審神者と仄々生活
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久しぶりの審神者会議だった。
私はいつも通り近侍の加州清光と大和守安定を連れて、会議の行われる政府が為の城へと向かい、刀剣姿に戻った彼らを傍に置いて会議に参加した。
しかし、会議場の空気はここ最近の穏やかな雰囲気を一変、雑談など出来ぬようなお堅い緊張感に包まれていた。
時間遡行軍が池田屋の記憶にて、また新たな動きを見せたらしい。
時の政府が一体どのようにして敵の情報を得ているかはわからないが、今回は敵の作戦も詳しく判明しているようだ。
池田屋一階にて、新撰組の沖田総司が振るう刀剣、加州清光を折ることを目的とした遡行軍の部隊が現れた。
敵側の目論みは定かではないが、恐らく、正史では池田屋二階で折れて修復不能になってしまう加州清光を、一階で先に折る事で歴史改変するつもりだろう。また、二階で加州清光が振るえなくなれば、持ち主である沖田総司が池田屋で殺されてしまう可能性も出て来る。
歴史とはひとつの歪み、僅かなズレであっても、その後の時間の流れに大きな影響を与えるものだ。
時の政府はその敵部隊を"加州清光折大隊"と名付け、審神者たちに討伐命令を下し、池田屋一階への出陣任務を与えた。
「…あるじ、どうしたの?」
加州清光の声にハッと我に返る。
私はつい悶々と考え事に耽り、審神者会議からの帰り道の途中、無意識にぼうっと立ち止まっていたようだ。
私の数歩先で、心配そうにこちらを振り返り見つめている近侍たち。加州清光と、大和守安定。私の、大切な愛刀たち。
何でも、ありませんよ。そう言っても、彼らには何かあったことを見抜かれてしまっているのだろうけど。顔布越しに微笑み返して、慌てて彼らの元へ駆け寄り、二人の真ん中にいつも通り並んで歩き出す。彼らに今日の会議内容を話すのは、本丸へ帰城した後にすべきだ。
私は彼らを心配させまいと、なるべく明るい声で、他愛無い会話を始めて心の内の
しかし、やはり、長く私の近侍を務めてくれている彼らには、隠せなくて。
「あっ、ねえねえ主! 今日はいつもの甘味処空いてるよ、甘いもの食べて帰らない?」
「ほんとだ、会議の後なのに珍しいね。丁度おやつの時間だよ、主」
明るい笑顔でそう誘ってくれる彼らは、きっと元気の無い私を理由がわからずとも励ましたい、そう思ってくれているのだろう。
……恐らく、普段なら会議の後は長蛇の列が並ぶ甘味処がこんなに空いているのは、先の会議内容が原因だろう。時の政府から話を聞いた殆どの審神者たちはそれぞれ、時間遡行軍に対する怒りや恐怖など様々な感情に襲われている様子だった。あの内容を聞いて、笑顔で居られる者など私が見た限りでは居なかった。甘味処で土産を買ったり、甘味を楽しむ余裕など無いのだろう。
敵が今回のように、直接刀剣を狙う事例は初めてなのだ。加州清光という刀剣は、審神者が初めて手にする初期刀五振りの内の一振りであり、初期刀として選ばなくても殆どの審神者が彼を刀剣男士として持っている筈だ。そんな彼に、もしも歴史改変が加えられたら、一体何が起こるかわからない。最悪、付喪神として顕現出来なくなる可能性だってある。
敵側も、もしかしたらそれを分かっていて、加州清光という刀剣を狙うのだろうか。審神者たちの怒りの目がそこへ集中するように。
私だって、彼を初期刀に選んだ1人の審神者である。怒りに胸が焼けそうだ。彼を失うかもしれない、そんな恐怖に泣きそうなのを必死に堪えている。
でも、いや、だからこそ。
「そうですね、少し、寄り道して行きましょうか。私も今日はなんだか、甘いものが食べたい気分です」
私は心の余裕を持たねばならない。怒りに身を震わせて思考を狭めてはならない。広い視野を持ち、冷静な判断で、彼らを導くべき事が審神者たる者の役目だ。
絶対に勝ってみせる。彼の歴史と、存在を守る為に。
「くずきりと、わらび餅、あと、さつまいもソフトに、あんみつパフェください」
「あの……主、さすがにその量はちょっと食べ過ぎじゃない……? 大丈夫なのそれ、もしかしてやけ食い?」
