らないでください。私、嬉しいですよ。火傷痕が消せなくても、清光ちゃんにお化粧してもらえて、とっても嬉しい」
主はそう言いながら、右の手ではらりと顔布を少し上げた。赤い瞳とよく似合う紅の色でより美しさが増した主の、本当に嬉しそうな顔が見える。──が、やはり右半分の火傷痕が目立つので、顔布はすぐにさっと降ろされた。
「それに、ほら、爪もこんなに綺麗にしてくれたじゃないですか。ありがとうございます、清光ちゃん」
明るい声ではしゃいで、ぱっと両の手を開いて見せる主。左の手には俺と同じ赤の、右の手には青の爪紅を塗った。ちなみに、青は安定の両手にも塗られている。主がどうしても「安定ちゃんともお揃いにしたいです」と言うんだから渋々塗ってやったの、安定は俺にちゃんと感謝すべき。
「私、物心ついた頃にはぼろぼろで、お化粧とかお洒落とか、自分を着飾るなんてこと……無意味な行為だって、諦めていましたから……」
「でも、主、僕たちのことはよく着飾ってくれるよね?」
「はい。私が出来ない分、皆を綺麗に着飾ってあげたいと思って。皆も喜んでくれるでしょう、私にはその反応が自分の事のように嬉しいんです」
主のそんな明るい返答に、安定は呆れたように苦笑っていた。本当、うちの主は仕方無い人だ。
そういえば、この間も乱藤四郎が主に髪を結ってもらってたな。ヘアゴム、だっけ。桃色の花の飾りが付いていて、少し羨ましいなと思いながら眺めていた。
「これからは、主もたくさんお洒落しよう? 化粧も爪紅も、俺がいつでもやってあげるから!」
「服装も、露出せずに可愛い服なんてたくさんあるよ。……あ、ほら、あのお店の着物とか似合いそう!」
「はあ~? 安定ってほんっと見る目無い。どう考えても、向こうの店の、赤い洋服の方が主に似合うよ、絶対ね!」
「見る目無いのはお前だよ、主には絶対あっちの青い着物の方が似合う」
「赤に決まってるでしょ」
「青だって言ってるだろ、首落とすぞ」
何故こうも俺と安定は趣味が合わないのか。ばちばち火花を散らす俺たちに挟まれながら、主は楽しそうに声を上げて笑っていた。
こんな私を美人だなんて言ってくれるのはあなた達が初めてだ、って。お世辞なんかじゃなくて、俺たちの本心なのにね。
帰りに洋服屋や雑貨屋を見る約束を主と交わして、俺たちは審神者会議へと急いだ。
時の政府の為が城、それはこの町の中心地に堂々と聳え立っている。お屋敷から町へ出れば遠目にその様を見ることは出来るが、こうして目の前にすると、なお圧巻だ。
少し周りを見渡せば、俺たちと同じ様に会議へ呼び出された審神者と刀剣達の姿がちらほら。うちの本丸にも居る見慣れた刀剣達ばかりの筈なのに、全くの別人──もとい別刀に見えるのが不思議だった。纏う雰囲気や表情が、なんとなく違って見える。俺と同じ筈の加州清光や、大和守安定だって居るのに。そんな不思議な感覚を主に話せば、主は「当然ですよ」と答えた。
「彼らは皆、あなた達とは違う環境、私とはまた変わった審神者の元で育てられたのです。与えられる霊力にも差があるでしょう。別人に見えても当然です、だって全くの別人なのですから」
