審神者と仄々生活
名前変更
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは鮮やかな紅葉たちがすっかり散ってしまった冬の、とある寒い朝のことだった。
その日は突然、世界一可愛い我が愛刀の優しい呼び声ではなく、はぐはぐ喚く管狐の喧しい鳴き声で叩き起こされたかと思えば、緊急の審神者会議に出席しろと時の政府からお達しが下された。
朝食を頂く暇さえ与えられず、近侍の二振りを連れて政府の城へと向かい、半分寝ぼけた頭で会議場に辿り着いた。普段の会議と違い、本当に緊急であった為かまだこの場へ集まっている審神者も少ない。だがもう、政府側には招集した全員を待つ余裕すら無いらしい。
突如、歴史修正主義者らが万を超える大軍を率いて、我々への大規模な襲撃作戦を決行した模様。
全審神者はこれを刀剣男士らの"連隊"を編成して迎え討ち、そして勝利せよ。
以上が、政府から言い渡された緊急任務を簡単にまとめた内容である。
「…いよいよ、本格的に
どこか楽しそうにも聞こえる声でそう言ったのは、近侍として私の左隣に凛々しく並ぶ、大和守安定。
「何もこんな、年末の時期に襲って来なくたって良いのに……あるじと過ごす大晦日やお正月休み、満喫したかったのになぁー……」
安定とは逆に嫌そうな深いため息を吐きながらそう語るは、私の右腕に自身の両腕を絡めてぴったり寄り添っている、同じく近侍の加州清光。
私も彼の言葉に同感ではあるが、そもそも、歴史を巡る戦争に年末年始の休みなどを期待する方が、可笑しい話だったのかもしれない。
緊急で手短に終わってしまった会議から本丸へ帰還して、早速、留守番をしてくれていた男士たちに任務概要を大方説明する。
ついに遡行軍側が、歴史干渉という形ではなく、自分たちの邪魔をする時の政府と審神者本隊を潰すべく動き出してきた。政府側は男士らが敵を打ち倒した数を"御歳魂"という餅玉に換算して、審神者たちにはその集めた御歳魂の数だけ、それ相応の報酬を用意していると言うが……これは前回の秘宝の里での玉集めとは違う。次々に襲い来る敵部隊との、連隊戦だ。
無論、政府側も審神者たちへの負担を考慮して、手入れの簡易化や重傷者が出た際の自動帰還など、まあ色々とサポートはしてくれるらしい。だが、何せ敵の数が圧倒的に多過ぎるし、時の政府が管理する歴史から隔離されたこの場所は、強固な霊力防壁と私の編んだ結界に守られているとはいえ、このまま放置していては本丸にまで敵軍が入り込んで来る恐れがある。休んでなどいられない。
「此度の任務は第一部隊から第四部隊まで、我が本丸の全力を以って襲い来る敵軍の殲滅にあたること。これより、その編成を言い渡します」
第一部隊は、加州清光を隊長に、その補佐を大和守安定に任せ、打刀中心の昼戦・夜戦・屋内戦……どの戦場でも臨機応変に対応出来るよう編成する。
続く第二部隊は、脇差と短刀のみで固めるという、完全なる夜戦特化編成に。隊長は小夜左文字にお願いする。戦が長引いて敵が屋内に逃げ込んだ場合、彼らの力が絶対に必要だ。
第三部隊には薙刀の岩融を隊長に、太刀を中心に昼戦向けの編成を組んでもらい、彼らで陽の高いうちに多くの敵を薙ぎ払ってもらおう。
そして、第四部隊。うちの最主力である三日月宗近を隊長、更に蛍丸と石切丸、三名槍らを揃え、確実に敵大将の部隊を葬る高火力編成でまとめた。
「──以上、名を呼ばれなかった刀剣たちも、いつでもその身を振るえるよう戦支度は怠らないように願います。」
応、と一斉に刀剣たちから力強い返事が返ってくる。彼らの高い士気を感じてビリビリと震える空気に、内心とても安堵した。
この子たちであれば、私の育て上げた刀剣たちであれば、万の群勢にも恐れることはない。何も心配せずとも、無事にここへ帰ってきてくれるだろう。
刀装や内番の指示も一通り終え、刀剣たちはそれぞれ自分がするべき事へ向かい、一人一人大広間を出て行った。全員の支度が終われば、改めて連隊戦の初出陣である。
だけど、まだ、近侍の加州清光と大和守安定は私の両隣に並んでくれていた。
「……あるじってば、初めて出会った頃より随分、主らしくなったよね」
ふ、とこちらを向いて微笑む清光は、何処か寂しそうにそう言った。
「あら、やだ、突然どうしたんですか」
「んー? ちょっとあるじの成長が見えて、初期刀として誇らしいなーって。あなたは、今や五十近くの刀剣たちを束ねる皆の主様、だもんね」
「……清光ちゃん?」