「じゃあ、僕はこの抹茶ぜんざいと、フルーツ大福、あとは、んー……お団子も食べたいなあ、この三種の団子盛りセットくださーい!」
「お前はもう少し遠慮しろよ、安定」
***
審神者会議から本丸へ帰還して、私は決して内心の激情を晒すことなく淡々と、刀剣男士たちに新たな合戦場への出陣任務を告げた。
その日の夜のことである。
どうにも寝付けなかった私は一人、夜遅くまで書類仕事に取り掛かっていた。提出期限には随分余裕があるけれど、こういう時こそ手を動かして、少しでも気を紛らわせたかったのだ。
そこへ。
「あるじ、ちょっと良い?」
話しておきたい事があるんだけど。そんな聞き慣れた声が襖の向こうから聞こえてきて、無心で筆を動かしていた手を止めて顔を声の方へ向ける。こちらが何か返事をする前に、部屋の襖が開いた。
「……清光ちゃん」
「こんな遅くまでお仕事? もう、会議の後ぐらい、すぐ休んだら良いのに……」
入るねー、と相変わらずこちらの返事など聞こうともせず、部屋に入ってすぐストンと私の目の前に座り込んだ寝衣姿の清光ちゃん。正座だなんて珍しい。……彼も、眠れなかったのだろうか。
「今夜は髪を乾かしてもらいに来た……訳では、無さそうですね」
少し茶化すような言葉であったが、彼は真剣な眼差しでコクリと静かに頷く。私は筆を置いて、身体ごと彼へ向かい合った。
話の内容はなんとなく既に察しがついていた。きっと、明日の出陣任務の話だろう。
例の任務の話を聞いて、過去の自分に歴史改変を加えようとする敵の目論みを知って、不安や恐怖を抱かない訳がない。
「明日の出陣は、いつも通り、俺を隊長にして池田屋へ向かわせて欲しい」
……けれど、まさか、そう言って彼が頭を下げるなんて、予想外だった。
「清光、あなた、本気で言っているのですか?」
思わず、私の声が震える。
「本気だよ。じゃなきゃ、こんな風に頭を下げたりなんてしない」
それに対して、彼の声は酷く落ち着いていた。顔を上げなさい、そう告げてようやく彼は土下座をやめ、きっちり正していた足も胡座をかく体制に崩した。けれど、その赤い目は相変わらず、真剣な色でじっと私を見つめる。そこに私の予想していた不安や恐怖の色は一切見えない。
加州清光折大隊。その名を聞いて、私は明日の第一部隊編成から、彼を外すつもりだった。なのに。
「……此度の任務の危険性を、理解した上で言っているのですか? 加州清光折大隊の名の意味を分かっていますか?」
彼は答えない。
「あなたが一番に敵から狙われるのですよ、過去と違って仲間が居るから平気だと自惚れているのですか? 私は反対です、隊長どころか隊員すら任せる事は出来ません」
「主こそ、何を怖がってるの」
彼の赤い眼差しに、何も怖がっていない、とは嘘でも言えなかった。
「それとも、主は俺が言ったこと、忘れちゃったの? ねえ、俺は絶対折れたりなんてしない、もっと俺を信じてほしいって、言ったよね」
今度は私の方が、何も答えられなくなってしまった。忘れてなど居ない。彼を信じたい気持ちより、彼を失うかもしれない可能性の恐怖が、胸の奥を苦しく締め付ける。怯えているのは彼じゃない、私だ。
彼の手が、私の顔へと静かに伸びてきて、素顔を隠す白い顔布を捲られる。泣かないでよ、主。優しい微笑と声にそう言われ、自分が感情を抑え切れずに涙を流している事に気がついた。
「俺さ、今回の遡行軍の計画には腹立ってるんだよねー。俺自身の存在をどうにかしようってのもそうだけど、……あの人を戦死させようって、あの人が必死に生きた歴史を変えようなんて言う、その魂胆が気に食わない」
その手は優しく私の頬を伝う涙を拭ってくれているのに、彼の赤い目は静かな怒りに燃えていた。自分のことは自分で守らせてほしい。彼の覚悟は本物だった。
「大丈夫だよ、俺は折れたりなんてしない。もう二度と、主を置いて行くなんて……嫌だから。絶対、あなたを置いてったりしないよ」
