愛郷の詩人と不思議な猫の話
夢主設定
帝國図書館の看板猫通称・猫のお嬢さん
室生犀星に飼われている黒猫
温和で人懐っこい性格
杏色のリボンが特徴
家庭的でお料理上手な良妻
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
詩人の刀
「小説もたくさん書いたが、結局のところ、俺は詩人なんだろうな……」
「あら、先生。何だか弱っておりますね、夏バテですか」
「ははっ、そうかもしれない。この頃いまいち調子が良くないな。筆の進みも悪いよ」
「まあ大変、文明の利器で身体を冷やしてしまったのかしら。そうだ、あたたかい梅昆布茶を淹れましょう。この間、ネコさんに美味しい梅干しをお裾分けしてもらったから。館長さんがご家庭で漬けた五年物だそうで、」
「……おまえさん、あの無愛想なネコと最近よく一緒にいるようだね」
「まあ。ヤキモチですか、先生」
「ばか、そんなんじゃないよ」
「うふふ、照れてらっしゃるの? 可愛いひと。安心なさって、ネコさんはただのお友達ですよ。──ほんとうに、人を好くということは愉しいものでございますね」
「おまえ、それは、」
「私はあのお話が一等好きです。私に初めて読む楽しさを教えてくれたのは、先生、あなたの小説でした。あの赤い金魚さんを見て、私は恋を知りました。あなたは確かに詩人でございましょう。それでも、あなたが読み手の心に残る小説を書いていたことも、確かなのでございますよ。武器が多いに越したことはありません。だから先生、ほら、言ってごらん遊ばせ」
「え、……い、厭だよ、言わないよ」
「そんなところまで小説の通りになさらなくても。私は大好きな先生の口から聞きたいわ、ねえ、お願いします、照道さん」
「ああ、もう、わかった、わかったから」
「やった、嬉しい。ひと息に仰ってくださいましね、吃ってはいけませんよ」
「はあ、おまえの再現度もなかなかだね、全く。恥ずかしいんだぞ、ほんとに」
「ふふふ」
「……仕方ないな」
「先生、ほら、はやく」
「人を好くということは、……」
飼い猫とそんな話を交わしたことはまだ記憶に新しい。結局、いくら転生した若い身でも老作家の口からそんな台詞を軽々しく言えるものではない、と私はその先を続けることはなかった。
何故、今になってそんなことを思い出しているのだろうか。
私は今、絶体絶命の危機に瀕していた。大袈裟ではない。
今日も今日とて有碍書を浄化するために潜書活動を行なっていた。いつも通り難なく奥地に潜んでいた侵蝕者の親玉を倒し、何事もなく無事に帰還する予定が──迂闊だった。親玉は自責の刃、ひとりだけではなかったのだ。浄化完了後の疲弊と安堵感に浸っていたところへ、現れたのは絶不調の獣使い。奴は次々に不調の獣たちを召喚した。数の暴力であった。皆、次々に精神を蝕まれていった。我々はあっという間に、窮地へ追い込まれてしまった。
ぜえぜえ、と会派全員が肩で息をしながら、近場の路地裏へ身を隠す。国木田さんは壁にぐったりと寄りかかり、喪失状態でもう動けないようだった。前線で私達を庇うように戦っていた織田君は、苦しそうに地面へ蹲って痛々しい咳をしている、もはや絶筆寸前であった。そんな彼の背中を心配そうに撫でてやっている八雲さんも、青い顔で精神を耗弱しかけていた。そして唯一、侵蝕度の低く意識もはっきりしている私は、攻撃手段を失っていた。オマケにこの場所が有碍書の最深部だからなのか、司書たちとの連絡も一時的に取れなくなっている。状況は最悪だった。
私はその手に握った銃へ目を向ける。私の銃はつい先程、侵蝕者──自責の刃による攻撃を受け止めたせいで、使い物にならなくなっていた。弾ならいくらでも生み出せるが、銃本体をやられてしまってはどうにもならない。自慢の装飾がぼろぼろに剥がれた己が武器を見て、私は悔しさに歯を食いしばった。この武器さえ使うことが出来れば、奴らにこの場で勝てはしなくとも、せめて弱った彼らを先に逃がしてやれただろう。
──武器。ああ、そうだ。私には、あるじゃないか。
私はそっと己の懐に手を差し込んだ。常日頃から隠し持っていたそれを握り締めて、ようやく意を決した。傷付いた戦友たちに告げる。
「俺が、殿を務めます」
私を置いて先にこの場から一刻も早く逃げてほしい、図書館へ戻って司書たちに助けを求めてくれ、と。大丈夫、心配はない。随分久しぶりに扱うけれど、時間稼ぎぐらいなら出来るはずだ。