当然のこと、当たり前なのか。
刀剣としての本質は変わらなくても、どんな審神者に呼び出されてどういった日々を過ごすかは、性格や雰囲気に影響されるんだ。完璧に同じ一振りは存在しない、主は更にそう答えた。
じゃあ例えば、俺みたいに甘い物が大好きな加州清光も居れば、逆にそんなの苦手で辛い物が好きな加州清光も居る。……簡単に言うと、そういう事なのかな。
今こうして主の隣に並ぶ俺は、本当に、この人だけの刀剣なんだなあ。
「清光、何一人で顔赤くしてるの? 気持ち悪い」
「さっきからニヤニヤしてるお前に気持ち悪いとか言われたくないんだけど」
「は、はあ!? べッつにニヤニヤなんかしてないし、僕は主だけの刀剣なんだなーとか嬉しく思ってないし!! ……あっ」
なにその分かり易すぎる反応。思わず口を滑らせて慌てる安定は、俺よりも絶対真っ赤な顔をしてる。
主はそんな俺たちを交互に眺めながら、口元を押さえてくすくすと笑うのだった。顔布越しなのに、嬉しそうなのがよくわかるよ。
城の敷地内に入る、その一歩手前で主がピタリと足を止めた。
「…さ、二人とも、ここから先は刀剣に戻って下さいね」
前日から聞いていた話だが、時の政府が管理する城の敷地内では、刀剣男士の実体化を禁止されているそうで、主の言葉通りただの刀剣に戻らなくてはならない。
禁止にたいした理由は無くて、いくら広い城でもこれだけの刀剣含めた人の数を中へ入れるのは厳しいからだろう。
俺たちは素直に自分自身でもある刀を主に預ける。主は丁寧にその二振りを受け取って、刀の刃が上向きになるよう、腰にしっかりと差した。
なんだかその様に心がそわそわしてしまって、隣に並ぶ安定に目を向けたら、ばっちり目が合ってしまった。
「なんか、不思議な気分だよね」
「そうね。この姿で自ら刀を振るう事の方が、いつの間にか当たり前になってたからね」
でも、うん、こうして主の側にぴったりと寄り添える事は、刀としてやっぱり嬉しく思っちゃうんだよなあ。帯刀されるって気分、懐かしくて良い。
俺たちは主に目を閉じるように言われて、すぐに、付喪神として与えられた肉体がただの刀剣に戻る──すーっと空に吸い込まれるような、妙な感覚を味わった。
「少しの間、お昼寝でもして待ってて下さいね。きっと目が覚める頃には会議も終わっているでしょうから」
ん……待ってるからね、あるじ……。
刀剣の姿で居る間は、眠りに落ちる前のふわふわ心地良い感覚がずっと続いてる様な思考状態で、主の傍らに置かれて付き添う会議中も、人々の声がなんとなく聞こえる程度。
何の話をしていたのか、一体何の為の会議だったのか、全くわからないままにうとうとしていたけど、聞き慣れない単語や物騒な言葉が響くのを、聞いたような気がする。
(これまでの………とは、比べ物にならない……な第三勢力)
(……の二振りを捕らえており…)
(今後、…………の出現を想定した部隊編成、練度上げを……)
遡行軍とはまた違う、新たな敵?
こてつ……けび、いし……?