ああ、そうか、この子は前の主を置いて折れてしまったことを……悔やんでいるんだ。なのに、正史より先に折られるなんて堪ったものではないだろう。だからこそ、あなたを置いては行かない、その言葉に重みと絶対の誓いを感じられる。
「お願い、あるじ、俺を連れて行って」
いったい誰が、彼のその意思を、止められるというのだろうか。
「……必ず、私の元へ帰って来ると、約束出来ますか」
「もちろん。俺が大好きなあるじの、あなたのそばを離れるわけないでしょ? まだ告白の返事だって聞いてないのに!」
「ふふ……そう、でしたね」
「例えあなたが嫌がっても、ぜーったい離れてなんかあげないんだから、ね」
ほら、もう、泣かないでってばー。
そう困ったように私を抱き寄せ、華奢に見えてしっかりと男性らしい手が、よしよし背中を撫でて宥めてくれる。彼は私が泣き止むまで、ずっと、そばに居てくれたのだった。
***
翌朝。
「……第一部隊の編成は、これまでの夜戦部隊と同様に、加州清光を隊長、副隊長を大和守安定に任せます。隊員は和泉守兼定、堀川国広、長曽祢虎徹、浦島虎徹、以上6名。金盾兵中心の刀装を身に付けるようお願いします。あとは本日の遠征ですが、第二部隊……」
池田屋出陣の部隊編成と今後の予定を告げた後、朝礼の終わりを告げると、刀剣たちは各々の持ち場と任務に向かう為、ぞろぞろと大広間を出て行った。数名を除いて。
この場に残ったのは、先程名前を読み上げた長曽祢虎徹と、その仮の弟達である蜂須賀と浦島の三名。長曽祢が重々しく口を開いた。
「……主、俺は反対だ」
此度の部隊編成に納得出来ないと、低い声が告げる。
「浦島ちゃんを第一部隊に加えることですか? お兄さんとして心配な気持ちはわかりますが、彼は練度も実践経験も既に十分……」
「浦島を心配しているんじゃない。兄として、弟の実力は理解している。惚けないでくれ」
彼の鋭い一声に、私は思わず目をそらしてしまう。長曽祢の言いたい事は最初から分かっていた。
「加州清光を部隊に、ましてや隊長を任せる事に反対しているんだ」
私は黙り込む。そんな私に対して、長曽祢は険しい表情で、更に言葉を続けた。
彼奴の代わりに俺が部隊を率いる、清光が抜けることで足りない戦力は蜂須賀が担う、何も彼奴にこんな無理をさせる必要はないはずだ……と。
旧知の間柄として、長曽祢がどれだけ彼を心配しているのか、私には痛いほど理解が出来た。
彼に……清光に対して、どれだけ辛い任務を任せている事か、そんな事、私が一番分かっているのだ。過去に自身が折れた場所を目の当たりにし、自身を折るべく計画する敵部隊を相手に、戦わせるなんて。
彼は恐らく他のどの刀剣より一番に敵から狙われるだろう、集中攻撃を受ける可能性だってある。装備は無論万全に用意する、練度の高い新撰組刀たちも付き添うとは言え、それだけ重傷や、──破壊の可能性も上がるということだ。
私だって、本音を言えば、彼をそんな場所に出陣させたくはない。だけど、私は、この編成で必ず勝てると信じている。誰一人欠ける事なく全員無事に帰ってくる、と。今回の出陣は、絶対に、彼が隊長でなくてはならないのだ。…だって。
「あなたに何と言われようと、私は先程の編成を覆す気はありません。今回の出陣は、あの子自身が望んだことですから」
私は顔を上げ、彼の意思を告げた。長曽祢は目を見開いて驚いている。
「あの子が、清光ちゃんが、自ら第一部隊の隊長に名乗り出て、私に頭を下げて頼みこんできたのですよ? ……その意思を、一体誰が否定出来ると言うのですか」
私は彼らに、昨夜の加州清光と交わした話の内容を、淡々と告げた。寝衣姿のままに深々と頭を下げた事、自分を信じてほしいと無事の帰還を誓った事。
俺を連れて行って。……そう強く笑った彼の言葉を、私は結局、否定出来なかったのだ。いや、きっと誰も、彼を止める術も権利もない。
「長曽祢、あなたの気持ちも、私は理解しているつもりです。でもね、大丈夫なんですよ。だって、彼自身がそう言ったのですから」
「主……あんた、本当は……」
私だって本当は、怖くて、怖くて仕方がない。もしかしたら彼を失うかもしれない、破壊されてしまうかもしれない、そんなもしもが頭の中をぐるぐる回って消えない。