きっと素直に純粋に私を褒めてくれているのだとわかるのに、どうしてそんな、寂しそうに笑うのだろう。
私がこれ以上何かを聞く前に、いつの間にか彼の後ろに居た安定ちゃんが、ドンッと少し強めに清光ちゃんの背中を押した。
「いって!」
「ほら、僕たちも早く戦支度を整えないと。久しぶりの出陣だろ、腑抜けるのは敵大将の首を落としてからにしろよ」
「……はいはい、わかってますよーっと」
安定に引っ張られながらも、また後でねとこちらにひらひら手を振る清光は、いつも通り明るい笑顔の清光ちゃんだった。
「たーくさん誉取って来ちゃうから、帰ってきたらうーんと褒めてね、あるじ!」
「ええ、もちろんですよ。くれぐれも慢心はせぬよう、気を付けて」
……彼の、あの寂しそうな表情は、いったい何だったのだろう。
***
『…ま、こんなもんだよねー』
敵大将の首を落とした本体を大きく振って血を払い、加州清光はその身を静かに鞘へ納めた。
此度の連隊戦は余裕、そう胸を張って言える程の大活躍であった。
『主よ、こちらも無事に終わったぞ。第四部隊も第一部隊と合流して、すぐ帰還しよう』
「はい、三日月さん。皆、今日もお疲れ様です。夕飯の準備が出来ていますから、帰ったらしっかり手を洗って大広間へいらしてくださいね」
改変軍の猛攻は年明けまで止まなかったものの、新年の二週目に突入した辺りでようやく落ち着きを見せ、この連隊戦にも終わりが近付いてきた。そんなある日。
『……んん? なんだ、こりゃあ』
おい、主、どうやらまた新入りのようだぞ。帰還の途中に何かを見つけたらしい日本号が、映鏡越しにニヤリとそう言った。
無事に全部隊帰還して、私の元に届けられたのは、一振りの美しい太刀。
そこへ私はもう一振り、数日前に政府から贈られた太刀を並べた。
これでやっと、彼らを迎えられる。
「源氏の重宝、髭切さ。……君が、今代の主で良いのかい?」
「同じく源氏の重宝、膝丸だ。兄者共々、よろしく頼む」
私の呼び声に応じて現れてくれたのは、白と黒──二人の美しい兄弟太刀であった。
罪人の試し斬りをした際に、顎髭ごと切り落としたので「髭切」と名付けられたのが、白の洋装と穏やかな微笑みが印象的な兄太刀。同じく試し斬りの際、一度に両膝を切り離した為「膝丸」と名付けられた、黒の洋装と凛々しい目付きが特徴的な弟太刀。彼らには他にも色々な逸話と、それに因んだ立派な名前が複数あるようだが……。
二人共に自ら名乗った通り、その逸話のひとつとして彼らは源氏の重宝とされ、かの有名な源頼朝と義経の兄弟がそれぞれ持っていた太刀らしい。前の持ち主が過去に敵対していたとはいえ、ただの刀剣としての彼らは初めて顔を合わせた限りでは、とても仲の良さそうな兄弟たちに見える。
実は戦場でもう一振りお兄さんが見つかると聞いてから、弟さんの方の顕現をずっと待っていたのだ。出来れば、共に顔合わせをしてほしいと思って。
「はじめまして、お二人とも。ようやくあなたたちを迎えられてとても嬉しく思います、こちらこそよろしくお願いしますね」
「ああ、もちろんだよ。僕らを二振りまとめて呼んでくれるなんて、今代の主は見た目に似合わず意外と凄いお人なのかな?」
「……まあ、俺たちを同時に呼び出せる程の高い霊力は評価するが、戦など全く似合わぬ呑気な世話係にしか見えんな」
「ふふ、さあ、どうでしょうね。そんなことより、あなたたちが呼ばれるのをずっと待っていた子たちが居るのですよ」
はて、誰だろうか、と同時に首を傾げる可愛らしい兄弟の後ろで、本丸の襖に身を隠す大小二つの影が揺れる。私がおいでおいでと手招きすれば、それはおずおずと影から出て来てくれて、兄弟たちの目線もそちらへ向けられる。途端、一気に表情を明るくしたのは膝丸の方であった。
「もしや、今剣……? それに、後ろのお前は弁慶、いや、岩融か!」
その言葉に、名を呼ばれた彼らもまた嬉しそうな笑みを浮かべ、特に今剣は大喜びして膝丸の元へ駆け寄り飛び付いた。
「うすみどり! ああ、よかった、ちゃんとおぼえていてくれたんですね!」
薄緑。それは膝丸があの、源義経に振るわれていた頃の名前らしい。
「当たり前だろう、忘れる筈がない。はは、その名で呼ばれるのも久しいな……まさか、またお前と同じ主の元に居られる日が来るとは……。今度は岩融も一緒か、そうか……!」
「こうして再会できた事、本当に嬉しく思う。また共に戦場を駆けようぞ、薄緑──いや、膝丸殿!」
「ああ、また共に!」
力強く手を握り合う岩融と膝丸、そして再会を目一杯喜ぶ今剣の姿に、思わず感動して目頭が熱くなる。だけど……。
