愛郷の詩人と不思議な猫の話
夢主設定
帝國図書館の看板猫通称・猫のお嬢さん
室生犀星に飼われている黒猫
温和で人懐っこい性格
杏色のリボンが特徴
家庭的でお料理上手な良妻
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猫が羨ましい。
窓の外のお庭を眺めて、私は馬鹿みたいな羨望に胸を焦がしていた。
お庭の真ん中で立派な背を伸ばす大きな木の下。真っ白な雪の上。鮮やかな杏色した和服姿の男性が、たくさんの野良猫に餌をやっている。心温まる和やかな風景。きらきらと眩しい笑顔は、しゃがみ込む彼の足元、愛くるしい猫たちに向けられている。
私にはそれが、羨ましくて仕方が無かった。猫と戯れたいのではない。いや、確かに猫も大好きだけれど、そうではない。私は、あの人に可愛がられる猫たちが、羨ましいのだ。
ここは帝國図書館。国の図書の全てを扱うと言う、この大図書館に初めて訪れたのは昨年の秋頃。杏色の彼をお庭で見かけるようになったのは、秋も終わる頃だった。
本を読むこと。幼い頃から体が弱くて、それぐらいしか趣味の無い私は、時折ここへ通っていた。彼に一目で焦がれてしまってからは、殆ど毎日。
一度だけ、彼とお話をした事はある。でも、それだけだ。私は杏色の彼の名前さえ知らない。知っているのは、彼は猫が大好きなのだと言うこと。多分、図書館の職員さんなのだと思う。司書の若い女性や館長のおじさまとお話している姿を、廊下で見かけたことがあるから。
そういえば、私の好きな小説家さんも猫が大好きで、よく可愛がっていたらしい。白黒写真にも残っていた。火鉢に両前足を乗せて温まる猫と、それを優しく微笑みながら眺める老作家のお姿に、胸の奥をきゅんと揺らした記憶がある。
ふと、閃いた。
嗚呼、そうだ、例えば、私の大好きな作家さんの書いた小説。あのお話の中に出てくる"あたい"のように。彼女が金魚から人へ自由気儘に姿を変えられるように、私も人から猫にでもなることが出来たなら。何の気負いもなく、遠慮もなく、ただの野良猫として、あの人の元へ行けただろう。猫というだけで、無条件に彼の愛を貰えただろう。顎を擽ってくれたら、くるくると喉を鳴らす。ごろり寝転がされて腹を撫でられたら、長い尻尾をあの人の腕に巻きつける。なあんなあんと甘えた鳴き声のひとつふたつ出せれば「かわいいなあ」と愛してもらえただろうに。
今この時も、庭に集まる野良猫へ向けている笑顔を、私に真っ直ぐ降り注いでくれたのだろう。私が猫であったなら。嗚呼、羨ましい、うらやましい。あの杏色を独占出来る猫が羨ましい。もういっそのこと。
「猫になりたい」
溜息と一緒につい言葉も零してしまった。慌ててきょろきょろと辺りを見回す。良かった、誰もいない。こんな呟き、他人に聞かれたりなんてしたら引かれるに決まっている。完全に変な人だ。叶いもしない夢ばかり見て、幻想ばかりに耽って、馬鹿だな、私。
誰も居ない、筈なのに。何故か背後から視線を感じた。慌ててハッと振り返る。けれど、やはり誰も居ない。近代文学書をぎっちり集めた本棚が、静かに佇んでいるだけだ。気のせいだったらしい。……あれ?
