愛郷の詩人と不思議な猫の話
夢主設定
帝國図書館の看板猫通称・猫のお嬢さん
室生犀星に飼われている黒猫
温和で人懐っこい性格
杏色のリボンが特徴
家庭的でお料理上手な良妻
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猫と唇
何気なく新聞を読んでいた時だった。我が愛猫の淹れてくれた熱い茶を啜りながら、いつもの通りに。
ぺらり、と半分ほど捲ったところで、妙に気になる記事を見つけた。と言っても、ほんの片隅に小さく書き込まれた、他愛無いオマケのような記事だ。『今日は何の日?』という丸っこい文字が踊っている。一般大衆というのは全く、語呂合わせだ他国の風習だと理由をつけて、特に何でもない日でもすぐ記念日にしたがるのだから。まあ、お祭り事を好む気持ちは分からないでもないが。
へえ、今日は日本で初めてキスシーンが登場する映画の公開された日、それに因んで"キスの日"なんて記念日を作ってしまったのか。……へえ、そうか。そうなのか。
「なあ、くろ」
「はい、先生」
こちらを向いた彼女と顔を合わせた途端、まだ若く鮮やかな桃色の唇に目を惹かれ、どきりとする。瑞々しい桃の隙間から「どうされました?」そう発する口の動きが、やたら艶めいて見えてしまった。慌てて目線を上に逸らせば、不思議そうに丸くなった琥珀色が俺をじぃっと見つめている。
うちの猫は、果たしてこういった細かい記念日を知っているのだろうか。
「今日は……いや、えーっと、」
キスの日らしいぞ? なんて切り出すのはあまりにあからさま過ぎやしないだろうか、キスしたくて堪らない感じが相手に伝わり過ぎる。いや、何を言う、旦那が嫁と口付けを交わしたいと思って悪い事など無いだろう。──ん、待てよ、彼女もキスの日を知っているかもしれない。そうしたら万が一にも、向こうから口付けをねだってくる、または不意打ちを食う可能性があるのではないか。ここは様子を見るべきだろうか。しかし、知らなかったら単なる待ち損である。
ああ、何だ、異様にキスがしたくて仕方なくなってきた。俺もこんな些細な記念日に踊らされて、全く馬鹿のようだ。ええい、我ながらなんて女々しい。うだうだ悩むだけ悩んで、何の行動にも移せない方が馬鹿らしい。口を重ね合うどころか、身体を重ねた事すらあるというのに、今更照れる必要が何処にある。「くろ、」もう一度、名を呼んで、愛猫のなだらかな肩に触れる。猫はくすりと微笑んだ。
「存じておりますわ、先生。今日はキスの日というものでしょう?」
「……何だ、おまえも知っていたのか」
「私もあなたと同じ新聞を毎日、あなたがお目覚めになる前には読んでいるのですよ」
「うちの猫は少し賢過ぎるなあ」
「もう……。先生は自分ばかり女のことを考えているとお思いでしょうけれど、女だって同じように男のことを考えているものなのですよ」
「ん? それは俺の書いた──っ、」
こちらが言葉を言い終える前に、女の整った顔が近付き、かぷり、唇を噛まれていた。
猫の舌がざりざりと我が唇の上を這って、無理やりにこじ開けられる。口内をそのざりざりでなぞられるのは少し痛いぐらいだが、正直、この微かな痛みすら甘く心地良く思えてしまう。
猫は存分に舌を絡めた後、互いの口と口の間に透明な橋をかけながら離れ、満足そうにうっとりしていた。
「ふふ、私の舌はざらざらしていて、たまらないでしょう? 先生、お好きですものね」
ちろり、口の端をそのざらついた舌先で舐められた。「もう一度、ご堪能なさいます?」そう、とろりとした琥珀色を細める表情は、頬に熱を帯びて艶やかだ。顎に手を添えて擽ってやれば、ごろごろ、猫らしく「先生」と甘い声が返ってくる。
嫁にこうまでさせてしまって、食いつかない旦那は居ないというものである。寧ろここで食いつかなくては、男にとっても女にとっても恥になってしまうだろう。
「ああ……まったく……おまえさんには敵わないな」
悪戯っ子のようにぺろりと顔を出したままの真っ赤な舌が、あまりにも旨そうなものだから。今度は俺の方から、噛み付くようなキスをした。
2017.05.23公開
2018.04.02加筆修正