「髭切、ちゃん? あなたは彼らとお話しなくても良いのですか」
そんな彼らから、何処か居心地悪そうに目線を背けている兄太刀の方が気になってしまう。私の呼びかけに、こちらを振り向いた彼は困ったように眉を下げて、苦く笑った。
「僕は……うーん、ほら、過去に色々とあったから、ねえ。良いんだよ、弟が嬉しそうだから」
「でも、」
過去に色々と言ってもそれは彼らの前の持ち主たちの問題であって、彼ら自身に問題があった訳ではない……けど、やはり複雑な心境なのだろう。今の主だからとはいえ、初対面の私が余計な口を挟むのは、きっと逆効果になる。そう口を噤んだ私の代わりに、小さく、しかしはっきりと聞こえる幼い声が彼を呼んだ。「ひげきり」と。
膝丸に抱き上げられていた今剣は、ぴょんっとその両腕から飛び降りると、髭切の足元へ駆け寄ってきた。にこ、と無邪気な微笑みを浮かべて、彼を見上げる。
「ひげきりは、うすみどり……じゃなくて、ひざまるの、おにいさんなんですよね」
「ああ、そうだよ。自慢の弟さ」
一瞬戸惑いを見せながら、髭切も穏やかに笑い返してそう答えた。彼らを向こうで見守ってる膝丸ちゃん、凄く嬉しそう。今剣ちゃんの表情も、ぱあっと輝いた。
「じゃあ、ぼくのおにいさん、でもありますよね? ぼくとひざまるも、きょーだいみたいなものですから!」
「えっ、……と」
「ぼくのあるじさまと、ひげきりのあるじさまも、きょーだいでした」
「!」
「ぼくは、あるじさまたちのぶんも、ひげきりたちとなかよくしたいのです!」
頼朝公と義経公が出来なかった事を、皆でしていきたいのだと。今剣は、源氏の重宝である彼らと再会できる日をずっと待ち望み、健気にもそう願っていたらしい。
彼は、なんて……とても良い子に育っただろう、ほんの少しでも敵対意識を持っていたらどうしよう? などと考えた自分が恥ずかしいくらいだ。
「……うん、そうだね……ありがとう。これからよろしく頼むよ、今剣」
「はい! よろしくおねがいします、ひげきり!」
髭切の両腕に軽々抱き上げられて、嬉しそうにキラキラの笑顔を向ける今剣。この様子なら、もう何も、私が心配する必要はありませんね。
「つるぎちゃんは本当に良い子に育ちましたねえ、清光ちゃん」
「ふふ、今のあるじの影響だろうね」
「あらあら、そうかしら?」
「きっとね。……俺がこうなっちゃったのも、あるじのせいなんだろうな」
「え?」
「ん? なに?」
「い、いえ、今なにか、」
「何の話? 感動の再会もこれで済んだし、早く夕飯食べに行こうよ、あるじ。もう俺お腹ぺこぺこだよー!」
「あ、はい。そうですね、私もお腹空きました」
「んじゃ、早く行こ行こー」
何だったんだろう、あの一瞬しか見られなかった、彼の暗い表情は。
やはり少し前から清光ちゃんの様子が可笑しい、気がするのですが……どうしてしまったのだろう。
私は自分でも気付かぬ内に、また、彼を苦しめているのだろうか……?
***
無事に源氏の兄弟太刀を迎えた数日後。
ようやく敵の部隊が撤退を始めたとの政府からの管狐伝いの連絡が届き、去年の師走から長く続いた連隊戦も、ついに終わりを迎えた。
年末年始休み無く働き詰めて、これでやっと心身ともに休める。刀剣たちにもしばらく休暇を与えよう。ああ、でも、改めて新刀剣の歓迎会も、連隊戦のお疲れ様会もしたいな。
久しぶりに皆とゆっくりご飯やお酒を楽しみたい……そんな事を本丸で近侍たちに話していたら、二人に揃ってくすくす笑われてしまった。あら?
「あるじってば、連隊戦でそれどころじゃなかったのはわかるけど、なーんか忘れてない?」
「そうそう、歓迎会や慰労会よりもっと大事なお祝いの日。覚えてないの?」
清光ちゃんにも安定ちゃんにも、にこにこ微笑まれながらそう言われたが、私は何も心当たりが浮かばずに首を傾げる。大事なお祝いの日……何か……あっ。
思い、出した。
確かにその日の当日は覚えていて、でも連隊戦で忙しい時だったし、そんな大袈裟にするものでもないと、こっそり初期刀の清光ちゃんとお祝いしただけで終わらせてしまったけど……。
それは、私にとってどんな記念日も、それこそ誕生日よりも、遥かに大事だと言えるくらい。1年前の、私を取り巻く環境や運命を一瞬で変えた、とある日。
「あるじ、」
私が審神者になった日だ。
「「審神者就任1周年、おめでとう!」」
あるじさまー! おめでとう!
主殿、おめでとうございます!
主さーんおめでとー!!