俺には何か深刻な事態だってぐらいにしかわからなくて、そんな話より、俺たちをぎゅっと握り締める主の手が……微かに震えていたことの方が、気になった。
どのぐらい時間が経っただろう。
ふと意識がハッキリしてきたかと思えば、初めて降ろされた時のように、主が俺たちを呼ぶ声が聞こえて。その声に早く応えようと手を伸ばしたら、いつの間にか人の身体に戻って、しっかりと自身の刀を握っていた。
目の前には、夕焼けの橙色に照らされた主の姿。ああ、やっと会議は終わって、もうすっかり夕方の時間帯なのか。
俺は刀を腰に差し直して、ふわぁ~と欠伸をひとつ。俺のすぐ隣では、安定がうんと両手を上げて背伸びをしていた。
「んん~! やっぱりこっちの姿に慣れちゃうと、刀剣に戻った時、窮屈に感じちゃうね」
「それは俺も同感。会議お疲れ様、あるじ。どうだった?」
「……有意義な時間でしたよ。他の審神者さん達から、小狐丸を呼び降ろすのにオススメの鍛刀レシピも聞けました」
本丸に帰ったら早速試したいですね、と話す主は楽しそうな声なのだけど、何か伝え辛い事を隠し抑えているようにも聞こえてしまった。きっとここでは話したくないのだろう、詳しい会議の内容は本丸で聞けばいい。
それよりも、約束したんだから早く町へ戻ってお店を見て回ろう。そう言って主の手を引けば、顔布の奥で笑ってくれたような、気がした。
……うん、やっぱり人の姿でいる方が安心する。こうして主の手を握れるし、笑い返す事も出来るから。
城での会議が終わったばかりだからか、昼間歩いて来た時より町の中は随分賑わっている。行きつけの甘味処の前にも、審神者と刀剣がずらりと列を成していた。ここの栗饅頭、美味しいもんなあー。
本丸でお留守番してる刀剣達に「甘味のお土産を買って帰りたかったのですが……」とその大行列を前にしょんぼり肩を落とす主。もう、昼間に約束した目的とそれは違うでしょ。
「今日はお土産なんていーの! 主に似合う可愛い服を探すんだから」
「でも、そんな、勿体無いですよ」
「勿体無いのは、せっかくの美人を持て余してる主の方だけどー?」
「あ、さっきの和服のお店だ。買うかどうかは主の判断に任せるけど、少しくらい見て行こうよ、ね?」
目の前には、安定が気に入ってる青い着物を扱ってる方の和服店。主はしばらく言葉を濁らせて迷っていたが、俺だけでなく安定にもポンポン背中を押され「見て行くだけなら」と、お店の中へ足を踏み入れてくれた。
入り口近くに置いてあった青い着物以外にも、数多く様々な着物が揃っている。現代の着物って色鮮やかなんだね、柄も洋服みたいに色々で見てるだけでも楽しい。主も店内をぐるーっと見渡して、感動している様子だった。
「……あっ、これ……可愛いですね」
しかし、主が一番に足を止めてその手を伸ばしたのは、着物ではなく店の隅に並ぶ小物棚、その内の一つである髪飾りだった。主が乱にあげてた、ヘアゴムってやつだ。
「こっちの赤いリボンは清光ちゃん、青いリボンは安定ちゃんに似合いそうですね」
蝶結びの形に飾られたそれは、よく見るとちりめん生地に花の模様が描かれていて、その小さな色違いの髪飾り達は確かに可愛い。俺たちの方を見て楽しそうな主も可愛い。……けど、また目的が違うでしょ主!
「もー! あるじは俺たちのことばっかり気にし過ぎ!! 今日は主が着飾るための服を探しに来たのにー」
「もう、主ってば……。気持ちは嬉しいけどね、他にパッと見て気になるものは無いの?」
安定の問いに、あ、それなら……と明るい声で言いかけて、俯き黙り込んでしまった主。耳が赤い。本当にお洒落慣れしてなくて、こういうお店も苦手としているみたいだから、言い出すのを恥ずかしがってるのかな。
「……あの、浴衣、可愛いな、って」
少し顔を上げておずおずと主が指差した先を振り返る。それは壁際に飾られていた。青と緑を混ぜたような爽やかな色に、深く鮮やかな橙や朱色の花模様が浮かぶ浴衣。これはまた個性的な色合いだけど、うん、模様も可愛くて主に似合いそうだ。
「でも、やっぱり私用の浴衣だなんて、小判が勿体無いですよ……」