嫌だ、戦わせたくない、行かせたくない、けど、これは戦争だ。戦わなければ、正史は歴史修正主義者の手によって乱され、過去の加州清光に何かあれば、現在の加州清光にどんな影響が起こるかわからない。戦うしかない。彼らを戦わせるしかない。
でも、大丈夫だと、あの子は笑ってそう言ったから、私はその言葉を信じたい。……そうするしか、道はないのだ。
「大丈夫、大丈夫ですよ。そねちゃん、あの子は私たちが知っている以上に強い子です」
「……ああ、そうだな、すまない。野暮なことを、口挟んでしまったな。そういう事なら、俺は、戦場で彼奴を支えよう」
「はい。……どうか、お願いします」
私はただここで、あなたたちの無事を祈り、彼の帰りを待つしか無いのだから。
『御用改めである!!』
いざ出陣と向かった夜の池田屋に、彼の──加州清光の勇ましい声が響くのを、私はいつものように映鏡越しに聞いた。ああ、なんと、力強い意志を感じる声であろうか。
大丈夫、……私の初期刀は強い。
私が彼らを信じられなくてどうする。私は彼らの帰りを待ち、おかえりなさいと、笑顔で出迎えられる存在であれば良い。そう安心する声であった。
池田屋一階での戦いは、敵大将に何度も何度も逃げられて、こちらも幾度となく一時撤退と出陣の繰り返しを余儀なくされたが……最後には、敵大将を屋敷の外へ、更に河原まで追い詰める事に成功した。
山の向こうから微かに昇り始めた太陽が白く輝いているのが見える。夜明けが近い。これまでのような狭くて暗い屋内夜戦とは違う、敵も味方も本来の力を発揮出来る通常の昼戦と、ほぼ同じ状況下に変わる。
「ここで決めましょう、敵陣形は方陣で守りを固めていますが……こちらは逆行陣で、素早く決着をつけなさい」
『りょーかい。ったく、向こうも往生際悪いなあ』
追い詰めた敵部隊を前に、隊長である清光がそんなことをぼやく。未だ、彼には傷一つ付いていない。その綺麗なままの姿は、まるで自分を狙う奴らを嘲笑うかのような、映鏡越しに見守る私に心配させまいとしているようにも見えて。
敵刀剣らが銃を一斉に構えた。
銃口は無論、加州清光に向けられ、弾丸が飛ぶ。しかし、それも彼が装備する刀装に弾かれて、本体には擦り傷さえ与えない。
──だが。
『清光!!』
大和守安定の声が響く。
『痛ッ……!』
銃撃とほぼ同時にこちらへ突っ込んできた高速槍の一撃だけは、彼でさえも逃れることが出来なかった。けれど、安定の呼び声のお陰で咄嗟に急所は交わし、槍の矛先は清光の左腕を掠める。
そこからは一瞬であった。清光は怒りに染まった赤い目で敵を見据え、その槍の長い柄を掴むと、自身の方へ引き寄せ、体制を崩した高速槍の首を斬り飛ばした。
『あーあ、もう、ここまで来て軽傷とか最悪。無傷で帰れたらカッコ良かったのに、ほんっとーに高速槍、嫌い!』
『お前が調子に乗ってるからだよ、馬鹿!』
『……もう一歩反応が遅れていたら、軽傷では済まなかったかもしれないな』
『はいはい、ごめんなさーい』
安定だけでなく、長曽祢虎徹にまでお小言を頂戴し、拗ねた子供のような謝罪を返す清光。だけど、その表情は、どこか嬉しそうにも見えた。
それもそうかもしれない。過去の彼……否、彼の前の主が池田屋で孤軍奮闘を続けていた時とは違って、今は何も言わずとも呼吸を合わせ背中を預けて戦える、信頼深い仲間が揃っているのだから。
つい余裕が行動や表情に出てしまうのも、仕方が無い事か。
『あるじ、』
「はい」
『すぐに帰るから、待っててね』
「……ええ、もう心配はしていませんよ」
あなた達ならどんな敵に行く手を阻まれようとも大丈夫だと、この目でしっかり見せてもらいましたから。
その後、脇差と打刀で発動する二刀開眼も決まり、大将戦は見事な勝利を掴み取った。時の政府規定の評価で言えば、A評価と言ったところだ。
新撰組刀を中心に編成した第一部隊は、清光以外にも大将戦までの道中で高速槍の攻撃を受けてしまい、数名が軽傷を負ってはいるものの、中傷や重傷者は出なかった。誰一人欠けることはなく全員無事である。刀装も一つだって壊れてはいない。