わいわい、がやがや、あちこちから飛んでくる祝いの声と、パチパチ鳴り止まない拍手の音が、大広間いっぱいに響いている。
早速お祝いしよう! と近侍の二人に引っ張られてここへ連れられた私は、刀剣全員の眩しい視線を一身に浴びながら、未だに頭が混乱してポカンと立ち尽くしていた。
普通にここで朝ご飯を食べていた時は何事も無かったのに、いつの間に、こんな用意をしていたのか。
あちこちに可愛らしく飾り付けた折り紙の装飾や、祝! 審神者就任一周年! なんて書かれた垂れ幕まであって、台所の方からは思わずよだれが溢れそうなご馳走の匂いもする。皆の笑顔がいっぱいに溢れた大広間は、完全にお祝いの雰囲気一色だった。
「どうだ、驚いただろう?」
恐らくこの嬉しいドッキリ企画の提案者なのだろう、真っ白な刀剣男士が一振り、にんまり笑って皆の視線を掻い潜り現れた。
「少し、きみの管狐にも協力してもらってな! 政府からの報告を待たせている間に、色々と仕込ませてもらったぜ」
どうやら彼らの計画は随分前から私には内緒で進んでいたらしく、本来は記念日当日にお祝いしたかったが、連隊戦で少し遅れてしまったのだと言う。
けれど「おかげで、きみの今まで一番の驚いた表情を見られたから、逆に良かったかもしれないなあ!」なんて喜ぶ鶴丸国永の笑顔が眩しい。彼も随分、明るくて心優しい子に育ったものだ。
私の後ろでは、近侍たちが「あるじを引き止めておくのも結構大変だったんだからー」「準備お疲れ様、すごいねー!」と鶴丸に声を掛けている。二人も当然、この仕込みの協力者だった訳だ。
ほらほら、主役さんはこちらへどうぞ。そう近侍たちに背を押され、就任記念の弾幕が貼られた真下の主役席へと座らされた。オマケにお鶴ちゃんから「本日の主役!」とやたら達筆に書かれた襷を付けられて、もう私に何か一言喋る暇すら与えてくれない。
すると今度は、短刀たちが全員で私の元へ集まってきた。どうしたのかしら。皆、何かを後手に隠しながら、どこか緊張気味だ。
そんな彼らの先頭に立つは、私の初鍛刀である前田藤四郎。「主君、就任1周年おめでとうございます」そう改まった挨拶と共に、彼は照れ臭そうに笑いながら、隠し持っていた小さな白い封筒を私に差し出した。あら、まあ、丁寧な字で「主君へ」と隅に書かれた、これは。
「お手紙、ですか?」
前田くんは照れた赤い顔でこくこくと必死に頷いた。
「短刀の皆で話したんです。主君へのお祝いに、何か手作りの贈り物をしようと。それで、僕は主君に手紙を……」
日頃の感謝を文字に込めたのだと彼は言う。そんな、いつも感謝の気持ちでいっぱいなのは私の方だと言うのに、私の懐刀はなんて尊いことをしてくれるのだろう。
今すぐ彼を抱き締めたい思いに駆られたが、先程の短刀たち、との言葉通り、贈り物はこれだけではないらしい。
平野くんも、前田くんと一緒に私へのお手紙を書いてくれていた。お小夜ちゃんはお兄さんたちと三人で作ったらしい、折り紙を輪っかで繋げた首飾りをくれて。秋田ちゃんは私の似顔絵を、今剣ちゃんはお花の冠をくれたり。五虎退ちゃんに絆創膏だらけの手で、ツギハギまみれの小さな虎のぬいぐるみを貰った瞬間なんて、もう泣きそうだった。薬研ちゃんから、食べ過ぎや飲み過ぎに効くらしい漢方薬を頂いた時は、色んな意味で驚いたけれど。
どの子も、私に喜んでほしいとの想いがたくさんたくさん込められた、優しい贈り物をくれた。更に──。
「主さん、僕からは……これ!」
折り紙で作った指輪だよ。可愛いでしょ! そう差し出された乱藤四郎の両手には、確かに、とても可愛らしいお手製の指輪が二つ並んでいた。でも、どうして二つも? そんな疑問は彼の眩しい笑顔で解消された。
「もう一つは加州さんの分だよ」
「……へ、俺?」
「だって婚約指輪は、未来の旦那さんとお嫁さんがお揃いで付けるものでしょ?」
──婚約指輪。いったい何時そんな存在を知ったのだろう。いや、テレビや図書室の利用を自由にさせているし、現代に関して興味津々で勉強熱心な彼らだ。今更何を知っていても不思議ではない、のか。
乱ちゃんは紙製の指輪のひとつを、私の左手薬指に。そしてもうひとつを、まだ困惑している様子の清光ちゃんに、私と同じ位置へ飾ってくれた。私の為だけでなく、初期刀として今日まで共に歩み、皆を率いてきた……彼の為にも、これを作ってくれたのだ。
「僕はいつでも加州さんと主さんのこと、応援してるんだからね!」
「み、乱……う、うぅ~! ありがとぉ~!!」
感激のあまり泣きついてきた清光ちゃんに、乱ちゃんは「もお、恥ずかしいからやめてよ~!」なんて口では言っているものの、とても嬉しそうだった。私も、凄く、凄く嬉しい。
私はついこの間まで、彼に対する気持ちや特別視する事、ましてや刀剣と恋仲になるなんて、許される事ではないと、ずっと思い込んでいたのに。
乱ちゃん、だけじゃない。みんな、その間もずっと、私や彼の事を応援してくれていたんだ。幸せになってほしい、そんな想いで背中を押し続けてくれていたんですね。
「ありがとう、みんな……」
私は、なんて幸せな主なんだろう。
この幸せな一瞬一瞬の思い出も、両手いっぱいに貰った宝物も、彼らと共に、ずっとずっと大切にしよう。自身の左手を飾る可愛い婚約指輪を眺めて、そう誓った。
お昼に始まった宴会は、外が暗くなるまで賑やかに続き、気付けば刀剣たちも半数がすっかり良い具合に出来上がってしまっていた。美味しい料理と楽しいお酒を存分に味わったのだ、仕方無い。今日は無礼講だから、怒る刀剣も居ない。残りのもう半数は、場酔いしてもう疲れてしまったり、寝てしまった兄弟らを介抱したりと、それぞれ自室に戻っていったようだ。