「犀星サン? 武器も無いのに、どう戦うと仰るデスか! 無茶デス!」
そうは言っても当たり前のように、八雲さんから反論の声が上がった。「その役目ならワタシがやりマス」と彼は言った。それこそ無茶だ、彼の弱った精神であの数の侵蝕者は抑え切れないだろう。
国木田さんが私の襟元をぐっと掴み上げて、叱るように睨んだ。その目は酷く心配してくれている。彼らは私が皆の犠牲になるつもりとでも思っているらしい、何とも優しい先輩たちだ。
「アンタ、馬鹿を言うのも大概にしろよ。死ぬ気か……!」
「いいや、こんなところで悲しく死ぬつもりなんかありませんよ。今の俺は、ただ畳を這うだけの海老ではないんですから」
私は申し訳ないが国木田さんの手を払って、ひとり立ち上がった。
「センセっ……」
織田君が何かを言いかけて、げほげほと咳き込んだ。足元に、嫌な赤色が見える。駄目だ。時間がない。これ以上、彼をこの場に居させては危険だ。
「お二人とも、お願いします。俺は──」
もう、自分より若い者の死を、見送りたくなんてない。
「俺にはもうひとつ、武器がある」
私は懐からそれを取り出した。四角く狭い表紙の中、空まで泳ぐ勢いで跳ね上がる赤い金魚と目が合った。その表紙を見ていたら、何だか不思議と、初めて恋を知った乙女のように胸が熱くなる。
私はもう誰の声も聞かず、路地裏から獣の群れの中へ飛び出した。
すぅ、と息を吸い込む。
「人を好くということは愉しいものです。」
今度はハッキリと一息に言った。
手元の本から文字が溢れ出し、姿を変える。私の手に握られたのは、刃の赤い日本刀。ヒュンと軽く振って見せれば、まるで赤い金魚の尾びれのような残像を魅せた。元は自身の作品ながら、何とも美しい刀だと思った。
「人が好きになるということは愉しいことのなかでも、一等愉しいことでございます。」
目の前に飛び出した紙の獣を一匹、斬り裂いた。真っ二つに分かれた獣の間から、二匹目が叫びを上げて向かって来たが、私は構わず更に刀を振った。
「人が人を好きになることほど、うれしいという言葉が突きとめられることがございません。」
三匹目、四匹目、私は次々に襲い来る獣を斬り続けた。
五匹目、六匹目、やがて数え切れなくなる。
「好きという扉を何枚ひらいて行っても、それは好きでつくり上げられている、お家のようなものなんです。」
十何匹かは斬ったであろう。ずんっ、と地面を揺らして、獣共の長であろう巨体の獣が目の前に聳え立った。蹄から角の先までは八尺ありそうな巨体。ギラギラと青い目を光らせ、グルルと唸り声を上げ、憎々しそうに私を見下ろしている。
巨体の後ろで、真の親玉である筈の獣使いの侵蝕者も私を見ていた。しかし、その目には明らかな戸惑いが見える。私は思わず笑った。
「おや、文学を穢す者の癖に、まさか知らなかったのか。悪いな。俺は確かに詩人だが──小説も書いていたんでね」
私は真っ赤な刀を両手に構え直す。武器が多いに越したことはない。
なるほど、確かにその通りであると、愛する猫の言葉を再び思い出した。
さあ、来い。俺はまだまだ戦えるぞ。
「…………くろ?」
「はい。おはようございます、先生」
「おはよう、久々に寝過ぎてしまったなあ。うーん、たまには補修室のベッドで眠るのも悪くないね」
「もう、なんて悪い冗談でございましょう。少しは無茶なご自分の行動を反省してください。織田作さんたちにも大変心配をおかけして、」
「そうか、織田君たちも無事か。よかった、よかった」
「先生?」
「ああ、悪かった、反省するよ。そんな怖い顔をしないでおくれ」
「う、そんな、顎を優しく擽っても許しませんよ。どうか、ご自身の体も、大切になさってください……」
「おやおや、うちの猫は心配性だね。野生児の逞しさをなめてもらっては困るなあ」
「先生ほど心配性じゃあございませんわ。半日も眠っていた分、お腹が空いていらっしゃるでしょう。食堂から何か頂いてきますね」
「助かるよ。あ、そうだ、くろ。ついでに適当な紙と筆も持ってきてくれ。新しい小説の、良い案が浮かんだ」
「……まあ。夏バテの方は、もうすっかり解消なさったのでございますね」
「うん。おまえさんの淹れてくれた梅昆布茶のおかげだな、ははっ、ありがとう」
「うふふ、それは良かった。いつか必ず、私に先生の新作小説を読ませてくださいね」
「勿論だ。約束しよう」
2018.07.18公開
2019.04.23加筆修正
ツイッター企画「#文或戦闘記録CE」様 参加作品