本丸で第一部隊の帰城を出迎えた私は、ようやく心の重荷を下ろせたような彼らの清々しい笑顔を見て、心から安心した。
おかえりなさいと声を掛ければ、ただいまと言葉を帰してくれる。その当たり前が、どれだけ喜ばしい事か、再認識したのだった。
その後すぐに、負傷した隊員たちには手入れ部屋に入ってもらった。私の操る紙製の式神や、留守番していた他の刀剣たちの手を借りて、休息も兼ねた手入れ中である。
審神者の私は、先の出陣での戦闘状況や詳しい戦果を聞くため──いや、本音を言えば彼の無事をきちんとこの目と手で確認したかっただけ、で──隊長を任せた、加州清光の手入れにぽんぽんキュッキュと励んでいる。
今、この場には私と彼の二人きりだ。手入れの完了する1時間半近くは、緊急の用事さえ無ければ誰も来ない。
一通り話を終えて「……と、報告は以上です。あるじさま」なんて、変に畏まって彼が言うものだから、なんだか可笑しくて、私は思わず「ふふっ」と声を上げる。心苦しい任務であっただろうに、皆無事に帰ってきたよ、大丈夫だよ、そんな風に自分よりも私の事を気遣ってくれる彼の心の強さに、私はただ「ありがとう」と言葉を返した。
「お疲れ様でした、隊長さん」
「ん、ありがと」
清光ちゃんはそう言って、くしゃり、安堵の笑みを浮かべたのだった。
……そこからは、何故かお互い無言になってしまって。いつもなら、手入れ中は他愛無い会話で盛り上がるのに、今夜は何を話題に出せばいいか分からず、話し辛い妙な空気になっていた。
清光ちゃんの方も何か言いたげにそわそわしているのだが、決して私の方を向いてはくれず、あらぬ方向へ目線を泳がせている。心無しか、その頬はほんのり赤いように見えた。
私も、彼が無事に帰ってきたら「おかえりなさい」や「ありがとう」の他にもっとたくさん話したい事があったような気がするのに、いざ本人を目の前にしたら思い出せない。何故だろう。私たちは何をこんなに緊張しているのだろう?
あ、そうだ、そういえば。
「清光ちゃん、先の大将戦でついに練度限界に到達しましたね!」
やっと練度九十九ですよ、おめでとうございます、とようやく話したい事を思い出した私の声は弾む。
しかし、それに対してビクリと彼の肩が大袈裟にも思える程大きく跳ね上がった。その反応に私もつられて驚いてしまう。あれ?
「……嬉しくは無いのですか?」
「嬉しいよ! ……嬉しいけど、その、なんていうか、心の準備が……」
彼はそうごにょごにょ口籠って、今度は気のせいではない程にその顔を赤く染め上げた。耳まで真っ赤である。しばらく前から早く練度九十九になりたいのだと、彼はとても頑張っていた筈なのに。一体どうしたと言うのか。
しかしこれは、私にとっても、大変喜ばしい事だ。常に彼と一緒に出陣してきた安定ちゃんも、確か同時に練度限界を迎えている。私の近侍であり愛刀たち、そして初期刀でもある彼がついにここまで育ったとなるば、嬉しさに自然と頬が緩むのも当然である。
それに、私は彼が練度限界を迎える日をこっそり待っていた。
「清光ちゃん、あのね、」
私、ずっとあなたにお返ししたい言葉があったんですよ。
そう言いかけた口は、何故か「ちょっと待って!」と彼の片手に塞がれて止められた。もごもご。喋れない。
「まずは俺から先に言わせて」
お願い、と眉を下げてそんなに可愛らしく頼まれては、断れる訳がない。それに、彼が先程から何を言おうとそわそわしていたのか、今の言葉で理解してしまった。
ようやく手をどかしてくれた彼は、その手を今度は自分の胸の中心に当てて、ふーっと深呼吸。どうしよう、ドキドキしてきた。彼の、昨夜とはまた違う、照れの混じる真剣な表情が真っ直ぐ私を見つめるものだから、つい手入れ中の手が止まってしまう。
「俺、あるじのことが、……あなたのことが、世界でいっちばん大好きだよ」
なーんか改まって言うと恥ずかしいねー、なんて。真剣だった彼の表情は、ふにゃふにゃと照れ臭そうにふやけた笑顔に緩んだ。
練度九十九になったら、もう一度きちんと告白しよう。彼は随分前からそう心に決めていたらしい。