私の周りにまだ杯片手に残っているのは、ああ、殆どよく一緒にお酒を飲む子たちばかりだ。日本号と次郎太刀、陸奥守や和泉守、それから薬研に──。
「主、新しいおつまみをご用意しました。とはいえ簡単に、ウインナーをチーズと餃子の皮で巻いて焼き上げたものですが…」
「わあ、美味しそう! さすが私の長谷部ちゃんね」
「ですから、俺の事は……いえ、貴女が下さった渾名ですし、もうそう言われ続けてとっくに1年過ぎましたからね、諦めましょう」
長谷部ちゃん、もとい、へし切長谷部はやれやれと呆れたような口振りなのにどこか嬉しそうな笑みを浮かべ、空いていた私の右隣にスッと腰を下ろした。
彼は初期刀の清光ちゃん、初鍛刀の前田くんに続き、私の元へ降りて来てくれた三振り目の刀剣男士だ。当時は頑なに「長谷部とお呼びください」の一点張りだったのに、そんな拘りをあっさり諦めさせてしまう程、彼とも随分長い付き合いになったものだ。
「俺にも少し酒を貰えるか、日本号」
「おう、もちろんだ。しかし、お前さんが自分からこの正三位に酌をねだるとは、珍しいこともあるもんだなァ」
「ふ、今日は主の大事な祝いの席だからな……」
「ははッ、そうかそうか! めでたい日の酒は格別だ」
ほら、主も遠慮せず飲め飲め、手が止まってるぞ? と長谷部の杯に酒を注ぐついでに、私の持っていた杯にも溢れんばかりのお酒が注がれる。わっとと! 溢れる寸前で慌てて口を付ける、危ないじゃないですか。
「……ところで主、加州清光の姿が見当たりませんが?」
いつもなら名を呼ばれた彼が座っている筈の私の右隣で、長谷部が怪訝そうに大広間を見渡しながら聞いてきた。
「あ……清光ちゃんなら、少し前に、酔いを覚ましたいからと、一人でお庭の方に……」
私の答えに長谷部は、え、とせっかくのお酒を溢しそうな程に肩を揺らした、あまりに大袈裟な驚き方である。
普段なら誰が引っ張っても絶対に主の隣を、この一番の特等席を譲ろうとはしないのに、ましてこんなめでたい時に彼奴が居ないだなんてありえない。
そう眉間に皺を寄せる長谷部に、次郎太刀が続いて口を挟む。
「連隊戦が始まってからしばらく思ってたんだけど、なーんか、よそよそしい雰囲気になってなーい? 加州と主さ」
ぎくり、と、笑顔が引き攣る。
「いえ、決してそんな事は……。少し飲み過ぎてしまっただけなのでしょうし、きっとすぐに戻って、」
「加州が出てってから、もう結構な時間経ってるけどねえ……。アタシらの気のせいならそれで良いけど、せっかくやっとの思いで恋仲になれたのに、どうしたのさ。まーた喧嘩でもした?」
「喧嘩、はしてません。……たぶん」
今日だって、乱ちゃんから貰ったお手製の婚約指輪を眺めながら、幸せに笑い合ったくらいだ。喧嘩なんてしてない。
でも、……以前から少しよそよそしい雰囲気というか、何処か妙に距離を置かれているような感覚は、あって。それは気のせいではなかったのだろう。周りで見ていた彼らにも、気付かれてしまったぐらいだから。
「私にも、よくわからないんです。ただ、あの子……普段はいつも通り笑ってるのに、私と居ると、たまに凄く悲しそうな顔をするから……」
わからない、けど、私自身が無意識に彼の事を傷付けているのではないかと……ああ、私も怖がって少し彼を避けているのかな……彼は相変わらず近侍として初期刀として私のそばに居てくれるけど、それ以外、一緒に過ごす時間はすっかり失われて。
おかげで、今まで当たり前のように行われていた所構わぬスキンシップも、殆ど減ってしまった。一緒のお風呂に入ったり、お風呂上りの彼の髪の毛を乾かしてあげたり、ぎゅっと抱きしめ合ってひとつのお布団で眠ったり、そういう事も、最近全くしていない。あ、ちゃんと朝は起こしに来てくれたけど、それは……近侍としての仕事のつもりなんだろう。
連隊戦で忙しいから仕方無い、なんて自分自身を誤魔化していたけれど、やっぱり、今の私たちは端から見ても、恋仲同士としては可笑しいのだ。
「ちょっと待ってくれ、主?」
だんだん話していて悲しくなってきた私に、何故か和泉守ちゃんがお酒のせいか赤い顔で訪ねてきた。
「布団で寝るのはまだしも、彼奴と一緒に、風呂まで入ってたのか……?」
「はい。ほら、私の髪の毛とっても長いでしょう。結構お手入れが大変で。そしたらあの子、じゃあ俺が綺麗に洗ってあげるー、って。本当にあの子は優しい子ですよね」
「優しさ? 優しさなのか!? いくら相手が自分の愛刀だからって、そりゃあさすがに危機感無さ過ぎなんじゃねえのか、主さんよ……」
そう言われても今まで何事もなく当たり前に背中洗いっことかしてましたよ、と締めくくれば、いやそれは逆に何もない方が可笑しいだろ?! と、これまた何故かお怒りの和泉守ちゃんでした。
そんな和泉守と訳がわからず首を傾げる私を眺めながら、次郎は面白そうに笑っている。彼はいつの間にか私の後ろにいて、ぽんぽん、と励ますように私の肩を優しく撫でてくれた。
「そうそう、アンタらは見たり聞いてるこっちが驚いちゃうぐらい、とびっきりの仲良しで丁度いーんだよ」
今の状況は絶対に可笑しい、一刻も早く仲直りすべきだ、とキッパリ言い切る次郎ちゃん。
「仲直り、と言われましても……私、彼に一体何をしてしまったのか、全然心当たりがなくて……」
「原因がわからないなら、本人に教えて貰えば良いだけだろう? ゆっくり話し合っておいでよ、今はもうそれが出来るじゃないさ」
「あ……」
「ほら、早く行って来な、主。アンタの大事な初期刀なんだから、ね」
そうだ、わからないなら聞けば良いのに、どうして彼らにそれを教えた筈の私が、そんな簡単なことを忘れてしまっていたんだろう?