(この本、なんだろう)
その本棚の一冊に、興味を惹かれた。
背に何も書かれていない真っ白な本。手に取って、白い本の表と裏の表紙を見てみるも、題名も作者の名前も無かった。古くなって消えてしまったのではない、最初から何も書かれていないように見えた。変なの。誰かの忘れ物だろうか。職員の方に聞いてみようかな。そんな事を考えながらパラパラとページをめくってみるが、案の定、表紙と同じ、どこまでめくっても真っ白だ。
ぱたん、と閉じて、改めて表紙を見た私は目を剥いた。
文字が。浮かんだ。
まるで紙の上にぽたりと墨の雫を落としたように、真っ白だった表紙に、じわりじわり黒い文字が浮かび出したのだ。
題名が現れた。
"猫の夢"
今度は本がひとりでに開いた! と思う前に、突然急激な眠気が襲い来て。ぱらぱらと風も無いのに捲れていく、真っ白なページの光景を最後に。私の意識は、そこで途絶えてしまうのだった。
「──、い、おい! 大丈夫か!?」
誰かの声に、はっと目を覚ました。
ここは、図書館? この茶色は床? さっきの不思議な本はどこ!?
混乱する思考の中、どうにか床に両手をついて半身を起こし、またきょろきょろと辺りを見回した。
可笑しい。……視界が、明らかに低過ぎやしないだろうか? 私は確かに起き上がり、その場で膝を曲げて座った体勢の筈なのに、寝転がった時とさほど変わらない。
可笑しい。可笑しい。いや、何だこれは。周りの物が全て大きく見える! 椅子も、机も、本棚も、私の体の二倍三倍は大きく見えている!?
「にゃあ!」
どういうこと! と叫びたかったのに、声すらも出なかった。代わりに聞こえたのは、か細い猫の声。近くに猫が居るのだろうか。いや、いや、今はそれどころじゃない、私は今どうなっている。ああ、頭がぐるぐるしてきた。
「はあぁ、良かった、目を覚まして」
頭上からまた聞こえてきた誰かの声。一度だけ聞いた事のあるその声に、顔を上げた。
「うーん、ただ昼寝してるだけ、だったのか? まるで死んだように眠っているから、こっちはヒヤヒヤしたぞ……」
私の想い人。猫に嫉妬するほど恋い焦がれていた、杏色の彼が居た。どきん、と胸が高鳴る。
心配そうな表情が、遠くに見えた。随分高い位置から、眩しい橙の目に見下ろされている。いえ、彼は確かに床にしゃがみ込んでいるのだけど、何故か私の身体が小さくなっている? ようだから、自然とそう見える。
こんなところでお昼寝なんてする人いる訳無いのに、よくわからないけど、とにかく彼とまた顔を合わせて話せそうで、不思議な状況なのに嬉しかった。
「にゃあ、にゃあ」
けれど、先程からどうにも声が出ない。その代わりのように、聞こえてくるのは猫の鳴き声。あれ、待って。
「……にゃ、…にゃ?」
この声、私の口から、喉から出ている、ような?
嫌な予感がして、その時、私はやっと自分の手を見た。──クリームパンのような形が目に飛び込む。つやつやの黒い毛。ひっくり返した掌には、綺麗なピンク色の肉球が。それは、明らかに人間の手ではなかった。まごう事無き、愛らしい猫の前足だった。
「首輪も何もしてないし、野良か? うっかり迷い込んじゃったのかな……この辺じゃ見かけないやつだけど……しっかし、野良とは思えないぐらい、綺麗な猫だなあ……」
彼の大きな人間の手が、私の方へと伸びてくる。思わずびくっと身を固めたが、彼の手はそんな強張りを解すように優しく、ふわりふわり私の頭を撫でてくれた。
わ、わああ〜、心地良い、あたたかい。あまりの気持ち良さで、こちらからもぐりぐり頭を摺り寄せてしまう。喉奥が震え出すのを感じる……って和んでる場合ではない!
ここまで来て、私はようやくはっきりと理解した。意識を失う前に見た、あの白い本の題名が思い出された。
「ははっ、おまえさん、随分と人懐っこい猫なあ! よしよし、良い子良い子」
ああ、なんて、なんてことだ。
夢でも見ているのだろうか。
私はあの題名通りの夢を、そして私が望んだ通りに。
「にゃあおん」
"猫になって"しまったのだ。
2017.02.03公開
2018.04.02加筆修正