また主はそんなこと言って、問答無用で購入させようかとも考えた時である。
「お客様~あちらの浴衣がお気に召されました~?」
「ひょわ!?」
「よろしければご試着してみます~? この色と柄でしたらぁ、こちらの赤い帯が~、あちらの棚にあるかんざしもお勧めでぇ~」
店の奥から出て来た年配の女性店員が、語尾のゆったりとした喋り口調で主にぐいぐい強引な接客で例の浴衣を勧めている……。これは、元々押しには弱い主だ、俺たちが口を挟まなくても良さそうだね。
俺は安定と顔を見合わせて笑い、店の外で主が戻ってくるのを待つ事にした。ほら、店の中にいると、俺も何かおねだりしちゃいそうだから。
数十分後、予想通り和服店の紙袋を手に持った主が店から出て来た。
「おかえりなさーい、良いお買い物出来たみたいだね、主」
その様を見てニヤニヤと笑いかける安定。主は顔布越しに額を押さえて「話に乗せられて浴衣以外にも色々買ってしまいました……」と自身の押しの弱さを嘆いた。
本丸に帰ったら早速さっきの浴衣姿な主が見たいな。そうお願いすれば、主はしばらくおろおろと慌てて悩んだ後、まだ季節じゃないので試着だけなら一度、と耳を赤くして答えてくれた。へへ、楽しみだなあ~。
「自分を着飾る為の買い物なんて、今日が初めてかもしれません……。お供してくれてありがとうございました、清光ちゃん、安定ちゃん」
「もう、お礼なんていいのに。主とお買い物に歩くの楽しいんだよ。だーかーらぁ、もーっと俺たちを連れ歩いてね!」
「僕たちはあなたの刀剣なんだから、いつだってどこへでもお供するよ」
「……はい! これからも色んなところへ、一緒に行きましょうね」
主は明るくそう言うと、あっと何か思い出したような声を上げて、片手に持った紙袋の中をガサゴソと漁り始めた。
紙袋からパッと戻ってきたその手には、先程、小物棚で一目惚れしていた蝶結びのヘアゴム。俺たちに似合いそうだと言っていた髪飾りが握られていた。
「結局、これも買ってしまいました」
何故か申し訳無さそうに顔布の奥で微笑む主。赤い方を俺に、青い方を安定に渡して、絶対二人に似合いますよ、なんて笑うものだから。
ああ、もう、ほんと、この主は。
俺はすぐに髪を結っていた紐を外して、主から貰った髪飾りで結い直した。安定も俺と全く同じ行動をして。
「……これ、似合ってる?」
主は心底満足そうに、深く頷き返してくれた。
それはなんだか、俺たちがこの人だけの刀剣なんだって、目に見える証のようで胸が苦しくなるほど嬉しかった。
「ありがと、あるじ! ずっと、ずーっと大事にするから」
「こんな大事なもの、戦場に立つ時は付けれないね」
安定も俺と同じ気持ちのようで、腹立つくらい大きな瞳が涙で少し潤んでいた。
俺たちはあなたがどんな事に逢っても、どんな行き先を選んでも、ずっと着いて行くから、ずっとあなただけの刀剣で居るから。
だから、どこへでも、連れて行って。
(あなたがその素顔を見せてくれたように、もっと、俺たちを信頼してね)
そんな気持ちが伝わればいいと願いながら、主の小さな手を握り締めて、皆が帰りを待っている本丸へ急ぐのだった。
ーーーーーー
審神者豆知識・其の二
審神者について。
刀剣男士を付喪神として人の姿で呼び降ろし、実体化を維持する。
出陣先で紙製の式神を使役して、本丸と戦場の通信、敵の布陣の偵察などに役立てる。偵察には部隊の刀剣男士らの能力が影響し、それによって成功・失敗の有無が変わる。また、式神は鍛刀や手入れの時にも大活躍。小さな十字型の紙が自由自在に動き回る。
審神者の霊力は刀剣達の性格や個体差に大きく影響を与える。審神者が病などで弱っていると、刀剣達の力も弱まってしまう。よって、審神者は精神・身体共に常に健全でなくてはならない。どうしてもやむを得ない場合は、ちゃんと時の政府へ休暇申請を提出する事。
不定期に時の政府から招集が掛かり、各国の審神者達を揃えて会議が行われる。大体は政府からの報告会。その際、護衛の刀剣男士を必ず一振り~六振りまで連れて行く事が義務付けらている。
2025.02.23公開