解決策を思いついたらもう落ち着いて酒を飲んでなど居られず、私はすぐさま立ち上がり大広間を出て行った。ありがとうございます、少し席を外します、優しい彼らへ早口にそれだけの言葉を残して。
「……全く、もう。恋仲になって少しは落ち着いたかと思えば、いつまでも世話のかかる二人だねえ」
「仕方無いだろう。俺たちは元々、人の心など知らぬ、ただの刀の物だったんだ」
「そんなこと言いながら、ちゃっかり主の隣に座っちゃうアンタもアンタだよ、長谷部」
「俺が彼奴の居場所を奪おうとしてる、とでも言いたいのか? 馬鹿を言うな。俺は主の幸せを一番に願っている、隣の違和感に気付いて頂きたかっただけに過ぎん」
「ふーん? まあ、本当~にその気が無いなら良いんだけどさ」
「当然だ。……あのお方の一番は、彼奴にしか務まらんだろう」
……清光ちゃん、一体どこまで酔いを覚ましに行ってしまったのかしら。
大広間を出てすぐにお庭の方を見渡したが、彼のよく目立つ赤い襟巻きは見当たらず、仕方無しに私はうろうろとお屋敷内を彷徨っていた。まあ、こうもびっしりと雪が降り積もる冬の景趣の中では、寒くて寒くて、あまり長くお散歩なんてしていられないだろう。
あ、もしかしたら、もう自室に戻って休んでいるのかもしれない。ふとそう思いついて、新撰組刀たちが使っている刀剣部屋へ向かった。
案の定、彼らの部屋に灯りが付いているのが見えた。思わず庭沿いの廊下を早歩きしたが、途中ではっと慌てて足を止める。
部屋の前で、清光ちゃん……と、彼よりも先にもう休むと言って大広間を出て行った筈の安定ちゃんが、二人で縁側に足を投げ出して、何やら話し込んでいる様子だった。
「そんな事で悩んでたの、お前」
「俺にとっては大問題なんだよ、あるじにはこんな俺……知られたくない」
あ、あれ、なんだか重たい空気…?
声を掛けようかどうしようかと一瞬悩んだ結果、近くの未使用の刀剣部屋に身を隠し、少しだけ彼らの様子を伺うことにした。
「……だからって、あんな分かりやすい態度取ってたら、誰だって心配するよ。いつものお前なら考えられない」
「隠してる、つもりだったんだけど……」
「いや、全然隠しきれてないから。国広どころか兼定まで、お前の様子が可笑しいって、気が付いてるぐらいだよ」
「……でも、じゃあ、どうすれば良いんだよ」
「もう、諦めて素直に言ったら? 主本人に。どうしても他の刀剣たちに嫉妬してしまう、もっと構って欲しい、ってさ」
え、……嫉妬?
清光ちゃんが、他の刀剣たちに?
はて? いや、確かに思い返せば、彼が寂しげで悲しそうな顔するのは決まって、私が主として皆に指示を出したり、他の子達と話をしている時とか、だったような……。
あれは、まさか、私が彼以外を構う事にヤキモチを焼いていたから、だったのでしょうか。
「馬鹿、言えるわけない。そんなの、あるじを困らせるだけだろ、今でも贅沢なぐらい愛してもらってるのに。あの人は……皆の主で、優しいお母さんであるべきなんだからさ……」
「馬鹿はお前だろ。結局そう自分に言い聞かせても我慢出来なくて、あからさまな態度に出ちゃってる癖に、よく言うよ。短刀たちにまで気を遣わせて」
「うっ、それは、悪かったと思う……。お前にもいつも、余計な気を遣わせたりして、ごめん」
「……もう今更だから気にしてないよ」
扱い辛いお前の面倒なんて、同じような刀の僕にしか出来ないだろ。そうへらりと笑う安定ちゃんは、なんだか彼のお兄さんのように見えた。
ほんと、仲良いんですよね、うちの近侍たちは。それを本人たちに言うと、口を揃えて「仲良くなんて無いし!」って怒られてしまうけど。
昔に同じ主の元へ居たから分かり合えること、似た者同士の腐れ縁だから通じ合えることが、彼らにはあるんだろうな。……やだな、私の方こそ、ちょっと妬いてしまいそう。
「で、話を戻すけど。そんな少し嫉妬したくらいで、主がお前を嫌いになるなんて、僕には到底想像もつかないんだけど」
「嫌われたりは、しなくても……あの人の前では、嫉妬や独占欲なんて無縁な、優しい神様で居たいんだ。それに、皆から慕われてる主を見てるのも、半分は誇らしいっていうか……皆も主を純粋に大好きなんだってわかるから、邪魔したくなくて」
「それがたまに辛くなって胸が痛くなるんだろ。ったくもう、めんどくさい奴だなあ」
「散々話させた挙句にその言い草は酷くない!?」
お前ほんと馬鹿じゃないの? と大きな目をじっとり細めて呆れた様子の安定ちゃんに、やっぱりお前なんかに相談するんじゃなかったー! と嘆く清光ちゃん。
なるほど、最近彼の様子が可笑しかった理由が見えてきた。彼は私や皆の事を想って、自分のヤキモチを我慢して、ずっと一人で悶々と悩んでいたのか。
「あの人から一番愛されてるのは俺なのに、これ以上望むなんて、ずるいだろ」