練度とは、刀剣男士が日々の出陣や遠征で得られる経験を、分かりやすく数値化したもので。つまりはその審神者と刀剣男士が、どれだけの時を共に過ごし歩んできたかを目に見えて確認出来るものである。その数値が高ければ高い程に、刀剣の主に対する忠誠心も高く、互いの絆も深いと見れるだろう。
他人から向けられる愛情、その形無いものをなかなか信じて受け入れる事が出来ずにいた私に、彼はせめて練度九十九という数値で、主従関係での忠誠心を示したかったのだと言う。その上で、改めて自身の想いを言葉にして伝えよう、と。
毎日のように彼の口から聞いている言葉だというのに、いつも以上にぎゅうっと愛しさに胸が締め付けられる、そんな言葉だった。
「返事、聞いてもいい?」
まだ決心がつかないのなら、待つけど……。そう恐る恐る言葉を選ぶ彼は、まるで初めて重傷を負ってしまったあの時のように、とても不安そうで。
私は随分、彼を待たせ過ぎてしまったようだ。つい、ごめんなさいと謝りたい気分になったが、今告げるべき言葉は違うだろう。
もう、過去に縛られて自身を否定する必要も、お互いの立場を悩んで我慢する必要も、無い。もっと自分に我が儘になっても、欲深くなってみても、……良いのですよね?
黙って私の言葉を待つ彼に、ゆっくりと、でも必死に、震える唇を動かした。
「私も、あなたのことが大好き、……です」
本当は、ずっと前から清光ちゃんが好きだった。あなたが私に対する恋心を自覚する、その前からずっと、ずっと隠していた。でも、隠すのは今日で終わり、我慢をするのも、やめました。
加州清光、その本体である刀剣の手入れを終えて、刃を鞘に納める。そして、未だ私の言葉に驚きを隠せず口を薄っすら開けてポカンとしている清光に、本体を差し出した。
「……手入れ、終わりましたよ」
「あ、ありがとう……って、え、あの、ほんと? 嘘じゃない?」
「ええ、手入れは無事に終わりました。後で爪も綺麗にしてあげましょうね」
「違っ、手入れの事じゃなくて! あ、でも爪はやってほしい……じゃない!! 違うってば!」
手入れ完了した本体を受け取るも、一人混乱して百面相する清光ちゃんが面白くて、可愛くて。くすくす笑っていたら、もっと真剣に答えてよ! とぷんすか怒られて、そのままギューッと彼の両腕に強く抱き締められてしまった。
「ふふ、苦しいですよ、清光」
「だって、俺……今すごく嬉しくて……本当は、池田屋への出陣もさ、ほんの少し、怖くて……」
「……泣いてるの?」
「うん……だから、見ないで、しばらく抱き締めさせて」
もう手入れは終わってしまった、誰かが私たちを呼びに来るかもしれない。それでも構わず、私は静かに泣いている様子の彼の背を、ゆっくりさすってやるのだった。
「……ね、あるじ」
「なあに?」
「俺を選んでくれて、ありがと、ね」
あなたが加州清光を最初に選んでくれたから、誰よりも一番に愛してくれたから、この感情を理解することが出来た。過去の自分に踏ん切りをつけることが出来た。
元々は恋愛どころか人の感情も知らぬただの物だったのに、あなたから色んなものを貰って知ってしまった。だからこそ、今こうして、あなたを抱き締めることが出来る。同じ人の身と言葉で愛を伝えることが出来る。
それがどうしようもなく幸せで仕方ないのだと、彼はますます両腕の力を込めて、ぽろぽろ涙をこぼすように呟いた。
ああ、もう、私の愛する加州清光は、なんて、尊く愛おしいのだろう。
「それは、私の台詞ですよ」
こんな私を好きになってくれて、愛してくれてありがとう。
世界で一番、大好き。
「ああ、そうだ、清光」
「んー? なーに、あるじさま」
「ふふ……出来たら、主ではなくて、その、二人きりの時はちゃんと名前で呼んでほしいなあ……なんて」
「名前……、教えてくれるの?」
「はい。もしも私を真に愛してくれる人が現れたら、その人だけに教えたいと……ずっと、この時を、待っていたんです」
私の名前は──。
彼以外には絶対聞かれてしまわないよう、私はそっと、彼の耳元に囁いたのでした。
2025.03.28公開