ああ、もう、こんな、盗み聞きだなんてとっても悪い事なのに、どうしよう、今すっごく清光ちゃんが、彼がやたら可愛く思えて仕方がない。そんな我慢なんてする必要ないのに、素直に言ってくれたら良かったのに、なんて優しい子……今すぐ抱きしめに行きたい。
「ほんと、馬鹿な奴」
安定ちゃんは深い深い溜め息を吐き出すようにそう言った。
「自惚れるなよ。お前だけじゃない、僕らだって、主にはちゃんと目一杯愛して貰ってるんだから。そんなめんどくさい相談されるより、鬱陶しいぐらい主にべたべたくっついてるお前を見てる方が、まだマシだよ」
「鬱陶しい……!?」
「やっとの思いで恋仲になれたんだろ、なのに相手に変な我慢する方が馬鹿らしいって、──主も、そう思うよね?」
ひぇっ!? や、安定ちゃんの青い目が、明らかにこちらを向いた。慌てて身を隠したが、駄目だ、これは完全にバレた。
「え、……えっ! あるじ!?」
「僕もそんなに偵察は得意な方じゃないけど、主の気配ぐらいならすぐにわかるよ。特に夜はね。清光は、お酒のせいなのか何なのか、気付いてなかったみたいだけど」
そ、そりゃあそうですよねえ、自分の隠蔽値の低さも考えてなかったけど、夜戦部隊の元・副隊長さんの偵察力を侮ってました。
「安定……お前、あるじが聞いてること気付いてたのに、話そのまま続けさせたわけ……?」
「こうでもしないと、主にほんとの事を素直に~なんて絶対話さないだろ」
じゃあ、僕はもう休むから。安定ちゃんはふわぁと欠伸を交えながらそう言って、お顔が真っ赤の清光ちゃんを放置して部屋へ戻ろうと背を向ける。その前に、隠れるのをやめた私に、顔だけ向けて。
「それじゃあ主、また明日。めんどくさいと思うけど、あとはよろしくね」
にっこり意味深な笑みを浮かべ、新撰組刀のお部屋の中へ消えていった。
そして、寒い縁側に取り残された、気まずい空気の私と清光ちゃん。
「……ええと、その……ここでは寒いですし、場所を変えましょうか」
「……うん」
あのまま縁側で話を続けていては寒くて風邪をひいてしまうから、私は清光ちゃんを連れて、本丸へ避難した。
部屋を少しでも暖めようと雪見障子をぴっちり閉めて、ぱちぱち火鉢の中で炭が燃える音を聞く。障子の傍らに置かれた照明の弱い灯りだけが、じんわり室内を照らしている。火鉢の側あったかい。
一方、清光ちゃんはと言うと、灯り近くの壁に凭れ掛かって座り、むっすり不機嫌そうな顔でこちらを睨んだまま黙り込んでいた。
気まずい。非常に気まずい。無責任にもつい拾ってしまった野良猫に、毛を逆立てて警戒されている気分だ。本当に申し訳ない。
「清光ちゃん、あの……ごめんなさいね、盗み聞きなんて悪いことしてしまって」
正直に謝るも、彼からの返答はない。だけど、おかげで不機嫌な顔は崩れて、はあ、と何か諦めたような溜め息が返ってきた。
「んーん、いいよ、もう怒ってない。そもそも自分勝手な感情のせいで、主にまで心配かけさせた、俺が、悪いんだし……」
ぼそぼそと消え入りそうな声で言いながら、今度は俯いて膝を抱えてしまった。例の話を聞かれていたことの恥ずかしさや、私に対する罪悪感で、また彼は自己嫌悪に苦しんでいるのか。
私は火鉢の側から離れて、そっと彼の目の前に座り込んだ。それでもまだ顔を上げず、つむじをこちらに向ける頭を、ぽふぽふと撫でる。「清光」と優しく呼び掛ければ、渋々顔を上げてくれた。
「あなたは、優しい子ですね」
でも、ちょっと優しさが過ぎて、時々困ってしまうぐらいですよ。
そんな私の言葉に、彼の表情が辛そうに歪む。優しくなんてない、と頭を撫でる手も払われてしまった。
「同じ仲間……家族にまで嫉妬するようなやつの、どこが優しいんだよ……。みんな、俺たちのことを応援して、祝福してくれてるのに、」
「ヤキモチなんて、個人差はあれど誰だってしてしまうものです。でもその相手が、そんな大切で大好きな家族たちだったからこそ、つい遠慮や我慢をしてしまったんでしょう?」
「……だって、わからなかった。こんな感情、どうしたら良いのか……この嫉妬や独占欲のまま行動したら、誰かを傷付けそうで、あるじを困らせてしまうかもって」
ああ、もう……ほんとに、清光ちゃんは。持ち主の私さえも驚く程優しくて、愛おしい子。
「変な気を遣わなくても、いつものように、素直に甘えてくれたら良かったんですよ」
ほら、と私は彼に向かって両手を大きく広げた。目一杯抱きついておいで、そう微笑んで見せるが、彼はまだ遠慮してどうすれば良いのか迷って戸惑っている。
「どうしたんですか、いつもみたいにぎゅーってしてください」
「でも……」
「あなたが甘えてくれなきゃ、私、とっても寂しいです」
えっ、と彼に意外そうな驚いた顔をされて、逆に私が驚きだ。
清光ちゃんからの好意的な言葉や行動を、確かに慣れていない頃は少し戸惑ってしまう事もあったけど、決して嫌だなんて思った事は無いのに。
皆だって、そんなあなたをいつも微笑ましく見守ってくれていたこと、今日の色々な出来事で清光ちゃん自身よくわかったはずだ。
そういうヤキモチも、私の事を本当に好きで居てくれるから、感じてしまうものなんでしょう。
「遠慮なんてしないで、もっとワガママいっぱい言ってください。昔みたいに、ね?」
あの頃は何でもわからないことがあったら私を頼って、甘えてきてくれてたのに。髪を乾かしてあげたり、爪紅を塗ったり、どの刀剣よりも一番に彼をたくさん可愛がってきたつもりだ。彼を甘やかすことは私の心を癒す行為でもあったのに、その安らぎを奪うなんて、ひどい話だとは思いませんか。
あなたが甘えてくれないなら仕方無い、私がもっと甘えてしまおう。
両腕を広げたまま膝立ちでじりじり近付いて、彼にわあっと覆い被さるように抱き付いた。ぎゅっ、と自身の胸の間に彼の頭を無理やり押さえ込む。んぷっ、くるしい、なんて小さく声が聞こえたけど、知らんぷりをした。
「あるじ……」
ようやく彼が両手を伸ばして私に抱きつき返してくれたので、押さえ込んでいた腕の力を緩めた。膝立ちをやめて、話しやすいように顔の位置を合わせる。
「そーいうこと、簡単に言っちゃって大丈夫? 俺、ほんっとーに遠慮しなくなるよ、いいの?」
「遠慮をする必要がどこにあるんです。私と清光ちゃんは、こ、恋人同士、でしょう」
「どもってるし」
「す、すみません、なんか改めて言うと恥ずかしくなっちゃって」
変に照れてしまった私を見つめ、堪えきれぬ様にけらけらと笑い出す清光ちゃん。私の大好きな可愛いその笑顔に、とても安心した。
「あー……じゃあ、さ、早速ワガママしても良い?」
「はい、どうぞ。私がしてあげられることなら、何でも言ってください」
んじゃ、遠慮なく。
そうにっこり笑った綺麗なお顔が、ずいっと近づいて来たかと思えば、顔布を素早い手つきで捲られて。不意に唇が熱を持った。あれ、今、口付けされたのか、と理解した時には、もうそれは逃げるように離れていた。
つい先程よりも離れた距離から、朱を増した笑みがこちらをにこにこ嬉しそうに見つめている。ぽぽぽっと一気に自分の顔に熱が集中していくのを感じた。彼の手が離れた顔布は重力に逆らえず、ぱさりと私の真っ赤な顔を隠した。
「……え、あの、」
「そーいえば、頬っぺたとかおでことかにはちゅーしたことあるけど、唇同士の口付けはしたことないなーと思って。ずっと雛子さんと口付けしてみたかったんだよね、駄目だった?」
「だ、駄目かどうかを、し終わった後に聞きます……?」
「えへ、だって遠慮しなくて良いよーって言うから」
なんだか幸せな気持ちになるね、なんて。自身の口元に片手を当てて、親指で先程触れた唇を愛おしげに撫でながら微笑む姿が、いつも以上に艶やかに見えてしまった。
「もっかい、してもいい?」
オマケにあざとく首を傾げて、私の心臓にトドメを刺してきた。なんて殺傷能力の高い打刀だろうか。既にいつの間にか、顔布を結ぶ紐が彼の伸ばされた手によって解かれている。
ああ、そうだ、彼は酔い覚ましの為にお外へ出ていたのに、まだ酔いが残ってる可能性をちっとも考えてなかった。でも、そんな、幸せに満ちた顔をされてしまったら、もう。
「……どうぞ、いっぱいワガママしてくださいな」
それが私の幸せですから。
遠慮も我慢もしなくなり、お酒の力まで借りた彼を止める術はない。
そのまま畳の上に押し倒された私は、彼から何度も何度も降り注がれる口付けの雨を浴びた。
唇だけでなく、頬にも額にも鼻先にも、首筋にも彼の唇が触れて、くすぐったいし凄く恥ずかしいけれど、幸せで。
「ん、ふふっ」
「あはっ、はは」
お互いに、自然と込み上げてくる笑い声を堪えることが出来なかった。
口付けを一旦止めて、代わりにコツンと額を合わせて見つめ合う。
「ほんと、俺何やってたんだろ、馬鹿だよね」
「私は清光ちゃんの、そういう素直でヤキモチ焼きさんなところも、大好きですよ」
「ん、雛子さんが愛してくれるなら、もうどんな俺でもいいや。これからもワガママいっぱいするから、よろしくね」
「はい、喜んで受け止めますよ。だからこれからも、私の一番の愛刀で、恋人で居てくださいね……」
「えー、やだ」
「えっ!」
「……いつかは恋人じゃなくて、ちゃんとあなたの旦那さんにしてくれなきゃ、嫌だよ?」
な、なんだ、そういうこと……。
もう、びっくりしたじゃないですか。
「うん、いつかきっと、必ず」
その言葉が合図のように額が離れ、また彼の唇が私に近寄る。今度は深く、長く、舌を絡め合う口吸いを交わす。初めてで、恐る恐る侵入してくるそれに、緊張して味なんて感じる余裕も無い。
ぎこちなく慣れない行為につい、彼の手で畳に縫い付けられた両の手に、ぐっと力が込もってしまって。
お互いの左手薬指に揃った紙製の指輪が擦れ合って、クシャリ、と音を立てた。
いつの日か、仮初めのものではなくて、本物の指輪を揃えられる日を迎えよう。
あなたがそれで、やっと安心してくれるなら。
二人で永遠の約束を交わせたらと、私も……そう、願っています。
2025.04.29公開